2015/05/19 - 2015/05/19
31位(同エリア412件中)
junemayさん
- junemayさんTOP
- 旅行記226冊
- クチコミ42件
- Q&A回答0件
- 191,538アクセス
- フォロワー41人
2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
今日は今回の旅での最南端、バロックの町レッチェに向かいます。まだ昨日のマテーラでの感激が冷めやらずに多少気持ちが浮わついておりましたが、気持ちを切り替えてバーリ8時45分発の列車で南へ!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
レッチェまでの途中、列車はアッピア街道の終点のあるブリンディシ・チェントラーレを通りました。街道の終点は海。ブリンディシの港は、地中海の要衝として栄えてきたんだと、ぼんやりとローマ帝国時代に思いをはせている間に、10時33分、列車はレッチェに到着です。
駅前はごくごく普通の町でした。 -
旧市街までは大した距離がなく、10分ほどで歩いていくことが出来ます。町はほぼこのレッチェ・ストーンと呼ばれる石灰岩からなり立っています。柔らかくて加工しやすいこの石を装飾にふんだんに使った17世紀ころの教会や建物が多いことから、バロックのフィレンツエ、南のフィレンツェなどと呼ばれていますが、個人的にはその名前は気に食わないなあ・・・
なぜって、レッチェのバロックはここだけのもの。バロックといってもと・く・べ・つなんです。 -
駅から程なく、この黄色い町が始まります。
-
最初に出会った教会は、サン・フランチェスコ・デッラ・スカルパ。靴を履いた聖フランチェスコ教会という意味です。
変わった名前の由来は、1222年聖地へと旅立った聖フランチェスコが、ここに立ち寄り、彼の履いていたサンダルの一つを残していったという伝説から来ています。他の教会と異なり、「ファサードの無い教会」とあだ名がつけられたほど、外観は質素で、派手な装飾もありません。裸足で過ごした修道僧が多かった中世の時代、ここの修道僧たちは、靴を履いていたのかしら? -
カメラをバッグにしまう暇がないほど、手の込んだ装飾があちこちに見られます。町についてまだ15分とたっていませんが、あっという間に、もう気分はすっかりレッチェ・モードです!
-
三角のペディメントの上の装飾に注目! 中央には羽の生えたライオン、これはヴェネチアのライオンかなあ??? 両端には鳥がいます。
アカンサスの浮彫が見事なパラッツォ・タンボリーノ・チェッツィ。15世紀の建物です。内部は予約の必要なプライベート博物館になっているようです。市内でも最も美しい「秘密の花園」もあるんですって! なんだかわくわく気分になりますね。 -
黄色い建物は2階建てが殆ど。圧迫感を感じさせない高さです。
-
やがて、道の向こうにドゥオモの鐘楼が見え始めましたよ。地図なしでも全く問題ないですね。
-
このままドゥオモまで直行と思いきや、
-
傍にあった、扉の開いた教会にまたしても吸い込まれます。聖セバスティアーノ教会。1520年のペストの流行で大勢の市民が亡くなった時代に、沢山の義援金と寄付を元に作られたといわれています。セバスティアーノはペストの守護聖人でもありましたね。
燭台のモティーフが随所に見られる正面扉の装飾は、かなり傷んでいますが、見ごたえがあります。 -
どうやら教会としての機能はすでになくなっているようで、中では地元のアーティストの個展が行われていました。教会時代のフレスコなどはそのまま残っています。多分、16世紀末のものです。
-
日本語では悲しみのキリスト像と呼ぶのかなあ Imago Pietatis と書かれていたフレスコ画。こちらも16世紀末の作品です。
-
中は一廊式で、大変コンパクトな造り。1967年に大規模な改修が行われたそうです。
サイド・チャペルの祭壇の脇に、申し訳なさそうにアーティストの作品が展示されていました。でも全く目に入りません。ごめんなさいね。 -
申し訳ないので、個展を開いていたジョヴァンニ・スクポーラ氏の代表作を1点紹介しますね。
「希望の芽」 germogli di speranza というタイトルの彼の自信作です(多分)。種から新芽が伸びる様子が鮮やかに表現されていますね。 -
さて、ドゥオモの通用口に到着しましたよ。ぐるっと回っていけば、ドゥオモ広場に出るのですが、一番近くにあった扉に近づいていってしまいました。
サンタ・マリア・アスンタというのがドゥオモの正式な名称です。最初の教会は1144年に作られましたが、1230年にはロマネスク様式で、1659年にはレッチェバロック様式でそれぞれ再建されています。献堂式は1670年、司教パッパコーダにより行われました。 -
花綱の上には、天使が二人寝そべっています。その下のエンタブラチュア(柱頭の上部へ水平に構築される部分)には、小さな天使たちが花綱を運んだり、乗っかったり、引いたりする場面がユーモラスに表現されています。
3体の彫像は、顔の部分が黒ずんでしまっていて、少々不気味。 -
中に入って、最初に目についたのは、こちらの扉です。カメラがぼろいために、なんだか分かりにくい写真ですが、外からの写真とを並べてみると、右の赤い方が太陽、左の青い方が月だということがわかります。
扉中段のアルファ(Α)とオメガ(Ω)は、万物の最初と最後を意味し、永遠の存在者である神とイエス・キリストを指します。 -
こちらが後刻写した外側からの1枚。よく見ると、古いブロンズ製の扉の上に、後から細工が施されたように見えます。太陽と月の間にいる「世界の光」キリストの下には大きな浮彫が4つ。それぞれ聖母被昇天、1994年の教皇ヨハネ・パウロ2世のレッチェ訪問、世界的な教会と地元の教会との会合、町の守護聖人たちの殉教を表しているそうです。下の方には広場を埋め尽くす聴衆の姿があります。この浅浮彫は、2000年のジュビリー(聖年)を記念して、彫刻家アルマンド・モッロッコにより作られました。
-
内部は三廊式で、アーチ状の柱、付け柱が身廊と側廊部分を隔てています。勝利の門(凱旋門)に施された鈍い光を放つ唐草模様が目につきました。
-
木製の天井がこれまた美しい! 中央に位置する絵画はジュゼッペ・ダ・ブリンディシによるもので、レッチェの町の守護聖人サン・オロンツォの説教、ペストからの保護、聖人の殉教の物語が綴られています。写真には2枚の絵画iしか映っていませんが、全部で3枚ありました。
-
身廊部分から右側廊方向。側廊部分のヴォールトがこれまた大変綺麗です。
奥に、木製の美しい説教壇が見えます。 -
初めて見るガラス細工のようなヴォールトにため息です。
-
こちらはややシンプルだけれど、良い味出していますよね。
-
レッチェ独特の細かい石の彫刻は、サイド・チャペルの祭壇で思う存分鑑賞することが出来ます。両端に彫像の立つ柱、祭壇画の脇と奥にそれぞれ2本ずつの柱があり、いずれもびっしりと彫刻で覆われています。あまりの緻密さに唖然!!
最初の礼拝堂は、聖アンデレに捧げられています。1700年石工チェザーレ・ペンナによって作られました。両脇の彫像はサン・カルロ(左)、バーリのサン・ニコラ(右)、エンタプラチュアの天使像もペンナによるものと考えられています。すべてレッチェ石製です。
祭壇画は聖アンデレの殉教です。アンデレの職業は漁師でしたが、絵の手前に置かれた魚がそれを暗示しています。 -
聖カルロ・ボッロメオの礼拝堂。最初の礼拝堂と雰囲気が似ていますね。それもそのはず、こちらも最初の礼拝堂と同じカエサル・ペンナの作品です。なんとまあ! 祭壇画の枠は金箔で覆われていますよ!
両脇の彫像は、左側がサンティレーネ、右側がサンタ・ルチアです。 -
サン・ジュスト礼拝堂は名工としても名高いジュゼッペ・ツィンバーロの1656年の作品です。サン・ジュストも、サン・オロンツォと並んで町の守護聖人となっていることをここで初めて知りました。礼拝堂の建設は、司教パッパコーダが私財を投げ打って作り上げたものだそうですよ。祭壇画は、ガリポリ出身のジョヴァンニ・アンドレア・コッポラの作品。
こちらは柱がスパイラル・タイプで、左右2本ずつという豪華版です。祭壇の両側に向かい合わせに立つ彫像は、左側がナポリの聖人サン・ジェンナーロ、右側がサン・フォルトゥナートです。おお〜、この方の顔、杖で隠れてしまいましたねえ。
祭壇画の上には、少々とっぽい顔をした大天使サン・ミケーレが竜を退治する場面の彫像がありました。 -
1658年にポメオ・パラディーニによって作られた悲しみの聖母の礼拝堂は、スパイラルの柱と柱の間にさらに彫像が置かれているパターンで、見どころ満載です。レッチェ石の彫刻は17世紀半ばのもの。
祭壇画はローマの画家ピエトロ・ガッリャルディの1878年の作品。上方に見える「永遠なる父」の絵もガッリャルディの作品と言われています。 -
南側翼廊にある多色大理石を用いた豪華版の礼拝堂は町の守護聖人聖オロンツォに捧げられています。象嵌細工のような石の加工技術が巧みで、思わずうなってしまいました。
聖公会のローブを身にまとった聖オロンツォを描いた祭壇画は、この教会で一番有名な作品だそうです。前述のジョヴァンニ・アンドレア・コッポラの作品。
祭壇画脇の彫像は左がサン・ジュスト、右がサン・フォルトゥナート。全体的に少々くどいですかねえ・・・ -
キリストの磔像のあるこちらの礼拝堂は、司教ソジー・カラファの命により作られた大変豪華な大理石の祭壇です。しかしまあ、このタイプの礼拝堂はローマにもたくさんありましたね。
クーポラのフレスコは思いっきり登場人物が多くて、目まいがしそうですが、今まで見たことのない筆遣いに興味をそそられました。 -
クーポラのアップです。大勢の天使たちによって、十字架と梯子が運ばれている様子が大変分かりやすく伝わってきます。
-
翼廊奥にあったステンドグラスです。
-
主祭壇です。こちらの祭壇は、司教シピオーネ・セルサーレの命を受け、建築当時最高の腕の職人とされたナポリの石工デ・マルティナにより完成しました。祭壇前の豪華なラピスラズリで縁取られているのは、セルサーレ家の紋章です。
後ろの壁にある「聖母被昇天」は、18世紀半ばのティゾ・オロンツォによる作品です。 -
こちらは、主祭壇の奥にあったステンドグラス。大変豪華。
-
北側の翼廊にあった無原罪の御宿りの礼拝堂は、1670年、司教パッパコーダの命により建設されましたが、それから何度も「変身」を繰り返しています。1692年には礼拝堂のパトロンとなった家族により金メッキで装飾されました。
ツィンバーロがここでも登場です。彼は聖母の生涯から5つのエピソードを描いた小さな5枚の油絵を祭壇に埋め込みました。聖母像には彩色を施し、エンタプラチュア上にサン・ジュゼッペとサン・ジョアッキーノの像を追加したのです。
1757年には、聖母像の背景部分を除去し、新しくナポリ派のアーチストが作成した聖母像をニッチェの中へと誘いました。その木像は現在州立美術館に収蔵されていて、祭壇には元のジュゼッペ・ツィンバーロ作の聖母像が安置されています。 -
こちらも、北側の翼廊にあるカトリック司祭で、オラトリオ会の創設者聖フィリッポ・ネリの礼拝堂です。段々とレッチェ様式の礼拝堂にも目が慣れてきましたよ。
祭壇画には、ネリが聖母子からヴィジョンを受けている場面が描かれています。ルカ・アントニオ・パチオッラの1685年の作品。 -
祭壇付近のアップです。
-
パドヴァの聖アントニオの礼拝堂。祭壇の設計はツィンバーロ。
よそで見かける聖アントニオは、地味な黒い法服姿が多いのですが、ここでは華麗なる変身を遂げています。説明されるまでアントニオだとわかりませんでしたが、いつも彼と一緒の「キリストの子供」は健在でした。この像は17世紀半ばの木製だそうです。
ちょっとやりすぎ感あり? -
司教サン・フォルトゥナートの礼拝堂。こちらもジュゼッペ・ツィンバーロにより1674年頃作られました。
祭壇画は「殉教に向かうサン・フォルトゥナート」で、こちらは18世紀半ばの作品。向かい合わせに置かれている2体の彫像は、かつてのレッチェの町の守護聖人サンティレーネとサンタ・ヴェネランダ。1656年以降、町の守護聖人は聖オロンツォに「正式変更」されました。守護聖人がころころ変わるのも、イタリアではよくあることです。 -
受胎告知の礼拝堂です。祭壇キャノピー上には、珍しい「聖誕」の場面の彫像が置かれていました。これ全部石で出来ているのだそうですよ。高いところにありすぎて、全体像が見えないのが残念でした。ガブリエッレ・リッカルディの1545年ころの作品です。古い教会から移されたものの一つだそうです。
祭壇画「受胎告知」は20世紀前半の作品です。作者不詳。絵の手前にも彩色された彫像群が置かれていますが、こちらは17世紀のジュゼッペ・チノによる作品だそうです。こんなに複雑な祭壇は見たことがありません! -
こちらは、司教パッパコーダの命を受け、彫刻家ジョヴァンニ・ピントが1760年に制作した石の洗礼堂です。洗礼堂としては変わった形をしていますねえ。
中央に描かれている「キリストの洗礼」は、なんと!高度な張り子の技術を使ったもので、20世紀に入ってからラファエーレ・カレッタが手掛けたものです。
洗礼堂の左右の黒い像は、左が預言者エゼキエル、右がモーゼです。 -
お終いは洗礼者ヨハネの礼拝堂です。
中央の洗礼者ヨハネ像も、古い教会から写されたものの一つで、この像自体もレッチェ石から作られています。彼の左側にある彫像はサン・クレメンテ、右側はサン・オノフリオという方だそうです。オノフリオさん 足長〜い!!
礼拝堂の設計は、この教会ではもうおなじみのツィンバーロです。 -
階段を下りて、地下のクリプトへと向かいました。12世紀の創建ですが、16世紀にバロック様式が加えられています。
ここでの注目は、何といっても、ずらりと並んだ列柱の柱頭の装飾。様々な人間の顔を見ることが出来ます。 -
残念ながら、カメラが悪いのか、腕が悪いのか、はたまた両方か・・・で、皆一様に赤い写真になってしまいました。
-
全部で92本の柱と付け柱があるそうです。
-
解説がありませんが、町の一般市民という雰囲気ですね。男女二人ずつ彫られています。
-
人面花といったところかな・・・
-
何を運んでいるのでしょう?
随分写したのですが、まともに撮れているものが皆無(泣)! この辺でもうやめましょう。 -
祭壇と思しき場所にあった不思議な絵です。仮面をかぶった人物が二人描かれています。聖母子は宙に浮いているみたいに見えます。
確かマドンナ・デッラ・スカラという礼拝堂だったような記憶。 -
こちらは、元町の守護聖人、サンティレーネです。
-
先ほど入った横の入り口ではなく、ドゥオモ広場に通じる扉から外に出ました。この美しい5層からなる鐘楼を建てたのも、ジュゼッペ・ツィンバーロです。建造は1661年から1682年。高さが68mあります。
-
鐘楼の出入り口です。扉の周りの装飾は、人の手が触れる部分が残念ながら殆ど崩落しています。
-
こちらが、広場に面したドゥオモのファサードです。これが正式な入口だと思っていたら、これは、ドゥオモを訪問する人々を歓迎する意味を込めて、建物の側面に後から追加されたものでした。後刻、正式な「正面」ファサードを発見しました。
-
便宜上、こちらは「サイド」ファサードと呼ばれているようです。バロック様式による煌びやかなファサードで、2本の柱の脇に、ニッチェがあり、2階部分の中央アーチには、守護聖人サン・オロンツォが祝福のポーズで人々を迎えています。
-
向かって左側のニッチェにはサン・ジュスト。
-
右側には、サン・フォルトゥナート。内部での配置とほぼ一緒ですね。
気になったのは、隣の柱の中ほどにある装飾。イルカの尾だと思っていましたが、よく見たら、ぷくぷく太ったプットの足ですねえ。 -
扉の周りの装飾は、最初に入った扉の花綱とあまり変わらないように思いました。
-
広場の奥にある建物は、レッチェの大司教区。中に神学校があります。
-
サイド・ファサード伝いに歩いていくと、
-
神学校と向かいあっているこちらの建物は司教館です。司教館は1425年にモンシニョール ジローラモ・グイダーノによって建てられ、司教ルイジ・パッパコーダの時代に拡充されました。1725年にはアーチの連続したポーチを追加したことで、調和の取れたシンメトリーな建物となりました。
正面の3層部分にある時計は1761年製だそうですよ。 -
そして、司教館とは90度の角度で、ドゥオモの「正面」ファサードがありました。広場の一番狭くてだあれもいない方向を向いた可哀想なファサードです。完全に広場の作り方を間違えましたようです。
太陽と月のついた扉は、この正面ファサードのメイン扉でした。 -
扉の上のペディメントで、王冠をかぶったプットたちが大はしゃぎをしています。とはいうものの、メインというには少々寂しい感のあるファサード。
-
ニッチェの彫像聖ピエトロと
-
聖パオロも心なしか寂しそうに見えます。
-
さて、今度は、ドゥオモのサイド・ファサードの正面にある神学校を見に行くとしましょう。
1694年から1709年にかけて建設されたこの神学校は、現在、教区博物館、図書館、教区公文書館となっています。建築家ジュゼッペ・チーノはこちらの建物のファサードについても、ツィンバーロを採用しました。バロック様式をふんだんに取り入れたアーチのあるバルコニーがとても優雅な佇まいを見せています。 -
バルコニーを支えるコーベルの一つ一つに、細かい装飾が施されています。ここで見られるのも、人間の顔を用いているのが特徴ですね。こちらは建物の中央扉の上のバルコニーです。真ん中にあるのは、神学校建設を命じた司教ピニャテッリ家の紋章です。
-
微笑むプットがデザインされた柱頭もご覧の通り!
-
せっかくなので、入場料を払って教区博物館Museo Diocesanoを見学させてもらいました。
-
入り口を入ると、石の花綱で装飾された大きな部屋があります。ずらりと並んでいるのは教会博士といわれる方々の胸像。いずれの像も頭をぶつけそうだと、少々斜めに構えたポーズをしているように見えたのですが、目の錯覚かしら?
左から、ヨハネス・クリュソストモス(4世紀の神学者、説教者、コンスタンティノープル大主教)、聖ボナヴェントゥラ(13世紀イタリアの神学者、枢機卿、フランシスコ会総長)、アウグスティヌス(5世紀の神学者、哲学者、説教者、ラテン教父)、そしてグレゴリウス1世(ローマ教皇)というそうそうたる顔ぶれ! -
こちらは左から、アンブロジウス(4世紀のミラノの司教)、ヒエロニムス(聖職者・神学者。聖書のラテン語訳であるウルガータ訳の翻訳者)、トマス・アクィナス(中世ヨーロッパ、イタリアの神学者、哲学者)、アレクサンドリアのアタナシオス(4世紀の神学者・ギリシア教父・聖職者)です。
-
部屋を出ると、その先にある美しいキオストロへと導かれます。中庭の中心に立つのが、17世紀制作の「真のオーヴァル」と呼ばれる井戸です。
-
イチオシ
同心円を描いた3段のステップの上に、その見事な井戸は昔と変わらない形で立っていました。あふれんばかりの花や果物の房、花綱、唐草等で飾られています。プットたちに支えられてその頂きに立つのは、町の元守護聖人サンティレーネです。
-
反対側からも1枚!
-
中庭を囲む建物の四隅には地味ながら彫刻が施されていました。
-
中庭を突っ切って、左に折れると、1696年に建てられた神学校付属の小さな礼拝堂に突き当たります。
小さく、「サン・グレゴリオ・タウマトゥルゴの礼拝堂」と書かれていました。この方は3世紀の司教、説教者で、奇跡を行うグレゴリオとして知られています。 -
英語で言うワンダーメーカー、聖グレゴリーの祭壇です。ナポリ派の画家 パオロ・デ・マッテイスの1696年の作品です。
レッチェ石を用いた祭壇両側の彫刻も素晴らしいですね。 -
神学校らしく、館内は静寂そのもの。ごみ一つチリ一つ落ちていない、歩いているだけで、背中がピーンと伸びる思いでした。
-
こちらの扉でも目立つのは、司教を何人も輩出したピニャテッリ家の紋章です。
一般人が入れるのはここまでのようですから、そろそろお暇しましょう。 -
ドゥオモ広場に戻ってまいりました。この広場、最初に作られたのは1420年代。それから何度もモデルチェンジしています。
写真は、司教ソジー・カラファテの時代に作られた、広場の入り口を飾るProspetto dei Propileiと呼ばれる三人の聖人が出迎える舞台です。そこにはラテン語で次のように書かれているそうです。
「広場にもっと簡単に入れるよう、より自由でよりエレガントな入口をオープンさせました。」
なんともニクイお言葉ですねえ・・・ -
広場を出て、街歩きに戻ります。今日は良い天気でほっつき歩くには最高。ローマのような蒸し暑さはなくて、からっとしています。
-
ほーら!ここにもありましたよ。束石にお金をかけるレッチェ人の心意気が示されています。
-
続いてやってきたのは、サンティレーネ教会。テッサロニキの聖イレーネ。1656年までレッチェの町の守護聖人だった方でしたね。
教会は1591年から、修道会テアティン会のフランチェスコ・グリマルディが作り始め、1639年にブリンディシの司教により献堂されました。
教会は、1797年のブルボン朝のフェルディナンド4世の訪問を経験し、1860年にはイタリア王国への参入の是非を問う投票所として使用される等、重要な歴史の舞台にもなっています。 -
教会はグリマルディがかつて所属していたローマのサンタンドレア・デッラ・ヴァッレに雰囲気が似ているそうです。といわれてもすぐには思い出せないなあ・・・
サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会についてはこちらをどうぞ!
http://4travel.jp/travelogue/11067871 -
中央に見える、王冠のついたトキワガシの花輪を乗せた白いメス狼は、レッチェの町の紋章です。面白いデザインですね。
-
中央扉上のニッチェには、マニエーリが1717年に制作した聖イレーネ像が立っています。この像、元はブロンズでメッキされていたようです。
6つあるニッチェはどれも空っぽでした。イタリア南部の教会は、この時間すでに長い昼休みに入っているので、中を見るのはあきらめて次に向かいます。 -
コーベルシリーズ第3弾。こちらは、動物の頭と前足が並んでいました。面白い!
-
コーベル第4弾は、アルテミスでしょうか? おっぱいの下には、たわわに実った沢山の果実が見えますね。
-
ドゥオモ近くのキオストロで開かれていた蚤の市を冷やかして・・・
-
今度はドゥオモの北側のジュゼッペ・リベルティ−ニ通りを進みます。狭いけれど、活気のある通りです。車も殆ど入ってきません。
-
レッチェ石のお土産物屋さん。昨日のマテーラとあまり変わり映えしないような気もしますけど・・・
-
こちらは、レッチェ石の手作りランプです。重くなけりゃ一つ欲しいところです。
-
またも、面白いファサードに出会いましたよ。聖テレサ教会。こちらは隣接する修道会跣足カルメル会の修道院付設の教会で、1620年の創建です。
設計と建設にはまたしてもはジュゼッペ・ツィンバーロとチェザーレ・ペンナが関わっています。この人達なしにレッチェのバロックは語れません。
しかしながらおかしい点が1つ。ツィンバーロは1620年生まれ。生まれた時から教会建設していたわけではないでしょう。でもどの資料を読んでもツィンバーロの名が出てくるので、建設に参加したことは間違いなさそうです。
修道会に対する抑圧が行われた1807年以降は、修道院はカラビニエリの兵舎、学校、タバコ倉庫等に使われてきたという歴史を持っています。 -
なんとなく違和感を持つこのファサード。そう、創建から400年たってもまだ未完成なんです。この上に三角形のトップ・ペディメントを乗せると教会らしなりますよね。
ファサードで目立つのは左右3本ずつのコリント式柱。柱頭は割と一般的なデザインですが、花綱との連続模様になっていて、力強い印象です。
左右のニッチェには、洗礼者ヨハネと福音記者ヨハネの石像が置かれていました。 -
中央の扉上の装飾はこじんまりとしていますが、綺麗に残っています。掲げられた紋章は十字架奉仕団体のものだそう。
上層部分にも創造物がたくさん置かれていて、中央の可愛い窓の周りの装飾にいたるまで、完璧で手が込んでいます。装飾そのものはほぼ完成しているといっていいのに、なぜ最後のペディメントが付かなかったのでしょうかねえ・・・ -
聖テレサ教会前の街並みです。
-
レッチェの町の雰囲気にぴったりのトラットリア サン・カルリーノ。お値段も手ごろです。
-
小さな可愛い教会が見えてきました。サンタ・アナ教会。レッチェの町には女性聖人に捧げる教会が多いですね。
ファサードは、ドゥオモの正面ファサードをミニサイズにしたような印象。1680年の創建です。ここもツィンバーロが設計したという説が有力です。町中ツィンバーロで埋め尽くされています。 -
4本の柱の柱頭デザインがインパクトありです。女性の顔に羽が渦を巻いたような模様が良いアクセントになっています。
-
教会脇の階上へと続く階段がまた良い雰囲気を醸し出しています。
思わず上って行きたくなるような階段だと思いませんか? -
この旧市街には一体いくつの教会があるのでしょうか?
何分も歩かないうちに、また次の豪華な教会が現れましたよ。ロザリオの洗礼者ヨハネ教会、通称バシリカ・デ・ロザリオです。創建は1388年ですが、現在のファサードを建て始めたのは17世紀末の1691年。今まで歩いてみてきた教会同様、こちらもツィンバーロが建設に加わっています。
もともと14世紀にドメニコ会の神父がレッチェにやってきて建てた教会なので、熱心なドメニコ会の信者であったツインバーロはこの教会への財政的な援助も惜しまなかったそうです。ツィンバーロが1710年に亡くなった後工事は他の建築家に引き継がれ、1728年にようやく完成をみています。つまりこの教会がツィンバーロの最後の作品ということになりますね。 -
まず目に飛び込んでくるのは、スパイラルの溝付きの2本の巨大な柱と中央の豪華な装飾のある部分です。彫像はサン・ドメニコ、そしてその下にあるのはドメニコ会の紋章です。彫像の背景となっている花の浅浮彫が言葉にならないほど美しい!!
-
残念ながら工事中のようで、紅白の網が外観を著しく損ねていますが、ここはじっと我慢して見ないように努めます。
2本の柱の柱頭部分から左右に波立って拡がっていく装飾の列にも、ただただ口を開けてはため息の繰り返し。特に繰り返し使われている、躍動的な羽の生えた馬の装飾は見事ととか言いようがありません。
ファサード上層部の中央には聖母の姿、巨大な松ぼっくりのような花トロフィーの上には鳥が乗っかっているようだけれど、はっきりとは見えません。 -
左側のニッチェには洗礼者聖ヨハネ
-
そしてこちらはどなたでしょう? 預言者エゼキエルかな?
-
バシリカ・デ・ロザリオのある場所はレッチェの町の北西部の入り口となるルディアエ門のすぐ近くでした。ルディアエ門はレッチェで最も古く魅力的な城門と言われており、今はない古代都市ルディアエがその名前の由来となっています。
こちらは城門の内側なので、外側を覗きに参りましょう。 -
思った通り、派手なのはやはり外側でした。右手にかつての城門の名残が残っていますね。現在みられる城門は、古い城門の上に17世紀末に作られました。力強い4本の柱の柱頭の上には、神話に基づく町の創設者4人の胸像( Malennio 、 Dauno、 Euippa 、Idomeneo )が置かれています。
門はまたの名をオロンツォ門と呼ばれていますが、それが示す通り、門の一番高いところには聖オロンツォの彫像、脇を聖イレーネ、聖ドメニコが固めていました。中央のエピタフには、門が再建された経緯がラテン語で書かれているそうです。 -
ルディアエ門の内側に隣接してあったのは、レッチェ美術アカデミー。町中が芸術作品のようなレッチェの町の保存・修復に卒業生が貢献しています。
-
バシリカ・デ・ロザリオの前には、元スピリト・サント病院だった建物が残っていました。アシュラー式と呼ばれる独特の石の積み方が目につきます。
-
これは再びバシリカ・デ・ロザリオで、聖堂の両端に置かれていた石の彫刻にズームしました。太陽と月と星のデザインですね。
-
お土産物屋さんの前に置かれたヴァイオレットの自転車。乗るには勇気がいりそう・・・
-
来た道を戻って、先ほども目についた建物を調べてみると、こちらも教会だということが判明しました。サンタ・エリザベッタ教会。再び女性聖人に捧げる教会です。
この位置からだとわかりませんが、奥に丸いクーポラが乗っかっていて、遠くから見れば教会に見えそうです。1519年の創建。大変シンプルなファサードで、教会らしさはバラ窓だけですが、こちらは19世紀の作だそう。 -
ジュゼッペ・リベルティーニ通りから今度は北に進路を取ります。
-
蛇のうろこのような柱発見!
-
美味しそうなザクロ、スイカの描かれた絵皿、そして松ぼっくり(ピーニャ)の置物が沢山!
-
美しいバルコニーの手すりを見ると、つい撮りたくなってしまいます。フランスと比べると、イタリアではあまり見かけなかったのだけれど・・・
-
昼下がり。店を開けているのはお土産物屋さんだけのようです。
-
またありましたよ。ユニークなコーベル。左側の建物の壁の装飾も凝っています。
-
ほらね!
-
小さなイグナツィオ・ファルコネリ広場では、こんな建物を発見! 現在カルチャーセンターとして利用されている建物で、パラッツォ・マッレーゼPalazzo Marreseと書かれていました。18世紀の建物ですが、市内で一番美しいと評判です。
-
四人のカリアティードが柱の上でエンタブラチュアを支えています。両端の二人は頑張って両手を使っているけれど、内側の二人は片手のみ。完全にやる気なしとみました。四人の衣服のひだが、風化が進んでレース編みのような風合いを醸し出しています。
そして、素晴らしいプットたちによるコーベルのオンパレード!一体一体皆異なった表情を見せていて、その細かい表現に驚かされます。 -
なおも道を北に進みます。屋根が微妙に曲がった建物も風情がありますね。
-
こちらは1738年から1742年の間にマウロ・マニエーリによって建てられた平和のマリア教会maria della paceです。
ファサード上層部のシンプルな蔓草模様が良いアクセントになっています。今は教会としては機能していないようですね。 -
古くなって重厚さが増した? と言えなくはないこの建物はナポリ門の近くにありました。よく見ると、壁面にさりげなく装飾が施されているのがわかります。
-
道の向こうに、大きな丸屋根のサンタ・マリア・デッラ・ポルタ教会が見えてきました。教会の先には、レッチェの町の北の門ナポリ門があります。
-
サンタ・マリア・デッラ・ポルタ教会の手前にあったのが、こちらのテアトロ・パイジエッロ。ターラント出身の音楽家ジョヴァンニ・パイジエッロ縁の劇場です。オロンツォ・ベルナルディーニが建てた木造の建物を1872年に石造りで再建しました。デリケートな細部の建築にはナポリの職人が多く関わったとのことです。席数は320。
アーチ部分に楽器やギリシャ悲劇のお面などの装飾を見ることが出来ます。 -
ナポリ門に到着です。
この門は1548年、神聖ローマ皇帝カルロ5世(ハプスブルグ家)が、町の要塞化を実施したことに敬意を表し、凱旋門として作られた門です。のちにナポリ門と呼ばれるようになりました。 -
表側はこちら。高〜い! 20m近くありそうです。左右2本ずつのコリント式柱で支えられた三角形のペディメントには、カルロ5世の紋章、ローマの凱旋門を連想させる銃や鎧等が浅浮彫で彫られています。
ペディメントの下には、カルロ5世を称える碑文が書かれているそうです。 -
ナポリ門の下に立って、町の外、広い歩道のある道ヴィアレ・ターラント方面を見ると、なんとオベリスク発見!
-
こちらは、1822年から26年にかけて、両シチリア王国のフェルディナンド1世(ブルボン朝)に敬意を表して建てられたものなのだそうです。オベリスクの4つの面には、当時”Terra d'Otranto"と呼ばれていた4つの町レッチェ、ターラント、ブリンディシ、ガリポリそれぞれのシンボルマークが刻まれています。地元の石を用いたもので、高さはおよそ10m。
ちょっと疲れてきたので、そばまで行かなかったのを後悔しています。 -
パンテオンのような形をしたサンタ・マリア・デッラ・ポルタ教会は、もともとは聖母マリア像を持つ城壁の外の小さな教会だったそうですが、1548年のナポリ門建設と城壁工事に伴い、城壁の内側に移設されました。1567年には、そのマリア像が奇跡をもたらしました。祈りを捧げていたラウラ・マッキアという女性の、50年以上麻痺した体が一瞬で治癒したというのです。このことがあって、にわかに教会は有名になりました。久しぶりに奇跡の御話聞けましたよ〜!
現在の建物は1852年から58年にかけて、ネオクラシック様式で再建されたものです。 -
教会の壁にあった浅浮彫のスラブです。これも奇跡の場面でしょうか?
歩き始めて3時間、さすがに疲れたのでこの辺で休憩を取ります。この続きレッチェ後半は、「イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その49 レッチェ(2)」で!
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- マリアンヌさん 2016/02/12 16:10:06
- 美しきレッチェ
- junemayさん、こんにちわ。
数年前に南イタリアをサラっと周ったことがあり、懐かしく拝見しています。
バーリも慌しく旧市街を観光したので、こんなところもあったんだなと思いました。
マテーラは、30年位前にツアーで訪れただけなので、旅行記拝見すると見所がたくさんありますね。
サッシ地区もだんだん人が戻っていると聞きますし(私が行った頃は廃墟に近かった)ビザンチン風なフレスコが素晴らしかったり、サン・ロッコ病院ですか?素敵ですねぇ。
また行けるといいのですが・・・
レッチェ、黄色い石の装飾彫刻が美しい街ですよね。
シチリアのノートとかレッチェは、バルコニーの下の彫刻が素晴らしいです。
訪れる前は、バロックかと思ってましたが、実際に見るとそれほど過剰な感じではなく、文化が交錯した南イタリアらしさを感じる美しさでした。
神学校へも入られたのですね。キオストロの井戸、素晴らしいですね。
また続き楽しみにしています。
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2016/02/13 20:02:44
- RE: 美しきレッチェ
- マリアンヌさん
いつも訪問いただき、ありがとうございます。
相変わらずマイペースで、旅行記を進めております。イタリアは不思議な場所で、一度目より二度目、そして三度目と、どんどん味が複雑に、まろやかになっていく気がします。行けば行くほど熟成が進むワインのような国ですね。
忘れてしまった部分もたくさんありますが、この感覚だけは不思議にしっかりと覚えていて、いつも快いほろ酔い気分を味わせてくれます。
今年の旅の予定もそろそろ立てなければと思いつつ、今もって気分は南イタリアをうろついています。いいかげん目覚めなくっちゃ!
またご訪問いただくのをお待ちしております。ありがとうございました。
junemay
junemayさん、こんにちわ。
>
> 数年前に南イタリアをサラっと周ったことがあり、懐かしく拝見しています。
> バーリも慌しく旧市街を観光したので、こんなところもあったんだなと思いました。
>
> マテーラは、30年位前にツアーで訪れただけなので、旅行記拝見すると見所がたくさんありますね。
> サッシ地区もだんだん人が戻っていると聞きますし(私が行った頃は廃墟に近かった)ビザンチン風なフレスコが素晴らしかったり、サン・ロッコ病院ですか?素敵ですねぇ。
> また行けるといいのですが・・・
>
> レッチェ、黄色い石の装飾彫刻が美しい街ですよね。
> シチリアのノートとかレッチェは、バルコニーの下の彫刻が素晴らしいです。
> 訪れる前は、バロックかと思ってましたが、実際に見るとそれほど過剰な感じではなく、文化が交錯した南イタリアらしさを感じる美しさでした。
>
> 神学校へも入られたのですね。キオストロの井戸、素晴らしいですね。
>
> また続き楽しみにしています。
>
> マリアンヌ
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
130