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セネガル里帰り旅行 初日。<br /><br />NYのセネガル人コミュニティーでセネガル人家族の中で物心ついた頃から過ごしてきたので、中身はほぼセネガル人なはずの俺が、初めて実際にセネガルの地を踏んだ、記念すべき第1日目。<br /><br />と、言うわりには特に何もせず。な、初日、2015年11月28日(土)<br /><br />出発編はこちら→ http://4travel.jp/travelogue/11088282<br />

セネガル初里帰り!その2 ~到着日~

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2015/11/27 - 2015/12/16

37位(同エリア68件中)

0

15

ライオン5656

ライオン5656さん

セネガル里帰り旅行 初日。

NYのセネガル人コミュニティーでセネガル人家族の中で物心ついた頃から過ごしてきたので、中身はほぼセネガル人なはずの俺が、初めて実際にセネガルの地を踏んだ、記念すべき第1日目。

と、言うわりには特に何もせず。な、初日、2015年11月28日(土)

出発編はこちら→ http://4travel.jp/travelogue/11088282

旅行の満足度
5.0
交通手段
高速・路線バス タクシー 徒歩
航空会社
デルタ航空
  • いよいよダカールの街並みが見えてくる。<br />キレイでイイカンジだ。<br /><br />座席をUPGRADEしたにもかかわらず、席は狭かったがフライトはそれほど悪くなかった。たぶん俺はいつものNY-タイ行きでトランジットを入れて17~30時間程の長いフライトに慣れているからだろう。Dad(親戚の者の呼び名)はいつもNY-DAKARの7~9時間しか乗ってないので、疲れていたようだ。どっちにしてももうすぐ到着だ。

    いよいよダカールの街並みが見えてくる。
    キレイでイイカンジだ。

    座席をUPGRADEしたにもかかわらず、席は狭かったがフライトはそれほど悪くなかった。たぶん俺はいつものNY-タイ行きでトランジットを入れて17~30時間程の長いフライトに慣れているからだろう。Dad(親戚の者の呼び名)はいつもNY-DAKARの7~9時間しか乗ってないので、疲れていたようだ。どっちにしてももうすぐ到着だ。

  • エアポートで預けた荷物が出てくるのを待っている時の写真。TIGOとCBAOのポスターを見つけて「マヂでセネガル来たんだ!」と実感。TIGOはセネガルのケータイやネットのプロバイダーでCBAOは銀行だ。初めて来たけど、いつどこで覚えたのか俺の中では当たり前の知識としてこういうことは知っている。こういう些細なことからも自分がやっぱ中身はセネガル人だと思えるのだ。このようなことは今回の滞在中たくさんあった。詳しくは旅日記に書いていく。<br /><br />入国審査は小規模であまり混んでいなかった。窓口がセネガル人用、外国人用で分かれていないのが気に入ったw おそらくそんなに外国人が入国しないからなんだろうけど、理由はどうあれ、アメリカのパスポートしか持って来てない俺には、せっかく母国の土を踏んだのに早速入国で外国人的疎外感を感じずに済んだのでありがたかった。<br /><br />エアポートを出る前に再度荷物検査の機械に荷物を通して出国し、同じ飛行機だった何名かの友達と別れDadと2人になった。外に屋根付きの長い通路がありそこを荷物を載せたカートを押して歩くとTAXIや両替の客引きがたくさん皆に声をかけていた。俺らは友達が迎えに来ているので、シカトしてそのまままっすぐ歩く。<br /><br />実は、出発前日に急にNY在住のDadの友人から6歳の息子をJFKからDAKARのエアポートまでアテンドしてくれと頼まれた。元々、自分がJFKまで連れて行き、子供の叔父に当たる人がアテンドしてダカールのエアポートでその子のおじいさん(Dad友人の父)に引き渡す予定だったが、急に叔父が行けなくなったと。偶然にもおじいさんは俺が泊まる予定の宿の近くに住んでるので、ついでに宿までの道案内をするから、と。俺もDadもその息子のことはよく知らないが、まぁいいや、と承諾。だが、ギリギリでその子をよく知る人が一緒に来れることになり、結局俺たちがアテンドしないでよくなった。代わりに道案内はなくなった。俺の宿はDadの住む中心部から少し離れたところ(むしろエアポートの近く)とは言え、俺たちを迎えに来る友達もDadもDAKAR生まれ育ちなので言え、宿を探すのにそれほど困難はないだろう。<br /><br />ダカールのエアポートで入国審査に並ぼうとしたら、その子供のじいさんがそこに立って誰かと笑って立ち話していた。結局俺たちはその子をアテンドしなかったが、Dadの友達の父さんなので挨拶をする。つか、フツー出迎えの人って入国審査の外、いや、荷物も受け取って税関出たあとにいるんでないか?? &quot;こりゃジイサン、空港に知り合いがいて特別に入れて貰ったな!&quot; と思ったら、やっぱり俺の知ってるセネガルだ! と嬉しくなった。初めて来たけど、やっぱり文化は俺のもの。

    エアポートで預けた荷物が出てくるのを待っている時の写真。TIGOとCBAOのポスターを見つけて「マヂでセネガル来たんだ!」と実感。TIGOはセネガルのケータイやネットのプロバイダーでCBAOは銀行だ。初めて来たけど、いつどこで覚えたのか俺の中では当たり前の知識としてこういうことは知っている。こういう些細なことからも自分がやっぱ中身はセネガル人だと思えるのだ。このようなことは今回の滞在中たくさんあった。詳しくは旅日記に書いていく。

    入国審査は小規模であまり混んでいなかった。窓口がセネガル人用、外国人用で分かれていないのが気に入ったw おそらくそんなに外国人が入国しないからなんだろうけど、理由はどうあれ、アメリカのパスポートしか持って来てない俺には、せっかく母国の土を踏んだのに早速入国で外国人的疎外感を感じずに済んだのでありがたかった。

    エアポートを出る前に再度荷物検査の機械に荷物を通して出国し、同じ飛行機だった何名かの友達と別れDadと2人になった。外に屋根付きの長い通路がありそこを荷物を載せたカートを押して歩くとTAXIや両替の客引きがたくさん皆に声をかけていた。俺らは友達が迎えに来ているので、シカトしてそのまままっすぐ歩く。

    実は、出発前日に急にNY在住のDadの友人から6歳の息子をJFKからDAKARのエアポートまでアテンドしてくれと頼まれた。元々、自分がJFKまで連れて行き、子供の叔父に当たる人がアテンドしてダカールのエアポートでその子のおじいさん(Dad友人の父)に引き渡す予定だったが、急に叔父が行けなくなったと。偶然にもおじいさんは俺が泊まる予定の宿の近くに住んでるので、ついでに宿までの道案内をするから、と。俺もDadもその息子のことはよく知らないが、まぁいいや、と承諾。だが、ギリギリでその子をよく知る人が一緒に来れることになり、結局俺たちがアテンドしないでよくなった。代わりに道案内はなくなった。俺の宿はDadの住む中心部から少し離れたところ(むしろエアポートの近く)とは言え、俺たちを迎えに来る友達もDadもDAKAR生まれ育ちなので言え、宿を探すのにそれほど困難はないだろう。

    ダカールのエアポートで入国審査に並ぼうとしたら、その子供のじいさんがそこに立って誰かと笑って立ち話していた。結局俺たちはその子をアテンドしなかったが、Dadの友達の父さんなので挨拶をする。つか、フツー出迎えの人って入国審査の外、いや、荷物も受け取って税関出たあとにいるんでないか?? "こりゃジイサン、空港に知り合いがいて特別に入れて貰ったな!" と思ったら、やっぱり俺の知ってるセネガルだ! と嬉しくなった。初めて来たけど、やっぱり文化は俺のもの。

  • エアポートの外。迎えに来てくれた友達が車を止めていたところ。<br /><br />迎えに来ていた友達とも無事会え、車に荷物を積もうとしたら若い女性が近づいて来て、Dadが名前と住所の書いた小さいパッケージを渡していた。誰かがNYでダカールに着いたらその子に渡すように頼んだのだろう。そういえば飛行機が着陸した頃からDadのケータイに何度も電話がかかり、うるさいのでDadは電源を切っていた。<br /><br />最近はエアラインの預け荷物、手荷物ともにイロイロ制限がかかりうるさくなったのでもうあまり他人の荷物を持って行ってあげることは少なくなったが、俺らも今回チェックインしてあげたように、まだ時々は持って行ってあげてるのだ。<br /><br />いよいよ車はワッカム(俺の滞在先)に向けて出発した。

    エアポートの外。迎えに来てくれた友達が車を止めていたところ。

    迎えに来ていた友達とも無事会え、車に荷物を積もうとしたら若い女性が近づいて来て、Dadが名前と住所の書いた小さいパッケージを渡していた。誰かがNYでダカールに着いたらその子に渡すように頼んだのだろう。そういえば飛行機が着陸した頃からDadのケータイに何度も電話がかかり、うるさいのでDadは電源を切っていた。

    最近はエアラインの預け荷物、手荷物ともにイロイロ制限がかかりうるさくなったのでもうあまり他人の荷物を持って行ってあげることは少なくなったが、俺らも今回チェックインしてあげたように、まだ時々は持って行ってあげてるのだ。

    いよいよ車はワッカム(俺の滞在先)に向けて出発した。

  • 空港を出た直後のところ。ダカールは都会と聞いていたが想像していたより更にモダンな印象。<br /><br /><br /><br />

    空港を出た直後のところ。ダカールは都会と聞いていたが想像していたより更にモダンな印象。



  • アフリカで初めてみる海。俺らの先祖はこの海を<br />渡ってアメリカに連れて来られたのか?俺がセネガルに来たもう1つの理由だ。

    アフリカで初めてみる海。俺らの先祖はこの海を
    渡ってアメリカに連れて来られたのか?俺がセネガルに来たもう1つの理由だ。

  • ダカールの街は便利で近代的だがのどかなカンジ。タイやマレーシア郊外の街並みによく似ていた。そのせいか文化や習慣はセネガル人でも街は初めてなのに全然初めてな気がしないw<br />

    ダカールの街は便利で近代的だがのどかなカンジ。タイやマレーシア郊外の街並みによく似ていた。そのせいか文化や習慣はセネガル人でも街は初めてなのに全然初めてな気がしないw

  • アフリカン・ルネサンス・モニュメントの真下を通る。<br /><br />この巨大モニュメントは2010年に北朝鮮の建設会社によって建てられた。構想は当時のセネガル大統領アブドゥライ・ワッド、デザインもセネガル人の建築家だ。<br /><br />俺はこのモニュメント完成前(たぶんワッドが2度目に大統領に選ばれた2007年の選挙の前後)、アブドゥライ・ワッドの顔が前でこのモニュメント完成予定図が後ろに描いてあるTシャツを貰い、今ではよれよれになったのでパジャマにしている。もちろん今回の旅行にもパジャマとして持って来た。

    アフリカン・ルネサンス・モニュメントの真下を通る。

    この巨大モニュメントは2010年に北朝鮮の建設会社によって建てられた。構想は当時のセネガル大統領アブドゥライ・ワッド、デザインもセネガル人の建築家だ。

    俺はこのモニュメント完成前(たぶんワッドが2度目に大統領に選ばれた2007年の選挙の前後)、アブドゥライ・ワッドの顔が前でこのモニュメント完成予定図が後ろに描いてあるTシャツを貰い、今ではよれよれになったのでパジャマにしている。もちろん今回の旅行にもパジャマとして持って来た。

  • 前<br /><br />



  • 後ろ

    後ろ

  • タグもアフリカを主張!なんちってw つかこのTのサイズ、XXLだけどアメリカサイズのMくらいなカンジ

    タグもアフリカを主張!なんちってw つかこのTのサイズ、XXLだけどアメリカサイズのMくらいなカンジ

  • 今回、OUAKAM(ワッカム)在住日本人の方が経営されているINN「和心(わごころ)」に泊まった。彼らは弁当デリバリーと日本食レストランも経営されている。というか、むしろそっちが本業。<br /><br />セネガル文化で育ったけど日本人の血を引く俺が、日本の方が経営されている宿に泊まることになったのは全くの偶然。逆に最初は「セネガルに里帰りなのに、外国人である日本人経営のところに泊まるってどーなんだろ」と自分でも葛藤があったが、諸事情(あとの旅行記に書く)でここに決まった。他より値段も安く快適そうで、しかもセネガル帰るのに今まであまり馴染みのなかった日本文化にも触れられる、1カ国に行くのに2カ国のカルチャーが味わえるようでオイシイぢゃん、とも思えたので。

    今回、OUAKAM(ワッカム)在住日本人の方が経営されているINN「和心(わごころ)」に泊まった。彼らは弁当デリバリーと日本食レストランも経営されている。というか、むしろそっちが本業。

    セネガル文化で育ったけど日本人の血を引く俺が、日本の方が経営されている宿に泊まることになったのは全くの偶然。逆に最初は「セネガルに里帰りなのに、外国人である日本人経営のところに泊まるってどーなんだろ」と自分でも葛藤があったが、諸事情(あとの旅行記に書く)でここに決まった。他より値段も安く快適そうで、しかもセネガル帰るのに今まであまり馴染みのなかった日本文化にも触れられる、1カ国に行くのに2カ国のカルチャーが味わえるようでオイシイぢゃん、とも思えたので。

  • 宿に着いて荷物整理などして落ち着くと、宿の人々が親切にも自分たちが食べるランチを一緒にどうかと誘ってくれたので、ごちそうになった。チキンカレーと言っていた気がするが俺が思っていたのとは違った。<br /><br />その後近所の店にドリンクとでかい水のタンクを買いに行った。今度はアラビア語表記のSPRITEだ。<br /><br />店に行ってなんとWOLOF(セネガルの言葉)で「水」という言葉を知らない自分に驚愕する。セネガル人と言ってる割にはあまりWOLOFをしゃべれないのは自分でもわかっていたが、~~をくれ、と言うのは、JOXMA~~だが肝心の「水」という単語を知らなかった!他にも、いくら?というのは、GNAATA LA?というのは知っていたが、フランス語で返事をされると全くわからないのであった。セネガル人同士は普段はWOLOF語で話しているけど、数字、特に金額は公用語のフランス語で言うことが多い。なんとか金額がわかり、宿のオーナー、原田氏が一緒に来てくれていたので、でかい水のタンクを持って俺の2階の部屋まで来てくれたので助かった。<br /><br />DadがSIM CARDを入れてくれるため、俺のIPHONEを持っていってしまい、代わりにDadの予備のケータイを置いていった。俺のケータイは<br />夜、観光に連れて行きがてら迎えに来る時に持って来ることになっている。<br /><br />部屋に戻ってから、お湯が出ないので水シャワーを浴びてからお祈りをした。俺の泊まっている部屋では、近所のモスクからかすかにアザーン(イスラムの祈りの呼びかけ)が聞こえる。コレが聞こえるとどこにいても安心できるし落ち着く。その後旅日記(コレでなくノートに手書き)を書いたらやることがなくなった。<br /><br />Dadの置いていった予備ケータイでDadのメインケータイに電話しようとしたが、なぜか繋がらず。俺のケータイはDadに預けてあるので、セネガルの友人知人もアメリカの友達の番号も誰もわからない。おまけに宿はWI-FIが通じてるはずが、ちょうどその頃調子が悪かったらしく持って行ったLAPTOPもNETに繋がらず。マヂやることなくなった。なんかおもろいことやりたくても、ケータイもないしDadに両替頼んだので金もない。<br /><br />外はだんだん夕暮れになってきて、たった1人で知らない部屋にいると、なんだか空虚なような変な気分になってきた。セネガルはもちろん俺の国だと思っているが、実際に来るのは初めてで、ずっと一緒に暮らしてきたDadを抜かして、親戚たちのこともそこまでよくは知らない。Dadは自分の嫁や子供たちと今頃は楽しく再会を喜んでいるに違いない。俺が1人でこうしている間にも。所詮、俺だけ血が繋がってないもんな、もしこのまま俺の滞在中Dadから連絡なかったら1人でこの2週間半なんとかしないといけねえな、1人旅はつまんねえと思いつつ眠りに落ちていた。<br /><br />7時頃ようやくDadから電話があった。俺はまだその時寝ていた。が、電話に出ると、「自宅に着いてすぐ寝て、たった今起きた!」と言っていた。確かにセネガルからNYに帰ってくるといつもすぐ寝て8?9時間は起きないことを思い出した。それにフツーに考えて俺のケータイも金も持ったまま2週間半なんの連絡もしてこないことは<br />ありえない。しかも荷物もNYの自宅でパッキングをした時、重さの関係で俺の物をDadのスーツケースに、Dadの物を俺のスーツケースにけっこうミックスして入れて、セネガルでそのままそれぞれの宿や家に持ってったので、お互いの服やミヤゲなんかがゴチャゴチャになっている。その状態で俺が帰るまで知らんぷり、なんてことはありえないw。なんで昼寝する前にそう思ったのかは自分でも不明。<br /><br />今からメシを持って俺の宿に来ると言っていた。スデにハラが減っていたが、結局Dadが来たのは夜10時頃だった!<br />

    宿に着いて荷物整理などして落ち着くと、宿の人々が親切にも自分たちが食べるランチを一緒にどうかと誘ってくれたので、ごちそうになった。チキンカレーと言っていた気がするが俺が思っていたのとは違った。

    その後近所の店にドリンクとでかい水のタンクを買いに行った。今度はアラビア語表記のSPRITEだ。

    店に行ってなんとWOLOF(セネガルの言葉)で「水」という言葉を知らない自分に驚愕する。セネガル人と言ってる割にはあまりWOLOFをしゃべれないのは自分でもわかっていたが、~~をくれ、と言うのは、JOXMA~~だが肝心の「水」という単語を知らなかった!他にも、いくら?というのは、GNAATA LA?というのは知っていたが、フランス語で返事をされると全くわからないのであった。セネガル人同士は普段はWOLOF語で話しているけど、数字、特に金額は公用語のフランス語で言うことが多い。なんとか金額がわかり、宿のオーナー、原田氏が一緒に来てくれていたので、でかい水のタンクを持って俺の2階の部屋まで来てくれたので助かった。

    DadがSIM CARDを入れてくれるため、俺のIPHONEを持っていってしまい、代わりにDadの予備のケータイを置いていった。俺のケータイは
    夜、観光に連れて行きがてら迎えに来る時に持って来ることになっている。

    部屋に戻ってから、お湯が出ないので水シャワーを浴びてからお祈りをした。俺の泊まっている部屋では、近所のモスクからかすかにアザーン(イスラムの祈りの呼びかけ)が聞こえる。コレが聞こえるとどこにいても安心できるし落ち着く。その後旅日記(コレでなくノートに手書き)を書いたらやることがなくなった。

    Dadの置いていった予備ケータイでDadのメインケータイに電話しようとしたが、なぜか繋がらず。俺のケータイはDadに預けてあるので、セネガルの友人知人もアメリカの友達の番号も誰もわからない。おまけに宿はWI-FIが通じてるはずが、ちょうどその頃調子が悪かったらしく持って行ったLAPTOPもNETに繋がらず。マヂやることなくなった。なんかおもろいことやりたくても、ケータイもないしDadに両替頼んだので金もない。

    外はだんだん夕暮れになってきて、たった1人で知らない部屋にいると、なんだか空虚なような変な気分になってきた。セネガルはもちろん俺の国だと思っているが、実際に来るのは初めてで、ずっと一緒に暮らしてきたDadを抜かして、親戚たちのこともそこまでよくは知らない。Dadは自分の嫁や子供たちと今頃は楽しく再会を喜んでいるに違いない。俺が1人でこうしている間にも。所詮、俺だけ血が繋がってないもんな、もしこのまま俺の滞在中Dadから連絡なかったら1人でこの2週間半なんとかしないといけねえな、1人旅はつまんねえと思いつつ眠りに落ちていた。

    7時頃ようやくDadから電話があった。俺はまだその時寝ていた。が、電話に出ると、「自宅に着いてすぐ寝て、たった今起きた!」と言っていた。確かにセネガルからNYに帰ってくるといつもすぐ寝て8?9時間は起きないことを思い出した。それにフツーに考えて俺のケータイも金も持ったまま2週間半なんの連絡もしてこないことは
    ありえない。しかも荷物もNYの自宅でパッキングをした時、重さの関係で俺の物をDadのスーツケースに、Dadの物を俺のスーツケースにけっこうミックスして入れて、セネガルでそのままそれぞれの宿や家に持ってったので、お互いの服やミヤゲなんかがゴチャゴチャになっている。その状態で俺が帰るまで知らんぷり、なんてことはありえないw。なんで昼寝する前にそう思ったのかは自分でも不明。

    今からメシを持って俺の宿に来ると言っていた。スデにハラが減っていたが、結局Dadが来たのは夜10時頃だった!

  • 「和心」の俺の部屋にて。Dadの友人、Dadの娘と俺。後ろに俺がNYから持参してきた、セネガルの民族衣装ブーブーとイスラムの帽子がみえる。<br /><br />NYで今回の旅行の荷物をスーツケースに詰めながら、自分が普段持っているものや着ている服のほとんどがセネガルのモノだと気付いておかしくなる。普通は旅行に行った先でミヤゲや記念に買って帰るものを、俺の場合は旅行に行く前にもうすでに持っていて、それを本国に持って行き、また持って帰るのだw でもセネガルに帰るからと意気込んでワザワザNYでセネガルのものを買って持って来たワケではなく、俺の手持ちのモノは元々コレしかナイ。大部分はセネガルの親戚や友達から貰ったもので、あとの残りはNYのセネガルの店で買ったり、貰ったりしたものだ。もちろんこの旅行のためでなく、元々の普段使い用に。初めて行く国なのに、変だけど。でもそれが俺の現実なのだ。

    「和心」の俺の部屋にて。Dadの友人、Dadの娘と俺。後ろに俺がNYから持参してきた、セネガルの民族衣装ブーブーとイスラムの帽子がみえる。

    NYで今回の旅行の荷物をスーツケースに詰めながら、自分が普段持っているものや着ている服のほとんどがセネガルのモノだと気付いておかしくなる。普通は旅行に行った先でミヤゲや記念に買って帰るものを、俺の場合は旅行に行く前にもうすでに持っていて、それを本国に持って行き、また持って帰るのだw でもセネガルに帰るからと意気込んでワザワザNYでセネガルのものを買って持って来たワケではなく、俺の手持ちのモノは元々コレしかナイ。大部分はセネガルの親戚や友達から貰ったもので、あとの残りはNYのセネガルの店で買ったり、貰ったりしたものだ。もちろんこの旅行のためでなく、元々の普段使い用に。初めて行く国なのに、変だけど。でもそれが俺の現実なのだ。

  • Dadの娘とDadと俺。ランチを夜の10時頃持って来た!<br /><br />その時、預けておいた俺のIPHONEにSIMカードを入れて持って来てくれた。これで通話とNETができるハズ。<br /><br />他に小額紙幣にエクスチェンジを頼んだ分も持って来てくれた。実はNYからセネガルに送金するときに使っている店から、出発前に金を送っておいたのだ。NYにあるセネガル人経営の両替商からUSドルを送ると、ダカールので郵便局でCFAでピックアップできるのだ。今回あらかじめ、こっちのDadの友達宛に送っておき、Airportで友達から受け取ったのだが、紙幣が大きいものばっかりだっため、Dadに預けて小さい紙幣に変えて貰ったのだ。それも無事ゲト。でももう今日は遅いので観光はしない。

    Dadの娘とDadと俺。ランチを夜の10時頃持って来た!

    その時、預けておいた俺のIPHONEにSIMカードを入れて持って来てくれた。これで通話とNETができるハズ。

    他に小額紙幣にエクスチェンジを頼んだ分も持って来てくれた。実はNYからセネガルに送金するときに使っている店から、出発前に金を送っておいたのだ。NYにあるセネガル人経営の両替商からUSドルを送ると、ダカールので郵便局でCFAでピックアップできるのだ。今回あらかじめ、こっちのDadの友達宛に送っておき、Airportで友達から受け取ったのだが、紙幣が大きいものばっかりだっため、Dadに預けて小さい紙幣に変えて貰ったのだ。それも無事ゲト。でももう今日は遅いので観光はしない。

  • チェブジェンブエハ。セネガルの代表料理。<br />チェブ(ライス)、ジェン(魚)、ブエハ(白)。俺の1番のお気に入り。マヂウマい。<br /><br />俺の家族を含みNYのセネガル人が作った白チェブは物心ついた頃から今に至るまで、数え切れないほど食べて来たが、本国で食べるのはもちろんこれが初めて&特にウマい。そりゃそーだ、家族(Dadの嫁)が俺のために作ってくれたのだから。もうこの頃には、先程の寂しさのような変な気持ちはすっかり消え失せていた。<br /><br />Dadに、でかいタンクの水、というWOLOFをきく。ンドッホ ブテル ブマッ(ク)というカンジ。英語でも書き表すのは難しいが、カタカナはもっとムズイ。でも日本のサイトなのでなるべく日本語でガンガリマス。

    チェブジェンブエハ。セネガルの代表料理。
    チェブ(ライス)、ジェン(魚)、ブエハ(白)。俺の1番のお気に入り。マヂウマい。

    俺の家族を含みNYのセネガル人が作った白チェブは物心ついた頃から今に至るまで、数え切れないほど食べて来たが、本国で食べるのはもちろんこれが初めて&特にウマい。そりゃそーだ、家族(Dadの嫁)が俺のために作ってくれたのだから。もうこの頃には、先程の寂しさのような変な気持ちはすっかり消え失せていた。

    Dadに、でかいタンクの水、というWOLOFをきく。ンドッホ ブテル ブマッ(ク)というカンジ。英語でも書き表すのは難しいが、カタカナはもっとムズイ。でも日本のサイトなのでなるべく日本語でガンガリマス。

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