2011/03/17 - 2015/10/26
1598位(同エリア6125件中)
ブランメル伊達さん
- ブランメル伊達さんTOP
- 旅行記267冊
- クチコミ48件
- Q&A回答0件
- 146,369アクセス
- フォロワー35人
平成28年3月11日東日本大震災発生から5年が経った.
この5年,宮城岩手の沿岸部の状況を見ることが多かったので写真を挙げてみた.
こちらは岩手編.
旅行記ではありません.当時の被災状況の写真が多々あるのでご注意を.
2011年5月撮影分はまだまだ車を停める所も少なく運転しながらのものも.
岩手編だが八戸市より順に南下する形で羅列する.
今,5年経ち復興の道のりのどの位置にいるのだろうか.
PR
-
岩手編といいつつ八戸漁港から.
岸壁にのし上がった漁船.後日解体.
2011年3月17日撮影.
地震時は仙台にいたが翌日国道4号を北上し八戸に入った. -
八戸港の被災状況.
2011年3月17日撮影.
10日ほどいたが,電気は2,3日で復旧.
物もガソリン,冷凍食品以外はあったと記憶している.
4月10日過ぎに戻った際は港以外は日常にかなり戻っていた. -
八戸港の防波堤.
先端の灯台.左側に防波堤が続いていたが津波で大部分が流失した.
2年半ほどで復旧.
2011年3月17日撮影. -
ここからは岩手県.
洋野町陸中八木駅付近のJR八戸線.
鉄橋が落ちて橋脚を残すのみ.
2011年5月撮影.
八戸から仙台まで海岸沿いを南下した際のもの.
この時が震災後,仙台・八戸の港以外の被災地を初めて見た機会だった. -
1枚前の鉄橋と同じ箇所.
2012年4月撮影.
八戸線の復旧は比較的早かった. -
洋野町JR八戸線.たぶん橋が落ちた箇所の少し北側.
レール,下の砕石みんな流されていた.
線路跡かどうかも判別しづらい.
2011年5月撮影. -
1枚前と同じ場所.2012年5月撮影.
砕石が盛られ,レールを敷き直されていた. -
久慈市宇部町付近.
この辺から道路際の瓦礫が増えてきた.
2011年5月撮影. -
野田村.
町がまるごと無くなっていた.
最初のショックを受けた場所.
1枚前の瓦礫はこのあたりから運ばれた物と思われる.
2011年5月撮影. -
野田村.
防潮堤も決壊している.
2011年5月撮影. -
野田村下安家付近.
防波堤がずれている.
2011年5月撮影. -
普代村に入る.村民を救った水門.
15.5mの高さがあり2m程超えたようで,もう少し高い津波でだったならどうなったかはわからない.建設当時の村長の信念というか執念が村を守ったのではなかろうか?
地震か津波かわからないが床版が落ちていた.
2011年5月撮影. -
普代村水門の海側.
左の堤防が水門付近.
その前はゴミと倒された木々.
2011年5月撮影. -
普代村の水門.
水門下50cmまで津波が来たそうだ.
紙一重だ.
落ちていた床版は直されていた.
2013年5月撮影. -
普代村水門脇の顕彰碑.
水門を作った当時の村長を顕彰している.震災後建てられた模様.
「二度あったことは、三度あってはならない」だそうだ.
2013年5月撮影. -
普代村から南しばらくは海岸段丘が続き,北山崎などの景勝地がある.
その田野畑村の景勝地北山崎.
相変わらず静かなところだ.
ここから津波を呆然と眺めた人もいるのだろう. -
続く海岸段丘,海際に集落はない.
段丘が途切れる辺り,田野畑村机付近の漁港.
防波堤が壊れている.
2012年4月撮影. -
田野畑村明戸付近.
小さな集落とキャンプ場などがあったと記憶しているが,何も無くなっている.
防潮堤も壊れていた.
2012年4月撮影. -
田野畑村羅賀の平井賀水門.
三陸鉄道をモチーフにしている.
車窓が割れたままになっていた.
2013年4月撮影. -
三陸鉄道島越駅.
高架橋が通り駅舎が附属していた.
一部橋脚を除き流出した.
2012年4月撮影.瓦礫撤去はほぼ終わっていた.
あまちゃんの撮影でもこの付近が使われた. -
三陸鉄道島島越駅.上の写真の1年後.
復旧工事が始まっていた.
この時期北リアス線で運休していたのはこの前後だけ.
2013年4月撮影.
そして1年後全線復旧. -
島越の漁港.
どうなったらこうなるのか.
2013年4月撮影. -
鵜ノ巣断崖.
島越から一度国道45号に戻り再度段丘部へ.
ここは北山崎以上に寂しいところだ.
レストハウスも何も無い.
津波襲来時引き波でかなりの部分の海底が露わになったそうだ.
2013年4月撮影. -
岩泉町小本港.
テトラポッドが散乱している.
2012年4月撮影. -
岩泉町茂師漁港.
ここも防波堤が倒壊.
2012年4月撮影. -
岩泉町茂師漁港.2012年4月撮影.
左が国道45号の橋.
正面の岩場を見てみると・・. -
木に漁具が引っ掛かっている.
この高さまで津波が来たようだ. -
宮古市田老.
2011年5月撮影.
45号沿いに瓦礫が散乱していた. -
宮古市田老.2011年5月撮影.
防潮堤の南端部.
この辺りしか駐車できなかったと記憶している. -
宮古市田老の防潮堤.2012年4月撮影.
Xの交点付近より北東側.手前が決壊箇所.
瓦礫は殆ど撤去されていた. -
宮古市田老.漁港では起重機船が入り復旧工事が始まっていた.
2012年4月撮影. -
宮古市田老地区.津波到達地の碑.
2013年4月撮影.2年も経過すると宮古市内にはこういった碑が建てられるようになった.
これは標高15mくらいの箇所にあった. -
たろう観光ホテル.
3階まで浸水したようだ.遺構になる模様.
語り部として当時の映像を見せつつ活動しているそうだ. -
宮古港の様子.岸壁がガタガタ.
2012年4月撮影. -
宮古港の様子.2012年4月撮影.
防波堤もガタガタ. -
1年後のほぼ同アングル.
防波堤が復旧していた.
2013年4月撮影. -
宮古市内45号線沿いの様子.
2011年5月撮影. -
宮古市内45号線沿いの様子.
2011年5月撮影.
ドラッグストアの壁の抜けている. -
宮古市高浜付近.
国道45号線,道路脇は宮古湾.
船が打ち上げられていた.
2011年5月撮影. -
宮古市45号線沿いの様子.
温泉施設の1階の壁は抜け鉄骨が露に.
後日閉鎖されたそうだ.
2011年5月撮影. -
宮古港と防潮堤.
所々決壊している.また背後のコンクリート被覆がほとんど流出している.
2012年4月撮影. -
宮古市重茂半島の姉吉漁港.
姉吉漁港は本州最東端のとどヶ崎への入り口にあたる.
とどヶ崎へは港より歩きで1時間ほどかかるのでこの時は行かなかった.
漁港の背後に民家は無い.津波で流されたのか?否.
その答えは・・・.
2013年4月撮影. -
姉吉漁港背後に民家がない答えはこれ.
「此処より下に家を建てるな」で一躍有名になった石碑である.
これより低い位置には確かに民家は無く
上に10数軒の家がある.2013年4月撮影. -
大津波記念碑から海側の様子.海は見えない.
奥のカーブミラー付近まで今回の津波がきた模様.
田老で撮影した到達の石碑が設置されていた.
2013年4月撮影. -
山田町大沢付近.
ファッションセンターも壁がぶち抜け,駐車場には瓦礫の山.
2011年5月撮影. -
山田漁港.
立派な防潮堤も見るも無残な姿に.
2011年5月撮影. -
山田漁港の様子.
大きな擁壁もひっくり返っていた.
2011年5月撮影. -
山田町内の様子.
津波で地盤が洗掘され沈下した建物.
2011年5月撮影. -
山田町の様子.
2012年4月撮影.
瓦礫は撤去され,砕石の道路や大型土嚢が設置されていた. -
山田湾.2013年4月撮影.
静かな水面. -
山田町の様子.
2015年10月撮影.
鋼管杭が打たれ,そこにコンクリートの壁がはめ込まれる形の防潮堤が作られていた. -
山田町船越地区.
橋の下の擁壁が倒壊している.
2012年4月撮影. -
山田町船越地区.
流された車置き場.
山田でも火災が発生したので燃えたものかと思われる.
2012年4月撮影. -
山田町船越漁港.
ここも防波堤が倒壊.
2012年4月撮影. -
JR山田線岩手船越駅.
ホームに立つ本州最東端の駅の案内板.
これに迎えられる列車は走っていなかった.
2012年4月撮影. -
3年後の岩手船越駅.
草だけ伸びた.相変わらず列車は走らず.
山田線は三陸鉄道に移管される模様.
2015年10月撮影. -
大槌町吉里吉里地区.
砂浜に横たわる防潮堤.
奥の反り返る壁が津波で流されたもの.
2012年4月撮影. -
大槌町吉里吉里地区.
45号沿いの様子.
2011年5月撮影. -
大槌町吉里吉里地区.
45号沿いの様子.ボロボロの観光バス.
2011年5月撮影. -
大槌町の中心部の様子.
大槌町役場.2011年5月撮影.
2015年現在解体か遺構として存置が議論中. -
旧大槌小学校.2011年5月撮影.
上層階が焦げている. -
旧大槌小学校.2012年4月撮影.
小学校は他校と統合し移転したそうだ.
建物はこのあと修復され役場庁舎となっている. -
大槌町内JR山田線の鉄橋.
橋脚のみ残る.下には流出後運ばれた橋桁が.
2012年4月撮影. -
旧大槌町役場庁舎で止まったままの時計.
2012年4月撮影.
津波が来襲した時間だろう. -
大槌町蓬莱島.
津波をかぶりお堂や灯台は流出したようだが早期に復旧した模様.
2013年4月撮影. -
釜石市片岸町付近の国道45号沿いの様子.
津波想定区域の看板より遥に奥まで津波が到達しているようだ.
2011年5月撮影. -
釜石市鵜住居付近の様子.
この辺りの瓦礫撤去は少し遅かったようだ.
2011年5月撮影. -
釜石市両石付近の国道45号線沿いの様子.
奥が両石湾で10mほどの防潮堤があったが倒壊している.
こけたコンクリート塊が奥に写る.
2011年5月撮影. -
1年後の両石.
正面の三角が壊れた防潮堤の端部.
洗掘されていた箇所も砕石で埋められていた.
2012年4月撮影. -
釜石市中心部の様子.
2011年4月撮影.
道路以外は瓦礫の山. -
釜石市中心部の様子.
瓦礫・瓦礫・瓦礫.
鉄筋コンクリート造の建物が多いため,一面何もないという訳ではなかった.
2011年4月撮影. -
2013年4月の釜石中心部.
瓦礫及び使えない建物の撤去が進み更地が多くなっていた.
崖の上が多くの人が避難した場所. -
2012・13年頃になると到達箇所を示す看板が建物に付けられるようになった.
写真は釜石の港湾合同庁舎の設置されたもの.
2013年4月撮影. -
釜石市唐丹の様子.
防潮堤の外側は悲惨な状況.
2011年5月撮影. -
大船渡市越喜来の様子.
2012年4月撮影.
壊れた防潮堤もそのまま. -
大船渡市越喜来の様子.
2012年4月撮影. -
大船渡市越喜来地区の三陸鉄道三陸駅.
2013年4月3日に南リアス線が全線再開している.
車が不可欠な場所だが,鉄道を不可欠としている方がいるのも間違いない.
2013年4月撮影. -
大船渡市三陸鉄道恋し浜駅.
小石浜地区のホタテのブランドにちなんで駅名も変更しているようだ.
2013年4月撮影. -
恋し浜駅からの風景.
奥に越喜来湾.過去の教訓か高い場所に建つ家が多い.
2013年4月撮影. -
大船渡市綾里漁港.
津波遡上高で有名になった綾里湾内にはなく,綾里崎を挟んで反対側(大船渡寄り)である.
漁港の復旧は少しずつ行われていたが撮影した水門は手付かずの状態だった.
2013年4月撮影. -
大船渡市街の様子.
レストランの看板も傾く.
2011年5月撮影. -
大船渡市街の様子.
これまたひどい.
2011年5月撮影. -
大船渡商工会議所.
2014年9月撮影.当時のまま残る. -
大船渡港の様子.
防潮堤建造中.
これができると港の様子は見えなくなる.
2014年9月撮影. -
3ヶ月ほどいた大船渡の職場近くにいたネコ.
こやつも津波から生き延びた仲間か.
2014年10月撮影. -
こちらは大船渡復興屋台村にいたネコ.
村長と呼ばれていた.
会えたのは一度きり.
2014年9月撮影. -
大船渡市門之浜の防潮堤.
10m近くはあろうかと.切れている部分から右側が津波で倒壊したようだ.
2013年4月撮影. -
大船渡の景勝地穴磯通.
人っ気のない場所を歩く必要あり.熊注意の看板も.
2014年10月撮影. -
2011年5月撮影陸前高田市の市営住宅.
4階まで窓が突き抜けている.
一番衝撃を受けた光景. -
陸前高田市の市営球場.
震災前は松原に囲まれた球場だったと記憶している.
地盤が沈下し水没していた.
2011年5月撮影. -
陸前高田国道45号線沿いの様子.
なんの建物かもわからない.
2011年5月撮影. -
陸前高田国道45号線沿いの様子.
道路の両脇は水没.
2011年5月撮影. -
陸前高田市街の様子.
2011年5月撮影.
瓦礫とわずかに残る鉄筋コンクリートの建物. -
陸前高田市奇跡の一本松.
2012年4月撮影.
既に植物ではない. -
陸前高田市2014年11月の様子.
旧市街地に盛土地盤造成のために作られたベルコン施設.
現在では造成も終わり解体中である.
なんでもかんでも残さなくていいよ.
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ブランメル伊達さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
95