イキトス旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2016.1.11〜2.9 <br />羽田→リマ→イキトス→サンタロサ、レティシア、タバチンガ→<br />イキトス→クスコ→プーノ→アレキパ→タクナ→アリカ→サンペドロ デ アタカマ→サルタ→イグアス→ポサダス(ラ パス移住地)→コンコルディア→サルト→モンテビデオ→ブエノスアイレス→メンドーサ→サンチャゴ→羽田と成田<br /><br /><br />  7月 事前打ち合わせ<br /><br /> 7月。東京で顔合わせと概要打ち合わせ。<br />ネットで南米の旅概要を提案したら、10名の同行希望者があった。当日集まった方は8名。1名は一任。<br />10名は多いので、2つに分けることにし、私のグループは6名に。当初中東の航空会社を利用して、西周りでブラジルから入る計画をしていたが、エアーカナダが安く、しかも乗り継ぎも便利だったため、東周りに変更し、ブラジルはビザが必要ないタバチンガのみ入国する計画に改めた。メンバーは男性2名、女性4名。北海道、富山、愛知と遠方のため、打ち合わせは1回のみ、その後はメールでの連絡をまめにした。<br /><br /><br />  1/11 1日目〜2日目 ペルーへ<br /><br />羽田発AC006便、18時50分定刻出発。トロントで乗り継ぎ、ペルーのリマに深夜1:45着。入国し、ATMで両替したが、出金できないメンバーもいて、ドルで両替を強いられ不安なスタート。<br />4時間の乗り継ぎがあり、私は仮眠をとる。<br />6時20分発、ペルービアン120便でイキトスへ。機体は新しく、快適なエンジン音。一気に高度を上げ、所々雪を被った禿げ山を越え、水路が沢山見えてきたらイキトス空港に着陸した。8時。<br />小さな空港。歩いてターミナルへ。蒸し暑い。<br />モトタクシーを10ソルで交渉し、宿に。350円程度。途中、私の乗ったモトタクシーは、給油のためと、タイヤが空気不足か、3回も途中で空気を入れるために車屋に立ち寄り、不安なスタート。いつしか2台揃っていて、宿に到着。<br />CASA DEL FRANCES。アルマス広場脇の好立地。エアコンは無く、日中は蒸し暑く、まいった。が中庭は広く、部屋の天井は高く、ベッド間も十分あり、安い割に快適。ドミトリー1泊20ソル。<br />女性陣はツアーに出かけたが、私は寝不足なため、ベッドで仮眠し、その後、宿の人の案内で翌日のボートを予約する。<br />昼食は、近くのレストランへ。カードが使えたので、フルーツの盛り合わせと焼きうどん様の物を注文。量の多さは?。優に3人前である。<br />午後、床屋に行く。10ソルで髭も剃ってくれた。シャンプー無し。<br /><br /><br /> 1/13 3日目 アマゾン川を下る<br /><br />片道80ドルと高い。スローボートも検討したが、旅行記を読むと、途中で荷物の積み降ろしがあり、時間が読めず、1日遅れることもある、というので日程に余裕のない我々は諦めた。<br />モトタクシーは一晩中走っているので、捕まえるのは簡単。港6時発のため5時チェックアウト。港は5時半に開門。地元民や旅行者が集まっていた。2隻あり、たぶん1隻は上流に向かう船のようだった。<br />ヤマハのスクリューを付けたボートは、快調。ただ流木などが沢山あり、時々、絡まるのを避けるためか、絡まったのを外すためか、エンジンをストップさせ、流れに任せていた。<br />簡単な朝食サンドイッチと昼食の鶏肉弁当、飲み物サービスがあった。<br />発砲スチロールの箱に入れられ、保温や保冷がなされ、最高のもてなしなのだろう。温かいスープが出た。隣席のドイツ人に尋ねると、avenaとい物だという。タブレットで写真を見せてくれた。「日本には旅に来ないのですか」と聞くと、エクスペンシブだからと言う。<br />港に立ち寄ると、地元の子供達やおばさん達が自庭の果物や食べ物を船内に入ってきて売り歩く。何だろう、と見ているうちに出航になるのですぐ降りてしまう。ポップコーンのみ手に入れた。<br />アジアでもそうだが、この家事を手伝う子供達には、卑屈感がない。家族の一員としての誇り、自信が顔にある。自分も幼少時は貧乏で、家の手伝いをやらされていた。手伝いをしないでいられる同級生を羨ましく見ていた自分の姿ではない。<br />15:30サンタロサに到着。<br />ここで大失敗。対岸のコロンゴアのレティシアとブラジルのタバチンガは、三国の協定で入出国手続き無しで行き来出来ることは知っていた。<br />ところが上陸すると数名のタクシー運転手と船頭に囲まれ、「イミグレ、イミグレ OOソル OOソル」と叫ばれる。<br />行く必要は無いはず・・と思いつつ、もしかすると入国証の様な物を渡されるのかも、と迷う。全員がイミグレと叫んでいるのだから、とにかく行ってみよう。船がイミグレに寄って、レティシアに10ソルで行くというので、乗り込む。<br />誘導されて書類を書き、最初に税関の前に進んだ仲間が、出国カードを出すように指示された。探しているのに手間取っていたので、私がすぐ出せたので前に進む。この時点でもおかしいと気づいたが、言われるままに提出し、出国スタンプを押される。<br />旅行記に、警察署で入出国のスタンプは押してくれるとあったので、ペルーを出国しても大したことは無いと安易に自己解釈。<br />10分程でレティシアに。サンタロサに比べると、家も多く、大きな町。地図を見ながら予約したホテルを目指す。<br />すると先ほどの船頭が後ろから追いついてきた。ホテル名を告げると、先頭に立って誘導し始める。両替所も教えてくれた。大きな通りに出て、右に曲がる。そして大きなホテルを指さし。グッドホテルと言う。ホテルの呼び込み人に変身していた。断り、自分たちで聞き込みし、探すが、教えてくれる人の半数はあてずっぽ。知らないと言えない人はどの国にもいる。<br />30分程歩き回ってやっと辿り着く。<br />LA POSADAS LETICIANA。きれいな中庭。建物も新しい。2階のドミトリー6人部屋。両替して、簡単な夕食で終わった。<br /><br /><br />  1/14 4日目 タバチンガで上田さんを訪問、そして <br /><br />同行を希望したNさんと歩いてタバチンガに。国境らしい国旗の看板はあったが、歩いて何もなく越えられた。道路を車が普通に行き来している。<br />実は、テレビで上田三郎さんのことを知り、手紙を事前に出していた。ぜひ訪問してお話しを聞きたいこと、畑を見せていただきたいこと。<br />3か月前に出したら、1か月ほどして戻ってきてしまった。もう一度、12月になって、番地なのか郵便番号か分からない数字を足して出した。返事は貰ってないので、届いたか、本人が了承しているのか分からない。<br />地図と番地を頼りに歩き、そろそろという場所に市場があった。近くの店で尋ねると、バイクで行け、という。そして通りすがりのバイクを2台止めて、交渉してくれた。ところが若い運転手2名は地図が読めないのか、彷徨い、同じ道を行き来したり、最後には港に入ったりしたので、諦めて5ドルずつ礼をして降りる。そうしたら何と最初に尋ねたところのおじさんが、歩いて案内してくれた。お礼をしようとしたが、遠慮された。私がウエダ、と尋ねたのが失敗。サブロウ ウエダと尋ねれば、20年以上住んでいるので近所の方はみんな知っていたそうだ。<br />手紙は届いていた。そして前日に飛行機でタバチンガに到着するのでは?と空港で待っていたそうだ。申し訳ない。<br />歓迎してくれた。75とか言っていたが、背筋が伸び、髪も多く、動作が機敏。ガラナ茶のお陰かもしれない。<br />ガラナ茶、よく知分らない飲み物。強請効果があるとか。飲み物、自家製クッキー、そして昼食に大きな焼き魚を買ってきて、ご馳走してくれた。ここもご飯の量が半端でない。どんぶり飯だ。<br />畑は悪路でバイクかジープ様の車でないと大変というので、残念ながら辞退した。ガラナ茶を5ドルで譲っていただき、タクシーで宿に戻る。<br />部屋に入るとベッドメイクされたらしく、きれいになっていた。ところが私のベッド上に半紙の手紙が。<br />要旨は、<br />・ボートを予約するには、今日中にサンタロサで入国手続きが必要<br />・17時までしかイミグレが開いていないので、4人はここを出る<br />・サンタロサの宿に泊まる<br /> ・2人には1日遅れで、クスコで会いましょう<br />1日遅れで会うのはいいが、それだと予約してあるマチュピチュ観光パーになる。急いで、荷物をまとめてチェックアウト。ここで宿の人とトラブルがあったが、恥ずかしい話なので割愛。<br /> ボートに乗り、サンタロサに着くと、散歩している仲間に出会う。<br />「すぐレティシアに戻り、スタンプを押して貰わないと」<br />再び、ボートに乗るが、ペソは使い果たしたので、ドルで払う。空港のイミグレで入出国の印を押して貰い、再びボート。イミグレに入ったのは5時を少し廻っていたが、仲間が開けさせていた。レティシアは殆ど観光することもなく、終わった。<br /><br /><br />  1/15 5日目 再びスピードボートでイキトスへ<br /><br /> 朝4時出航。同じコースなのに船会社が違ったためか、料金は70ドル。設備が少し劣り、食事も少し落ちていた。<br /> 同じコースを戻りたくなかったが、タバチンガもレティシア空港もクスコに飛んでいない。それでやむなくこのコースになった。少し上流行くと、軍事空港があり、そこから1便イキトス便があるという話だが、事前予約出来ないという。6席を当日購入するという冒険は出来ない。<br /> 16時イキトス到着。同じ宿に泊まる。<br /><br /><br />  1/16 6日目 クスコへ。悪質タクシーに。<br /><br /> イキトス空港5時発。アビアンカ840便。機体は新しい。リマで乗り換え。同809便。1時間ほどのフライトでクスコに到着。<br /> リマからは、低空飛行だった。すぐ砂漠というか禿げ山を低空で飛び、家や道路が見えてきたと思ったら着陸だった。<br /> 地図で空港と市街地を確認していたので、タクシーは10ソルで交渉しようと相談していた。しかし近づいてきた運ちゃんは、40ソルだと言う。無視しようとすると、自分の地図を示して、「広場の所は通れない。こっちを迂回する」と手で示す。<br /> 工事中か何か行事のため通行禁止なのかと言い値で乗った。しかし何のことなく、広場横を通ってホテル前に。頭に来た。<br /> INKA CLUB HOSTEL。クチコミ通り、旅行者に配慮した宿。中心部に位置し、ホットシャワーが出て、くつろぐ部屋もある。ドミ1泊1300円。お奨めの宿。翌日のマチュピチュ観光の予約を依頼していたtran andes社から乗車券等が届けられていた。<br /> 翌々日のバスの席が心配だったので、ターミナルまで購入に行く。2km程離れていた。4000mの高地は、歩くと空気が薄いのか、大きく息を吸い込まないと苦しい気がする。ゆっくり歩き1時間かかった。何社かプーノ行きは出ていたが、夜行か夜中着が多い。1社、8時発があって、予約する。CUZCO〜PUNO 55ソル。ペルーはバスも安い。後日、チリ、アルゼンチンと旅して痛感する。<br /><br /><br />   1/17 7日目 好天のマチュピチュ観光<br /><br /> 5:25。予定より10分遅れてミニバスが迎えに来た。途中、もろこし畑、分からない野菜畑、放牧場などが続く。坂道をどんどん下ってオリャンタイタンポの駅に到着。ここで乗ってきたバスを間違えないように、とナンバーをメモしたが、これが後刻災いとなった。<br /> ペルーレイルは高額。その分、ホームに朝食用かお菓子類や飲み物が置いてあり、自由に取れた。7:45発。<br /> 車内は広々とした席、コーヒーサービスもあった。谷底を川に沿って走っている。単線ゆえ途中すれ違いがある。思った以上に本数は多い。<br />1時間ほどでマチュピチュ駅に到着。<br /> 少し雨が降っている中、シャトルバスが次から次と発着しているので、大勢の観光客がどんどん捌けられる。橋を渡るとヘアピンカーブで山を登り始める。マチュピチュ村と谷底の川を遠く下界に眺め、見えなくなったら終点だった。<br /> 集合場所と時間を確認して、各々入場。雨は止み、霧に覆われていたが少しずつ晴れ間が。絶好の天候になった。<br /> 遺跡入場料も高いが、管理にお金をかけているのが分かる。監視員も沢山配置されていたので、落書き、いたずらが無い。<br /> 段々畑を土木機械が不十分な時代に、この高い山に建設したことに改めて感動というか、ため息が出る。<br /> 3時間の観光を終え、逆コースでマチュピチュ16:44発に乗り、オリャンタイタンポに戻る。駅には出迎えの運転手等がいたが、我々の運転手らしき人は見あたらない。バスを降りた所に戻ると沢山、同型バスが駐車していた。控えていた958番を探すとすぐ見つかる。鍵が開いていたので乗り込む。そのうち運転手が乗り込んできた。往路の運転手は若い感じだったが、なぜか中年に見えた。そのうちバスは動きだしたが、すぐ止まり、女性と話を始めて動かない。そして何人かが我々に向かって降りろと言う。どうも違うと言っているようだ。<br /> 仕方なく、trans andesに電話。電話が通じるか半信半疑だったが通じた。すると「運転手が探しているはずだから、その場で待て」と。<br /> しばらくして運転手と合流。バスの番号を見ると958。前の記号が違っていたのだろう。<br /><br /><br />   1/18 8日目 クスコ市内散策<br /><br /> 午前中は、履いていた靴が臭いが酷く、買い換えることにした。教えられた通りに行くと、靴屋が並んでいる。同種の店が固まっている街は、どの国にもよくある。カードで買いたいが、高級品ばかり。カードが使えない店は安物がある。59ソルだから日本より少し安いくらい。履いていた靴を処分してくれ、とジェスチャーで示したが、理解されずレジ袋にきちんと入れられてしまった。仕方ないので、そっと店外にでた。<br /> 午後、12角石、14画石を見学後、市場で恒例のマンゴジュース。5ソル。いつも暑い国を旅すると、マンゴを味わう。1杯飲み終わるともう1杯グラスに入れてくれた。他の客にも同様。<br />果物を物色。輝く目をした姉弟に出会って、リンゴやら名前の分からない釈迦頭に似た果物を買ってしまった。<br /><br /><br />  1/19 9日目 ボルボ製バスでプーノに<br /><br /> 7時、タクシーを拾いターミナルへ。空港近くだが10ソルで行った。先日の40ソルの暴利に再び怒りがこみ上げる。<br />足元が広く、高級なバス。無料のコーヒーが自由に飲めた。8時出発。相変わらず砂漠というか禿げ山の景色。時折、殆ど草もない所で牛が放されていた。緑が目立ってきて、坂の下に街が見えてきたら、プーノだった。<br />予想以上に大きな街。クスコより平地が多い。今度は5ソルで交渉と確認して、交渉成立。<br />宿はピノ広場に隣接のHOSTEL AREQUIPA。当初、ドミトリーの宿を探していたが、満室で予約できず、この宿にした。ツインで2泊50ドル。<br />立地は良く、部屋も悪くないが、隣がディスコホールらしく、夜中まで音楽がガンガン。フロントは親切で、ウロス島ツアーも送迎付きで20ソルと、ガイドブックより安く予約してくれた。ただ電話回線が不調でカード払いを試みたがダメ。夕方来て、明日朝に来て、と言われ、3度も足を運んだが繋がらず、現金払いになった。<br />夕食は、旅行記で美味しくて安いというINKA RUMIに5名で行く。客は多かった。ピザとスープ、ビールを堪能。31ソル1000円程。<br /><br /><br />  1/20 10日目 チチカカ湖、ウロス島<br /><br />8時半。送迎タクシーで港に。ガイドともう一人、不審人物が一人いる。結局、この不明人物は、最後まで我々に同行。帰りの船では、パチンコで野鳥を狙い撃ちしていた。暇で付いてきたのか。<br />港はしっかりしていた。沢山船が係留されていて、その1隻に乗る。<br />すぐ水草が茂る間の水路を進む。というより船の航行ができるように水路を開いたのだろう。<br /> 30分ほどで到着。草の地面はフカフカで気持ち良い。大きなパネルでチチカカ湖の大きさ、深さの説明があった。対岸と見えていたのは、ほんの一部。沖に行くと水深もあるようだ。<br /> 続いて畑や家屋を見学。じゃがいもの茎が大きく育っていた。ただ観光地化されているのが残念。草で作られたゴンドラのような手こぎ船に、土産を買わない代償として5ソルで乗ってあげた。<br /> 帰路、私はバスチケットを購入するため港から別行動。ターミナルで明日のアレキパ行きを予約。バス会社により価格はまちまち。歩いて宿まで戻ることにした。<br />途中、大きな市場があり、果物を手に入れ、屋台で遅い昼食。何があるか物色していると食べている人が、「ここに座れ」とイスを空けてくれたり、「今食べているのは、この缶に入っているのだ」と缶を指さしたり。外国人と見て、手厚く面倒をみてくれる。マカロニ料理が皿にいっぱい盛られ、3ソル。<br /><br /><br />  1/21 11日目 アレキパのサンドラの家に<br /><br /> 昨日のカード払いができなかったことを申し訳なく思ったのか、宿の主人は愛想が良かった。朝食も早めに用意して、笑顔で迎えてくれた。<br /> 8時半バス発。乗ろうとしてトラブル。乗り場に出るのを静止させられる。周りの人の説明で、ターミナル使用料を払わなければならないことが分かる。急いで支払い、半券を渡して、無事バスに乗り込めた。たぶんターミナル経営の主体が民間なのだろう。<br /> アレキパ着15時。ターミナルで明日のバスを予約して、楽しみにしていたサンドラの家に向かう。住宅街である。南米はどこも住居表示がしっかりしているので、タクシーは間違えない。ただサンドラの日本語文字が小さく、目立たなかった。<br /> 呼び鈴を押すとサンドラ一家、ワンちゃんも、全員で玄関まで出迎えてくれた。感動的な歓迎である。<br /> 夕食まで時間があるので付近を散策しようと思ったら、長期滞在している写真家の方から「最近、日本人が首締め強盗にあっているから辞めた方がよい」と忠告されてしまった。仕方なく、旧市街にタクシーで行き、好きになったチチャモラダジュースを飲んで終わった。<br /> 日本贔屓のサンドラの家は、満室。美味しい手作り料理を食べ、温かいシャワーを浴び、談笑し、写真家に集合写真を写して貰い、至福の時を過ごした。2食付き30ソル。<br /> <br /><br />  1/22 12日目 タクナから国境越え、チリに<br /><br /> タクシーが早めに迎えに来た。急いで玄関に向かうと、宿泊者全員が見送ってくれた。また感動ものである。本当に家、である。ぜひ機会があれば、というより機会を作って再訪、できれば数泊したいものだ。<br /> 9時アレキパ発。フローレス社のバスは、独自にターミナルをもっているため、使用料はかからない。<br /> 15時半、タクナ着。国境越えのバスに乗り換える。30分ほどで国境に着いたが、団体行動のため時間がかかった。ガイドブックによると、チリは税関が厳しく、生ものは没収されるとあったが、全くその気配が無い。ノーチェックと言って良い。<br /> 再び30分ほど走って、18時アリカのターミナル着。時差があるので20時。<br /> 心配していたバス席は、6つあった。22時発アタカマ行き。旅行シーズンで混み、満車の場合も、と旅行記にあったので、ネット予約しようとしたがカード情報を入力するとエラーになった。カードがダメなのではと、同行のMさんにも試してもらったがダメ。残っていたカマ席とセミカマ席に分かれる。15600ペソ。カード払いにしたら2619円だった。1ペソ6円。<br />ここで事件。<br />カードで払おうと、カード機にカードを差し込んだ時、ズボンの左ポケットに違和感。スリと気づき、「ノー」と叫んで、振り払った。振り向いたら、中年の小柄な男性が、立っていた。もう一度「ノー」と叫んで、左手で片を押した。<br />こちらが敵意を示して睨んだが、反抗するでなく、といって怯むのでもなく、少し離れて立った。暗証番号を入力しチケットを受け取った時振り返ったら、消えていた。<br />私のポケットは、付け足しして深く改造しているので、手を入れたが、サイフまで届かず、深く突っ込んだため気づかれたのだろう。サイフをしまうのを後ろで待っていたのだろう。<br />騒ぎに気付いた仲間も身辺を探ると、Nさんがデジカメをやられていた。「さっきの女が怪しい」と言っていたが、いつ、誰なのか分からない。バスターミナルや市場、駅はスリが多いとは聞いていたが、初めての被害(未遂)だ。<br />ここでもターミナル使用料を取られ、出発間際、アタフタ走り回ることになった。<br />席は先頭。隣は空席で、ゆっくり足を伸ばせ寝込んでいると、深夜、長く停車しているなと起きる。検問所だった。隣のシスターが降りるよ、と教えてくれた。ここで自分の荷物をバスから降ろし、X線を通し、再びバスの貨物室に運び込む。迷惑なことだ。運転手も同様だろう。<br /><br /><br />  1/23 13日目 砂漠の街 san pedoro de Atacama<br /><br /> 砂漠の平原の中を、真っ直ぐ道路が貫いている。延々と走り、紅い岩山が続き、遠くに緑が見えてきた。10時10分、アタカマに着いた。砂漠の街。しかし水路に水が流れていて、桃源郷の観。<br /> 宿はHOSTEL LASKAR。屋根が低く、平らで、砂埃のためか壁も地味で、一般家屋と区別がつかない。しかし中庭を囲むように奥が深く、ホテルらしい。<br /> フロントの人は英語を解さないが、翻訳ソフトを使い、意思疎通に努力してくれた。キッチンを自由に使え、飲み物もいろいろパックだが用意されていた。<br /> 無事にアタカマまで着いたが、この後が難関。アレキパで同宿した逆コースを辿った女性から、バスが取れず5日間サルタで足止められた話を耳にしていた。<br />サルタに行くバスの便が少ない。ターミナル到着時に1社に尋ねたら、翌日便は1席しか空いていない。仕方ないからタクシーか一般車と交渉することにする。<br /> タクシーは一人150ドルとか言うので、一般車を当たる。手当たり次第、大きい車に当たるが、なぜかサルタはダメだと断られる。何か問題がありそう。仕方ないので再び、バスターミナルへ。<br /> 明日便はもう1社あったが、満車。もう1泊してバスで行くか、高いがタクシーにするか協議。いくつか名刺をいただいたタクシーにフロントの方に依頼して電話。すると100ドルで話が付いた。<br /> 夕刻、この運転手が宿に来て、前金が欲しいと言う。この小さい街だから、取り逃げは無いだろうと思ったが、念のため領収書は書いて貰い、フロントのお兄さんに立ち会ってもらう。<br /> 難関が突破されたので、安堵し中庭のハンモックでゆっくりくつろぐ。砂漠に囲まれてはいるが、それなりに整備され、緑もあり、散策する時間は無くなった。アタカマは、人気の観光地らしく、宿は満室で訪問者を断っていた。<br /><br /><br />  1/24 14日目 瀬戸際の大移動 <br />PASO DE JAMA→PURMAMARCA→SALTA<br /><br /> 7時にタクシーが来るはずが、来ない。10分後電話すると、7時半だと言う。電話が通じたので安心だが。結局、出発は8時。<br /> タクシーと言え、5人乗りハイラックスのような車。後ろの荷台に2名ずつ交替で乗ることにし、最初は男性二人。Sさんはしっかり防寒着で防御態勢、私は半袖の夏仕様。<br /> 真っ直ぐな道路をどんどん坂を登っていく。アタカマの街が30分近く、眼下に眺められた。両脇は砂漠だが、時折、民家らしい建物がある。何を職としているのか疑問。<br /> 寒さの中震えていたが、ついに我慢出来なく、荷物から長袖を出す。それを運転手がミラーで見ていたらしく、急停車して降りてきた。そして自分の荷物から、厚手のベストと毛糸の帽子を私に手渡す。気遣ってくれていたのだ。<br /> ついにハマ峠(4200m)を越えたらしく、坂を下りだした。少しずつ温かさを感じる。そして小さな池の脇で停止。もうアルゼンチンに入ったと教えてくれた。<br />10分ほど走り、10時、国境JAMAに着いた。砂漠の中に立派な税関の建物だけ。<br /><br /> <br />  乗り換え連続で、やっとサルタ到着<br /><br /> 出入国手続きは、同一建物で出来、便利。簡単に終了。アルゼンチン側に行こうとすると、運転手が待てという。運転手は、営業で通過するので通行証のようなものを携帯していた。しかし出国側では書類が通過するが、入国側で突き返された。再び何か書類を提出し、100ドルが必要とか言い、私から借りる。再提出し、入国側に書類が回り、担当者が持ったまま席を離れた。どうやら上司の判断を仰いだようだ。10分ほど待つと、担当が戻ってきて突き返された。ダメだったことが分かる。<br /> 自分は行けないから、別の車を用意するという。税関職員にも間に入って貰ったが、purma marcaまで行き、そこからバスで行くしかなくなった。<br /> 12時、迎えの車、同様のピックアップ車が来た。チリの運転手から300ドル分、ドル札は持っておらず、チリ札とアルゼンチン札で返され、迎えの運転手に手渡す。距離的には400ドル分返して貰うところだが、彼のサイフには、もう札は少ししか残っていなかった。<br />荷台は女性二人と交替。自宅に寄り、少し待ったらコカ茶を袋に入れて戻ってきた。眠気防止らしい。時折大量に口に放り込む。少し頂いて口に入れたが、安いお茶の葉みたいな味。<br /> やっと出発かと思いきや、ガソリンスタンドに戻った。砂漠を行くので、給油は仕方ない。とろが、タンクローリー車が停車していて、地下タンクに補給中。ここで延々待つ。<br /> 14時、給油を終えて出発。<br />途中、砂漠の平原を延々と走り、自然トイレで小休止し、荷台二人が交替した。湖があり、塩らしい白いものが砂山のようになっている。大きな所は観光客が沢山いた。ソルトレイク? と運転手に尋ねると頷く。あとで調べたらツアーに組み込まれている観光地だった。<br /> ヘアピンカーブの山をどんどん登り始め、サボテンが目立ち初め、側溝に落ちた事故車を追い抜き、下り坂になった。再び延々とヘアピンカーブ。すると紅や青、緑っぽい色の岩山が次々と現れた。全て禿げ山。見応えがある。<br /> 少しずつ樹木が見え始め、人家が現れ、プルママルカに着いた。17時10分。ここも観光客が沢山歩いていた。ガイドブックによると、ウマウアカ渓谷の一部だった。<br /> 途中のフィフィ行きのバスはあった。しかし18時は満員。次は20時。フィフィでホテルを探すか、ここで宿を探すか、それともタクシーにするか相談。プルママルカで宿の空き室を調べる人、タクシーを交渉する人と別れる。<br /> 宿担当によれば、満室でダメ。タクシーは1台160ドル。タクシーに決定。18時に出発し、サルタの宿に20時半到着。<br /> Backpacker&#39;s Suites and Bar - Saltaは街の中心。トミトリー6人部屋で便利だが、2間続きで、2段ベッド2つとシングル2つ。自然、男性がシングルに。女性陣には申し訳ない。3泊一人30ドル。<br />夕食を摂りたいが、ペソが無い。ATMを探し、数人がお金を引き出せた。1軒だけ開いていたファーストフード店で食事。長い一日だった。<br /><br /><br />  1/25 15日目 CAFAYATE渓谷行かれず、市内散策<br /> <br /> ウマウアカ渓谷の一部は、昨日、車の中から見てきた。それで3人で路線バスを利用して、CAFEYATE渓谷とワインを楽しみに行くことにした。ところがバスターミナルに着くと、10時発は満員だという。次は12時。これでは現地でほとんど時間がない。諦めて市内観光に。<br /> サルタは歩道が整備され、樹木が多く、過ごしやすい。公園は市民の憩いの場らしく、のんびりベンチに腰掛けている人が多い。途中から女性陣と分かれて、ショッピングセンターへ。フードコートで遅い昼食。ここも量が半端でない。それにコーラを2Lの大瓶で注文しているカップルも多い。<br /><br /><br />  1/26 16日目 夕刻、空路イグアスへ移動<br /><br /> 夕刻、移動なので、チェックアウトまで部屋でゆっくり過ごす。サルタは海抜が高いが、昼間は暑い。古本を持参してきたので利用。チェックアウトし、荷物を預けて、外出。気になっていたターミナル近くの屋台に行く。<br /> 前日、家族で営んでいる屋台を見かけたので、今日やっていれば、食べてみたいと思っていた。案の定、やっていた。遅い時間だったので、ご飯は売り切れ。スープとエンパナーダ。「このエンパナーダは、娘が作っている」と父親が、娘さんを指さして教えてくれた。娘さんの作るのを誇りに思っているのだろう。温かい雰囲気が流れている。25ペソ。<br /> 空港までタクシーで15分程。100ペソちょうど。こじんまりしているが、きれいな空港。自動チェックイン機で戸惑う。<br /> 18:55発AR2812便でプエルト イグアスへ。21時前、到着。気温が上がった。3名利用するとバスよりタクシーの方が安い。市内までは10km近くあっただろう。<br /> 沢山のスピードハンプが設置されていて、スピードが制限されていた。アニマルクロスという標識がある。イグアスの滝周辺まで自然公園になっているらしい。<br /> 宿は、RESIDENCIAL NOELIA。朝食の写真が良かったので、ここを予約。事実、果物も出て、内容は良かった。ただ夜担当のフロントの兄さんが、真面目なのだろうがパソコン使用が遅く、イライラさせられる。私以上に、指1本で入力していて参った。<br /><br /><br />   1/27 17日目 一見の悪魔ののど笛<br /><br /> イクアスの滝に行く前に、ATMに寄る。ほとんどのカードが利用できた。バスターミナルに行こうとしたら、道路脇でタクシーが屯している。試しに料金を聞くと、意外に安い。値切ると1台150ペソになったので、タクシーに変更。空港に向かう道路から左折し、すぐ公園入り口に到着。入場料260ペソは高いが、列車料金は含まれている。<br /> 集合時間と場所を確認して解散。<br />かわいい列車に乗り、きれいに整備された遊歩道を通り、たくさんの展望台で滝を見る。途中、半ば家畜化されただろうワニもいた。<br /> 再び駅に戻り、次の駅に向かう。巨大なお尻の女性が本当に多い。太っているがタンクトップ姿で平気らしい。1km程あるいたか、悪魔ののど笛に着いた。<br /> 雨のように降り注ぐ水爆。私は早々に展望台から退いたが、同行のSさんは、カメラとビデオを最大限活用して頑張っていた。<br /> 帰路は、女性陣はタクシーで夕食の買い物へ。男性陣はバスでターミナルに戻り、明日のチケットを購入。ポサダスまで225ペソ。<br /><br /><br />   1/28 18日目 バラナ川<br /><br /> 宿はTARAMBANA HOSTEL。2泊1400円弱という安宿。バスターミナル近くにするか、川の近くにするか迷った。がドミトリーがある事で決定。バラナ川は水量が多そうで、悠然と流れていた。地図上では、すぐ南に大きな自然の湖のようになっている。<br />川沿いは歩道が整備され、散歩やランニング、固定施設でトレーニングする人など憩いの場になっている。<br />到着すると冷たいミネラルウォーターを出してくれ、私のパラグアイ宛電話にも、嫌な顔をせず、世話してくれて、良かったが、他の部屋の人が勝手に我々6人用ドミトリー室のトイレやシャワーを使うのには驚く。特に寝静まって入って来られるのは。宿の許可があったのか、南米特有の文化か。<br />明日訪問予定のパラグアイの日本人に電話を試みる。フロントの方に手助けされながら、0を除いたら繋がった。<br />明日の目処がついたので、夕食は川沿いのレストランへ。対岸のエンカルナシオンの夜景が予想以上にすばらしい。貧しい国と聞いていたが、これだけ灯りがあれば十分。<br />昼、兼夕食のため、ピザ風料理を2種類頼んだが、何度も料理を確認させられた。結局、1種類届き、これが正解だった。これだけで腹一杯。<br /><br /><br />   1/29 19日目 パラグアイの日本人移住地訪問<br /><br /> 希望者2名共に、インターナショナルのバスを待つ。しかしバス停で待っていた地元の方が、このバスで大丈夫と教えられ、バスに乗り込む。<br />そして運転手に「終点」と言われ、下車。なぜかバス代は請求されなかった。<br />そこはイミグレだった。出国と入国のスタンプを押され、18ペソを支払わされる。なぜだろうと思ってイミグレの反対に出たら、対岸に渡る電車が待機していた。<br />構造は電車のようだが、揺れない。軌道バスのような乗り心地。架線もなかった。10分ほどで川を渡り、下車。エンカルナシオンの街に着いた。まず両替所を探していると、親切な方がずっと案内をしてくれた。<br />1軒の銀行に寄ると、両替できない。次の銀行は出来た。ただ入り口には、本物の銃を持った警備員が立っている。平和な国だが、銀行はどこも武装警備員を置いているそうだ。<br />20ドル換えようと窓口に案内人と行くと、「日本語できます」と言う返事。日系2世だった。<br />手続きにやや時間がかかる。持参していた ”ぷっちょあめ” を3つ案内人に手渡すと、喜んで受け取り、すぐ口にいれて食べ出す。こういうところは嬉しい。<br />バスターミナルは離れているので、タクシーが良いと2世の方からもアドバイス。すると再び案内人が、タクシーが屯している場所まで誘導してくれる。そして2世の方の言う料金より安く交渉してくれた。天使のような親切。そしてさっと握手したら、かっこよく去っていく。日本人全体に対する印象がよいのかもしれない。<br />バスは9時発なのに、なぜか10分前に出発。しかしすぐ降りて乗り換えろと言う。バスはオンボロ。予想通り。1万グラニー、200円くらい。<br />どこまでも牧場、というより放牧されている野原が続く。土地が肥えていないのかもしれない。<br />10時20分。ASOCIACION JAPONESA DE LA PAZに到着。若い車掌が教えてくれた。<br />ラパス日本人会事務所。立派な建物。資料室、体育館、会議室等がある。資料室の展示物を見ながら、建設時からの苦労話を役員から聞く。<br />夜は毒蛇が出るので出歩けなかった。<br />この蛇は、首を押さえれば、捕まえられ、食べると美味しい。<br />共同作業で家を建て、農地を開拓<br />焼き畑農業からスタート<br />今は何十ヘクタールも持つ大農場<br />大豆と小麦の二毛作が多い。<br />酪農と米作も行われている<br />事前に、お昼は、関係者に私が支払うので一緒していただけると・・<br />と依頼していた。近くのレストランに事務員を含め、移動。総勢10名。ブッフェ方式。鶏肉、牛肉、野菜、卵といろいろ。生ジュース2種。この生ジュースは特に美味しかった。<br />支払いが足りるか、心配でドル払いが可能かキャッシャーに行くと、事務所で支払いしていた。ごちそうになってしまった。<br />その後、車で農場を案内してもらう。美瑛の丘のような風景が続き、大豆畑、放牧場、田と見させていただき、最後、一番大農家といわれるジンダイジと言ったか、家を訪問。ペリカンマンゴの大木があり、沢山、拾わせてもらう。(税関で没収されることを恐れて、タクシーの運ちゃんにあげてしまった。残念)<br />紅いマンゴを頂き、土産にこのマンゴを1つずつ頂く。これはしっかり持ち帰り、食べた。<br />続いて、事務所近くの農協を見学。巨大なサイロを備え、小麦から粉を製粉し、出荷していた。ホテルやレストランがあり、成功している農業を見ながら、のんびり滞在出来そう。<br />17時、お礼を言って、バスでエンカルナシオンに戻る。帰路はタクシーを10万グラニーで予約。グラニーが残ったので、屋台のケバブを購入。胡椒と肉がマッチして美味しい。1本4000グラニー。80円くらい。<br />心配した税関のチェックは甘く、マンゴーは持ち帰れた。<br />20時、バスでCONCORDIAに向かう。<br /><br /><br />  1/30 20日目 SALTO経由MONTEVIDEO<br /><br />7時コンコルディア到着。対岸のウルグアイのサルトに向かう。<br />8時、ミニバスで出発。すぐ川を渡ったが、いつまで経っても国境らしいところが無い。ついに税関無しに入国。両国でそういう取り決めになっているようだ。<br />山が無く、どこまでも平原。牧場オンリー。どの家もしっかりしていて豊かな暮らしが想像できる。1時間ほどでサルト到着。<br />ATMでウルグアイペソを引き出す。サルトは早朝着なので、宿を予約していなかった。6人で協議した結果、一気にモンテビデオに行くことに決定。12時まで、市内観光にタクシーで行く者、寝不足を補う者、それぞれ。<br />昨日からバスの連続乗車だが、シニアの皆さん、体力が余っていてこちらが参りそう。<br />バス代897ウルグアイペソ。3200円くらい。安くは無い。夕刻モンテビデオ着。<br />インフォメーションで翌日から予約している宿に問い合わせしてもらうと、満室だと言う。安宿を斡旋して貰う。<br />モンテビデオホテル。名前は立派だが、古く、エレベータは格子戸のような内扉を閉める時代かかった物。ツイン1名21.5ドル。<br />しかし夫婦2人の経営らしく、効率的ではないが、おもてなしの心はある。ホテルという名であるが、朝食が付いていた。<br />  1/31 21日目 宿に歩いて移動<br /><br />地図から見て、ゆっくり歩けると思ったが、30分ほどかかった。途中蚤の市のような場所を通過。<br />CHE LAGALTO HOSTEL。ドミトリー1泊17ドル。きれいで、旅行者用に作られていて、カード式ルームキーを全員持たせてくれ、利用しやすい。朝食も美味しい。<br />フェリーも混むと満席になる、という事前の話だったので、早速購入にバスターミナルに行く。昨日は気付かなかったが、2階がありショッピングセンターになっていた。<br />安い小型ボートがあったが、出航日が計画に合わない。仕方なくフェリーに。2550ペソ、10163円。ドルだと100ドル。高い。<br />蚤の市で果物を購入。ここで大失敗。<br />果物を選んで購入しようと100ペソ札を出すと、ダメだと言う。お釣りが無いのかと思い、別の店に。ここでもダメだと。そして両替所に行けと。両替所の場所を聞いて探すが分からない。仕方無いので、商店に入り、飲み物を1本買って、細かいお金を作ろうとしたら、ここでもダメ。よく見たらアルゼンチンペソだった。<br />再びアルゼンチンに入国するので、まだ財布に残していた。この日は、大失敗のお陰で、一日が終わってしまった。<br /><br /><br />  2/1 22日目 市内観光 <br /><br />歩いて市場へ。昼食にレストランで魚料理を注文。魚はおいしく調理されて満足だが、しっかりサービス料を請求され、ウルグアイペソが足りなくなりそうだった。<br />バスも体験したいので、循環バスを捕まえる。ここならターミナルは分かるから、降りられる。<br />前乗りでワンマンカー。始めに現金で支払うかプリペイドカード。19ペソ、安い。一方通行を曲がりながら走るが、すぐ7月18日通りに出たので、どこを走っているかわかる。ウルグアイも通り名、番地が整備されているので町歩きは助かる。<br />ショッピングセンターへ。カルフールが入っていたので、買い物。そして独立広場散策。樹木が茂り、散歩コース。遊園地のようになっていたが、人気はなかった。<br />歩いて宿に。歩道が整備され、並木が続き、すばらしい街。ただ日本同様、ペイントの落書き、アートというのかもしれないが、シャッター等に沢山。<br /><br /><br />  2/2 23日目 ラプラタ川を横断<br /><br /> 港で入出国手続き。空港のような施設。ところが1名、スタンプを押された乗船チケットを紛失。フェリー乗り場入り口で拒否される。慌ててフェリーの事務所に戻る。<br />よく戻れたものだ。もう出国手続きをしてしまったのに。本人の話だと税関にダメだと言われたが、強引に突破したらしい。<br />出航ギリギリに再発行してもらい、入り口に戻ってきた。6人いるといろいろ起きる。10時半出航。<br />フェリーは双胴船で揺れが全くない。出航したのも分からないくらい。本当にラプラタ川は、大河である。茶色の水だから川には違いない。しかし対岸は全く見えない。<br />13;15到着。地図でみると宿まで近いが、港のどこに着いたか分からない。荷物もあるのでタクシーにしたが、歩いても良かった距離だった。ただタクシーは一方通行を遠回りしたので、100ペソは仕方ない。<br />日本旅館。1泊10ドル。安い。ただ朝食無し。<br />入り口は、扉が二重になっていて驚いた。泥棒は多いようだ。鍵は2本預かり、まず扉をあけたら、すぐ鍵をかけ、第二の扉を開けるというやり方。また奥さんから、ケチャップ強盗、首締め強盗等、治安情報をたっぷり聞かされ、緊張が走ったが、ご主人の話では、「女性も夜一人歩きしていますから」という。<br />ドミトリーは天井が高く、共同キッチン、共同冷蔵庫もあり、お湯もしっかり出た。<br />夕食、レストランで隣の人が注文したものを、指さしで注文する。うどんのような、パスタのような中に牛肉が入った食べ物。美味しいが、やはり量が半端でない。もったいないので、何とか押し込んだ。<br /><br /><br />  2/3 24日目 朝の大統領府、国会議事堂<br /><br />ケチャップ強盗に会いたくないため、薄暗い6時に歩き出す。<br />歩道に寝ている人が沢山いて、怖かったが、宿の主人の話では、地方から出てきた人は、不動産を手にするのは難儀らしい。保証人やら大変。殆どは路上生活から仕事に出かけている人たちだという。<br />そういえば、高速道路下にいた家族らしい人たちは、夕刻主人らしい人はビールを飲み、家族団らんの様子。ただトイレとかどうしているのか、調べたかった。<br />大統領府は貫禄がある。兵士がのんびり警護。ただ裏手の5月広場には、旗と簡易テントが沢山あり、デモらしい人たちの集団が寝泊まりしているようだった。<br />新たな発見。<br />歩道を歩いていると、床面の板石が1枚除かれ、飲料ケースを投げ込んでいた。のぞき込むと、滑り台のような板が建物の地下に渡され、そこに荷物を運び込んでいるのだった。すごいアイデア。ただこの敷石の所有権は誰にあるのか疑問。2か所遭遇。<br /> 国会議事堂は、古く貫禄があるが、今ひとつ。日本人会の事務所に廻ってみたが、閉館。柔道とかクラブ活動が行われているようだ。<br /> 午後、サン ペドロ テルモ公園に行く。タンゴをプロらしい人が踊り、イス席で見られるようだ。金をけちった私は道路を挟んだ建物に腰掛け、無銭鑑賞。<br /> <br /><br />  1/24 25日目 空路メンドーサに<br /><br /> AEP空港は、国内空港だが2時間前に集合という。6時タクシーを拾い空港に。車中、運転手が運転しながら、携帯を操作している。何をしているのかと視線をやると、「ヨイツイタチオ」と音声。「良い 一日を」だった。直訳の面白さに遭遇。サービス精神旺盛は嬉しいが、運転中は勘弁してほしい。自動チェックイン後、9時10分発AR1412便でメンドーサへ。<br /> ブエノスアイレスからメンドーサまでずっと平原。緑が続く。畑も区画が大きい。11時メンドーサ到着。タクシーで宿に。<br /> 3階に上がり、フロントでチェックインしようとしたら、<br />「チェンジ」「チェンジ」と言い、話をきいて・・と説明を始める。<br />理由は不明だが、同系列の宿に代わったということ。後刻、代わった理由を質し、タクシー代を要求すればと思いついたが、後の祭り。<br /> 荷物を引いて、1.5kmほど。MENDOZA INNに到着。中庭が広く、フロントの対応も良かったが、問題の多い宿だった。<br /> まず、夜中までというより、夜中から、若い泊まり客が宴会を始める。しかも音楽をガンガンかけて。<br /> もう一つは、天井の低い部屋で、2段ベッドがぎっしり詰められている。通風も悪い。案の定、3名が南京虫の被害に遭った。<br /> 午後は、私はバスターミナルにチケット購入に。サンチャゴ行きのバスは沢山あり、満席もあったが、ミニバスで450ペソという安いチケットを購入。<br /> ズボンが汚れていたので、ランドリーに出す。50ペソと日本並み。しかし日本に帰国するのに、余り汚い服装では抵抗がある。<br /> 夜、やっとステーキを食す。よく焼いてあり、歯ごたえがあり自分好み。135ペソ。1400円くらいか。<br /><br /><br />   2/5 26日目 サンマルチン公園とワインツアー<br /><br /> 歩いてサンマルチン公園を目指す。歩道がよく整備され、樹木が生い茂り、良い散歩道。側溝には水が流れ、街路樹に水を計画的に提供していた。1時間以上歩いたが、目指す丘は見あたらず、引き返す。帰路、遅れて出発してきたNさんと行き会う。<br /> 計画を変えて、東に進路をとり、農園を探すが、1時間歩いても見つからず、再び引き返すはめに。<br /> 午後、迎えのミニバスでワインツアーに参加。添乗員がスペイン語と私宛に英語で説明してくれるが、早口で聞き取れない。聞き取れるのは、「オッケー」と確認する言葉だけ。<br /> 初め古いボデカで説明と白ワインの試飲。売値を見たら660ペソ。うまいが、買える物ではない。<br /> 次ぎにオリーブオイルの工場に。工場のガイドの英語はゆっくりで、何とか意味を理解。クッキーにいろいろなオイルをかけた物を試食。干しブドウの試食も。買い物はせず、ひたすら試食品を口に。他の参加者は、大量に購入していた。割り引きがあったのかもしれない。<br /> 最後に近代的なボデガに。隣にブドウ園が広がり、素晴らしい環境。ブドウの木を見た。木の下の方にぎっしり実っていた。試飲は3種類、赤と白。ここでも大勢購入していたが、重いので私は遠慮。<br /><br /><br />   2/6 27日目 大大渋滞でサンチャゴへ<br /><br /> 8時半発のミニバスは、人数が集まらず、キャンセルに。9時発の大型バスに振り替えてくれた。この代替は結果的に好結果。大型は殆ど600ペソだったので、料金的に得したこと。そして何よりトイレが付いていたこと。<br /> 30分ほどブドウとオリーブの畑を眺め、すぐ荒れ地になった。低木のツツジくらいの木が続く。90分ほどしたら、スピードが落ち、ノロノロ運転に。ついに止まってしまった。5分の停止時間が10分に、そのうち30分にと。<br /> トイレの無い乗用車などから、乗客が降りて、自然トイレに向かう。低木しか無いから、女性はかなり遠くまで向かっていた。<br /> 14時半。前をよく見ると、対向車線から車が何十台と続いて来た。これは引き返してきたのだな、と直感し、これから我々もメンドーサに戻るのか。戻って飛行機を予約出来るか、と悪夢を想像。<br /> やっと対向車線が切れて、我々の車列が進み出した。すると道を左に逸れて、山に登りだした、迂回路だった。埃を舞いあげ、どんどん山を登る。安堵した。<br /> 右手に決壊した道路が見えた。集中豪雨か、道路が流されたようだ。<br />15時、難関を突破。本来ならば、15時にサンチャゴに着いている時間なのだが。<br />山を登りだし、スキーレンタルの案内があり、雪が降ることが分かる。トンネルを通過し、そこが国境だった。18時。遠くに雪を抱いたアンデスの山が眺められる。両替所があり残ったアルゼンチンペソをチリペソに交換。<br /> ここで1時間待たされ、入出国でき、19時再出発。ここも厳しい検問ではなかった。<br /> 続いて谷底に降りるように、ヘアピンカーブの連続。1000mは降りたかもしれない。すごい景色。<br /> 22時30分、サンチャゴ着。宿はターミナル横だったので助かった。<br />IBIS SANTIAGO HOTEL ツイン1室6600円。便利で良いホテルだが、ツインを希望したのにダブルベッドだったのが残念。<br /><br /><br />  2/7 28日目 南米最後の日は<br /><br /> 昨夜遅い到着だったため、ゆっくり朝食。旅の最終日は、基本、朝食ブッフェがある宿にしている。最後くらい地元料理を腹一杯食べたいから。ここの朝食ブッフェは、クチコミが良かったので決めた。<br /> チーズ2種類、ハムも2種。飲み物、果物、料理と多彩。6ドルは安い。チーズは、昔、実家で作られた自家製チーズの味だった。<br /> Sさんと市内散策。歩道が広く歩きやすい。モネダ宮殿関連施設を見て、小休止と、私はアイスを食べに店に、Sさんは歩くと言って、大聖堂に。銀座通りと言えそうな通りは、道路と歩道が同一面。置き石があって区分している。バリアフリーだから道路を横切るのが楽。歩道にはベンチが数多くあり、いい雰囲気。帰りは折角だからと、地下鉄を利用。560ペソ一律。90円くらい。<br /> 最後、スーパーで土産用のワインを購入。1000種類は並んでいて、1万ペソ以上は見たところ4種類。その一番高いものを買った。が後刻、トロントの税関で没収されたのが、悔やまれる。今回、税関とは相性が悪い。<br /> 6人合流し、バスでサンチャゴ空港へ。<br />21:20発AC93便でトロントに。<br /><br /><br />   2/8 29日目 乗り継ぎ<br /><br />ここで羽田組と成田組に3名ずつ分かれる。羽田組は荷物スルーで乗り換え、我々は国内線のためか荷物をピックアップし、入国ゲートに回される。入国書類を書かされ、一般フロアーに。エレベータで階上に上がり、出国エリアに行く。一般客同様に順番に税関を通過しようとしたら、係員に拒否され誘導される。<br />小さなトランスファーのための入り口があった。分かりづらい。可笑しいとは感じていたが。<br /> 8時発AC153便でバンクーバーに。今度は荷物がスルー。バンクーバー発AC3便で成田に。<br /><br /><br />   2/9 30日目 帰国<br /> <br />成田16時40分到着。旅が終わった。<br /><br />

シニア6人南米7か国の旅

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2016/01/11 - 2016/02/09

12位(同エリア17件中)

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大月さん

2016.1.11〜2.9 
羽田→リマ→イキトス→サンタロサ、レティシア、タバチンガ→
イキトス→クスコ→プーノ→アレキパ→タクナ→アリカ→サンペドロ デ アタカマ→サルタ→イグアス→ポサダス(ラ パス移住地)→コンコルディア→サルト→モンテビデオ→ブエノスアイレス→メンドーサ→サンチャゴ→羽田と成田


  7月 事前打ち合わせ

 7月。東京で顔合わせと概要打ち合わせ。
ネットで南米の旅概要を提案したら、10名の同行希望者があった。当日集まった方は8名。1名は一任。
10名は多いので、2つに分けることにし、私のグループは6名に。当初中東の航空会社を利用して、西周りでブラジルから入る計画をしていたが、エアーカナダが安く、しかも乗り継ぎも便利だったため、東周りに変更し、ブラジルはビザが必要ないタバチンガのみ入国する計画に改めた。メンバーは男性2名、女性4名。北海道、富山、愛知と遠方のため、打ち合わせは1回のみ、その後はメールでの連絡をまめにした。


  1/11 1日目〜2日目 ペルーへ

羽田発AC006便、18時50分定刻出発。トロントで乗り継ぎ、ペルーのリマに深夜1:45着。入国し、ATMで両替したが、出金できないメンバーもいて、ドルで両替を強いられ不安なスタート。
4時間の乗り継ぎがあり、私は仮眠をとる。
6時20分発、ペルービアン120便でイキトスへ。機体は新しく、快適なエンジン音。一気に高度を上げ、所々雪を被った禿げ山を越え、水路が沢山見えてきたらイキトス空港に着陸した。8時。
小さな空港。歩いてターミナルへ。蒸し暑い。
モトタクシーを10ソルで交渉し、宿に。350円程度。途中、私の乗ったモトタクシーは、給油のためと、タイヤが空気不足か、3回も途中で空気を入れるために車屋に立ち寄り、不安なスタート。いつしか2台揃っていて、宿に到着。
CASA DEL FRANCES。アルマス広場脇の好立地。エアコンは無く、日中は蒸し暑く、まいった。が中庭は広く、部屋の天井は高く、ベッド間も十分あり、安い割に快適。ドミトリー1泊20ソル。
女性陣はツアーに出かけたが、私は寝不足なため、ベッドで仮眠し、その後、宿の人の案内で翌日のボートを予約する。
昼食は、近くのレストランへ。カードが使えたので、フルーツの盛り合わせと焼きうどん様の物を注文。量の多さは?。優に3人前である。
午後、床屋に行く。10ソルで髭も剃ってくれた。シャンプー無し。


 1/13 3日目 アマゾン川を下る

片道80ドルと高い。スローボートも検討したが、旅行記を読むと、途中で荷物の積み降ろしがあり、時間が読めず、1日遅れることもある、というので日程に余裕のない我々は諦めた。
モトタクシーは一晩中走っているので、捕まえるのは簡単。港6時発のため5時チェックアウト。港は5時半に開門。地元民や旅行者が集まっていた。2隻あり、たぶん1隻は上流に向かう船のようだった。
ヤマハのスクリューを付けたボートは、快調。ただ流木などが沢山あり、時々、絡まるのを避けるためか、絡まったのを外すためか、エンジンをストップさせ、流れに任せていた。
簡単な朝食サンドイッチと昼食の鶏肉弁当、飲み物サービスがあった。
発砲スチロールの箱に入れられ、保温や保冷がなされ、最高のもてなしなのだろう。温かいスープが出た。隣席のドイツ人に尋ねると、avenaとい物だという。タブレットで写真を見せてくれた。「日本には旅に来ないのですか」と聞くと、エクスペンシブだからと言う。
港に立ち寄ると、地元の子供達やおばさん達が自庭の果物や食べ物を船内に入ってきて売り歩く。何だろう、と見ているうちに出航になるのですぐ降りてしまう。ポップコーンのみ手に入れた。
アジアでもそうだが、この家事を手伝う子供達には、卑屈感がない。家族の一員としての誇り、自信が顔にある。自分も幼少時は貧乏で、家の手伝いをやらされていた。手伝いをしないでいられる同級生を羨ましく見ていた自分の姿ではない。
15:30サンタロサに到着。
ここで大失敗。対岸のコロンゴアのレティシアとブラジルのタバチンガは、三国の協定で入出国手続き無しで行き来出来ることは知っていた。
ところが上陸すると数名のタクシー運転手と船頭に囲まれ、「イミグレ、イミグレ OOソル OOソル」と叫ばれる。
行く必要は無いはず・・と思いつつ、もしかすると入国証の様な物を渡されるのかも、と迷う。全員がイミグレと叫んでいるのだから、とにかく行ってみよう。船がイミグレに寄って、レティシアに10ソルで行くというので、乗り込む。
誘導されて書類を書き、最初に税関の前に進んだ仲間が、出国カードを出すように指示された。探しているのに手間取っていたので、私がすぐ出せたので前に進む。この時点でもおかしいと気づいたが、言われるままに提出し、出国スタンプを押される。
旅行記に、警察署で入出国のスタンプは押してくれるとあったので、ペルーを出国しても大したことは無いと安易に自己解釈。
10分程でレティシアに。サンタロサに比べると、家も多く、大きな町。地図を見ながら予約したホテルを目指す。
すると先ほどの船頭が後ろから追いついてきた。ホテル名を告げると、先頭に立って誘導し始める。両替所も教えてくれた。大きな通りに出て、右に曲がる。そして大きなホテルを指さし。グッドホテルと言う。ホテルの呼び込み人に変身していた。断り、自分たちで聞き込みし、探すが、教えてくれる人の半数はあてずっぽ。知らないと言えない人はどの国にもいる。
30分程歩き回ってやっと辿り着く。
LA POSADAS LETICIANA。きれいな中庭。建物も新しい。2階のドミトリー6人部屋。両替して、簡単な夕食で終わった。


  1/14 4日目 タバチンガで上田さんを訪問、そして 

同行を希望したNさんと歩いてタバチンガに。国境らしい国旗の看板はあったが、歩いて何もなく越えられた。道路を車が普通に行き来している。
実は、テレビで上田三郎さんのことを知り、手紙を事前に出していた。ぜひ訪問してお話しを聞きたいこと、畑を見せていただきたいこと。
3か月前に出したら、1か月ほどして戻ってきてしまった。もう一度、12月になって、番地なのか郵便番号か分からない数字を足して出した。返事は貰ってないので、届いたか、本人が了承しているのか分からない。
地図と番地を頼りに歩き、そろそろという場所に市場があった。近くの店で尋ねると、バイクで行け、という。そして通りすがりのバイクを2台止めて、交渉してくれた。ところが若い運転手2名は地図が読めないのか、彷徨い、同じ道を行き来したり、最後には港に入ったりしたので、諦めて5ドルずつ礼をして降りる。そうしたら何と最初に尋ねたところのおじさんが、歩いて案内してくれた。お礼をしようとしたが、遠慮された。私がウエダ、と尋ねたのが失敗。サブロウ ウエダと尋ねれば、20年以上住んでいるので近所の方はみんな知っていたそうだ。
手紙は届いていた。そして前日に飛行機でタバチンガに到着するのでは?と空港で待っていたそうだ。申し訳ない。
歓迎してくれた。75とか言っていたが、背筋が伸び、髪も多く、動作が機敏。ガラナ茶のお陰かもしれない。
ガラナ茶、よく知分らない飲み物。強請効果があるとか。飲み物、自家製クッキー、そして昼食に大きな焼き魚を買ってきて、ご馳走してくれた。ここもご飯の量が半端でない。どんぶり飯だ。
畑は悪路でバイクかジープ様の車でないと大変というので、残念ながら辞退した。ガラナ茶を5ドルで譲っていただき、タクシーで宿に戻る。
部屋に入るとベッドメイクされたらしく、きれいになっていた。ところが私のベッド上に半紙の手紙が。
要旨は、
・ボートを予約するには、今日中にサンタロサで入国手続きが必要
・17時までしかイミグレが開いていないので、4人はここを出る
・サンタロサの宿に泊まる
 ・2人には1日遅れで、クスコで会いましょう
1日遅れで会うのはいいが、それだと予約してあるマチュピチュ観光パーになる。急いで、荷物をまとめてチェックアウト。ここで宿の人とトラブルがあったが、恥ずかしい話なので割愛。
 ボートに乗り、サンタロサに着くと、散歩している仲間に出会う。
「すぐレティシアに戻り、スタンプを押して貰わないと」
再び、ボートに乗るが、ペソは使い果たしたので、ドルで払う。空港のイミグレで入出国の印を押して貰い、再びボート。イミグレに入ったのは5時を少し廻っていたが、仲間が開けさせていた。レティシアは殆ど観光することもなく、終わった。


  1/15 5日目 再びスピードボートでイキトスへ

 朝4時出航。同じコースなのに船会社が違ったためか、料金は70ドル。設備が少し劣り、食事も少し落ちていた。
 同じコースを戻りたくなかったが、タバチンガもレティシア空港もクスコに飛んでいない。それでやむなくこのコースになった。少し上流行くと、軍事空港があり、そこから1便イキトス便があるという話だが、事前予約出来ないという。6席を当日購入するという冒険は出来ない。
 16時イキトス到着。同じ宿に泊まる。


  1/16 6日目 クスコへ。悪質タクシーに。

 イキトス空港5時発。アビアンカ840便。機体は新しい。リマで乗り換え。同809便。1時間ほどのフライトでクスコに到着。
 リマからは、低空飛行だった。すぐ砂漠というか禿げ山を低空で飛び、家や道路が見えてきたと思ったら着陸だった。
 地図で空港と市街地を確認していたので、タクシーは10ソルで交渉しようと相談していた。しかし近づいてきた運ちゃんは、40ソルだと言う。無視しようとすると、自分の地図を示して、「広場の所は通れない。こっちを迂回する」と手で示す。
 工事中か何か行事のため通行禁止なのかと言い値で乗った。しかし何のことなく、広場横を通ってホテル前に。頭に来た。
 INKA CLUB HOSTEL。クチコミ通り、旅行者に配慮した宿。中心部に位置し、ホットシャワーが出て、くつろぐ部屋もある。ドミ1泊1300円。お奨めの宿。翌日のマチュピチュ観光の予約を依頼していたtran andes社から乗車券等が届けられていた。
 翌々日のバスの席が心配だったので、ターミナルまで購入に行く。2km程離れていた。4000mの高地は、歩くと空気が薄いのか、大きく息を吸い込まないと苦しい気がする。ゆっくり歩き1時間かかった。何社かプーノ行きは出ていたが、夜行か夜中着が多い。1社、8時発があって、予約する。CUZCO〜PUNO 55ソル。ペルーはバスも安い。後日、チリ、アルゼンチンと旅して痛感する。


   1/17 7日目 好天のマチュピチュ観光

 5:25。予定より10分遅れてミニバスが迎えに来た。途中、もろこし畑、分からない野菜畑、放牧場などが続く。坂道をどんどん下ってオリャンタイタンポの駅に到着。ここで乗ってきたバスを間違えないように、とナンバーをメモしたが、これが後刻災いとなった。
 ペルーレイルは高額。その分、ホームに朝食用かお菓子類や飲み物が置いてあり、自由に取れた。7:45発。
 車内は広々とした席、コーヒーサービスもあった。谷底を川に沿って走っている。単線ゆえ途中すれ違いがある。思った以上に本数は多い。
1時間ほどでマチュピチュ駅に到着。
 少し雨が降っている中、シャトルバスが次から次と発着しているので、大勢の観光客がどんどん捌けられる。橋を渡るとヘアピンカーブで山を登り始める。マチュピチュ村と谷底の川を遠く下界に眺め、見えなくなったら終点だった。
 集合場所と時間を確認して、各々入場。雨は止み、霧に覆われていたが少しずつ晴れ間が。絶好の天候になった。
 遺跡入場料も高いが、管理にお金をかけているのが分かる。監視員も沢山配置されていたので、落書き、いたずらが無い。
 段々畑を土木機械が不十分な時代に、この高い山に建設したことに改めて感動というか、ため息が出る。
 3時間の観光を終え、逆コースでマチュピチュ16:44発に乗り、オリャンタイタンポに戻る。駅には出迎えの運転手等がいたが、我々の運転手らしき人は見あたらない。バスを降りた所に戻ると沢山、同型バスが駐車していた。控えていた958番を探すとすぐ見つかる。鍵が開いていたので乗り込む。そのうち運転手が乗り込んできた。往路の運転手は若い感じだったが、なぜか中年に見えた。そのうちバスは動きだしたが、すぐ止まり、女性と話を始めて動かない。そして何人かが我々に向かって降りろと言う。どうも違うと言っているようだ。
 仕方なく、trans andesに電話。電話が通じるか半信半疑だったが通じた。すると「運転手が探しているはずだから、その場で待て」と。
 しばらくして運転手と合流。バスの番号を見ると958。前の記号が違っていたのだろう。


   1/18 8日目 クスコ市内散策

 午前中は、履いていた靴が臭いが酷く、買い換えることにした。教えられた通りに行くと、靴屋が並んでいる。同種の店が固まっている街は、どの国にもよくある。カードで買いたいが、高級品ばかり。カードが使えない店は安物がある。59ソルだから日本より少し安いくらい。履いていた靴を処分してくれ、とジェスチャーで示したが、理解されずレジ袋にきちんと入れられてしまった。仕方ないので、そっと店外にでた。
 午後、12角石、14画石を見学後、市場で恒例のマンゴジュース。5ソル。いつも暑い国を旅すると、マンゴを味わう。1杯飲み終わるともう1杯グラスに入れてくれた。他の客にも同様。
果物を物色。輝く目をした姉弟に出会って、リンゴやら名前の分からない釈迦頭に似た果物を買ってしまった。


  1/19 9日目 ボルボ製バスでプーノに

 7時、タクシーを拾いターミナルへ。空港近くだが10ソルで行った。先日の40ソルの暴利に再び怒りがこみ上げる。
足元が広く、高級なバス。無料のコーヒーが自由に飲めた。8時出発。相変わらず砂漠というか禿げ山の景色。時折、殆ど草もない所で牛が放されていた。緑が目立ってきて、坂の下に街が見えてきたら、プーノだった。
予想以上に大きな街。クスコより平地が多い。今度は5ソルで交渉と確認して、交渉成立。
宿はピノ広場に隣接のHOSTEL AREQUIPA。当初、ドミトリーの宿を探していたが、満室で予約できず、この宿にした。ツインで2泊50ドル。
立地は良く、部屋も悪くないが、隣がディスコホールらしく、夜中まで音楽がガンガン。フロントは親切で、ウロス島ツアーも送迎付きで20ソルと、ガイドブックより安く予約してくれた。ただ電話回線が不調でカード払いを試みたがダメ。夕方来て、明日朝に来て、と言われ、3度も足を運んだが繋がらず、現金払いになった。
夕食は、旅行記で美味しくて安いというINKA RUMIに5名で行く。客は多かった。ピザとスープ、ビールを堪能。31ソル1000円程。


  1/20 10日目 チチカカ湖、ウロス島

8時半。送迎タクシーで港に。ガイドともう一人、不審人物が一人いる。結局、この不明人物は、最後まで我々に同行。帰りの船では、パチンコで野鳥を狙い撃ちしていた。暇で付いてきたのか。
港はしっかりしていた。沢山船が係留されていて、その1隻に乗る。
すぐ水草が茂る間の水路を進む。というより船の航行ができるように水路を開いたのだろう。
 30分ほどで到着。草の地面はフカフカで気持ち良い。大きなパネルでチチカカ湖の大きさ、深さの説明があった。対岸と見えていたのは、ほんの一部。沖に行くと水深もあるようだ。
 続いて畑や家屋を見学。じゃがいもの茎が大きく育っていた。ただ観光地化されているのが残念。草で作られたゴンドラのような手こぎ船に、土産を買わない代償として5ソルで乗ってあげた。
 帰路、私はバスチケットを購入するため港から別行動。ターミナルで明日のアレキパ行きを予約。バス会社により価格はまちまち。歩いて宿まで戻ることにした。
途中、大きな市場があり、果物を手に入れ、屋台で遅い昼食。何があるか物色していると食べている人が、「ここに座れ」とイスを空けてくれたり、「今食べているのは、この缶に入っているのだ」と缶を指さしたり。外国人と見て、手厚く面倒をみてくれる。マカロニ料理が皿にいっぱい盛られ、3ソル。


  1/21 11日目 アレキパのサンドラの家に

 昨日のカード払いができなかったことを申し訳なく思ったのか、宿の主人は愛想が良かった。朝食も早めに用意して、笑顔で迎えてくれた。
 8時半バス発。乗ろうとしてトラブル。乗り場に出るのを静止させられる。周りの人の説明で、ターミナル使用料を払わなければならないことが分かる。急いで支払い、半券を渡して、無事バスに乗り込めた。たぶんターミナル経営の主体が民間なのだろう。
 アレキパ着15時。ターミナルで明日のバスを予約して、楽しみにしていたサンドラの家に向かう。住宅街である。南米はどこも住居表示がしっかりしているので、タクシーは間違えない。ただサンドラの日本語文字が小さく、目立たなかった。
 呼び鈴を押すとサンドラ一家、ワンちゃんも、全員で玄関まで出迎えてくれた。感動的な歓迎である。
 夕食まで時間があるので付近を散策しようと思ったら、長期滞在している写真家の方から「最近、日本人が首締め強盗にあっているから辞めた方がよい」と忠告されてしまった。仕方なく、旧市街にタクシーで行き、好きになったチチャモラダジュースを飲んで終わった。
 日本贔屓のサンドラの家は、満室。美味しい手作り料理を食べ、温かいシャワーを浴び、談笑し、写真家に集合写真を写して貰い、至福の時を過ごした。2食付き30ソル。
 

  1/22 12日目 タクナから国境越え、チリに

 タクシーが早めに迎えに来た。急いで玄関に向かうと、宿泊者全員が見送ってくれた。また感動ものである。本当に家、である。ぜひ機会があれば、というより機会を作って再訪、できれば数泊したいものだ。
 9時アレキパ発。フローレス社のバスは、独自にターミナルをもっているため、使用料はかからない。
 15時半、タクナ着。国境越えのバスに乗り換える。30分ほどで国境に着いたが、団体行動のため時間がかかった。ガイドブックによると、チリは税関が厳しく、生ものは没収されるとあったが、全くその気配が無い。ノーチェックと言って良い。
 再び30分ほど走って、18時アリカのターミナル着。時差があるので20時。
 心配していたバス席は、6つあった。22時発アタカマ行き。旅行シーズンで混み、満車の場合も、と旅行記にあったので、ネット予約しようとしたがカード情報を入力するとエラーになった。カードがダメなのではと、同行のMさんにも試してもらったがダメ。残っていたカマ席とセミカマ席に分かれる。15600ペソ。カード払いにしたら2619円だった。1ペソ6円。
ここで事件。
カードで払おうと、カード機にカードを差し込んだ時、ズボンの左ポケットに違和感。スリと気づき、「ノー」と叫んで、振り払った。振り向いたら、中年の小柄な男性が、立っていた。もう一度「ノー」と叫んで、左手で片を押した。
こちらが敵意を示して睨んだが、反抗するでなく、といって怯むのでもなく、少し離れて立った。暗証番号を入力しチケットを受け取った時振り返ったら、消えていた。
私のポケットは、付け足しして深く改造しているので、手を入れたが、サイフまで届かず、深く突っ込んだため気づかれたのだろう。サイフをしまうのを後ろで待っていたのだろう。
騒ぎに気付いた仲間も身辺を探ると、Nさんがデジカメをやられていた。「さっきの女が怪しい」と言っていたが、いつ、誰なのか分からない。バスターミナルや市場、駅はスリが多いとは聞いていたが、初めての被害(未遂)だ。
ここでもターミナル使用料を取られ、出発間際、アタフタ走り回ることになった。
席は先頭。隣は空席で、ゆっくり足を伸ばせ寝込んでいると、深夜、長く停車しているなと起きる。検問所だった。隣のシスターが降りるよ、と教えてくれた。ここで自分の荷物をバスから降ろし、X線を通し、再びバスの貨物室に運び込む。迷惑なことだ。運転手も同様だろう。


  1/23 13日目 砂漠の街 san pedoro de Atacama

 砂漠の平原の中を、真っ直ぐ道路が貫いている。延々と走り、紅い岩山が続き、遠くに緑が見えてきた。10時10分、アタカマに着いた。砂漠の街。しかし水路に水が流れていて、桃源郷の観。
 宿はHOSTEL LASKAR。屋根が低く、平らで、砂埃のためか壁も地味で、一般家屋と区別がつかない。しかし中庭を囲むように奥が深く、ホテルらしい。
 フロントの人は英語を解さないが、翻訳ソフトを使い、意思疎通に努力してくれた。キッチンを自由に使え、飲み物もいろいろパックだが用意されていた。
 無事にアタカマまで着いたが、この後が難関。アレキパで同宿した逆コースを辿った女性から、バスが取れず5日間サルタで足止められた話を耳にしていた。
サルタに行くバスの便が少ない。ターミナル到着時に1社に尋ねたら、翌日便は1席しか空いていない。仕方ないからタクシーか一般車と交渉することにする。
 タクシーは一人150ドルとか言うので、一般車を当たる。手当たり次第、大きい車に当たるが、なぜかサルタはダメだと断られる。何か問題がありそう。仕方ないので再び、バスターミナルへ。
 明日便はもう1社あったが、満車。もう1泊してバスで行くか、高いがタクシーにするか協議。いくつか名刺をいただいたタクシーにフロントの方に依頼して電話。すると100ドルで話が付いた。
 夕刻、この運転手が宿に来て、前金が欲しいと言う。この小さい街だから、取り逃げは無いだろうと思ったが、念のため領収書は書いて貰い、フロントのお兄さんに立ち会ってもらう。
 難関が突破されたので、安堵し中庭のハンモックでゆっくりくつろぐ。砂漠に囲まれてはいるが、それなりに整備され、緑もあり、散策する時間は無くなった。アタカマは、人気の観光地らしく、宿は満室で訪問者を断っていた。


  1/24 14日目 瀬戸際の大移動 
PASO DE JAMA→PURMAMARCA→SALTA

 7時にタクシーが来るはずが、来ない。10分後電話すると、7時半だと言う。電話が通じたので安心だが。結局、出発は8時。
 タクシーと言え、5人乗りハイラックスのような車。後ろの荷台に2名ずつ交替で乗ることにし、最初は男性二人。Sさんはしっかり防寒着で防御態勢、私は半袖の夏仕様。
 真っ直ぐな道路をどんどん坂を登っていく。アタカマの街が30分近く、眼下に眺められた。両脇は砂漠だが、時折、民家らしい建物がある。何を職としているのか疑問。
 寒さの中震えていたが、ついに我慢出来なく、荷物から長袖を出す。それを運転手がミラーで見ていたらしく、急停車して降りてきた。そして自分の荷物から、厚手のベストと毛糸の帽子を私に手渡す。気遣ってくれていたのだ。
 ついにハマ峠(4200m)を越えたらしく、坂を下りだした。少しずつ温かさを感じる。そして小さな池の脇で停止。もうアルゼンチンに入ったと教えてくれた。
10分ほど走り、10時、国境JAMAに着いた。砂漠の中に立派な税関の建物だけ。

 
  乗り換え連続で、やっとサルタ到着

 出入国手続きは、同一建物で出来、便利。簡単に終了。アルゼンチン側に行こうとすると、運転手が待てという。運転手は、営業で通過するので通行証のようなものを携帯していた。しかし出国側では書類が通過するが、入国側で突き返された。再び何か書類を提出し、100ドルが必要とか言い、私から借りる。再提出し、入国側に書類が回り、担当者が持ったまま席を離れた。どうやら上司の判断を仰いだようだ。10分ほど待つと、担当が戻ってきて突き返された。ダメだったことが分かる。
 自分は行けないから、別の車を用意するという。税関職員にも間に入って貰ったが、purma marcaまで行き、そこからバスで行くしかなくなった。
 12時、迎えの車、同様のピックアップ車が来た。チリの運転手から300ドル分、ドル札は持っておらず、チリ札とアルゼンチン札で返され、迎えの運転手に手渡す。距離的には400ドル分返して貰うところだが、彼のサイフには、もう札は少ししか残っていなかった。
荷台は女性二人と交替。自宅に寄り、少し待ったらコカ茶を袋に入れて戻ってきた。眠気防止らしい。時折大量に口に放り込む。少し頂いて口に入れたが、安いお茶の葉みたいな味。
 やっと出発かと思いきや、ガソリンスタンドに戻った。砂漠を行くので、給油は仕方ない。とろが、タンクローリー車が停車していて、地下タンクに補給中。ここで延々待つ。
 14時、給油を終えて出発。
途中、砂漠の平原を延々と走り、自然トイレで小休止し、荷台二人が交替した。湖があり、塩らしい白いものが砂山のようになっている。大きな所は観光客が沢山いた。ソルトレイク? と運転手に尋ねると頷く。あとで調べたらツアーに組み込まれている観光地だった。
 ヘアピンカーブの山をどんどん登り始め、サボテンが目立ち初め、側溝に落ちた事故車を追い抜き、下り坂になった。再び延々とヘアピンカーブ。すると紅や青、緑っぽい色の岩山が次々と現れた。全て禿げ山。見応えがある。
 少しずつ樹木が見え始め、人家が現れ、プルママルカに着いた。17時10分。ここも観光客が沢山歩いていた。ガイドブックによると、ウマウアカ渓谷の一部だった。
 途中のフィフィ行きのバスはあった。しかし18時は満員。次は20時。フィフィでホテルを探すか、ここで宿を探すか、それともタクシーにするか相談。プルママルカで宿の空き室を調べる人、タクシーを交渉する人と別れる。
 宿担当によれば、満室でダメ。タクシーは1台160ドル。タクシーに決定。18時に出発し、サルタの宿に20時半到着。
 Backpacker's Suites and Bar - Saltaは街の中心。トミトリー6人部屋で便利だが、2間続きで、2段ベッド2つとシングル2つ。自然、男性がシングルに。女性陣には申し訳ない。3泊一人30ドル。
夕食を摂りたいが、ペソが無い。ATMを探し、数人がお金を引き出せた。1軒だけ開いていたファーストフード店で食事。長い一日だった。


  1/25 15日目 CAFAYATE渓谷行かれず、市内散策
 
 ウマウアカ渓谷の一部は、昨日、車の中から見てきた。それで3人で路線バスを利用して、CAFEYATE渓谷とワインを楽しみに行くことにした。ところがバスターミナルに着くと、10時発は満員だという。次は12時。これでは現地でほとんど時間がない。諦めて市内観光に。
 サルタは歩道が整備され、樹木が多く、過ごしやすい。公園は市民の憩いの場らしく、のんびりベンチに腰掛けている人が多い。途中から女性陣と分かれて、ショッピングセンターへ。フードコートで遅い昼食。ここも量が半端でない。それにコーラを2Lの大瓶で注文しているカップルも多い。


  1/26 16日目 夕刻、空路イグアスへ移動

 夕刻、移動なので、チェックアウトまで部屋でゆっくり過ごす。サルタは海抜が高いが、昼間は暑い。古本を持参してきたので利用。チェックアウトし、荷物を預けて、外出。気になっていたターミナル近くの屋台に行く。
 前日、家族で営んでいる屋台を見かけたので、今日やっていれば、食べてみたいと思っていた。案の定、やっていた。遅い時間だったので、ご飯は売り切れ。スープとエンパナーダ。「このエンパナーダは、娘が作っている」と父親が、娘さんを指さして教えてくれた。娘さんの作るのを誇りに思っているのだろう。温かい雰囲気が流れている。25ペソ。
 空港までタクシーで15分程。100ペソちょうど。こじんまりしているが、きれいな空港。自動チェックイン機で戸惑う。
 18:55発AR2812便でプエルト イグアスへ。21時前、到着。気温が上がった。3名利用するとバスよりタクシーの方が安い。市内までは10km近くあっただろう。
 沢山のスピードハンプが設置されていて、スピードが制限されていた。アニマルクロスという標識がある。イグアスの滝周辺まで自然公園になっているらしい。
 宿は、RESIDENCIAL NOELIA。朝食の写真が良かったので、ここを予約。事実、果物も出て、内容は良かった。ただ夜担当のフロントの兄さんが、真面目なのだろうがパソコン使用が遅く、イライラさせられる。私以上に、指1本で入力していて参った。


   1/27 17日目 一見の悪魔ののど笛

 イクアスの滝に行く前に、ATMに寄る。ほとんどのカードが利用できた。バスターミナルに行こうとしたら、道路脇でタクシーが屯している。試しに料金を聞くと、意外に安い。値切ると1台150ペソになったので、タクシーに変更。空港に向かう道路から左折し、すぐ公園入り口に到着。入場料260ペソは高いが、列車料金は含まれている。
 集合時間と場所を確認して解散。
かわいい列車に乗り、きれいに整備された遊歩道を通り、たくさんの展望台で滝を見る。途中、半ば家畜化されただろうワニもいた。
 再び駅に戻り、次の駅に向かう。巨大なお尻の女性が本当に多い。太っているがタンクトップ姿で平気らしい。1km程あるいたか、悪魔ののど笛に着いた。
 雨のように降り注ぐ水爆。私は早々に展望台から退いたが、同行のSさんは、カメラとビデオを最大限活用して頑張っていた。
 帰路は、女性陣はタクシーで夕食の買い物へ。男性陣はバスでターミナルに戻り、明日のチケットを購入。ポサダスまで225ペソ。


   1/28 18日目 バラナ川

 宿はTARAMBANA HOSTEL。2泊1400円弱という安宿。バスターミナル近くにするか、川の近くにするか迷った。がドミトリーがある事で決定。バラナ川は水量が多そうで、悠然と流れていた。地図上では、すぐ南に大きな自然の湖のようになっている。
川沿いは歩道が整備され、散歩やランニング、固定施設でトレーニングする人など憩いの場になっている。
到着すると冷たいミネラルウォーターを出してくれ、私のパラグアイ宛電話にも、嫌な顔をせず、世話してくれて、良かったが、他の部屋の人が勝手に我々6人用ドミトリー室のトイレやシャワーを使うのには驚く。特に寝静まって入って来られるのは。宿の許可があったのか、南米特有の文化か。
明日訪問予定のパラグアイの日本人に電話を試みる。フロントの方に手助けされながら、0を除いたら繋がった。
明日の目処がついたので、夕食は川沿いのレストランへ。対岸のエンカルナシオンの夜景が予想以上にすばらしい。貧しい国と聞いていたが、これだけ灯りがあれば十分。
昼、兼夕食のため、ピザ風料理を2種類頼んだが、何度も料理を確認させられた。結局、1種類届き、これが正解だった。これだけで腹一杯。


   1/29 19日目 パラグアイの日本人移住地訪問

 希望者2名共に、インターナショナルのバスを待つ。しかしバス停で待っていた地元の方が、このバスで大丈夫と教えられ、バスに乗り込む。
そして運転手に「終点」と言われ、下車。なぜかバス代は請求されなかった。
そこはイミグレだった。出国と入国のスタンプを押され、18ペソを支払わされる。なぜだろうと思ってイミグレの反対に出たら、対岸に渡る電車が待機していた。
構造は電車のようだが、揺れない。軌道バスのような乗り心地。架線もなかった。10分ほどで川を渡り、下車。エンカルナシオンの街に着いた。まず両替所を探していると、親切な方がずっと案内をしてくれた。
1軒の銀行に寄ると、両替できない。次の銀行は出来た。ただ入り口には、本物の銃を持った警備員が立っている。平和な国だが、銀行はどこも武装警備員を置いているそうだ。
20ドル換えようと窓口に案内人と行くと、「日本語できます」と言う返事。日系2世だった。
手続きにやや時間がかかる。持参していた ”ぷっちょあめ” を3つ案内人に手渡すと、喜んで受け取り、すぐ口にいれて食べ出す。こういうところは嬉しい。
バスターミナルは離れているので、タクシーが良いと2世の方からもアドバイス。すると再び案内人が、タクシーが屯している場所まで誘導してくれる。そして2世の方の言う料金より安く交渉してくれた。天使のような親切。そしてさっと握手したら、かっこよく去っていく。日本人全体に対する印象がよいのかもしれない。
バスは9時発なのに、なぜか10分前に出発。しかしすぐ降りて乗り換えろと言う。バスはオンボロ。予想通り。1万グラニー、200円くらい。
どこまでも牧場、というより放牧されている野原が続く。土地が肥えていないのかもしれない。
10時20分。ASOCIACION JAPONESA DE LA PAZに到着。若い車掌が教えてくれた。
ラパス日本人会事務所。立派な建物。資料室、体育館、会議室等がある。資料室の展示物を見ながら、建設時からの苦労話を役員から聞く。
夜は毒蛇が出るので出歩けなかった。
この蛇は、首を押さえれば、捕まえられ、食べると美味しい。
共同作業で家を建て、農地を開拓
焼き畑農業からスタート
今は何十ヘクタールも持つ大農場
大豆と小麦の二毛作が多い。
酪農と米作も行われている
事前に、お昼は、関係者に私が支払うので一緒していただけると・・
と依頼していた。近くのレストランに事務員を含め、移動。総勢10名。ブッフェ方式。鶏肉、牛肉、野菜、卵といろいろ。生ジュース2種。この生ジュースは特に美味しかった。
支払いが足りるか、心配でドル払いが可能かキャッシャーに行くと、事務所で支払いしていた。ごちそうになってしまった。
その後、車で農場を案内してもらう。美瑛の丘のような風景が続き、大豆畑、放牧場、田と見させていただき、最後、一番大農家といわれるジンダイジと言ったか、家を訪問。ペリカンマンゴの大木があり、沢山、拾わせてもらう。(税関で没収されることを恐れて、タクシーの運ちゃんにあげてしまった。残念)
紅いマンゴを頂き、土産にこのマンゴを1つずつ頂く。これはしっかり持ち帰り、食べた。
続いて、事務所近くの農協を見学。巨大なサイロを備え、小麦から粉を製粉し、出荷していた。ホテルやレストランがあり、成功している農業を見ながら、のんびり滞在出来そう。
17時、お礼を言って、バスでエンカルナシオンに戻る。帰路はタクシーを10万グラニーで予約。グラニーが残ったので、屋台のケバブを購入。胡椒と肉がマッチして美味しい。1本4000グラニー。80円くらい。
心配した税関のチェックは甘く、マンゴーは持ち帰れた。
20時、バスでCONCORDIAに向かう。


  1/30 20日目 SALTO経由MONTEVIDEO

7時コンコルディア到着。対岸のウルグアイのサルトに向かう。
8時、ミニバスで出発。すぐ川を渡ったが、いつまで経っても国境らしいところが無い。ついに税関無しに入国。両国でそういう取り決めになっているようだ。
山が無く、どこまでも平原。牧場オンリー。どの家もしっかりしていて豊かな暮らしが想像できる。1時間ほどでサルト到着。
ATMでウルグアイペソを引き出す。サルトは早朝着なので、宿を予約していなかった。6人で協議した結果、一気にモンテビデオに行くことに決定。12時まで、市内観光にタクシーで行く者、寝不足を補う者、それぞれ。
昨日からバスの連続乗車だが、シニアの皆さん、体力が余っていてこちらが参りそう。
バス代897ウルグアイペソ。3200円くらい。安くは無い。夕刻モンテビデオ着。
インフォメーションで翌日から予約している宿に問い合わせしてもらうと、満室だと言う。安宿を斡旋して貰う。
モンテビデオホテル。名前は立派だが、古く、エレベータは格子戸のような内扉を閉める時代かかった物。ツイン1名21.5ドル。
しかし夫婦2人の経営らしく、効率的ではないが、おもてなしの心はある。ホテルという名であるが、朝食が付いていた。
  1/31 21日目 宿に歩いて移動

地図から見て、ゆっくり歩けると思ったが、30分ほどかかった。途中蚤の市のような場所を通過。
CHE LAGALTO HOSTEL。ドミトリー1泊17ドル。きれいで、旅行者用に作られていて、カード式ルームキーを全員持たせてくれ、利用しやすい。朝食も美味しい。
フェリーも混むと満席になる、という事前の話だったので、早速購入にバスターミナルに行く。昨日は気付かなかったが、2階がありショッピングセンターになっていた。
安い小型ボートがあったが、出航日が計画に合わない。仕方なくフェリーに。2550ペソ、10163円。ドルだと100ドル。高い。
蚤の市で果物を購入。ここで大失敗。
果物を選んで購入しようと100ペソ札を出すと、ダメだと言う。お釣りが無いのかと思い、別の店に。ここでもダメだと。そして両替所に行けと。両替所の場所を聞いて探すが分からない。仕方無いので、商店に入り、飲み物を1本買って、細かいお金を作ろうとしたら、ここでもダメ。よく見たらアルゼンチンペソだった。
再びアルゼンチンに入国するので、まだ財布に残していた。この日は、大失敗のお陰で、一日が終わってしまった。


  2/1 22日目 市内観光 

歩いて市場へ。昼食にレストランで魚料理を注文。魚はおいしく調理されて満足だが、しっかりサービス料を請求され、ウルグアイペソが足りなくなりそうだった。
バスも体験したいので、循環バスを捕まえる。ここならターミナルは分かるから、降りられる。
前乗りでワンマンカー。始めに現金で支払うかプリペイドカード。19ペソ、安い。一方通行を曲がりながら走るが、すぐ7月18日通りに出たので、どこを走っているかわかる。ウルグアイも通り名、番地が整備されているので町歩きは助かる。
ショッピングセンターへ。カルフールが入っていたので、買い物。そして独立広場散策。樹木が茂り、散歩コース。遊園地のようになっていたが、人気はなかった。
歩いて宿に。歩道が整備され、並木が続き、すばらしい街。ただ日本同様、ペイントの落書き、アートというのかもしれないが、シャッター等に沢山。


  2/2 23日目 ラプラタ川を横断

 港で入出国手続き。空港のような施設。ところが1名、スタンプを押された乗船チケットを紛失。フェリー乗り場入り口で拒否される。慌ててフェリーの事務所に戻る。
よく戻れたものだ。もう出国手続きをしてしまったのに。本人の話だと税関にダメだと言われたが、強引に突破したらしい。
出航ギリギリに再発行してもらい、入り口に戻ってきた。6人いるといろいろ起きる。10時半出航。
フェリーは双胴船で揺れが全くない。出航したのも分からないくらい。本当にラプラタ川は、大河である。茶色の水だから川には違いない。しかし対岸は全く見えない。
13;15到着。地図でみると宿まで近いが、港のどこに着いたか分からない。荷物もあるのでタクシーにしたが、歩いても良かった距離だった。ただタクシーは一方通行を遠回りしたので、100ペソは仕方ない。
日本旅館。1泊10ドル。安い。ただ朝食無し。
入り口は、扉が二重になっていて驚いた。泥棒は多いようだ。鍵は2本預かり、まず扉をあけたら、すぐ鍵をかけ、第二の扉を開けるというやり方。また奥さんから、ケチャップ強盗、首締め強盗等、治安情報をたっぷり聞かされ、緊張が走ったが、ご主人の話では、「女性も夜一人歩きしていますから」という。
ドミトリーは天井が高く、共同キッチン、共同冷蔵庫もあり、お湯もしっかり出た。
夕食、レストランで隣の人が注文したものを、指さしで注文する。うどんのような、パスタのような中に牛肉が入った食べ物。美味しいが、やはり量が半端でない。もったいないので、何とか押し込んだ。


  2/3 24日目 朝の大統領府、国会議事堂

ケチャップ強盗に会いたくないため、薄暗い6時に歩き出す。
歩道に寝ている人が沢山いて、怖かったが、宿の主人の話では、地方から出てきた人は、不動産を手にするのは難儀らしい。保証人やら大変。殆どは路上生活から仕事に出かけている人たちだという。
そういえば、高速道路下にいた家族らしい人たちは、夕刻主人らしい人はビールを飲み、家族団らんの様子。ただトイレとかどうしているのか、調べたかった。
大統領府は貫禄がある。兵士がのんびり警護。ただ裏手の5月広場には、旗と簡易テントが沢山あり、デモらしい人たちの集団が寝泊まりしているようだった。
新たな発見。
歩道を歩いていると、床面の板石が1枚除かれ、飲料ケースを投げ込んでいた。のぞき込むと、滑り台のような板が建物の地下に渡され、そこに荷物を運び込んでいるのだった。すごいアイデア。ただこの敷石の所有権は誰にあるのか疑問。2か所遭遇。
 国会議事堂は、古く貫禄があるが、今ひとつ。日本人会の事務所に廻ってみたが、閉館。柔道とかクラブ活動が行われているようだ。
 午後、サン ペドロ テルモ公園に行く。タンゴをプロらしい人が踊り、イス席で見られるようだ。金をけちった私は道路を挟んだ建物に腰掛け、無銭鑑賞。
 

  1/24 25日目 空路メンドーサに

 AEP空港は、国内空港だが2時間前に集合という。6時タクシーを拾い空港に。車中、運転手が運転しながら、携帯を操作している。何をしているのかと視線をやると、「ヨイツイタチオ」と音声。「良い 一日を」だった。直訳の面白さに遭遇。サービス精神旺盛は嬉しいが、運転中は勘弁してほしい。自動チェックイン後、9時10分発AR1412便でメンドーサへ。
 ブエノスアイレスからメンドーサまでずっと平原。緑が続く。畑も区画が大きい。11時メンドーサ到着。タクシーで宿に。
 3階に上がり、フロントでチェックインしようとしたら、
「チェンジ」「チェンジ」と言い、話をきいて・・と説明を始める。
理由は不明だが、同系列の宿に代わったということ。後刻、代わった理由を質し、タクシー代を要求すればと思いついたが、後の祭り。
 荷物を引いて、1.5kmほど。MENDOZA INNに到着。中庭が広く、フロントの対応も良かったが、問題の多い宿だった。
 まず、夜中までというより、夜中から、若い泊まり客が宴会を始める。しかも音楽をガンガンかけて。
 もう一つは、天井の低い部屋で、2段ベッドがぎっしり詰められている。通風も悪い。案の定、3名が南京虫の被害に遭った。
 午後は、私はバスターミナルにチケット購入に。サンチャゴ行きのバスは沢山あり、満席もあったが、ミニバスで450ペソという安いチケットを購入。
 ズボンが汚れていたので、ランドリーに出す。50ペソと日本並み。しかし日本に帰国するのに、余り汚い服装では抵抗がある。
 夜、やっとステーキを食す。よく焼いてあり、歯ごたえがあり自分好み。135ペソ。1400円くらいか。


   2/5 26日目 サンマルチン公園とワインツアー

 歩いてサンマルチン公園を目指す。歩道がよく整備され、樹木が生い茂り、良い散歩道。側溝には水が流れ、街路樹に水を計画的に提供していた。1時間以上歩いたが、目指す丘は見あたらず、引き返す。帰路、遅れて出発してきたNさんと行き会う。
 計画を変えて、東に進路をとり、農園を探すが、1時間歩いても見つからず、再び引き返すはめに。
 午後、迎えのミニバスでワインツアーに参加。添乗員がスペイン語と私宛に英語で説明してくれるが、早口で聞き取れない。聞き取れるのは、「オッケー」と確認する言葉だけ。
 初め古いボデカで説明と白ワインの試飲。売値を見たら660ペソ。うまいが、買える物ではない。
 次ぎにオリーブオイルの工場に。工場のガイドの英語はゆっくりで、何とか意味を理解。クッキーにいろいろなオイルをかけた物を試食。干しブドウの試食も。買い物はせず、ひたすら試食品を口に。他の参加者は、大量に購入していた。割り引きがあったのかもしれない。
 最後に近代的なボデガに。隣にブドウ園が広がり、素晴らしい環境。ブドウの木を見た。木の下の方にぎっしり実っていた。試飲は3種類、赤と白。ここでも大勢購入していたが、重いので私は遠慮。


   2/6 27日目 大大渋滞でサンチャゴへ

 8時半発のミニバスは、人数が集まらず、キャンセルに。9時発の大型バスに振り替えてくれた。この代替は結果的に好結果。大型は殆ど600ペソだったので、料金的に得したこと。そして何よりトイレが付いていたこと。
 30分ほどブドウとオリーブの畑を眺め、すぐ荒れ地になった。低木のツツジくらいの木が続く。90分ほどしたら、スピードが落ち、ノロノロ運転に。ついに止まってしまった。5分の停止時間が10分に、そのうち30分にと。
 トイレの無い乗用車などから、乗客が降りて、自然トイレに向かう。低木しか無いから、女性はかなり遠くまで向かっていた。
 14時半。前をよく見ると、対向車線から車が何十台と続いて来た。これは引き返してきたのだな、と直感し、これから我々もメンドーサに戻るのか。戻って飛行機を予約出来るか、と悪夢を想像。
 やっと対向車線が切れて、我々の車列が進み出した。すると道を左に逸れて、山に登りだした、迂回路だった。埃を舞いあげ、どんどん山を登る。安堵した。
 右手に決壊した道路が見えた。集中豪雨か、道路が流されたようだ。
15時、難関を突破。本来ならば、15時にサンチャゴに着いている時間なのだが。
山を登りだし、スキーレンタルの案内があり、雪が降ることが分かる。トンネルを通過し、そこが国境だった。18時。遠くに雪を抱いたアンデスの山が眺められる。両替所があり残ったアルゼンチンペソをチリペソに交換。
 ここで1時間待たされ、入出国でき、19時再出発。ここも厳しい検問ではなかった。
 続いて谷底に降りるように、ヘアピンカーブの連続。1000mは降りたかもしれない。すごい景色。
 22時30分、サンチャゴ着。宿はターミナル横だったので助かった。
IBIS SANTIAGO HOTEL ツイン1室6600円。便利で良いホテルだが、ツインを希望したのにダブルベッドだったのが残念。


  2/7 28日目 南米最後の日は

 昨夜遅い到着だったため、ゆっくり朝食。旅の最終日は、基本、朝食ブッフェがある宿にしている。最後くらい地元料理を腹一杯食べたいから。ここの朝食ブッフェは、クチコミが良かったので決めた。
 チーズ2種類、ハムも2種。飲み物、果物、料理と多彩。6ドルは安い。チーズは、昔、実家で作られた自家製チーズの味だった。
 Sさんと市内散策。歩道が広く歩きやすい。モネダ宮殿関連施設を見て、小休止と、私はアイスを食べに店に、Sさんは歩くと言って、大聖堂に。銀座通りと言えそうな通りは、道路と歩道が同一面。置き石があって区分している。バリアフリーだから道路を横切るのが楽。歩道にはベンチが数多くあり、いい雰囲気。帰りは折角だからと、地下鉄を利用。560ペソ一律。90円くらい。
 最後、スーパーで土産用のワインを購入。1000種類は並んでいて、1万ペソ以上は見たところ4種類。その一番高いものを買った。が後刻、トロントの税関で没収されたのが、悔やまれる。今回、税関とは相性が悪い。
 6人合流し、バスでサンチャゴ空港へ。
21:20発AC93便でトロントに。


   2/8 29日目 乗り継ぎ

ここで羽田組と成田組に3名ずつ分かれる。羽田組は荷物スルーで乗り換え、我々は国内線のためか荷物をピックアップし、入国ゲートに回される。入国書類を書かされ、一般フロアーに。エレベータで階上に上がり、出国エリアに行く。一般客同様に順番に税関を通過しようとしたら、係員に拒否され誘導される。
小さなトランスファーのための入り口があった。分かりづらい。可笑しいとは感じていたが。
 8時発AC153便でバンクーバーに。今度は荷物がスルー。バンクーバー発AC3便で成田に。


   2/9 30日目 帰国
 
成田16時40分到着。旅が終わった。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
3.5
交通
5.0
同行者
友人
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
航空会社
エアカナダ アルゼンチン航空 アビアンカ
旅行の手配内容
個別手配

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  • イキトスのレストラン<br />これで一人前。どう見ても3人前。

    イキトスのレストラン
    これで一人前。どう見ても3人前。

  • クスコ。<br />果物屋を手伝う可愛い姉弟<br />笑顔が素晴らしい

    クスコ。
    果物屋を手伝う可愛い姉弟
    笑顔が素晴らしい

  • 晴れ渡ったマチュピチュ

    晴れ渡ったマチュピチュ

  • クスコの朝。<br />小さなナイフ1本で素早くジャガイモとゆで卵を薄切りに。<br />屋台の素朴な料理。

    クスコの朝。
    小さなナイフ1本で素早くジャガイモとゆで卵を薄切りに。
    屋台の素朴な料理。

  • レストランお奨め料理<br />油のない炒飯様 28ソル

    レストランお奨め料理
    油のない炒飯様 28ソル

  • サン ペドロ デ アタカマ<br />HOSTEL LASKAR。<br />砂漠の中の宿

    サン ペドロ デ アタカマ
    HOSTEL LASKAR。
    砂漠の中の宿

  • イグアスの滝<br />悪魔ののど笛<br />濡れるのは覚悟

    イグアスの滝
    悪魔ののど笛
    濡れるのは覚悟

  • パラグアイ<br />asociacion japonesa de la paz<br />成功した開拓の印し。体育館も併設

    パラグアイ
    asociacion japonesa de la paz
    成功した開拓の印し。体育館も併設

  • メンドーサのブドウ園<br />地面近くにブドウがびっしり。

    メンドーサのブドウ園
    地面近くにブドウがびっしり。

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