2015/12/23 - 2016/01/02
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worldspanさん
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この旅行記のスケジュール
2015/12/23
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中米の旅行に訪れるまで、ニカラグアのイメージは他の中米諸国同様にどんな国なのか、全く想像が付かなかった。そもそも中米諸国は何カ国あってどメキシコからコロンビアまで領域でどの国がどのように並んでいるのかすら判らなかった。
しかし訪れて建物を見、この建物にどのような歴史が刻まれているのか気になり、文献を調べ歴史を紐解くととても面白く感じ、付け焼刃ではあるがそれなりに歴史がわかってくる。
今回訪れたニカラグア第4の町、グラナダはかつてニカラグアの首都としても栄えた由緒ある町。しかし1857年に米国人の放火により町は火の海と化し、多くの歴史的建造物は破壊されてしまった。瓦礫と化したグラナダは修復され、現在はニカラグアきっての観光都市となった。今後ニカラグア運河がニカラグア湖を通り、2020年に開通する。そうなればニカラグア湖畔に位置するグラナダは更なる飛躍を遂げるかもしれない。
~~~~~~旅程~~~~~~~~
12/23 関空6:40⇒羽田7:40
成田18:15⇒バンクーバー10:15(日本航空)
※航空券はKIX~YVRを通してJALマイレージで手配
12/24 バンクーバー6:00⇒ロサンゼルス8:55(アラスカ航空)
ロサンゼルス10:52⇒メキシコシティ16:51(アエロメヒコ)
12/25 メキシコシティ1:30⇒キト7:30(アエロメヒコ)
※航空券はYVR~UIOを通してスカイマイルで手配
12/25 キト18:28⇒パナマ20:30(コパ航空)
12/26 パナマ11:50⇒サンペトロスーラ13:10
(アエロリプブリカ)
※航空券はUIO~SAPを通してUAマイレージで手配
12/27 サンペトロスーラ7:05⇒エルサルバドル7:53(アヴィアンカ)
エルサルバドル8:35⇒ベリーズシティ9:40(アヴィアンカ)
※航空券はSAP~BZEを通して購入)
12/28 ベリーズシティ12:15⇒エルサルバドル13:20(タカ航空(AV))
エルサルバドル20:06⇒ボゴタ0:01(タカ航空(AV))
※航空券はBZE~BOGを通してUAマイレージで手配
12/29 ボゴタ18:08⇒パナマ19:54(コパ)
パナマ21:20⇒マナグア22:07(アエロリプブリカ(CM))
※航空券はBOG~MGAの通してUAマイレージで手配)
12/30 マナグア16:33⇒サンホセ17:45(ラクサ航空(AV))
12/31 サンホセ8:46⇒グアテマラシティ10:33(アエロリプブリカ(CM))
※航空券はMGA~GUAを通してUAで手配)
12/31 グアテマラシティ19:25⇒メキシコシティ21:42(アエロメヒココネクト(AM))
1/1 メキシコシティ7:05⇒ロス9:00(アラスカ航空)
※航空券はGUA~LAXを通してスカイマイルで手配
ロス13:10⇒
1/2 ⇒関空18:40
※航空券はLAX~KIXでJALマイレージにて手配。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 自転車 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- アメリカン航空 アエロメヒコ航空 アラスカ航空 アビアンカ コパ航空 JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- エクスペディア
PR
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コロンビアのボゴタをコパ航空で出発し、パナマシティで乗り継ぎニカラグアの首都マナグアへ。
マナグア国際空港はマナグア市内に近いので着陸時に夜景が良く見える。これだけクリスマスのイルミネーションに彩られているのであれば、マナグアの治安は悪くなさそうな気がする。実際に知り合う人に訪ねても、危険なエリアはあるが基本的には治安は近隣諸国と比べればよいとのこと。アウグストセザールサンディノ国際空港 (MGA) 空港
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マナグア国際空港に到着し、アライバルホールに出たのは23時前、夜も遅いので空港からタクシーでグラナダを目指した。空港からグラナダまでタクシーで約1時間だ。
グラナダで予約したホテルは2015年にオープンしたばかりのホテル、リアル・ラ・メルセー。Hotel Real La Merced ホテル
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ホテルにチェックインしたときには既に深夜だったので、ホテル内も静寂だ。
Hotel Real La Merced ホテル
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ホテルは中庭を囲うように作られており雰囲気はよい。唯エレベータがないのでスーツケースだとちと大変そう
Hotel Real La Merced ホテル
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ホテルの外観。外観からは中庭があるように全く感じない。
Hotel Real La Merced ホテル
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ホテルにはレストランがあり、教会に面しているので、宿泊客以外のお客もいる。
Nicafe Hotel Real la Merced その他の料理
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デザートはフルーツがいっぱいあってとてもおいしかった。
Nicafe Hotel Real la Merced その他の料理
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ホテルの朝食は地元のパンケーキを注文したが、出てきたのは単なるパンケーキ。。。残念!
Nicafe Hotel Real la Merced その他の料理
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ホテルはグラナダ市内の中心部に位置し、その名の通りラ・メルセー教会の目の前にある。付近の治安は良いので、夜歩きも可能だとのこと。
早朝、ホテルから眺めたグラナダ市内の様子。 -
正午にはグラナダを出発し、空港に向かうので早朝から町歩きを開始!古い町並みが残り治安も良いグラナダは、ニカラグアの主要観光地の一つだ。
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ホテルの目の前にある、メルセー教会。1534年に建設された。しかし海賊による破壊等を受け、現在の姿になったのは1862年の事だ。
メルセー教会 寺院・教会
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メルセー教会の聖楼には観光客ものぼることができる。聖楼からの景色は素晴らしくおすすめのスポットだ。
メルセー教会 寺院・教会
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メルセー教会はウィリアム・ウォーカーにより1857年、グラナダに火をつけられ、街は大火に襲われ、メルセー教会も甚大な被害を受けた。
メルセー教会 寺院・教会
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イチオシ
聖楼には1ドルを支払えば登ることができる。聖楼からの景色は最高だ!
メルセー教会 寺院・教会
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聖楼からはグラナダ市内を360度眺めることができる。グラナダに海賊が押し寄せたっていうのは、一体どこからなのだろうか?ニカラグア湖からカリブ海に流れる河川があるが、河川をのぼり、湖に出現したのだろうか??
メルセー教会 寺院・教会
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バロック様式のカテドラルの向こうに見えるのがニカラグア湖。
グラナダ大聖堂 寺院・教会
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梟雄ウィリアム・ウォーカーにグラナダの町が焼かれたときにカテドラルも被害を受け、再建されたのは1915年の事だ。
グラナダ大聖堂 寺院・教会
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グラナダは人口が約11万人。ニカラグアで4番目の規模の町だ。名前からピンと来るとおり、スペインのグラナダにちなんで名づけられた。
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ニカラグア最大の湖、ニカラグア湖に面した町は16世紀にスペイン人が建設以来、ニカラグアで最も反映した町のひとつだった。
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ニカラグアにはグラナダと双璧を成す観光都市がある−レオンだ。グラナダもレオンも1524年にスペイン人により町が作られた歴史ある町だ。
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ニカラグアは1821年にメキシコ帝国に併合されたがその後分離し、1823年から1839年の間は中央アメリカ連邦を形成する変遷を遂げレオンを首都として独立した。
しかしニカラグアの二大都市において、グラナダは保守層の色彩が強く、レオンはリベラル層が強いことから、レオンとグラナダは度々対立した。こうしたことがニカラグアはアメリカの介入を与える隙を与えこととなった。 -
まず干渉したのは米国人の傭兵、ウィリアム・ウォーカーだ。ウォーカーはレオンを主とする自由党の傭兵として招聘され、1855年グラナダに上陸した。
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ウォーカーは保守層の牙城、グラナダを占領し、自由党から傀儡大統領を擁立、自ら軍の最高司令官として君臨した。彼がわずか31歳の時のことだ。
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ウォーカーは傀儡大統領と対立し、翌年1856年には自らニカラグアの大統領となった。しかし彼が中米の人心を決定的に失わさせる施策を講じる。
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ウォーカーは何とニカラグアで廃止されていた黒人奴隷制度を復活させ、アメリカ人がニカラグアへ進出しやすいような法律を制定し、ニカラグアの公用語を英語とした。
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グラナダ市内の西端側にある教会、サルテヴァ教会(Iglesia de Xalteva)。元々スペインの占領時代に教会が建てられていたが、現在の姿に再建されたのは1921年の事。
サルテバ教会 寺院・教会
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内戦や1890年の震災で甚大な被害をこうむったが、現在のサルテヴェ教会はその用のなことを全く感じさせない美しい姿だ。
サルテバ教会 寺院・教会
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マリア・アウシリアドラ礼拝堂(La Capilla Maria Auxiliadora)。サルテヴァ教会のあるサルテヴァ通りに位置する。1922年に建設された比較的新しい教会で、中米では珍しくネオゴシック様式の教会だ。しかもブルーとホワイトを基調とした外観もとても目を引く。
マリア アウシリアドラ礼拝堂 寺院・教会
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この教会の特筆は内部は淡い青色で彩られ礼拝堂は緑色を基調としていること。
マリア アウシリアドラ礼拝堂 寺院・教会
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美しい礼拝堂。
マリア アウシリアドラ礼拝堂 寺院・教会
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サルテヴェ教会の前にはサルテヴァ公園が広がっている。公園では地元の人の憩いの場となっているが、近くの建物は遺跡のようになっている。
サルテバ公園 広場・公園
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グラナダの中央公園に面した老舗のホテルアルハンブラ。1898年に邸宅として造られ、1953年にホテルとなった。クラシカルな内装が人気があり、カテドラルの目の前にある場所は絶好だ。
Selina Granada ホテル
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グラナダの中心部、中央公園は市民の憩いの場だ。
中央公園 広場・公園
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中央公園にはお土産店も軒を連ねる。
中央公園 広場・公園
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さて、黒人奴隷制度の復活や英語を公用語にするなどしたウィリアム・ウォーカーはニカラグア国内だけでなく、中米諸国からも強い反発を招いた。
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当時中米はニカラグア国内と同様に保守派とリベラル派の対立が激しい上、グアテマラとエルサルバドルとの不和など一枚岩ではなかったが、ウォーカーの脅威にかつて中米連邦を形成した旧中央アメリカ連邦の諸国(グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ)が足並みをそろえた
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かつて中米連邦を形成していた中米連合にはイギリスの財閥も味方し、ウォーカーと対峙した。中米連合軍はコスタリカのモーラ大統領を中心に固まった。
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ウォーカーは中米連合軍との戦いに後退し、1857年にグラナダから撤収せざるを得なくなり、太平洋岸のリバスに逃れた。ウォーカーは撤退の時、拠点においたグラナダの町に火を放った。
ラ カルサダ通り 散歩・街歩き
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グラナダはウォーカーの放火により、甚大な被害を受けることとなった。
ラ カルサダ通り 散歩・街歩き
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その後、ウォーカーはリバスで米国海軍に保護され米国に帰国することとなる。
ラ カルサダ通り 散歩・街歩き
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グラナダの町を破壊したウォーカーは、その後どうなったのか?
彼は中米への野心を捨てきれず、1860年に再び中米を目指す。ラ カルサダ通り 散歩・街歩き
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ウォーカーはホンジュラスに上陸するが、上陸地での支持を得られなかったウォーカーはホンジュラスの隣国、英領ホンジュラス(現在のベリーズ)に駐留するイギリス海軍に捕まった。
ラ カルサダ通り 散歩・街歩き
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その後イギリス海軍はホンジュラスに引き渡し、ウォーカーは1860年に銃殺により処刑された。享年36歳であった。
ラ カルサダ通り 散歩・街歩き
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一方、中米連合軍を率いたコスタリカのモーラ大統領はどうなったのか?
ウォーカーとのリヴァスの戦いで勝利した中米連合軍であったが、主力のコスタリカ軍はコレラに罹患した兵士がおり、コスタリカに帰国後コスタリカ内にコレラが蔓延し、人口の1割が亡くなる大惨事となった。 -
そしてコスタリカは政情不安となり、1859年にコスタリカでクーデターが発生した。モーラ大統領はウォーカーとの戦いの英雄にもかかわらず、コスタリカから追放され、エルサルバドルに亡命することになった。
ラ カルサダ通り 散歩・街歩き
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モーラはエルサルバドルでコスタリカへ再起をかけ立ち上がり、1860年にコスタリカのプンタレナスに上陸した。しかし現政権に敗北し捕えられ、同年に処刑されることとなった。
ラ カルサダ通り 散歩・街歩き
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ウォーカーとモーラお互い敵同士であったが、二人とも一度は落ち延びるが、いずれも再起をかけたが、同じように銃殺されることとなるなんて、皮肉なものだ。
ラ カルサダ通り 散歩・街歩き
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中央公園からニカラグア湖まで伸びるカルサダ通り。色とりどりの建物が立ち並び雰囲気も抜群だ。
ラ カルサダ通り 散歩・街歩き
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グアダルーペ教会(Iglecia de Guadalupe,Calle La Calzada )。1626年に建設された歴史ある教会だが、1857年のウィリアム・ウォーカーの放った火災に呑まれてしまい、大きな被害を受けた。
グアダルーペ教会 寺院・教会
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内部が新しく見えるのは火災による被害の修繕が1965年まで費やされたことにある。
グアダルーペ教会 寺院・教会
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ウォーカーの行ったことは、中米連合軍から追い立てられ逃げ延びなければならないため町に火を放たなければならなかったのかもしれないが、グラナダの歴史的な建物のほとんどを破壊され、非常に残念だ。
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グラナダはホンジュラスほどではないが12月の気温はやや高く蒸し暑い。そのため、早朝に散策するに限る。
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エミリオ・ベナルド・ドウデ像Emilio Benard Doude (1840-1870)。グラナダ出身の政治家で外務大臣も務めた。ニカラグアでの鉄道敷設やニカラグア運河の構想を推進した。
エミリオ ベナルド ドウデ像 モニュメント・記念碑
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当初大西洋からサンファン川を通り、ニカラグア湖を経てカリブ海から太平洋をつなぐルートを計画していたが、とん挫し実現しなかった。しかし現在再び脚光を浴び、2014年にニカラグア運河が着工した。
運河が開通すれば、今後グラナダは更に注目を浴び、屈指の観光都市に更なる飛躍を遂げるかもしれない。マンゴス通り 散歩・街歩き
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ニカラグア湖に建設されているグラナダ港。サン・パブロ島やオメテペ島への船舶やニカラグア湖を周遊する観光フェリーが発着する。
グラナダ港 船系
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グラナダ港付近は遠浅になっているため船舶が停泊できる場所までかなり桟橋が湖に突き出るように長くなっている。
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中央公園から約1キロ歩くとニカラグア湖が広がり、周辺は緑があふれる観光公園がある。
Malecon de Granada ビーチ
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ニカラグア湖は淡水の湖だが、風が強いせいか、海のように波が立つ。日本の湖とは雰囲気が異なり海のようだ。
Malecon de Granada ビーチ
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以前はグラナダ港に軌道が引かれ鉄道が走っていた。グラナダまで線路が延伸したのは1886年の事だ。
グラナダ港 船系
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しかし需要の少ないニカラグアの鉄道は、1993年に路線の多くが廃止され、2006年にはニカラグアから完全に鉄道は姿を消してしまう。
グラナダ港 船系
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グラナダ港にはかつての大砲がモニュメントとして残されている。
グラナダ港 船系
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コルドバ像。1524年にグラナダを建設したスペイン人だ。コルドバはグラナダとレオンの二大都市を建設した張本人だ。コルドバは1526年に反逆者とみなされ捕らわれ処刑された。現在コルドバという名前は、ニカラグアの通貨の名前として今も生き続けている。
コルドバ像 モニュメント・記念碑
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マンゴス通り(Paseo de los Mangos)。
マンゴス通り 散歩・街歩き
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サンフランシスコ修道院跡 (San Francisco Convento,Calle Cervantes )。元々1529年に建設されたが、1685年に火災の被害を受けた。その後再建されたが、ウォーカーが1857年に町へ火を放ったため、修道院も甚大な被害を受けた。現在の姿に修復されたのは1939年の事で、修道院博物館として歴史的な遺物を展示している。
修道院博物館 (サン フランシスコ修道院跡) 博物館・美術館・ギャラリー
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サンフランシスコ修道院跡の裏側に位置する。ぐるりと塀に囲まれている。
修道院博物館 (サン フランシスコ修道院跡) 博物館・美術館・ギャラリー
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リベラル派のレオンはウィリアム・ウォーカーを招へいしたが、1857年のウォーカーの撤退から力を失い、しばらくはニカラグアではグラナダを中心とした保守派が力を握る。
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1839年に中米連邦から離脱し独立の道を歩いたニカラグア。独立当時はレオンが首都に指定された。
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しかしその後ニカラグアの首都はレオンとグラナダで首都が交互に遷都されていたが、1858年以降はグラナダとレオンの中間点に首都を置くことになった。それが現在のマナグアだ。
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中央広場に面した小さな建物だが、実は市庁舎。元々1751年に建てられていたが、ウォーカーが放火した大火で1857年に破壊されてしまい、1938年に現在の姿に再建された。6本のアーチ型の列柱が美しい。市庁舎にしてはこじんまりしている。
市庁舎 建造物
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現在ニカラグアは、観光都市グラナダやレオンに限らず、中米諸国の中では比較的治安がマシだと一般的に言われている。
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地元ニカラグア人も同様に解釈しており、旧中米5州(グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ)の中ではコスタリカに次いで2番目に治安が安定し国だと言う自負があるようだ。
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ニカラグアは1850年代に米国人のウォーカーにより被害をこうむったが、その後しばらくはグラナダを中心とした保守党政権が続き、ニカラグアは近代化が進む。
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しかし1893年に自由党のセラヤが政権を握ると、米国の資本の援助を得て発展を遂げようと試みた。こうしたセラヤの動きがニカラグアに米国の介入を容易にさせ、ニカラグアはいっそう混乱する。
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米国の思うように動かなくなったセラヤに対し、米国は強烈な不満を抱き、セラヤを失脚させ、代わりに忠実な人物に挿げ替え、その後もニカラグアに影響力を持ち続け、事あるごとに米国はニカラグアに海兵隊を派遣した。
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こうした米国の内政干渉に対し、1920年代に入ると反対勢力も現れはじめる。保守党と自由党による内戦が1927年に勃発すると、米国は海兵隊をニカラグアに派遣し内戦を収拾させた。しかし自由党軍の中でもサンディーノ将軍だけは米軍に対しゲリラ戦で抵抗した。
中央市場 市場
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サンディーノのゲリラ戦は世界初の近代的なゲリラ戦と言われ、現代のベトナム戦争に見るような遊撃作戦を実行し、米国はゲリラ戦に悩まされたのに加え、世界恐慌も重なり、ついに米軍の海兵隊は1933年にニカラグアから撤退した。
中央市場 市場
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しかしサンディーノは1934年、ニカラグア国家警備隊の中でも米国とつながりが強いソモサに暗殺されてしまう。ソモサは以後勢力を拡大し、独裁政権を構築する。
中央市場 市場
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1936年にソモサが独裁政権を構築して以後、親子三代に渡り1979年までニカラグアを支配した。ソモサは反政府勢力は容赦なく虐殺したが、アメリカはソモサを支援した。
中央市場 市場
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米国へのゲリラ戦を展開し、撤退に追いやった、国民的な英雄でもあるサンディーノの死後30年、サンディーノの思想を汲むサンディニスタ民族解放戦線が反ソモサ政権として反攻し、1979年にはニカラグア革命でソモサ一族を打倒する。
中央市場 市場
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サンディニスタ解放戦線は元々反米思想の強いサンディーノの影響を受けている上、キューバ革命にも影響を受けた左翼グループなので、米国も政権を握るオルテガを敵視する。
中央市場 市場
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米国はサンディニスタ解放戦線のオルテガに対抗するため、ファシスト的な独裁者だったソモサの残党を援助した。
中央市場 市場
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革命により、政権を奪取したオルテガだが、内部で対立が続きサンディニスタ解放戦線は分裂し、離脱するグループもあった。
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オルテガが率いるサンディニスタ解放戦線は、分裂し反対派となったパストラ率いる民主解放同盟や旧ソモサ軍といった反対勢力(コントラ)と戦うことになった。
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1976年から1979年まで内戦(第一次ニカラグア内戦)はサンディニスタ解放戦線の革命により終結した。
しかしサンディニスタ解放戦線が政権を握ると、1981年から再び内戦となり、1990年まで続くことになった(第二次ニカラグア内戦、コントラ戦争)。中央市場 市場
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ニカラグアに対するアメリカの内政干渉は顕著なもので、反政府勢力、殊に旧ソモサ軍への軍事支援を行うばかりか、米軍による空襲も行われた。。ニカラグア政府のサンディニスタ解放戦線はこうした米国の軍事介入に対し、1984年に国際司法裁判に訴えた。
中央市場 市場
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最終的には1986年に国際司法裁判で、サンディニスタ解放戦線の言い分は支持され、反政府のコントラは単なる反共ゲリラであるとし、反共ゲリラを支援する米国は敗訴で結審された。
中央市場 市場
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裁判では米国側に即時軍事介入や侵略行為の停止、ニカラグアのサンディニスタ解放戦線に対する多額の賠償金の支払いが命じられた。しかし何と、これを米国は受け入れを拒否、内政干渉を継続した。
中央市場 市場
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国際司法裁判の判決を無視する米国の態度にも転機が訪れる。
当時イランと、イラクが戦争中であり、米国はイラクのフセインを支持し支援していた。しかし裏では米国はイランにも武器を売却し、売却費でニカラグアの反政府勢力でもある反共ゲリラ集団、コントラを支援していたことが1986年に発覚した。
これにより国際社会で米国はニカラグアのコントラを支援する事を即時停止するよう求められた。中央市場 市場
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中南米諸国は米国の態度に怒り、中米諸国でニカラグアの状況を救おうと言う動きが現れ、中米諸国にブラジル、アルゼンチンなど南米4カ国を含めた中米首脳会談が開催され、当事国であるニカラグアのオルテガも招待された。
中央市場 市場
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時が経つにつれ、米国はテロ組織のコントラに対する資金、軍事援助を減少させたために、コントラは窮乏し、ニカラグア政府も財政危機となっていた。
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中南米諸国の働きかけもあり、ニカラグア政府とコントラは1988年に暫定停戦合意し、コントラは1990年に武装解除し、第二次ニカラグア内戦が終結し、ようやくニカラグアに平和が訪れた。
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アメリカの内政干渉に翻弄され続けたニカラグア、現在でもイランとロシアとの関係は深いが、内戦終結後アメリカとも関係を修復し、経済発展(2014年の成長率は4.7%、失業率は6.8%)を続けている。
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市場の近くにはバスターミナルがあり、多くのチキンバスが停車している。グラナダは蒸し暑いので、冷房のないチキンバスの車内は、きっとうだるような暑さなのだろう。
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後部からも降車が行われるなんて知らんかった。
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中央公園に位置するカテドラル。グラナダで最も大きな教会だ。1583年に建設された。1857年にウォーカーによる町への放火で徹底的に破壊されてしまった。現在の姿に再建されたのは1915年の事だ。
グラナダ大聖堂 寺院・教会
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威厳のあるカテドラルだけに1857年の放火により焼け落ちたと言うのが実に惜しくてならない。
グラナダ大聖堂 寺院・教会
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カテドラルの内部。
グラナダ大聖堂 寺院・教会
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カテドラル前の中央公園は緑が多いので、歩き疲れたら木陰で休むとよい。
中央公園 広場・公園
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カテドラルの聖楼には登ることがでる。カテドラル内部に入るのは無料だが、聖楼は別途1ドル支払わなければならない。勿論現地通貨コルドバでも支払い可能だ。
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メルセー教会の聖楼と異なり、カテドラルの聖楼は湖に近いので展望も少しことなる。
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グラナダには観光客を受け入れるおしゃれな宿やレストランの数が多い。ニカラグアでも人気の町のはずだ。
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カテドラルから眺めたメルセー教会。
メルセー教会 寺院・教会
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世界で10番目に広い淡水湖だけあり、まるで海のようだ。
ニカラグア湖 滝・河川・湖
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サンフランシスコ修道院跡がポッコリと頭をだしているように見える。グラナダは高い建物がほとんどないので聖楼からの眺めは邪魔するものがないので良く見える。
修道院博物館 (サン フランシスコ修道院跡) 博物館・美術館・ギャラリー
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カテドラルから見える雲がかかった山はモンバッチョ山?標高が1345mの火山。最後の噴火は1570年だ。
モンバッチョ火山 山・渓谷
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マナグア国際空港には13時に到着した。チケットはアビアンカ航空でコスタリカのサンホセ経由でグアテマラシティ迄マイルで手配した。サンホセを経由する間に一泊する予定でいた。
しかしチェックインカウンターに行くと、驚愕の事実が。何と、予約していた午後のフライトが、予告なしに早朝に変更され、既に飛んでいたのだ!
ここに来て今旅行での2回目のトラブルの発生だ。続きは次回に。アウグストセザールサンディノ国際空港 (MGA) 空港
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