2016/01/04 - 2016/01/04
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montsaintmichelさん
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明けましておめでとうございます。
新春の第一弾は、初詣のレポをお届けいたします。向かった先は、兵庫県第一の古大社あるいは県内唯一の官幣大社として知られる廣田神社です。『日本書紀』には、神功皇后摂政元(201)年に天照大神荒御魂(あまてらすおおみかみのあらみたま)の神託により、三韓征伐からの帰途、神功皇后の命により武庫の地「廣田の国」に創建されたと記されています。
また、朝廷より篤い崇敬を受け、『延喜式神名帳』では名神大社に列し、11世紀末の白河天皇の治世には伊勢神宮や石清水八幡宮と肩を並べる勅祭22社の一社になり、度々奉幣勅使の派遣があった由緒ある神社です。
住吉3神を祀っていたため、平安時代末期には貴族から「和歌の神」としても信仰されるようになり、社頭にて幾度か歌合せが行われ、藤原俊成筆『西宮歌合』で知られています。現在は、詩歌を始め学問・勉学全般に御神徳のある受験合格の神様ともなっています。
更には、国家鎮護、武運長久、勝運の大神として、源頼朝は平氏の討伐を祈願して領地を寄進し、豊臣秀頼は大規模な社殿改築と末社・戎社(西宮神社)建立を行い、徳川吉宗は現在の地に遷して改修するなど、武家からも篤く信仰された神社であり、3500社ある「えびす神社」の総本山「西宮神社」もこの廣田神社の摂社です。
この旅行記を訪問いただいた方々にもご利益があるよう祈願してまいりました。
【ご利益】勝運合格、開運隆盛、子授安産、文学歌謡、厄災消除、交通安全、立身出世、罪障祓滅、先導開拓、五穀豊穣
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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甲山(かぶとやま)
甲山は、廣田神社のご神体でもあります。この山頂には、国家平安守護のために神功皇后が如意宝珠及び兜を埋めたとの伝説が残されています。今日は、隣国から流れてきたPM2.5で少し霞んでいるのが残念です。
能「西宮」にも謡われた如意宝珠の方は、何故か剣珠(けんじゅ)と名付けられて廣田神社の秘宝となっています。『日本書紀』仲哀天皇2年(193年)の条に、神功皇后が関門海峡の海中より如意珠を得たとあり、神懸かり的な力を発揮した神功皇后が占術や霊力を発揮する時に使ったものだそうです。神宮皇后は巫女でしたので、政の行方などを占う時にこの水晶球で占ったそうです。
日本最古の水晶玉「剣珠」の名は、玉の中にある傷が剣の形にも見えることが由来です。一向宗徒によって隠蔽されたこともあり、その時は本願寺僧侶の良心により無事返還されたようです。また、慶安年間には、盗賊に盗まれましたが、毎夜鳴動することを恐れた盗賊が高野山の千手院谷に破棄し、山谷が振動することを怪しんだ寺僧によって発見され返還されたそうです。
如意宝珠を安置する剣珠宮殿は、以前、鍵が行方不明になりましたが、2001年の御鎮座1800年式年祭の際に開けられて一般公開され、以降毎年公開されているそうです。ただし、剣珠の公開時期は秋頃ですが、告知されることはなく、たまたま参拝されている方だけが見られる本当の秘宝になっています。 -
参道
ずらりと並んだ「御神燈」提灯が参拝者を大鳥居まで導く様は壮観です。 -
大鳥居の先には、廣田の杜が広がっています。
『日本書紀』は、廣田神社の創建の由来を次のように記しています。
西征の熊襲成敗の途上で仲哀天皇が急逝し、身重の神功皇后は神々に助けられて新羅・高句麗・百済の三韓を平定し、九州で御子を出産。大和への帰途、仲哀天皇の皇子 忍熊王と香坂王が神功皇后とその皇子を亡きものにしようと明石で待ち伏せていた。それを知った皇后は、船を迂回させて紀伊へ向かった。しかし、難波の港が目前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまった。武庫の港で神意を伺ったところ天照大神の託宣が降り、「荒御魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」と言った。そこで皇后は、山背根子の娘 葉山媛に天照大神の荒御魂を祀るよう命じた。同時に葉山媛の妹 長媛が長田の地に事代主神を祀り(長田神社)、海上五十狭茅(うながみのいさち)が生田の地に稚日女(わかひるめ)命を祀った(生田神社)。また住吉3神も祀られた。すると、船は軽やかに動き出し、忍熊王の乱も武内宿禰の軍により制圧されたという。 -
大鳥居
天皇陛下御即位25年並びに第62回神宮式年遷宮の佳節の年に当たり、2013年に立てられた真新しい鳥居です。
社格は高く、文徳天皇の治世に従五位下、清和天皇の治世に従三位から正三位、そして貞観10年には従一位まで上ります。これは、往時摂津国に地震が続き、占うと廣田、生田神社の祟りであることが判り、位を上げて怒りを鎮めようとしたためと伝えられています。
さすがに天照大神の荒御魂だけあり、風雨や地震に猛威を振るったのです。「皇居に近づけるな」と敬遠されたのも判ります。阪神淡路大震災が起こるまでは、この地方に大地震は来ないと信じられていたのですが、歴史を紐解いてみると古から地震はあったようです。 -
一の注連柱
阪神淡路大震災で崩壊しましたが、2000年に修復されました。柱の方は、大正3年(1914年)奉納と刻まれていましたので大丈夫だったようです。
笠木がなく貫だけで鳥居の原型に近い神門といった印象があり、「冠木鳥居」と呼ばれる形式です。注連縄から綯い合わされた長い3本の縄が垂れ下がっています。この形状は、俗界と神域の境界に見られる「結界」を連想させます。この鳥居を潜ると空気が一変し、自然と背筋が伸びます。
鳥居は神社の象徴とも言えるべきものですが、その起源については明らかになっていないそうです。他国から伝わったものであるとも、日本古来のものであるとも言われ、日本の神社の使いがニワトリであることから、そのニワトリが止まる横木が鳥居の原型であるとか、「通り居る門」から鳥居と呼ばれるようになったなど、名の由来も定かではありません。 -
参道
一部でコバノミツバツツジが季節外れの花を咲かせています。例年の開花時期は3〜4月中旬ですので「吃驚ポン!」の珍事と言えます。参道ではこのように7〜8分咲きとなった淡紫色の花が参拝者を迎えています。このところの暖冬の影響で狂い咲いたのでしょうが、春先にもちゃんと花を咲かせるのか気になるところです。
何と言ってもミツバツツジが売りの神社ですから…。 -
参道
初詣で、紅葉して朱に染まった葉と淡紫色の華彩のコラボレーションが愉しめるとは思ってもみませんでした。
「こいつぁ 春から縁起がいいわえ〜」としておきましょう。
この温かさは、観測史上最強のエルニーニョ現象の影響が大きく、さらに気候変動が拍車を掛けているそうです。日本付近は南から温かく、そして湿った空気が流れ込み易くなり、寒気の流れ込みが弱い状況が続く見通しだそうです。本日の最高気温も16℃になったそうです。
しかし、手放しでは喜べません。エルニーニョ現象は異常気象の原因ともなり、南海上を低気圧が進む『南岸低気圧』型などで湿った暖かい空気と寒気がぶつかると想定外の大雪をもたらすそうです。
世界を見渡すと、南米では集中豪雨により洪水や土砂崩れが発生して甚大な被害がでています。テキサス州では、2日間の気温差が28℃となり、寒気と暖気がぶつかって暴風雪や凍雨、竜巻が発生しています。一方、オーストラリアでは高温と極度の乾燥の中で山火事が発生し、メルボルン郊外の100軒以上が全焼しました。アフリカ東部では干ばつに見舞われ、チオピアをはじめとする国々の数百万人に食料援助が必要な状況となっていると伝えています。
こうした中、米国では暖房需要の減少観測から天然ガス価格が16年ぶりの安値を付け、また、世界的な農作物の不作で食料品のインフレ圧力への懸念も強まっています。米連邦準備理事会の9年半ぶりの利上げで世界経済の緊張感が高まる中、エルニーニョ現象が世界経済に冷気を吹き込んでいます。
エルニーニョは、スペイン語で「神の子」の意味なのですが…。 -
参道
かつての西宮は、この廣田神社周辺まで入り江だったようです。現在の海岸線よりもはるかに北へ入り込んだ入江は、武庫の水門と呼ばれ、大和朝廷にとって要衝の港であり、航海の安全を願って廣田神社がこの地に祀られるようになったものと思われます。やがて入江は河川から流れる土砂で次第に埋められ、田畑や集落となり、現在の姿になったのです。 -
二の注連柱
廣田村氏子中により、1880(明治13)年に立てられました。
注連縄から短い御幣が下げられた、「注連縄鳥居」と呼ばれる珍しい鳥居です。2本の柱に注連縄を架けただけの簡素なもので、笠木や島木、貫など全てありません。ここのものは、注連縄が垂れ下がらないように鉄棒が通されています。鉄棒もない注連縄鳥居は、奈良県大神神社にあるものが有名です。 -
境内
廣田神社は、古来より京都から西方にある特別な神社として知られ、「西宮」の語源は廣田神社を中世の貴族が「西宮」と別称し、神社への参拝を西宮参拝や西宮下向と称したことに始まると本居宣長著『古事記伝』や伴信友著『神名帳考証』は記しています。後に「西宮」の語は、廣田神社の荘園であった廣田神郷(神戸市東部〜尼崎市西部、有馬・猪名川に及ぶ)の地名として使われるようになり、近世には末社の南宮や西宮神社のある浜南宮を中心とした地域の地名となり、現在は西宮市へと受け継がれています。 -
境内
阪神タイガース公認の「必勝祈願絵馬」は、社務所にて授与されます。 -
境内
燈籠には寺紋の十六弁菊紋が燦然と輝いています。 -
境内
兵庫県の「兵庫」の意味は、「兵の武器庫」とされていますが、「武庫(むこ)」の地名は神宮皇后が合戦をした兵具を納めた武器庫からとも言われています。 -
境内
このような野球チームやバレーボールチームなど、スポーツ関係の必勝祈願の参拝が目立ちます。 -
拝殿
飾り気のない神々しい神明造(平入)、銅板葺で、左右には翼殿と呼ばれる小さな拝所が設けられています。現存の拝殿と翼殿は1962(昭和37)年に新築されたものです。 -
本殿
主祭神は、天照大神の荒御魂(あらみたま)である撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)です。長ったらしい名前ですが、天照大神の凄まじいパワーを持った側面を神格化し、このような別称で呼んでいます。「榊に宿り、清らかな魂を持ち、高天原から降ってきて、天に相対している女神」という意味だそうです。
荒御魂とは、神道において和御魂(にぎみたま)と対になる神の霊魂が持つ概念です。荒御魂は、神の荒々しい側面、荒ぶる魂を言います。天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きです。人々は神の怒りを鎮めて荒魂を和魂に変えるため、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきたのです。 -
本殿
拝殿から一部が見える本殿は、他の神社に比べると大きく立派な造りになっています。1945年に空襲により本殿が焼失し、現在の本殿は伊勢神宮遷宮の折に旧荒祭宮社殿を譲り受け、1956年に竣工されたものです。実は和魂を祀っている伊勢神宮と同様に、神宮に昇格させようという話も浮上したそうですが、戦争終結と共に立ち消えになったそうです。
伊勢神宮の社殿と同様の神明造、切妻、平入の素木(しらき)造です。屋根の棟の上には千木(ちぎ)と堅魚木(かつおぎ)を載せています。 -
拝殿
拝殿の右脇には、巨大な干支大絵馬「開運招福」が掛けられています。
この絵馬を制作したのは、西宮市水墨、墨彩画協会会長の武井泰道氏です。墨彩画を通じて国際交流の絆を深める活動をなされている方です。
武井泰道氏の紹介HPです。
http://geibunkyoukai.iinaa.net/nihongamuitaidou.html -
拝殿
千木は、棟の両端に左右から交差するように載せた部材です。一般的に、この千木の先端断面が地面と垂直ならその神社が祀っている神様は男神、地面と水平なら女神と言われています。
また、堅魚木は、奇数なら男神、偶数なら女神と言われています。
千木は水平、堅魚木の数は奇数ですので、ユニセックス(中性)ということでしょうか!? -
右脇殿
本殿の左右に脇殿が2社ずつあり、右脇殿の第1脇殿に住吉3神、第2脇殿に八幡3所大神を祀っています。
左側にあるのが本殿です。 -
摂社 斎殿(ときどの)神社
神功皇后の命により葉山姫が甲山山麓に天照大神の荒御魂を最初に祭った齋宮です。その妹 長媛は長田神社で事代主神を祀りました。この2柱の神に対し女性が選ばれていることから、仕えたのが男神だったことが窺えます。つまり、天照大神を『日本書紀』では意図的に女神としていますが、男神だったことの証左と言えます。
天照大神の荒御魂は、武内宿禰が審神者(さにわ)を務めた神降ろしの場で思いがけず外征を告げることに始まり、その神託を疑った仲哀天皇を死に至らしめ、皇后に憑依して三韓征伐の戦へと誘いました。それらの行動には男神の持つ好戦的な相貌が窺われます。
当初、葉山媛が天照大神の荒御魂を祀った地は、甲山山麓の高隈原(たかくまはら)だったそうです。その後、南北朝の頃に山麓から降りた御手洗川の畔に遷るもそこで水害に遭い、1724(享保9)年に現在地に遷座したそうです。 -
拝殿
天照大神は『記紀』では女神と表現されていますが、原初の姿は男神であったという説があります。
『記紀』よりも古いと主張する研究家もいる古代大和ことばで綴られた叙事詩『ホツマツタヱ』には、『日本書紀』に登場する撞賢木厳之御魂天疎向津媛命と同名の向津媛を瀬織津媛と同定し、天照大神の皇后として、ある時は天照大神の名代として活躍したことが記されています。また、現在、廣田神社は天照大神の荒御魂を主祭神と標榜していますが、戦前の由緒書きには瀬織津姫が主祭神だと記されていたそうです。
生田神社では海上五十狭茅という男性祭祀者が稚日女という女神を祀っていることを考え合わせれば、女神には男性が、男神には女性がついて奉仕するしきたりがあったと考えられ、葉山媛姉妹はそれぞれの男神に仕えたのが自然のように思えます。 -
拝殿
拝殿に向かって左側に奉納され積み上げられた酒樽は、もちろん阪神タイガース銘柄です。
廣田神社が勝運(昇運)の神と崇められる理由は、『日本書記』に記されています。北九州での熊襲との戦いで夫 仲哀天皇を失い、失意のどん底にあった神功皇后でしたが、廣田大御神の守護を得てからは連戦連勝で運勢も急上昇しました。また、源頼朝の平氏討伐祈願、蒙古襲来の度にも神威が発揮されたことから、国難の守り、国家鎮護の大神として武運長久・勝運・受験合格の大神としても崇拝されています。
大ヒットした映画『阪急電車』のクランクインに当たり、関係者が撮影祈願・ヒット祈願をされた縁起の良い神社でもあります。また、毎年、プロ野球のシーズン開幕前に阪神タイガースの監督をはじめ、全選手、球団関係者が優勝を祈願しに訪れます。しかし、近年のタイガースの成績を振り返っても分かる通り、気性の激しい神らしく、時としてご機嫌を損ねてそっぽを向くことも多々あり、その時のタイガースの低迷振りは目を覆いたくなるほどです。因みに、優勝祈願の歴史はタイガース結成時の1936(昭和11)年から続いています。以前はキャンプ出発前の1月下旬に参拝していましたが、星野前監督の時代からキャンプ終了後に変更されたそうです。近年優勝から遠ざかっているタイガースですが、金本新監督を迎え、選手一同、新たなるチャレンジ精神で頑張って欲しいと思います。 -
左脇殿
第3脇殿に諏訪健御名方富大神、第4脇殿に高皇産霊大神を祀っています。
右側にあるのが本殿です。 -
本殿
六甲山は元は向津(むかつ)峰と呼ばれ、それが武庫(むこ)となり、江戸時代には六甲(むこ)と表記され、明治以降に「ろっこう」と音読みされるようになったようです。
その六甲山山頂付近には、山名の変遷と共に祭神名を変えてきた六甲比命神社があり、そこには壮大な磐座が鎮座しています。現在は「弁財天」が祀られていますが、本来は「向津媛」が祀られていたと言うのが定説です。廣田神社は六甲山を含む広大な社領を有していたとされ、六甲比命神社に廣田神社の祭神が祀られていても何ら不思議なことではなく、廣田神社が瀬織津姫(=向津媛)を主祭神としていたことの裏付けと言えます。 -
拝殿
奉納された酒樽の裏側には、このような半円形状をした板に金文字が書かれています。何かの行事に使われるものかもしれません。
また、不思議な事に梁にある木板には、東日本大震災での津波の様子が事細かに書かれています。廣田神社と東日本大震災の関係を調べたところ、日高見高天原は東北の瀬織津媛信仰のメッカであることが判りました。つまり、瀬織津媛繋がりということのようです。
熱田神宮の一之御前神社や大阪市の御霊神社などでも天照大神の荒御魂(=瀬織津媛=天照大神の后)を祀っています。こうしてみると、瀬織津媛信仰が最も盛んな時代は現代なのかもしれません。
古来より、瀬織津媛は水の女神や祓戸大神4柱の最初の女神として崇敬されてきましたが、現在ほど敬愛を込めて様々に語られたことはなかったようです。インターネットの恩恵も多分にありますが、それだけ謎に満ち、ある意味「秘匿された女神」だったとも言えます。これは、女帝持統天皇に仕えた藤原不比等が、女系皇統を正当化するため、『日本書記』に天照大神を女神と記したことが発端にあるそうです。捏造と疑われないよう、邪魔になった天照大神の后であり天忍穂耳命の母である 瀬織津媛を封印したのです。
しかし、天照大神が男神であったことは、伊勢神宮の儀式(巫子が太い柱を撫で触る)を見れば火を見るより明らかです。また、外宮に祀られている豊受大明神は女神であり、天照大神を慰める目的で後から祀られたものです。「斎宮」や「斎王」といった制度も天皇家の娘が天照大神を祀りました。
瀬織津媛は東北地方では古来の水の女神と融合して伝えられ、山霊と結び付いたものや蝦夷祓いの神として八十禍津日神と一体化して祀られている例もあります。実に複雑怪奇な女神ですが、これも『日本書紀』が捏造した天照大神女神説を頑なに守ろうとした結果と言えます。しかし、神仏習合の中で役行者の智慧により、天照大神が毘沙門天、瀬織津媛が吉祥天(弁財天)、天忍穂耳命が善膩師童子という姿に身を変えて祀られ、こうしてめでたく後世に真実を伝えるに至ったのです。また、西方浄土の阿弥陀三尊も、天照大神・瀬織津媛・天忍穂耳命をそれぞれ阿弥陀如来・聖観音・勢至菩薩として仏教的に祀ったものと解釈できます。一説には、キリスト教の「マグダラのマリア(イエスの妻)」も瀬織津媛(聖観音)と同一神だと言われますが、ここまで行くと飛躍しすぎと思います。彼女も存在を封印された女神であり、境遇が似ているかもしれませんが…。 -
五末社
拝殿の左脇には、八坂神社・子安神社・春日神社・地神社・稲荷神社が祀られて鎮まっています。 -
末社 松尾神社
酒の神 大山咋命(おおやまぐいのみこと)を祀っています。
酒造の地繋がりということでしょうか?
ご利益は、延命長寿、上木建築工事、商売繁盛です。 -
絵馬掛所
阪神タイガース公認の「必勝祈願絵馬」の数が少ないように思えます。こんな所にも近年のタイガースの低迷した成績が顕著に反映されています。
廣田神社繁栄のためにも、今年こそ日本一を目指して欲しいと思います。 -
絵馬掛所
これが全国の阪神タイガースファンが欲しがる球団公認の絵馬です。 -
御神水
境内の一角に御神水と呼ばれる湧水があります。冷たくて味はよく判らずじまいでしたが、六甲山の花崗岩の岩盤を通り抜ける水は鉄分が少なく、ミネラルに富み、酒造りに適しているそうです。伏流水も質がよく、海水も少し混じるという西宮の水は特に宮水と呼ばれ、おいしいお酒が造られるようになったそうです。特にこの地域は灘五郷と呼ばれて有名で、白鷹、白鹿、日本盛、御影では菊正宗、白鶴、剣菱などの酒造会社がよく知られています。 -
御神水
天気の良い日が続いたためか、水の出方も上品です。 -
境内
吟道碑の脇に磐座を彷彿とさせるものがあります。
元からあった岩石ではなく、意図的にここに寄せて置かれているように思います。これから石庭でも造るのでしょうか? -
廣田山公園
廣田神社の境内から廣田山公園にかけての神苑約2万平方mに亘り10数か所に分かれて大きな群落を形成するコバノミツバツツジ群落は、総株数約2万株にのぼり、1969年に兵庫県天然記念物に指定されています。
廣田神社のコバノミツバツツジは淡紫色のものが多く、300年前から自生していたと考えられ、大株で高さ3〜4mのものは樹齢150年以上と推定されています。このコバノミツバツツジは葉が出る前に花を咲かせ1本のめしべの回りに10本のおしべがあり、葉が開くと葉が3枚輪生することからその名が付けられています。
「植物学の父」とも呼ばれた牧野富太郎博士も、ここのコバノミツバツツジが咲き乱れる姿に感動され、「ただ三葉千萬人をおびき寄せ」と詠んでいます。
毎年4月の第2土・日曜日には「つつじまつり」が開催されています。 -
参道
清々しい気分に満たされながら廣田神社を後にしました。 -
授与していただいたお守りです。
皆さまにもご利益がありますように!! -
おまけ1
季節外れですが、昨年のクリスマスケーキをアップします。
一乗寺「中谷」さんの「サンタの忘れもの」です。
ネーミングもハートを鷲づかみしますが、和洋折衷のスペシャルスイーツで一味違うクリスマスが愉しめました。
元々和菓子は季節感が豊富なのですが、洋菓子のイメージが強烈なクリスマスをこのように和菓子で表現するのは素晴らしいチャレンジだと思います。 -
おまけ2
エス・コヤマさんのクリスマスケーキが恒例でしたが、昨年のクリスマスケーキのコンセプトが小山さんの初心から逸脱しているような気がしたため、外してみました。
超一流のパティスリーとなっても、「Beginner's mind」を忘れないでいただきたいと思います。今年のエス・コヤマのクリスマスケーキを楽しみにしております。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。
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