2016/01/04 - 2016/01/11
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早朝の列車でブハラを出発して午前中にサマルカンドに到着。 この旅最大の観光ポイントでもあるサマルカンド。 かつてはシルクロードの重要拠点でもあった街。
そんなサマルカンドの滞在日数はたったの1日。そう今晩の夜行列車でココを離れなければならない!
果たして今日一日でサマルカンドを見尽くすことはできるのかっ?!
本家ホームページ
http://hornets.homeunix.org/
ここまでとこの先のウズベキスタン旅
Day1・2 タシュケントでは地下鉄もバスも25円で乗り放題だったぁ?
http://4travel.jp/travelogue/11100441
Day3 ブハラは半日もあれば全部見れちゃうコンパクトな観光地だった!
http://4travel.jp/travelogue/11105213
Day4 シルクロードの街サマルカンドを一日で回りきってみよう!
http://4travel.jp/travelogue/11109338
Day5・6・7 ヒヴァまでの道のり30kmを たった25円で行く方法とは?
http://4travel.jp/travelogue/11113306
Day8 「歩き方」にも載ってない「古本市」の情報を確かめに行ってみた!
http://4travel.jp/travelogue/11124049
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旅は4日目に突入。
今いる「ブハラ」から、今日は電車にて「サマルカンド」に移動。ブハラの駅は正確には近くの「カガン」という街にあるので、まずは早朝にブハラからカガンに移動する。
本当はミニバスで駅まで移動しようと思っていたのだが、早朝すぎてミニバスが動いておらず。仕方なしにタクシーで移動。まあ、それでも3US$ぐらいので安いのだが…(ちなみにミニバスだったら25円ぐらい) -
そんなこんなで早朝のカガン駅に到着。さすがに1月の早朝なのでかなりの寒さ。
ホームには列車が停まっていたのだが、どう見ても自分が昨日タシュケントから乗ってきた寝台列車のように見える。今日乗る列車は特急列車のハズだから、もっとカッコいい特急っぽい車両だと思い込んでいて、ずっと外で待っていたが、発車時間が近づいてもなかなか電車が来ず。とりあえず停まっている電車の乗車口にいた係員に列車のチケットを見せると、さっきからずっと停まっていたこの列車だった模様。だったら寒いホームでずっと待ってる必要もなかった…。 -
列車は予定時刻にブハラを出発。ウズベキスタンの列車は到着時間は結構適当だが、出発時間は正確だ。
車両は寝台列車と同じような造りで、ベッドにはなっておらず6人がけの椅子になっている構造。んで、自分が乗ったその6人がけのコンパートメントには、4人のロシア人グループと1人のウズベキスタン人。そして、自分という構成で、その4人のロシア人グループと1人のウズベキスタン人はロシア語で大いに盛り上がっていたが、自分は全く分からずで、完全にアウェイ状態。かなりの孤独感を感じる旅となってしまった。
そんな孤独感を感じつつも列車は無事サマルカンド駅に到着。 -
さて、サマルカンド駅に到着したら、街まで出るバスに乗る。
サマルカンド駅の出口を出ると、相変わらずタクシー客引きの壁がいて、その壁を超えると、右側に公園っぽい空間がある。その公園沿いを1〜2分歩くと、左側にバスが何台か停まっているので、そこで乗る。 -
ちなみに駅出口のタクシー客引きはこんな感じ。
彼らは駅の敷地内には入れないので、出入り口で待つことになる。当然のごとく出入り口を警備する警官もいる。そんな感じで出入口を塞ぐようにタクシードライバーがいるもんだから、当然ここを突破しなくてはならず、彼らを無視して突破すると大体の人は早々に諦めるが、2〜3人はすごくしつこいのもいて、バス停近くまでずっと付いてくる奴もいるので注意が必要。 -
サマルカンド市内を走るバスはこんな感じのバス。
中心部にある「レギスタン広場」に行くには3番か73番のバスに乗る。ちなみに正確には3番のバスはレギスタン広場の前は通らないが、近くまでは行く。一方73番のバスはレギスタン広場の前を通る。
自分が駅に着いた時には3番も73番もどちらのバスも居たので、73番のバスに乗ることにした。 -
73番のバスはこんなルートを通ってレギスタン広場の前に行く。
ちなみに何番のバスがどのルートを通るか?を事前に調べたければ 「wiki routes( http://wikiroutes.info/en/samarkand )」のサイトを利用すると便利。 -
レギスタン広場は、この旅の観光ポイントでメインといっても過言ではない場所なのだ。
レギスタン広場には3つの大きなメドレセ(神学校)があって、中央には「ティラカラリメドレセ」、その左側には「ウルグベク・メドレセ」そして右側には「シェルドル・メドレセ」がある。
シェルドル・メドレセのすぐ横にチケットオフィスがある。チケットを買わなくても外観を見ることはできるのだが、決められたゾーンから中にさらに近づいてメドレセを見ようとすると、チケットを買わなくてはならない。 -
ということでレギスタン広場はこんな感じ。
3つのメドレセが「どど〜ん!」とそれぞれ向かい合うように鎮座する。この旅でタシュケント・ブハラと幾つかのメドレセを見てきたが、ここのメドレセは3つともかなりの大きさ。写真内にたくさん写っている人の大きさと見比べてもらってもその大きさは一目瞭然だろう。 -
最初に中央にティラカリ・メドレセに向かう。正直3つのメドレセの中でもココがメイン。
まず、その大きさに圧倒される。このメドレセは3つのメドレセの中でも最も新しいメドレセ。 作られた当時は、この後訪れる「ビビハニム・モスク」が廃墟となってしまっていたので、このメドレセがサマルカンドの主要礼拝所として使われていた。 -
そんなティラカリ・メドレセを目近(まじか)で見ると、その豪華さにも圧倒される。 タシュケントやブハラで見てきたメドレセやモスクも十分豪華な部分はあったのだが、このメドレセの豪華さはちょっと格が違う。
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早速中に入ってみると、中も十分な広さ。しかしながら、各部屋がどこも土産物屋になっているのが、かなりのがっかりポイント。 正直ここまで豪華なメドレセだったら、中は何もない状態にしてもらうか、博物館とかにしてもらわないと一気に品が落ちるように感じてしまうのは自分だけだろうか?
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さらに、中央に向かって左側の建物に入ってみる。サマルカンドはこの旅のメインで、このレギスタン広場はサマルカンドの中でもメイン、そしてレギスタン広場の中でもティラカリ・メドレセはメインでティラカリ・メドレセで最も見たかったのはこの建物の内部なのだ。そう、今からこの旅の最もメインとなる観光場所を見ようとしているのだ。
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「そう!これが見たかったのよ!」と思わず叫んでしまいそうになる黄金に輝く礼拝所。桁違いの豪華さだ。
この場所は礼拝所で、中央にはメッカの方向を示すくぼみがある。そして天井も言葉では表せない程の豪華な模様で飾られている。 天井はドーム型になっているように見えるが、実は平面で、遠近法を上手く使ってドーム型に見えるようにしているそうだ。 -
「ティラカリ」とは「金箔された」という意味らしく、その言葉通りの礼拝所だ。
ここを作る時は5kgもの金が使われ、修復する時にも3kgもの金が使われたそうだ。 やらしい話だが、このページの原稿を書いている2016年2月現在、金相場はおよそ5000円/gなので、5kgだったらおよそ2500万円ということになる。3kgだとおよそ1500万円なので、この部屋の金だけで現在の金額にして4000万円ぐらい使われたことになる。 建物の値段ではなく、この部屋の装飾だけでその価格なのだ。 -
さすがにそれだけの金をかけるだけあって、装飾も手を抜いた感じが全然無く美しい。
普通、日本の常識だったら、こういう所は観光客が絶対に触れないようにするところだが、ここは普通に壁とかが触れてしまう。 (さすがにメッカの方向を示すくぼみとかは触れないが)。こういった所が「文化の違いだなぁ〜」と感じる点。
さて、さすがにこの部屋には感動だったのだが、せっかくなので正直な事も書いてしまおう。
ここに来る前にはテレビやネットなどで、この黄金の礼拝堂を何度も見て、「お〜!どれだけ立派なんだ〜?」と期待に胸を膨らませていた。 そして、勝手にすごい広い部屋でどこもかしこもみんな黄金で装飾されているものなんだと思ってしまっていた。
ところがどっこい、この黄金の礼拝堂は建物全体のうち、ほんの一部屋だけ。正直な感想を言えば「えっ?これだけ?」と思ってしまったことは否めない。もう隣の部屋は黄金なんかでは装飾されておらず、ごくごく普通の部屋になってしまっているのだ。 そういった面で言えば若干がっかりだったかな。
ただ、そういった感想も来てみて初めて分かることなので、決してネガティブな感想ではなく、これこそ実際に自分の目で見に来る醍醐味だと自分は思っている。
もし、これから見に行こう!と思っている方がいたら、アドバイスを・・・。
黄金の礼拝堂は写真で見る通りすごく豪華で綺麗です。しかし必要以上の期待は持たないほうがいいかもしれません。 -
さてさて、レギスタン広場の中央にある「ティラカリ・メドレセ」を見たら次は正面に向かって右側にある「シェルドル・メドレセ」を見る。
このメドレセは、レギスタン広場にある3つのメドレセの中で2番目に古いメドレセ。 向い合って建っている「ウルグベク・メドレセ」を模倣して作られたと言われている。 -
このメドレセの珍しいところは、正面にライオンと日輪の絵が書かれている点。 というのも、イスラム教では偶像崇拝が禁止されているにもかかわらず、その教義を破ってこのような物がかかれているのだ。
これは当時の支配者が自分の権力を誇示しようとした為らしい。
とはいえ、現在のイスラム教でもイランなどのシーア派では、偶像崇拝に対して厳格ではない(ゆるく考えている)派もあるので、実は当時のサマルカンドでもそれほど厳格に考えていなかったのかな?とも思う(あくまでも自分の感想だが・・・) -
さて、そんなわけで中に入ってみても、他のメドレセと同じく豪華な模様で飾られているのが良く分かる。
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メドレセの構造は他の物とほぼ同じ構造だが、自分が訪れた時には、このメドレセは内部が工事中だった。
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シェルドル・メドレセの内部もティラカリ・メドレセと同じくお土産屋になってしまっているのが残念な所。お土産以外にはこんな感じで民族衣装を着させてもらって、写真が撮れるという、観光地にありがちな物もあった。
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さて、続いてはウルグベク・メドレセに行ってみる。 ウルグベク・メドレセはレギスタン広場正面に向かって左側にあるメドレセ。 レギスタン広場にある3つのメドレセの中では最も古いメドレセだ。
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こちらのメドレセも他のメドレセと構造は ほぼ同じ。 1階は教室となっていて2階は学生の宿舎。 もちろん現在では1階はお土産屋になってしまっているのは、他のメドレセと同じ。
当時はここに100名以上の学生が寄宿していて、数学や天文学、哲学なんかも学んでいたそうだ。 ココを作ったウルグベクさんは、ティムール氏の孫で、彼自身も教壇に立っていたそうだ。ウルグベクさんは、政治家よりもこのような学者としての功績の方が大きかったそうで、この後訪れる天文台にも彼の銅像が作られていた。 -
こちらのメドレセも他のメドレセと引けをとらない美しさ。 まあ、このメドレセが最も古いので、他のメドレセは「せめてウルグベク・メドレセには負けないようにしよう」と思って作ったんだろうけど…。
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メドレセは「とにかく派手にしよう!」という感じではなく、よく見比べると、とても落ち着いた模様になっている場所もある。模様に緩急をつけることで、より豪華さを演出しているのかもしれない。
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さて、レギスタン広場にあるメドレセを堪能したら、続いてはレギスタン広場から北東方向にある「ビビハニム・モスク」に行ってみることにする。
ちなみに余計な情報だが、レギスタン広場のシェルドル・メドレセと車通りの多い通りとの間ぐらいに公衆トイレ(有料)があるよ。 -
ビビハニム・モスクへ行く途中の、シェルドル・メドレセのちょうど裏手の場所には「チョルスー」がある。
ここはかつて市場だった所なのだが、現在はアートギャラリー的な物になっていた。 -
レギスタン広場からビビハニム・モスクまでの道はとても綺麗に整備された歩道になっている。 さすがウズベキスタンで最も力を入れているだろうと思われる観光地だけある。
この道の両側には数軒のお土産屋やレストランが並ぶ。観光客向けのインフォメーションもあって、自分は手持ちの現地通貨が少なくなってきていたので「どこか近くで両替できるところはないか?」とインフォメーションで聞いたら、インフォメーションのねぇちゃんが両替してくれた。2016年1月現在1US$=5000スムで両替。事前情報よりもさらにインフレが進んでいる模様。 -
さて、そんなこんなでレギスタン広場から10分弱ぐらい歩くと、進行方向左手方向に、ひときわ大きな建物が見えてくる。これがビビハニム・モスク。
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ビビハニム・モスクの特徴は特にデカイことだ。写真に写っている人と見比べてもらっても、その大きさが想像できると思う。サマルカンドにあるメドレセやモスクは大きな物が多い。
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ビビハニム・モスクの中に入ると、正面にはこれまた大きなモスクがそびえ立つ。 「どんだけ大きな物を作りたかったの?」という感じ。
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そして、ビビハニム・モスクの敷地内中央の説教台には、コーランを置く台があった。 ちなみにこの台の周りを願い事をしながら3回まわると願い事が叶うという、こういった場所にはすごいありがちな言い伝えがあるそうなので、興味のある人はやってみてはどうでしょう?
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先ほどの大モスクは入って正面。敷地の西側にそびえ立っているのだが、敷地の南北には小モスクがある。外観はとても綺麗なのだが、内部を覗いてみたらボロボロだった。
ビビハニム・モスクはティムールによって建てられたモスクなのだが、様々な理由でこれだけの大きさの物を短期間で完成させる必要があった。したがってたくさんの人員を動員して突貫工事が行われたのだが、それなりに建築時の問題点があって、いろんな場所に不具合が生じ、次第に壊れ始めてしまった。最後には地震によってミナレットが折れたりしてしまい、廃墟となってしまった。
現在の姿はソ連崩壊後にユネスコによって修復された姿とのこと。 外観は完璧に修復されているけれども、内部までは手が回らなかったってことかな?
そういった経緯を知ると、現在でもちょっとした「廃墟感」が残っていても納得ができる。 -
さて、ビビハニム・モスクの歩道を挟んだ反対側には「ビビハニム廟」がある。 入場料が微妙に高く、結局入らず外から写真を撮っただけ。
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ビビハニム・モスクとビビハニム廟との位置関係はこんな感じ。 ビビハニム・モスクの北側にはシヨブ・バザールがあったので寄ってみた。
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観光シーズンから外れているってことも大きいとは思われるが、サマルカンドに限らず他の都市でも、この時期は観光ポイントにはそれほど人はおらず。しかしながら、バザールには「街の人がみんないるんぢゃね?」ってぐらい人が集まっている。 買い物以外やることが無いんだろうか?と失礼な事を思ってしまうぐらい。
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シヨブ・バザールもかなりの広さ。ウズベキスタンのバザールはとにかく広い。 この写真に写っている場所以外にも市場のエリアがある。
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この写真は「メロンのドライフルーツ」。 ウズベキスタンではドライフルーツが豊富で、このメロンのドライフルーツは以前「世界行ってみたら本当はこんなトコだった」という番組で紹介されていて、それを見た時に「どんな味なんだろう?」と、ウズベキスタンで絶対に食べたい物の一つだった。
そんなこともあり、買うのは無理なのだが、何とか人のよさそうな店員を探して味見させてもらった。メロンをぐるぐるっと巻いてあって中に干しぶどうをぶっ刺したものだ。
んで、肝心の味なのだが…。ん〜、メロンと言われればメロンって感じ。 正直メロンって「ガブッ」と噛んだ時に溢れ出るジューシーさが美味しいわけであって、それが全く無いとなるとかなり微妙な感じ。 まぁ、ドライフルーツってどれでもそんな感じなのかもしれないが…。 お金を払ってまで買うもんぢゃないかな?というのが自分の感想。 不味くはないですよ。 -
ドライフルーツはけっこうあって、こんな感じで杏と思われる物や、「これなんだろう?」という物も結構多い。
そして、やはり干しぶどうが一番多かった。ちなみに日本で入手できる干しぶどうは柄の部分が完全に取られているので食べやすいが、ウズベキスタンの干しぶどうは微妙に柄の部分が残っているので「これ、食べにくくね?」って感じはする。 -
サマルカンドにもあった、山盛りのキムチ。 朝鮮民族系の文化がウズベキスタン等の中央アジアに存在する理由は、スターリン時代の政策による朝鮮民族の強制移住によるもの。 詳しくはDay1・2参照
そして、サマルカンドと言えば「ナン」と思われがちだが、お米もたくさん売られている。 こんな感じで台の上に直置きだが、量り売りで買うタイプ。 -
タシュケントで見たのと同じだが、やはりナッツ類や卵も豊富。 こんなに大量のナッツ類(写真はヒマワリの種)だが、こんなに売れるのか?とちょっと不思議。 この量に対して買っている人が結構少ない。 まあ、腐りにくいので、長い期間をかけて売るんだろうけど…。
-
んで、ちょっと驚きだったのだ、たくさんではないが、市場では一部「スープの素」的な「料理の手間を省く」系の物が売られていた。 やはり「普段の料理は手間ひまをかけず、簡単に済ませたい」と考えるのは世界共通なのだろう。
家庭菜園的な目的なのか?それとも自給自足的な目的か?はたまた本格的な農業収入の目的なのか?はわからないが、野菜の種が日本で売っているのと同じような形態で売っていた。 もちろんお土産に買って帰ることはできないが…。 -
そして、サマルカンドでも野菜は豊富。そしてちゃんと並べて売る。 美味そうな野菜に興味津々な自分だが、そんな野菜の写真を撮る日本人(オレ)に興味津々の現地人。
あと、日本では通常、スパイスコーナーで小さな瓶でしか売っているのを見ない「クミン」なんかも、大きな麻袋で大量に売られていた。 何故かクミンを売るのはおっちゃんばかりで、しかもちゃんとした売り場スペースを与えられておらず、通路のど真ん中で売っている人が何人かいた。 売り場スペースが与えられるかどうか?についても権力争い的なものがあるのだろうか? -
もちろん日本では全然見かけないような野菜もある。
写真の野菜は少し味見させてもらったのだが食感も味も日本の大根のような感じだった。 日本の大根に比べて少し青臭い感じの味。
ちなみに、市場を観光する時に、最初は「買わないのに味見とか無理だろうなぁ〜」とためらっていたのだが、ウズベキスタンの人々はみんな優しく、絶対買わないだろうド観光客でも、興味を持って見ていると意外と味見させてくれたりする。 自分は持っていなかったのだが、お礼として飴ちゃんなんかをあげればチャラになるんぢゃないかな?。(まあ、あげなくても何も要求してこないけど…) -
そしてサマルカンドの定番といえば「サマルカンドナン」だろう。
こんな感じで他のナンと異なり、結構な厚みがある。 これを一気に何個も買っていく地元の人もいた。 サマルカンドナンは結構人気が高く、わざわざ遠くから買いに来る人もいるらしい。
市場にはサマルカンドナンを売る店がたくさんある。普通、日本だったら「あのおばちゃんのところのナンが美味い」とか口コミで、一部の店がすごい混んでしまったりするが、ウズベキスタンではそういった光景は ほとんど見られなかった。 -
わざわざ遠くから買いに来る人がいるぐらいなんだから、結構美味いのか?と思い、とりあえず1個買ってみた。 自分が買ったものはまだ内部が少し温かくなかなか美味かったが、わざわざ遠くから買いに来るほどか?と聞かれたら、正直ちょっと答えに困ってしまう。
ちなみに自分が買ったものには、ごく稀に「プラスチック片」みたいな物が入っていた事は、正直に書いておくことにする。まあ「ご愛嬌」ということで…(汗)。
予想の範囲内であるが、中身は「ふわふわ」ではなく、かなり「ずっしり」。というか「ギュウギュウ」。これ一個でかなりの重量があるので、バックパックとかでとにかく荷物を軽くしたいという人には不向き。
ただ、これを1個買っておけば、しばらく食べるものに困らないのも事実。旅の途中で1個ぐらい買ってみるのも正直アリなんぢゃないか?と思った。 -
さて、バザール内を一通り見終わったので、続いてバザールから東の方向に15分ぐらい歩いた所にあるシャーヒズィンダ廟群に行ってみた。
かなり余計な情報になってしまうが、このサマルカンドのバザール周辺とシャーヒズィンダ廟群へ行く道で、この旅初めての「物乞い」がいた。しかもそこそこの人数。 やはり観光客が集まる場所だからなのか? ただ、この時期(冬)に物乞いもなかなか見られないとは思うのだが…。 人によっては若干しつこい者もいるので、無視し続ける必要がある。 -
さて、話を戻してシャーヒズィンダ廟群について。
シャーヒズィンダ廟群とは一言で言えば「お墓」。もうちょっと細かく言うと「昔の権力者とその親戚や側近たちのお墓が集まった場所」。
大通りから伸びる一本の歩道の両側に様々な権力者やその妻・親戚、そして側近たちのお墓となる「廟」が並んでいるのだ。 -
チケットを買って入ると、正面にちょっとした階段が見えてくる。 この階段は天国の階段と呼ばれ、段数を数えながら上り、その数が行きも帰りも同じだったら天国へ行けるという「えっ、そんなの当たり前ぢゃん」と思ってしまうような言い伝えがある階段がある。
そんな天国の階段の横にあるのが「コシュ・グンバズ廟」。 ティムール(王様)の乳母のお墓と言われている。 -
「歩き方」には「ふたつのドームを冠した廟」と書かれていたのに、ドームは一つしか見えず「おかしいなぁ〜?」と思っていたら、2つ目は裏側に隠れていた。
-
さて、このシャーヒズィンダ廟群で印象的なのは、この青い色ではないだろうか?
サマルカンド=青 というイメージが少なからずあるのはこの建物の「青色」から来ていると思う。 残念ながらデジカメは「紫系」の色を上手く写すことが不得意な為、こうやって撮った写真も実際自分の目でみる色と何となく違う感じがある。 なので、実際に自分の目で見てみると「青のサマルカンド」を実感することができると思う。 -
そんな綺麗な青のタイルで覆われた建物の内部にも入ることができるが、内部は至ってシンプル。 細かいことはよくわからないが「多分これが墓石だろう」と思われるものが中央に鎮座している。 日本だったらこういった所にはなかなか入れないものだが、ウズベキスタンではバンバン入れてしまうのも「あぁ、文化の違いだなぁ〜」と感じるところ。
-
先ほどの写真のように内部が全然装飾されていない廟もあるが、外壁と同じく内部も青いタイルで装飾されている廟もある(写真左)。 天井までちゃんと青で飾る徹底ぶり。 しかしながら、どうしても内部に入る光の量は少ないので、綺麗に写真を撮ろうとすると、なかなか難しい。
また、入口のドアも(ドアが無い廟もある)、こんな感じ(写真右)で、細かな彫刻を施された物もあったりする。 -
実際に行ってみないとなかなかイメージが湧きにくいと思うが、シャーヒズィンダ廟群は、中央にこのような歩道(通路)が一本通っている。 そして、その両側に先ほどの写真のような綺麗な青で装飾された外壁の廟がいくつも並んでいるのだ。
正直な所、廟自体はこの写真をみてもらうと分かるとおり、かなり大きい。 しかしながら、それほど広くない歩道の両側にこんな接近して建っているので、正直、正面から「ど〜ん!」といった感じの豪快な写真を撮るのはなかなか難しいのだ。 -
外壁全体(とは言っても正面だけだが…)が綺麗な青で覆い尽くされた廟も、先ほどの写真のようにたくさんあるのだが、この写真のようにもうちょっと落ち着いた感じに飾られた廟もある。
日本でお墓と言ったら「◯◯家の墓」とか、誰が眠っているのか刻まれているのが普通だが、こちらの廟はそういった名前の記述が無いのか? 現在でも「誰の廟なのか不明」という廟も幾つかある。
ここに眠っている人にとってはちょっと悲しい事実なのかもしれないが…。 -
しかしながら問題点は、どれもだいたい同じ造りなので、帰国してから写真だけを見ても「この写真どの廟かな?」とわからなくなってしまうところ。
正直自分も旅行記に書く目的で順番に写真を撮ったつもりだったのだが、最終的によくわからなくなってしまったので、一つ一つ載せて説明することが困難になり、こんな感じでざっくり紹介している次第。 -
クサム・イブン・アッバースの廟というのが、シャーヒズィンダ廟群の一番奥の方にあって、通常は入口からすぐの所に墓石らしきものがあるのだが、この廟は廊下みたいな通路をかなり行った場所にあって特徴的。 通路を進んで一番奥のほうの部屋は一際内部が綺麗に装飾されており、その奥に墓石がある。
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この写真にある格子の奥に墓石がある。 ここだけ少し空気が違うのを肌で感じた。
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シャーヒズィンダ廟群の一番奥もこんな感じで青が美しい廟が目白押し。 こんな立派な廟なのに、誰のものか分からない「無名の廟」があったりする(右側)
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それにしてもこれだけ大きな廟がこんなに接近して建っていると若干窮屈。 もうちょっと広い場所を確保できなかったのかなぁ〜?と思う。
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ガイド本には載っていないのだが、この辺り一帯は一般人のお墓がたくさんある場所だった。 もともとお墓だった土地に権力者の廟を建てたのか?逆に権力者のお墓があった為に、周りに一般人のお墓を建てるようになったのか?は不明。
以前テレビで見たこともあって、ここらへん(中央アジア)特有の文化だったか忘れてしまったが、こちらの墓石は、こんな感じで立派な墓石に点だけでその人物の像を掘ってあって、この技術がかなり素晴らしく、日本ではなかなか見ない文化だ。 これだったら、写真だとそのうち色あせてしまったりするが、墓石に直接掘ってあるので、ずっとここに眠っている人の像が残ることになる。
自分も生きている間に自分の像を掘ってもらった墓石を作ってもらおうか?とも思ったりする。(どうやって日本に運ぶか?が問題だが…) -
さて、シャーヒズィンダ廟群を見終わったら、続いて「ウルグベク天文台跡」に行ってみることにする。
しかしながら、ここでもまた「歩き方」特有の「地図P.50C-1 外」の「外」の文字。地図に載っておらず「どこにあるのかわかんねぇ〜よ!」とツッコみたくなる状況。
ということで、ウルグベク天文台跡は、シャーヒズィンダ廟群からバザールと反対の方向にしばらく行ったところにある。 「歩き方」にも書いてあるように、バザールから徒歩で30分はかかると思うし、かなりの登り坂なので、歩きで行くとかなり良い運動になる。 自分は大通りを走るバスを拾って行った。 「歩き方」にも書いてある通り45番か99番のバスに乗れば良いと思う(自分は99番のバスに乗った) -
ということでバスはウルグベク天文台跡から少し行った所で止まった(というか、多分乗り過ごしたんだと思う)ので、ちょっと徒歩で戻ってウルグベク天文台に到着する。
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正確な金額は忘れてしまったのだが、ウルグベク天文台のチケットは結構高かった。 自分はかなり迷った挙句買ったのだが、正直「買わなくてもよかったかな?」と今になって思う。
さて、そんなことはともかく、ウルグベク天文台跡は現在は一部しか残っていないのだが、こんな感じで「六分儀の遺構」がある。 -
んで、この「六分儀の遺構」に入ってみると、中にはこんな感じの滑り台みたいな物があって、天文学には詳しくない自分にとっては「ふ〜ん」という感じ。
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で、この「六分儀の遺構」と対面するように小さな博物館があって、その中にこの「六分儀の遺構」の模型があった。
この写真のように、実際に天体を観測する際には、写真左上のところから入ってくる光を先ほどの滑り台みたいなもので受け取り、光が当たった場所で観測・計算するようだ(たぶん)。
ちなみに、当時の観測結果と計算結果はかなり正確だったようで、1年間の時間は現在の精密計測と比較しても誤差は1分にも満たないそうだ。 なるほど、計算の理論は合っていて、あとは観測の精度による違いなんだろうなぁ〜と思う。 当時の人はとても頭が良かったんだろうなぁ〜と感心する。 -
そんな当時の頭が良かった人がこの像の「ウルグベク」さん。 六分儀の遺構の近くに銅像がある。
彼は当時の権力者「ティムール」の孫にあたる人で、彼は政治家・統治者としてよりも、このような学者としての功績が高く、後世に名を残した人物。 彼自身、頭が良かったこともあると思うが、教育に熱心だったようだ。 -
続いて向かったのはこれまたサマルカンド中心部よりかなり離れた場所にある「イマーム・アリ・ブハリ廟」。 「歩き方」では紹介されているるものの、当たり前のように地図は「外」になっていてどこにあるのかさっぱりわからない場所。 歩き方には一応バスでの行き方が書いてあり、事前に調べたネットの情報でもバスで行った人がいる感じだった。
ということで、そんな事前情報に頼って行こうとしたところ、バスは全然イマーム・アリ・ブハリ廟方向へは行かず。とりあえずそこら辺の人に聞きまくったところ「あそこまではバスは行かない。タクシーで行け」と。さらにバスの運転手にも尋ねたが「途中の大通りは走るが、イマーム・アリ・ブハリ廟は大通りから途中それた道にある。そちらの道の方へはバスは行かない」と言われた。
「となるとタクシーでしか行く方法がないかぁ〜」と思いながら、そんなやり取りを繰り返していると、いつの間にか周りは乗り合いタクシーの運転手だらけに囲まれることになっていた。 日本語と片言の英語しか話せない日本人(オレ)と、現地ウズベク語しか話せないウズベキスタン人とのコミュニケーションは困難を極めプチカオス。そのうちウズベキスタン人達が、英語も話せるウズベキスタン人を探してきて、その人を通して交渉。
んで、随分紳士だったそのウズベキスタン人は彼らと交渉してくれて「片道10000〜15000スムが相場で、これはボッタクってはないよ」と教えてくれた。今いるサマルカンド中心街からイマーム・アリ・ブハリ廟までの往復で25000スムでプライベートタクシーで行く交渉にまとまる。2016年1月現在およそ5US$ぐらいで往復することになった。
通訳してくれた英語が話せる現地人のことは全く疑っていなかったが、タクシーの運転手には警戒が必要と、かなり怪しんでいたが、結果的には直接コミュニケーションを取るのはかなり難しかったがいい人だった。ちゃんと事前交渉の値段で往復してくれた。
通訳してくれた現地人も言っていたが、「お金は最後に渡すんだよ」とか「でも、ウズベキスタン人は基本的にいい人ばかりだから大丈夫」とかアドバイスをくれたが、自分の時は運が良かったのか、彼の言うとおりだった。
話はかなりそれてしまったが、イマーム・アリ・ブハリ廟まではタクシーでおよそ20分ぐらいの道のり。結構距離はある。イマーム・アリ・ブハリ廟付近には確かにバス停らしきものは見当たらなかった(というか見落としただけかもしれないが…)。途中まで走る幹線道路的な道には幾つかのバス停を見かけた。バスの運転手が言っていた通り、幹線道路はバスが通っているが、イマーム・アリ・ブハリ廟まで直接走るバスはなさそうだった。まあ、シーズンオフってこともあるかもしれない。 -
というわけで、イマーム・アリ・ブハリ廟に到着。イマーム・アリ・ブハリ廟は結構立派な施設で比較的新しい聖地となっている。
入り口には当たり前のように警備員が居てセキュリティーチェックを受ける。これがタシュケントの地下鉄に乗るのと同じような感じでかなり面倒。自分の場合は今日はサマルカンドに泊まらず、そのまま夜行列車でヒヴァへ向う予定だったので、バックパックを背負ったまま。ということでイマーム・アリ・ブハリ廟のセキュリティーチェックでバックパックの中身を全部出さなくてはいけなかった。
話はそれるが、ウズベキスタンはまだまだ経済的には発展途上にある国と言える。国際的に見ても通貨はあまり強くない。 なので、現地の人が持っているスマホも見たこと無いようなスマホやSAMSUNGのスマホが主流で、価格が高めなiPhoneとかを持っている人は結構少なめ。 となるとやはりiPadを持っているような人は皆無のようで、セキュリティーの所にいた警官に自分のiPadを見せたら、かなり興味深そうにいじっていた。 そんな光景が結構面白かった。 -
そんなセキュリティーを抜けると、長い長い真っ直ぐな歩道があって、そこをズンズン進んでいくと一番奥にイマーム・アリ・ブハリ廟が見えてくる。 とにかく「あっ、あれだね」とすぐに分かるような姿。
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イマーム・アリ・ブハリ自体は9世紀頃のイスラム法学者なのだが、新しい聖地になっているだけあって、かなり新しい施設に見えるし、かなり立派。外壁を覆うタイルも今まで見てきたタイルとちょっと違う技法を使っているんぢゃないか?と思われるような感じだった(あくまでも個人的見解)
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廟自体はドアとか建物内にあるわけではなく、外からでも中が見えてしまう作りになっていた。こういった廟の造りはあまり見ない感じだった。
中央には棺らしきものが見えたのだが、この中に眠っているわけではなく、この下の地下に眠っているそうだ。 -
そこら辺の人が「あそこにミュージアムがあるよ」と教えてくれたので行ってみると、確かにミュージアムが併設されていたのだが、どうやらコーランの博物館のようで、展示されているものはコーランばかり。いろんな国のコーランとかが置かれていた。
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タクシーの交渉とか結構苦労してすったもんだで行ったのだが「別にわざわざ苦労して行く必要もないかな」というのが正直な感想。
事前の情報だと、結構な人でごった返すのか?と予想していたのだが、人はいるもののごった返すほどではなく、チラッチラッといるぐらい。シーズンオフってこともあるのか?
そんなこんなでイマーム・アリ・ブハリ廟見学は早々に終了。待たしていたタクシーの運ちゃんの所に戻り、サマルカンド中心街のレギスタン広場まで戻る。 -
さて、今日乗る夜行列車は結構遅い時間に出発するので、時間はまだまだある。 既に日は暮れかけていたが、とりあえず観光を続ける。
続いて向かったのは「ルハバッド廟」。 レギスタン広場からは南東方向に10分ぐらい歩いた場所にある。 -
ルハバット廟は14世紀頃のシェイヒ・ブルハヌッディンサガルジをいう神秘主義者を祀った廟で、イスラム教の預言者ムハンマドの遺髪を納めた箱が一緒に葬られたという言い伝えがあるため、信仰を深めた廟。
現在は伝統工芸の工房とお土産屋になっているとのことだったのだが、自分が行った時は、修復中なのか?どうかわからないが、廃墟のようになっていた。
ガイド本に載っているから行ってみたが「普通に通りかかっただけだったら、絶対足を止めないよね、こりゃ」って感じのものだった。 -
ルハバット廟の周辺はちょっとした公園のような造りになっていて、ルハバット廟から南に少し行った所にあるのが「アミール・ティムール廟」
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アミール・ティムール廟は14世紀頃のこの辺の王様「ティムール」とその子孫の墓。
もともとはムハンマド・スルタンという人が建てたメドレセとハナカがあったのだが、彼が亡くなったことを偲んだティムールが隣に廟を建設した。
しかし、彼自身も1年後の中国遠征の途中で病死した為、彼もこの地に眠ることとなったという廟。もともと彼は生まれ故郷(シャフリサーブス)に葬られることを希望したのだが、結局サマルカンドに葬られ、しかも名前を刻んだ石だけを墓標としてもらうことを希望していたのだが、やはりこれも叶わず、こんな立派な廟になった。 -
すでに日が暮れ始めているので、その美しさはなかなか分かりにくい写真だが、奥にあるドームの青が美しく、立派で、入場料も立派なお値段だった。
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ルハバット廟やアミール・ティムール廟がある公園のすぐ横にある大きな道の交差点中央には、ティムールの像があるので行ってみた。
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ティムールの像を見るには車がビュンビュン走る道を渡らなければならないので、結構恐い。
そんな危険な思いをして間近に見る廟は立派。よく街中で宣伝用の看板みたいなものを見かけるのだが(文字が読めないので何の看板だかは不明)、そういった看板とかにもこの像の写真が使われていたりする。それだけ彼はこの土地の人に愛されているってことなのか? -
ティムール像から大通りに沿って南西の方向に進み、途中を曲がった所に「ロシア正教の教会」があるようだったので行ってみることに。
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「歩き方」には「ロシア正教教会」としか書かれていないのだが、正式名は「Alekseyevsky's Cathedral」と言うようだ。
ロシア正教の教会と言えば、タマネギ型の屋根が印象的な物が多い(モスクワの赤の広場にある教会のような)。この教会も一応タマネギ型の屋根にはなっているが、意外にもそれは小さく、普通に歩いていたら気づかないかも…ってぐらいだった。 -
日もとっぷり暮れてしまったので、どこかで夕飯を食べる場所を探しつつレギスタン広場の方に戻ってみることにする。
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レギスタン広場はさすがにサマルカンドのメインの観光地だけあって、夜はライトアップされていた。
ライトアップされた3つのメドレセが全て入った写真は結構壮大だ。 -
個々のメドレセの写真を撮っても素敵。
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夜行列車の時間まではまだまだあるので、とりあえず夕飯でも食べることに。
「歩き方」に載っていたレギスタン広場の前ぐらいにある店に行こうと思ったのだが、行ってみるとやっておらず…(汗)。 オンシーズンのウズベキスタンに来たことが無いので、正確なことは言えないが、オフシーズンのウズベキスタンでは、レストランがあまりやっていない感じがある。 街を歩いていても閉まっている店が多かった。
ということで、2件ぐらい隣の店が開いていたのでそこに入る。というか、本当は手持ちの現地通貨(スム)が少なくなってきており、両替してくれるかな?的な目的で入ったのだ。 店主が2人ぐらいいる感じの変な店で、そのうち1人はすごく安い値段で両替しようとしていたので、諦めて出ようとしたら、もう一人の店主がちょっといい人で、適正な値段で両替してくれた。 というわけで、ついでにその店で夕飯を食べることにしたという経緯。
食べたのはラグマンとシャシリク。もともとラグマンを食べるつもりはあまりなかったのだが、メニュー表が無く、店員が「ヌードルスープ」と行ったので「あっ、それいいな」と思ってたのんだら、何の事はないただの「ラグマン」だったというわけ。
シャシリクは、ブロック肉の串タイプではなくひき肉を串に付けたタイプだったのだが、食べてみたら中が若干赤くて「これ、大丈夫かな?腹壊さない?」と心配になりながらも結局全部食べてしまった。その後、運良くお腹を壊すことは無かったので一安心。
どちらも絶賛するほどでは無いが、普通に美味い。 -
さて、ラグマンとシャシリクを食べた店のさらに2件ぐらい隣に、光々と電気が点いたレストランがあって、店の前にメニューの写真があった。 ちょっと見ていたら、店員のおばちゃんが半ば強引にオレを店内に引き込んだ。
と、先ほどのメニューの写真で「マンドゥ」という物があって気になったので食べてみることに…。
マンドゥとは日本で言う「水餃子」みたいなもの。餃子って行ったら「中国」というイメージを日本人なら持ってしまうところだが、餃子(のようなもの)というのは世界中結構あって、特にアジア大陸でロシアも含む地域でメジャーな料理。 ということで、ウズベキスタンの餃子ってどんな感じかなぁ〜?と思って食べてみた。
やはりこちらも肉はラムもしくはヤギの肉。とは言っても日本で食べるラム肉のように臭みは殆ど無い。「あっ、いつも食べてる肉とは違うな…」ってぐらいだ。サモサと「皮だけ変えた」感じで中身は一緒。やはり脂の部分もしっかり入っている点は個人的に苦手。 とは言え全然上手く、一つ一つが大きいのでお腹いっぱいになってしまう。 ロシアの餃子(ペリメニ)は、皮が結構厚くもっちりだったが、ウズベキスタンの餃子は皮は薄め。形も饅頭に近い。日本の「まんじゅう」というのは、はるか遠くの「マンドゥ」から来ているのかな? -
夜行列車の時間までは、まだまだあったのだが、真っ暗だし寒いので駅に向うことにする。
レギスタン広場の前からバスに乗ろうと思って待っていたのだけれども、待てど暮らせど目的の番号のバスがなかなか来ない。「う〜ん、タクシーは高いだろうからなぁ〜」と思って粘ったのだが全然来ず。仕方なしにタクシーを拾うと、バスの5倍ぐらいの値段だった。
「えっ?5倍もするの?」と思うかもしれないが、バスの運賃が破格の安さで25円ぐらい(2016年1月現在)なので、5倍と言っても1US$ぐらい。 正直「だったら1時間もバスを待たなくても、さっさとタクシー拾ったほうが良かったかも…」と思った。
空港や駅の出口で客引きをしているタクシーは結構ふっかけてくるのは、日本以外のどこの国でも共通の事項。 んで、ちょっと離れた道路でタクシーを拾えば値段が一気に落ちるのは、ウズベキスタンでも同じ。 ただ、日本人の感覚からして、ウズベキスタンのタクシー代はかなり安い。 なので、ちょっと辺鄙な所や公共交通機関が整っていない場所なんかは、ためらいなくタクシーを使っても問題ないんぢゃないか?とも思う。 -
実は早めに駅に来た理由は「寒いのでさっさと電車に乗っちゃおう!」という魂胆だった。というのもタシュケントでもブハラでも、電車は割と早い時間からホームに停車していて乗り込むことができた。電車内はエアコンがちゃんと効いているので温かく過ごせるだろうという読みだったのだ。
ところがこの読みは見事に外れる。
タシュケントやブハラは、その電車の「始発駅」となる駅。しかしながらサマルカンドはいずれにしても「途中駅」になってしまう。ということで電車は出発時間ぐらいの時間にならないと駅に到着しないため、結局のところ駅構内で待つことになってしまう。
「駅構内だったら暖かいんぢゃない?」と思うかもしれないが、ウズベキスタンの駅は、通常の待合室ではエアコンが効いている所なんてほとんど無い。 ということで、超寒い待合室でかなりの時間待つことになってしまった。 この旅で持っている服を全部着込んでも結構な寒さで、かなりキツかった。 -
そんな恐ろしい寒さにも何とか耐え、やってきた夜行列車に急いで飛び乗る。
夜行(寝台)列車の中はこんな感じ。これは2等(Compartment)のクラスなのだが、1つの部屋に4つのベッドが用意されているタイプ。もちろん4人で行けば1つのコンパートメントは独占できるが、今回のように1人旅であれば、当然現地の人と相部屋になる。
自分はもともと予約されていた席はどうやらコンパートメントで同室となる現地人はおばちゃん1人だった模様。ということで、各車両に1人配備されている車掌が気を利かせて、隣の部屋(現地人男性1人。次の日記に写真が出てくるよ)に変更してくれた。 -
1つのコンパートメントにあるベッドの1つ1つはこんな感じ。これが一人分のスペース。
「お〜、結構狭いね」と思うかもしれないが、別に狭いことはなく、「必要かつ十分」と言った感じ。足もしっかり伸ばせて快適。
「夜行列車ってあんまり寝れないんぢゃない?」と思うかもしれないが、確かに揺れは結構あるものの、それほど苦にならないレベル。 自分はいつも飛行機とかでは全然寝れないのだが、ウズベキスタンの寝台では、2回ともしっかり寝れた。
このスタイルの寝台列車はロシアも全く同じスタイル。 ソ連体制下で整えられたのかもしれないが…。 どの列車でも車掌はすごくフレンドリーで優しい。 あと、トイレは線路に直接垂れ流すタイプ(日本も高度成長期ぐらいまでは同じタイプだったらしい)なので、駅に近づくと多分使えない。 なので、列車がバンバン走っている最中に行っておいた方がよく「後で行こう」と思っていると、使えない場合もあるので注意が必要。
さて、心地良い揺れに身を任せて、明日ヒヴァに到着。
ここまでとこの先のウズベキスタン旅
Day1・2 タシュケントでは地下鉄もバスも25円で乗り放題だったぁ?
http://4travel.jp/travelogue/11100441
Day3 ブハラは半日もあれば全部見れちゃうコンパクトな観光地だった!
http://4travel.jp/travelogue/11105213
Day4 シルクロードの街サマルカンドを一日で回りきってみよう!
http://4travel.jp/travelogue/11109338
Day5・6・7 ヒヴァまでの道のり30kmを たった25円で行く方法とは?
http://4travel.jp/travelogue/11113306
Day8 「歩き方」にも載ってない「古本市」の情報を確かめに行ってみた!
http://4travel.jp/travelogue/11124049
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この旅行記へのコメント (3)
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- trat baldさん 2016/03/05 19:41:17
- 無理を通せば道理が引っ込む(^o^)
- 駆け足だった事は想像が着きますが無理っぽい!お疲れ様。
第一、メッチャ寒かったはずだ、早朝や夜間の気温は0℃以下じゃない?
食堂が開いていないのも夜だから閉店したんじゃない?カリブ海とのギャップがデカ過ぎる!
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- 黒田(温泉)さん 2016/03/05 15:11:18
- ウズベキスタン旅、拝見しました!
- hornets.homeunix.orgさん
初めまして。
ウズベキスタン旅、拝見しました!
詳細な説明が写真に書き込みされていて、大変分かり易かったです。
ウズベキスタンという、普段馴染みのない国について、詳細なレポートを書いて頂き、少し理解が進みました。
ありがとうございました。
とにかく、「旅行記」の作成には大変な労力を費やすされたことだろうと、そのパワーと熱意に感動いたしました。
只旅をするだけでなく、「旅行記」を書くこと、それも詳細な内容の物は、大変大切なことですね!
これからも、頑張って下さいませ!
- hornets.homeunix.orgさん からの返信 2016/03/22 22:15:44
- RE: ウズベキスタン旅、拝見しました!
- 書き込みありがとうございます。
自分はあまりしないのですが、ハイキング的山歩き、なかなか面白そうでした。
自分があまりやらないことを読むのは「なるほど〜」と思って、なかなか勉強になります。
普段馴染みのない国のレポートで、「行ってみよう!」と思っている方の為の道標(みちしるべ)になればいいなぁ〜と思って頑張って書いているのですが「果たして誰かの足しになっているんだろうか?」と疑問に思う今日この頃。
とは言え「興味が無くても「ふ〜ん」ぐらいで読んでもらえばいいか〜」と割りきって書いています。
また、新たな旅行記をお待ちしています。
そして、お暇な時にでもまたお立ち寄りいただければ幸いです。
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