2016/02/05 - 2016/02/05
1558位(同エリア7762件中)
morino296さん
- morino296さんTOP
- 旅行記1223冊
- クチコミ20件
- Q&A回答1件
- 2,701,208アクセス
- フォロワー109人
約30年ぶり2度目の沖縄は雨でした。
今回は、沖縄で開催するシンポジウムのために、職場の仲間と2泊3日で出掛けました。
1日目は、沖縄へ移動と関係者への挨拶、首里城見学。
2日目は、シンポジウム。
3日目は、大浦湾・辺野古の視察後、羽田へ移動。
です。
この旅行記では、首里城を中心に紹介させていただきます。
約30年前の沖縄旅行では、守礼門を見ただけでしたが、今回はしっかりと見学させてもらいました。
*首里城の説明は、首里城公園管理センターのパンフレットとHPを参照しています。
- 交通手段
- JALグループ 私鉄
-
羽田空港
この日のフライトは、JAL907便、8:50発。
沖縄便のゲートは、真ん中なので、あまり歩かずに搭乗できます。
(Tさんと私の二人が先発です。残りのメンバーは午後の便で移動します。)
この時期、東京と沖縄の気温さが大きいので、服装が難しいです。
東京ではコートが必要ですし、沖縄ではコートが不要。
荷物にはなりますが、コートを着て出掛けました。羽田空港国内線第1ターミナル展望デッキ (ガリバーズデッキ) 名所・史跡
-
羽田空港 8:30頃
東京の天気は晴れ、遠くに富士山も見えていましたが、那覇の天気予報は曇り一時雨。
晴れてほしいな!と思いながら出発です。羽田空港国内線第1ターミナル展望デッキ (ガリバーズデッキ) 名所・史跡
-
横浜港の上空
ボーイング777-300は447席とジャンボ並み。
この便の搭乗率は60〜70%でしょうか、翼の後ろの窓側(44K)に座りましたが隣の2席は空いていて楽ちんでした。 -
箱根の大涌谷あたり
噴煙が見えました。大涌谷 自然・景勝地
-
上空から眺める富士山 9:20頃
「やったー!」
富士山が綺麗に見えます。 -
上空から眺める富士山
冠雪は東側の方が広いのですね。 -
上空から眺める富士山
思わず写真の枚数が増えてしまいます。 -
南アルプスの山並み
-
愛知県知多半島の上空を通過 9:35頃
伊勢湾から志摩半島の上空を通過し紀伊半島に沿って進みます。 -
紀伊半島から海上を進みます。
気流も安定していてあまり揺れませんでしたが、沖縄に近づくと前線の影響で少し揺れ出しました。 -
那覇空港上空 11:40頃
那覇の天気は雨、残念。
気温は14〜15℃あったでしょうか。那覇空港 空港
-
那覇空港
11:45頃、定刻通りに到着。
少し揺れましたが、快適なフライトでした。
沖縄の地元の人に伺うと、今年になってからずっとお天気が良くないとか。那覇空港 空港
-
那覇空港
平日のお昼ですが、そこそこ混雑しています。那覇空港 空港
-
沖縄都市モノレール「ゆいレール」那覇空港駅
「日本最西端の駅」だそうです。
2003年8月開業ですので、前回(30年ほど前)沖縄に来た時は、まだ開通していませんでした。
ゆいレールは、那覇空港駅から首里駅まで12.9Km、15駅あります。
(延伸計画があるようです)那覇空港駅 駅
-
ゆいレール那覇空港駅の改札前
沖縄では、プロ野球のキャンプが行われていますが、ジャイアンツは、2月16日から、空港近くのスタジアムでキャンプするようです。那覇空港駅 駅
-
ゆいレール那覇空港駅のアートタイル「ハイビスカス」
ゆいレールの各駅には、それぞれアートガラス、アートタイル、シーサーが飾られています。
ハイビスカスは、沖縄の方言ではアカバナー。
赤や黄色が鮮やかで、雨風に強く、沖縄ではよく垣根として屋敷の廻りに植えられているそうです。那覇空港駅 駅
-
ゆいレール那覇空港駅のアートガラス「県花と琉球古典舞踊」
沖縄を象徴する県花「デイゴ」。
紅型と花笠を身に着けた華やかな古典女踊り「四つ竹」によって沖縄のイメージと、歓迎の意を表現しているそうです。
(シーサーの写真は撮り忘れました。)那覇空港駅 駅
-
ゆいレール那覇空港駅
駅構内にステンドグラスの絵もありましたが、障害物があって全体は見えませんでした。
折角の絵が勿体ないですね。那覇空港駅 駅
-
ゆいレール那覇空港駅
2両編成のモノレール、約10分間隔で運行しています。
終点まで乗っても約30分。
この日は、ホテルの近くの旭橋駅まで乗車。
一日乗車券は700円、3回以上乗る場合はお得になります。
また、首里城の入場料が団体料金に割り引かれます。那覇空港駅 駅
-
ゆいレール旭橋駅のアートガラス「世界最大の那覇大綱挽」
旭橋駅は、国道58号線の大綱挽会場に近ことからこの絵が使われて入るようです。
ギネスブックにも登録されている最大の大綱で、市民の誇りと心意気を表現ているそうです。旭橋駅 駅
-
ゆいレール旭橋駅のアートタイル「クマノミ」
カラフルな容姿で人気のかわいらしい海水魚。
イソギンチャクの中で生活しています。旭橋駅 駅
-
雨の国際通り(県庁前) 13:10頃
ホテルに荷物を預け、昼食をいただき、時間調整で国際通りを少し散策しました。おきなわ屋 (スクランブル店) お土産屋・直売所・特産品
-
国際通り入り口(県庁前)
シーサーも雨に濡れています。おきなわ屋 (スクランブル店) お土産屋・直売所・特産品
-
国際通りにあるお店
沖縄では泡盛ですね。古酒屋 (久茂地店) お土産屋・直売所・特産品
-
国際通りにあるお店
シーサーも店頭に並びます。琉球屋 専門店
-
沖縄県庁舎
14時に県庁の人に挨拶に伺う約束。
少し早いのですが、雨なのでロビーで時間調整をすることに。沖縄県庁舎 名所・史跡
-
沖縄県庁舎
流石、シーサーがずらりと並んでいます。
この日は、県庁の方にご挨拶だけなので、15分ほどで失礼しました。沖縄県庁舎 名所・史跡
-
ゆいレール県庁前駅のシーサーとアートタイル「デイゴ」
デイゴは沖縄の県花で、3月から5月にかけて真っ赤な花を咲かせます。
琉球漆器の素材としても、古くから利用されているそうです。県庁前駅 (沖縄県) 駅
-
ゆいレール県庁前駅のアートガラス「大交易時代の琉球王府」
琉球王国を確立した大交易時代における、万国津梁の鐘・進貢船・冊封使によって、行政を担う沖縄県庁の精神を表現しているそうです。県庁前駅 (沖縄県) 駅
-
ゆいレール首里駅のアートガラス「王府首里城と王朝文化」
沖縄の歴史と文化を育み発展させた古都首里を琉球王朝のシンボルである首里城の建造物と古式行事によって表現しています。首里駅 駅
-
ゆいレール首里駅のシーサーとアートタイル「ブーゲンビリア」
ブーゲンビリアは、県内の至る所で見ることができる真っ赤な花。
(赤い部分は葉っぱが変化したもので、花はその真中にある黄色い部分だそうです。)
時間があれば、15駅全部を回ってみたかったのですが、また次回のお楽しみに。
首里駅から首里城までは徒歩15分ほど。首里駅 駅
-
首里の交番の屋根にもシーサーが置かれています。
-
首里の沖縄そば屋
首里城公園の近くでなんとなく沖縄っぽい建物を発見。
よく見ると「石垣の向こうで 昼には沖縄そば 夜には泡盛と沖縄料理をいかがですか」と書かれていました。琉球茶房あしびうなぁ グルメ・レストラン
-
沖縄県立芸術大学
芸大のシーサーは一味違いますね。沖縄県立芸術大学 名所・史跡
-
沖縄県立芸術大学
「沖縄師範学校附属小学校跡」の碑があります。沖縄県立芸術大学 名所・史跡
-
史跡 円覚寺跡
かつて首里城周辺には寺院、王族や家臣の建物(御殿(うどぅん))等が多くあり、屋敷を囲む石垣や鬱蒼とした樹木が王都の雰囲気を醸し出していたそうです。その中でも寺院の代表的なものがこの1494年に創建された臨済宗の総本山円覚寺で、第二尚氏王統歴代国王の菩提寺でした。
寺は禅宗の七堂伽藍の形式で建造され、昭和8年(1933)に総門、山門、仏殿等の9つが旧国宝に指定されていましたが、すべて沖縄戦で破壊されたそうです。
その後昭和43年(1968)より復元整備が進められ、現在総門とその両側の石垣、右脇門、放生池が復元されています。円覚寺跡 名所・史跡
-
円覚寺の前のにある円鑑池と池の中央にある弁財天堂
円鑑池は1502年に造られた人工池で、首里城や円覚寺からの湧水・雨水が集まる仕組みになっており、沖縄戦で破壊されたが、昭和43年(1968)に修復されたもの。
弁財天堂は当初1502年に朝鮮から贈られた方冊蔵経を納めるために建立されたが、1609年の薩摩侵入で破壊され、1629年に修復、このとき円覚寺にあった弁財天像を安置したが、その後荒廃したため1685年に薩摩から新像を移したそうです。
これも沖縄戦で破壊され、その後昭和43年(1968)に復元されたもの。
堂にわたる小橋は「天女橋」と呼ばれ、中国南部の駝背橋(だはいきょう)の特徴をもち、石の欄干には蓮の彫刻等が施されています。首里城 名所・史跡
-
首里城 久慶門(きゅうけいもん)
首里城外郭の北側に位置し、かつては通用門として主に女性が使用したそうです。
石造拱門で上部に木造瓦葺の櫓があります。
国王が寺院を参詣したり、浦添から以北の地方へ行幸するとき等に使用した門で創建は1477〜1526年の尚真王代といわれ、昭和58年(1983)に復元されたそうです。首里城 名所・史跡
-
歴史を語るアカギの大木
このアカギは、トウダイクサ科の常緑広葉樹で、戦前まで約1mもの太い枝を首里城の城壁まで伸ばしていて道行く人々に涼しい木陰を提供していたが、沖縄戦によって焼かれてしまい、枯れた枝だけが残りました。
戦後、その幹も台風で途中から折れてしまいましたが、その後、アコウ(クワ科)が寄生し、昔の面影をとどめています。(解説より) -
首里城 守礼門 15:05頃
ほとんど流通しなくなった2千円札の絵柄に使われています。
ここでも、外国人観光客を多く見かけました。
門に掲げられている扁額には「守礼之邦」と書かれおり、「琉球は礼節を重んずる国である」という意味。
首里城にある多くの門の中でも、バランスがとれエレガントな雰囲気のある代表的な門で、中国風の牌楼という形式で建立されています。
古くは「首里門」ともいわれたが、庶民は「上の綾門(いいのあやじょう)」と呼び「上の方にある美しい門」という意味であったそうです。
1527〜55年に建立され、昭和8年(1933)国宝に指定されたが沖縄戦で破壊され、
現在の門は昭和33年(1958)に復元されたもの。首里城 名所・史跡
-
首里城 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)世界遺産
琉球石灰岩で造られた建造物で、国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所。
人が通る門ではなく、神への「礼拝の門」ともいうべき場所だそうです。
門の上部に掛けられている扁額の内容から1519年に建てられたことが判明しており、八重山の竹富島出身の西塘(にしとう)という役人が築造したものと伝えられます。
琉球の石造建造物の代表的なものであり、昭和8年(1933)国宝に指定されたが、沖縄戦で一部破壊され、昭和32年(1957)に復元。
現在、国指定重要文化財となっており、平成12年(2000)には世界遺産へ登録されました。首里城 名所・史跡
-
首里城の全体図
-
首里城 歓会門(かんかいもん)
首里城の城郭内へ入る第一の正門で、「歓会」とは歓迎するという意味。
往時、首里城へは中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」が招かれたが、こうした人々を歓迎するという意味でこの名が付けられたそうです。
首里城は外郭と内郭により二重に囲まれているが、ここは外郭の最初の門で、別名「あまえ御門(うじょう)」ともいうそうです。
(「あまえ」とは琉球の古語で、「喜ばしいこと」の意)
創建は1477〜1500年頃(尚真王代)で、沖縄戦で焼失したが、昭和49年(1974)に復元された。
門は石のアーチ状の城門の上に木造の櫓が載せてある。首里城 名所・史跡
-
首里城 歓会門のシーサー
一対の石造の獅子像は魔除けの意味で置かれています。首里城 名所・史跡
-
首里城 歓会門の守衛室
写真撮影の承諾を頂き撮らせてもらいました。首里城 名所・史跡
-
首里城 瑞泉門の前の石段
なかなか雨は止みそうにありません。首里城 名所・史跡
-
首里城 龍樋(りゅうひ)
瑞泉門の前の石段の右側にあり、龍の口から湧水が湧き出していることから名付けられたもの。
この龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたものだそうです。
この水は王宮の飲料水として使われていたもので、中国皇帝の使者・冊封使が琉球を訪れたとき、那覇港近くにあった宿舎「天使館」まで、毎日ここから水を運んだといわれています。首里城 名所・史跡
-
首里城 瑞泉門(ずいせんもん)
「立派な、めでたい泉」という意味である。
門の手前右側にある湧水「龍樋」にちなんで名付けられたもので、別名「樋川御門(ひかわうじょう)」ともいうそうです。
「樋」は川や泉から水を導く長い管や溝、あるいは屋根の雨水を受けて地上に流す掛け樋等のことをさし、沖縄で井戸や泉のことをすべて川(カワまたはカー)と表現するそうで、「樋川」とはこうした表現を合わせた言葉。
創建は1470年頃で沖縄戦で焼失したが、平成4年(1992)に復元された。
瑞泉門は先に見たアーチ状の石門の歓会門とは異なり、双璧の門の上に直接櫓(やぐら)がのっている。このタイプの櫓門(やぐらもん)は日本本土の城門でも見ることができるが、櫓の中央の「瑞泉」という扁額(へんがく)が琉球独特の持ち味を出している。首里城 名所・史跡
-
首里城 瑞泉門のシーサー
魔除けの意味で門の両脇に置かれている一対のシーサー。
このシーサーは、沖縄最古のものだとか。
この一対がモデルとなり、いろいろなシーサーが作られたそうです。首里城 名所・史跡
-
首里城 瑞泉門の前からの眺め
残念ながら沖縄らしい青空が望めません。
右手にあるレンガ色の屋根の建物は県立芸術大学の校舎です。首里城 名所・史跡
-
首里城 漏刻門(ろうこくもん)
「漏刻」とは中国語で「水時計」という意味。
ここは第三の門で、別名「駕籠居せ御門(かごいせうじょう)」ともいう。
身分の高い役人は駕籠にのって首里城へ登城したが、高官でも国王に敬意を表し、この場所で駕籠から下りたということからそのように呼ばれているそうです。
創建は15世紀頃。
門の上の櫓に水槽を設置し、水が漏れる量で時間を計ったといわれています。
時刻を測定すると係の役人がここで太鼓を叩き、それを聞いた別の役人が東(あがり)のアザナと西(いり)のアザナおよび右掖門(うえきもん)で同時に大鐘(おおがね)を打ち鳴らし、城内および城外に時刻を知らせたそうです。首里城 名所・史跡
-
首里城 広福門(こうふくもん)…工事中でした。
「広福」とは、「福を行き渡らせる」という意味。
別名「長御門(ながうじょう)」という第四の門で、建物そのものが門の機能をもっており、この形式も首里城の城門の特徴だそうです。
創建年は不明であるが、明治末期頃に撤去され、平成4年(1992)に復元。
王府時代、この建物には神社仏閣を管理する「寺社座(じしゃざ)」と、士族の財産をめぐる争いを調停する「大与座(おおくみざ)」という役所が置かれていたそうです。首里城 名所・史跡
-
首里城 日影台と供屋
漏刻門の正面に置かれているのが日影台という日時計。往時もこの場所におかれ、水時計の補助的な道具として使われたそうです。
1739年、従来の漏刻は不完全であるとして、はじめて日影器を製作し設置したと伝えら、以後、この時間制度は明治12年(1879)の廃藩置県まで続いたそうです。首里城 名所・史跡
-
首里城 供屋の万国津梁の鐘(ばんこくしんりょうのかね)レプリカ
この鐘は歴史資料では1458年に首里城正殿に掛けられていたと記録されているが、具体的な設置場所が不明であるため、当面ここに設置しているそうです。
本物は、沖縄県立博物館に収蔵されており、鐘には「琉球国は南海の美しい国であり、朝鮮、中国、日本との間にあって、船を万国の架け橋とし、貿易によって栄える国である。」という主旨の銘文が刻まれており、往時の海洋王国としての誇らしい心意気が示されているそうです。首里城 名所・史跡
-
首里城 首里森御嶽(すいむいうたき)
城壁の手前にある礼拝所で平成9年(1997)に復元。
「琉球開闢(かいびゃく)神話」によれば、神が造られた聖地であるとされている。また、城内にはここを含めて「十嶽(とたけ)」と呼ばれる10ヶ所の礼拝所があったそうです。首里城 名所・史跡
-
首里城 奉神門(ほうしんもん)
「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門。
1562年には石造欄干が完成したという記録があることから創建はそれ以前であると考えられ、その後1754年に中国の制に倣い改修。
別名「君誇御門(きみほこりうじょう)」ともいい、向かって左側(北側)は「納殿(なでん)」で薬類・茶・煙草等の出納を取り扱う部屋、右側(南側)は「君誇(きみほこり)」で城内の儀式のとき等に使われたそうです。
3つの門のうち中央は国王や中国からの冊封使等限られた身分の高い人だけが通れる門であり、それ以外の役人は両側の門から入城。
建物は明治末期頃に撤去されたが、平成4年(1992)に外観が復元され、現在は公園管理のための施設として利用されています。首里城 名所・史跡
-
首里城 正殿(せいでん)
正殿は琉球王国最大の木造建造物で国殿または百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)とよばれ、文字通り全国百の浦々を支配する象徴として最も重要な建物でした。
正殿を二層三階建てとすることや装飾化した龍柱は日中にも類例がなく、琉球独自の形式と考えられます。
首里城正殿の壁等の彩色塗装には桐油が塗られ、下地の一部は漆が使われているそうです。
一階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場、
二階は「大庫理(うふぐい)」と呼ばれ、国王と親族・女官らが儀式を行う場、
三階は通気を目的とした屋根裏部屋だそうです。
創建年は、復元に先立って実施された発掘調査から14世紀末頃と見られている。
その後ほぼ同位置で数度の焼失・再建を繰り返してきた。現在の建物は18世紀初めに再建され、沖縄戦で焼失するまで残っていた正殿をモデルに平成4年(1992)に復元したもの。首里城 名所・史跡
-
首里城 正殿
正殿の建築は、中国の宮廷建築と日本の建築様式を基本にしながら琉球独特の意匠にまとめられているそうです。
正面の石階段の両脇に龍の彫刻があるが、これを「大龍柱(だいりゅうちゅう)」と言い、手すりの奥にはもう一対「小龍柱(しょうりゅうちゅう)」があります。
龍は国王の象徴であり、柱や梁などにも多くの龍の彫刻が施されています。首里城 名所・史跡
-
首里城 書院
創建年は不明。1709年の火災により消失し、1715年頃に再建されたものと考えられているそうです。
書院は国王が日常の執務を行った、御書院(ごしょいん)と言われる広間がある建物で、取次役や近習などの側近の者がその周囲に控えていました。
また、中国皇帝の使者や那覇駐在の薩摩役人を招き、ここで接待を行うこともあったそうです。
また、奥には内炉之間(うちろのま)と言われる茶室があり、御書院の裏座にあたり、お茶を点てて客人に振る舞っていたとのこと。
他に、茶道具一式を用意した御茶之間(おちゃのま)と言われる座敷がある。
現在、書院は琉球建築と庭園が一体となった空間を体感できる一般見学施設となっています。首里城 名所・史跡
-
首里城 書院・鎖之間(さすのま)庭園
沖縄県内のグスクの中で、庭園があったことが分かっているのは首里城だけで、琉球石灰岩をたくみに利用した造りになっているそうです。
書院に招かれた冊封使たちは、その様子を「わだかまった松と蘇鉄とを、奇怪な格好をした石の間に、互い違いに植えている」との詩を詠み讃えたそうです。首里城 鎖之間 グルメ・レストラン
-
首里城 書院・鎖之間(さすのま)庭園
庭園は、書院・鎖之間と一体をなす重要なもので、城内で唯一の本格的な庭園です。首里城 鎖之間 グルメ・レストラン
-
首里城 正殿 御差床(うさすか)
国王が座る玉座。
御差床背後の障子戸を開くと、奥に国王専用の階段(おちょくい)があり、国王はその階段を使って2階から御差床に出御したそうです。
国王の椅子については、1477年〜1526年まで在位した尚真王の御後絵(肖像画)をもとに再現したもの。首里城 名所・史跡
-
首里城 正殿に飾られている国王の冠と印
首里城 名所・史跡
-
首里城 正殿と御庭(うなー)で執り行われる儀式のジオラマ
正面が「正殿」、向かって右(南側)が「南殿・番所(なんでん・ばんどころ)」、左(北側)が「北殿(ほくでん)」で、これらに囲まれた中庭広場の空間を「御庭」といいます。
年間を通じて様々な儀式が行われた広場で、御庭には磚(せん)【敷き瓦】というタイル状のものが敷かれているが、この色違いの列は、儀式の際に諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割をもっているそうです。
中央の道を「浮道(うきみち)」といい、国王や中国皇帝の使者「冊封使」など限られた人だけが通ることを許されていました。首里城 名所・史跡
-
首里城 正殿と御庭(うなー)で執り行われる儀式のジオラマ
正殿の奥に座る国王と位ごとに並ぶ諸官首里城 名所・史跡
-
首里城 正殿 15:55頃
館内を見学して外に出ると、雨が小降りになっていました。首里城 名所・史跡
-
首里城公園 下之御庭で公演されるゆう旧古典舞踊
正殿の見学を終え帰ろうとしたところ、丁度、踊りが始まるところでした。首里城 名所・史跡
-
首里城公園の下之御庭で公演されていた琉球古典舞踊
安座間本流 清風一扇会のみなさん
一、四つ竹
紅型と花笠を身に着けた華やかな古典女踊り「四つ竹」
ゆいレール那覇空港駅に飾られていたアートガラスに描かれていたものと同じでした。首里城 名所・史跡
-
首里城公園 下之御庭で公演されていた琉球古典舞踊
客席の前でちょろちょろしていた小鳥
(スズメを少し大きくした感じの鳥でした)
全然逃げる様子もなく、何か餌が貰えるのを待ち構えているようでした。首里城 名所・史跡
-
首里城公園で公演されていた琉球古典舞踊
二、上り口説(ヌブイクドゥチ)
薩摩上りを命じられた首里士族の心情と旅の風景を口説きで 表現した古典二才踊りだそうです。首里城 名所・史跡
-
首里城公園で公演されていた琉球古典舞踊
三、むんじゅる
「むんじゅる」とは麦の芯で作った笠のこと。
裾短めの芭蕉布を右肩袖抜きにして裸足で踊る雑踊り。
前半は農村の乙女の恋する思いがしっとりと表現され、後半は軽快な音楽にのせて展開される。
音楽のくみあわせや小道具の扱いなど、全体が素朴で清楚な感じを抱かせる舞踊。首里城 名所・史跡
-
首里城公園で公演されていた琉球古典舞踊
寿、鳩間節
元曲「鳩間中森」のテンポを早くし、日本舞踊などの手を入れて創られた踊り。
鳩間島の美しさと、五穀豊穣を予祝した歌詞で、村人の喜びを軽快に表現した作品だそうです。首里城 名所・史跡
-
首里城公園で公演されていた琉球古典舞踊のフィナーレ
約30分、4演目を披露していただきました。首里城 名所・史跡
-
首里城公園 京の内
「下之御庭」南側の石垣の向こう側は「京の内」という城内最大の信仰儀式の場。
首里城発祥の地ともいわれ、琉球独自の信仰の最高位に位置する聞得大君(きこえおおきみ)や大アムシラレといった神女たちが、ここで王家繁栄、航海安全、五穀豊穣等を神に祈っていたそうです。首里城 名所・史跡
-
首里城公園 アコウの根っこ
枝や幹から多数の気根を垂らし、岩や露頭などに張り付くそうです。
アコウの種子は鳥によって散布されるが、その種子がアカギやヤシなどの樹木の上に運ばれ発芽して着生し、成長すると気根で親樹を覆い尽くし、枯らしてしまうこともあることから、「絞め殺しの木」とも呼ばれます。
琉球諸島では、他の植物が生育しにくい石灰岩地の岩場や露頭に、気根を利用して着生し生育しているそうです。(Wikipediaより)首里城 名所・史跡
-
首里城跡の碑
首里の高台に建つ、いにしえの琉球王の居城。
創建年代は不明ですが、第一尚氏による三山統一後に王城として確立されたとの記録があるそうです。
沖縄戦で焼失しましたが、一部が復元整備され、1992年「首里城公園」として開園しました。
2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。首里城 名所・史跡
-
首里城の城壁
独特な形をしています。 -
ゆいレール首里駅へ戻る道端のハイビスカス
雨に濡れてもしっかりと咲いていました。
ゆいレールで首里駅から旭橋駅まで移動しホテルへ。
少し休憩した後、後発メンバーも合流して夕食へ出掛けました。 -
ホテルからほど近い沖縄料理店「ちゅらさん亭」
ホテルのお薦め店の中から、ここをチョイス。
なかなか良い店でした。
お通しのティラジャー貝刺(巻貝の一種)
ゴーヤチャンプル、クーブイリチー(刻み昆布の炒め煮)、島らっきょう漬、紅いも天ぷら、海ぶどう
泡盛は久米仙(でいご3年)をロックで。(片方のグラスはお水です)ちゅらさん亭 グルメ・レストラン
-
ちゅらさん亭のメニュー
沖縄近海魚と琉球料理が自慢のお店です。ちゅらさん亭 グルメ・レストラン
-
ちゅらさん亭の店内
この隣の席には、2組の外国人の家族が入って、賑やかになってしまいました。
バク買いだけでなく、美味しい店にもどっと押し掛けているようです。ちゅらさん亭 グルメ・レストラン
-
ちゅらさん亭でいただいた料理
イカスミそうめんちゃんぷる、モズクの天麩羅、イラブチャーの刺身、デザートのパイナップルなど。
泡盛も料理も美味しくいただきました。
6名で2万円弱で頂けました。ご馳走様でした。
翌日以降に備えて、早めに就眠しました。
(つづく)ちゅらさん亭 グルメ・レストラン
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- たらよろさん 2016/02/22 22:19:31
- うん??沖縄?
- こんばんは、morino296さん
何となく、勝手なイメージで、
morino296さんと沖縄のイメージが結びつかなかったのですが・・・
なるほど、お仕事絡みなんですね。
納得(笑)
私も沖縄本島に実は行ったことが無いんです
だから、もちろん首里城も見たことがありません。
いつか、首里城の美しい姿を見てみたいなぁ〜
たらよろ
- morino296さん からの返信 2016/02/23 07:27:51
- RE: うん??沖縄?
- たらよろさん
おはようございます。
そうですか、沖縄ぽくないですか(笑)。
確かに、顔も濃くないですが・・・。
今回の沖縄は、観光する時間が短かったので、
那覇市内の首里城へ出掛けましたが、
30年前とは全然変わっていてビックリでした。
外国人旅行者も多いですが、首里城、是非行ってみて下さい。
morino296
-
- 川岸 町子さん 2016/02/13 07:32:29
- 沖縄
- morino296さん、おはようございます。
お仕事、お疲れ様でした!
ご出張先が沖縄ですか‼
すごいです〜〜。
首里城の朱色が印象的です。
さすが世界遺産の風格‼
琉球舞踊をご覧になられて、良かったですね。
あのゆったりした音楽、あちこちの沢山のシーサーが、お出迎えの初日、うらやましいです!
町子
- morino296さん からの返信 2016/02/13 09:28:48
- RE: 沖縄
- 町子さん
おはようございます。
シンポジュームの準備は大変でしたが、楽しい出張でした。
首里城、前回も行きましたが、守礼門だけでしたので、
今回は、復元された建物なども見学できて良かったです。
琉球舞踊も、ちょうど公演時間になり楽しませてもらいました。
目の前で見たのは初めてですが、確かにゆったりとした音楽が良いですね。
街に溢れるシーサーも、見て回りたかったですが、数の多さに諦めました。
寅さんに教えてもらった沖縄料理の店にも行きたかったのですが、
今回は行けませんでした。
morino296
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
82