2016/02/24 - 2016/02/24
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ドクター白鳥さん
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今を時めくヤマザキマリの講演を聴いてきました。
さすがに笑いをとりながらのお話は旨いですし、彼女ならではの視点も、ちょっとだけありました。
Bは日本でも大人気の画家。
昨年も来ていました。
世界でも現在同時進行でロンドン、ベルリンでB展行われています。
作品の取り合いになりますが、日伊友好150年ということで、いい作品が来ています。
しかし、日本の美術館は閉まるのが早いですね。5時ころには閉まってしまう。今夜は8時までゆっくりしてください。
さて、一言でいえば、Bはルネッサンス・バブルの寵児です。
監修の、、さんともその理由を聞いてみましたが、グラフィック的要素が人気のもとではないか?とのことです。
手がくにゃっとして、浮世絵みたいだったり、
輪郭線がはっきりしていて、漫画的だったり。
自分的には、Bの絵を初めて見たとき、フジタを思い出しました。細い線で輪郭を描いたり(平面的なところも)。
Bのころは、まだ作品にサインを入れる時代ではなく、リクエストに応じて、その枠の中で描く時代。
生い立ちは、オニサンティの職人街、父はなめし革職人。今その場所は、フローレンスアートギャラリーというしゃれた名前の店になっていますが、職人一家が住むがやがやした家だったと思われます。父親に先見の明があったからか、息子は絵画職人にしました。絵がうまかったし、職人の中でも、絵画部門は稼ぎ頭だったからでしょう。
当時フィレンツェを支配していたのはメディチ。
金持ちになると、行動はきまって、豪華な家、一族の肖像、宗教画の時代だから、その中に一族を盛ったり、おしゃれな姿などで見せびらかします。
たとえば、アメリカ発見の一族ヴェスプッチ家も、祭壇画にじぶんたちの肖像画を、Bのライヴァル、ギルランダイオに描かせています。
現代アメリカでいえば、ロックフェラーの摩天楼、車、肖像といったところ。たった400年前なので、ローマ人の考え方よりはよほどわかりやすい。
そんな時代背景で、Bはフィレンツェの人気工房に弟子入りします。
ローマ時代のものがいろいろ発掘され、人間力を再興しよう、というのがルネッサンスです。中世にみなあきあきしだしたころ。写実的な絵も描けなくなっていたのに、ローマ時代にはすでに生き生きしたラオコーン像などが作られていた。当時の人からすれば、宇宙人の作ったもの?みたいな感じでした。
最初の師匠フィリッポ・リッピは、イコンを美しい女性で描きました。女好きだったから。少しさかのぼること14世紀に、ジョットがまず、聖母子に角度をつけたり、互いの視線を絡ませたりし始めて、みんながまねるようになっていた。
私が好きなウッチェロは理系の人、幾何学的な背景などはすごくうまいが、顔は下手。この絵を出すとみんな笑うので、ウには申し訳ないが(聖母子の顔が本当に戯画のよう)、本当はウの展覧会をしてほしいと思うほど、好きな画家です。
さらにBは、もと修道女の美人の妻をモデルに、父リは大人気の聖母子を描く。
そんな父リに、おそらくオニサンティの教会仲間のヴェスプッチ家にも口をきいてもらい、弟子入り。
その後、ヴェスプッチの娘、シモネッタをモデルに、たくさんの絵を描くことになります。
父リが、故郷スポレートの祭壇画を描くために帰郷し、ほどなく死亡。
そこで、フィレンツェ子のBは、ヴェロッキオに弟子入りしなおします。
ここは当時の大工房、なんでも手がけていました。
弟弟子にダヴィンチがいますが、ヴィンチ村出身の田舎者に対し、Bは都会っ子ですから、そりがあいません。
ゲイだったかどうかもわかりませんが、美人画は動きがなく平面的ですが、少年をモデルにした天使はとても生き生きと描けています。
Bは記録が少なく、その人生はなぞに包まれていますが、ダヴィンチは、Bの悪口を手記に書き残していて、Bの人となりが透けて見えます。水ぶくれみたいなあほう、とか、スポンジを壁に投げつけてできた模様を「風景みたいだ」というのを聞いて、バカナ!と怒ったりしている。風景描写が下手だ、とか。
しかし、Bはロレンツォなどと、アカデミックな遊びに興じることができたが、学校に通ったこともない天才児ダヴィンチは、孤独で、グループに帰属することができないのでした。そういう意味では、現代でいえば、Sジョブスみたいな感じです。人文と理系のはざまの天才といえるでしょう。
Bはメディチがローマに芸術団を派遣したときにも選ばれますが、ダヴィンチは選ばれず、悔しがっています。しかしBはシスティーナに、観光客があまりめにとめない宗教画をかいたものの、父の死やフィレンツエ恋しさで、1年で帰郷。
その後は、サボナローラの影響を受けるようになり、かつての名声は失われていきます。
今回来た作品では、ラーマ家の東方三博士に、メディチ家をえがくとともに、自信に満ちた自画像を描きこんでいます。めだたないけど一番おしゃれな服をまとっています。
オニサンティ教会の聖アウグチウス像は、ヴェスプッチをモデルに描いています。遠近法はあまり得意ではなかったため、壁や柱は、ギルランダイオに直されています。
晩年の作品は、寓意画を描いたり、中世に後戻りしています。借金のかたに描いたり、いかにもやる気なさそうです。最後は借金まみれで亡くなり、家族が相続放棄したほどです。結婚した記録はのこりません。
時代の寵児にふさわしい死に方だったと言えるかもしれません。
―――――
フィレンツェに愛し愛され、そのためローマやミラノ、フランスで活躍したルネッサンス三大巨匠の仲間入りができなかったのかも。
平面的な絵だったり、手が変だったり、輪郭線描いたりするのは、この時代としては下手だったから?と理解していたけど、彼は意識してそう描いていたのかな?というのが垣間見える講演会でした。
- 旅行の満足度
- 4.0
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