2015/10/22 - 2015/10/23
18984位(同エリア49740件中)
ひらしまさん
台風の影響で楽しみにしていた慶良間を断念した私たちでしたが、その空白を埋めるべく行った県立博物館で沖縄の歴史にどっぷり浸る中で、旅の新たなテーマが浮上しました。
沖縄の城(グスク)めぐりです。
12世紀頃、農耕社会が形成された琉球の各地に、按司(支配者)とグスク(砦・城)が生まれ、抗争を経て沖縄島には山北、中山、山南の3つの小国家が鼎立し、明との交易により経済力を高めます。
その拠点には強固なグスクが築かれ、15世紀の琉球王国成立期にさらに大規模に発展します。
沖縄島のグスクのうち、首里城と座喜味城はずっと前ですが行っているので除外し、保存状態などを勘案して、今帰仁城、中城、勝連城の3つを訪ねることにしました。
ちなみに、それら5つは「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界文化遺産に登録されているそうです。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旅の4日目の午後。
美ら海水族館からタクシーに10分ほど乗って今帰仁城(なきじんぐすく)の前で降ろしてもらいました。目の前にきれいなグスク交流センターがあり、グスクへの入場が有料なのに驚きました。
以前行った座喜味城は出入り自由な公園のようだった記憶があるのですが、世界遺産になったりすると観光に力が入るのかな。
とは言え、修復や学術調査にお金はかかりますから、私たち観光客が負担するのは当然のことです。
高い城壁の手前に広がる外郭から遺跡は始まっています。低い石垣や、建物の基壇の石積みが見られます。 -
古宇利殿内火神。ウマチーという祭祀に使われる拝所だそうです。
-
曲線が特徴的な城壁。
今帰仁城は13世紀末頃から徐々に築かれ始め、山北の王の居城となります。
明の史書には琉球国山北王が14〜15世紀の3代登場します。
1416年に山北を滅ばした中山の尚巴志は、今帰仁城に山北監守を置き、国頭の支配にあたらせます。
17世紀には薩摩藩の侵略で落城し、山北監守は首里に引き揚げ、その後のグスクは信仰の場として今日に至ります。 -
平郎門。小さいですが正門で、戦後に修復されています。
-
平郎門から大庭(うーみゃー)への整備された道。
-
本来の道は右手に狭く曲がりくねってあります。この石段は、戦後、米軍車両が登るのを防ぐためにつくられたそうです。
-
大庭を経て御内原(うーちばる:女官区域)に来ました。
すぐ下に大隅(うーしみ:武闘訓練場)と曲がりくねる城壁、遠くに東シナ海を眺めます。
晴れた日には与論島まで見えるそうですが、この日はあいにくの曇り空からとうとう雨が降り出しました。 -
御内原の中にある神聖な拝所テンチジアマチジ。
-
グスクの一番奥にあたる志慶真門郭(しげまじょうかく)が見えてきました。城壁の向こうは深い谷です。
-
最高部にある主郭から志慶真門郭に下りました。木杭は建物跡を示すもののようです。
-
平郎門に戻ってきました。
ところで、今帰仁城では不思議な音が聞こえていました。たとえてみればスプリンクラーの音。
でも、雨の日にスプリンクラーを回すはずないし、あれはなんだろうと入場券モギリ係の方に尋ねると、よく質問されるらしく、写真まで見せて丁寧に教えてくれました。
その音の正体はセミ。オオシマゼミといって、奄美大島から沖縄の北部までの地域に生息し、最盛期は10月といいますからちょうど今頃です。 セミも沖縄では秋頃が過ごしやすいのかもしれませんね。
グスクから坂を1kmほど下ったところにある「今帰仁城跡入口」バス停から那覇に帰りました。 -
旅の最後の夕食はデパ地下じゃいやだという妻の希望で、泊まっているANAクラウンプラザの日本料理店「和泉」で神無月会席をいただきました。
ホテルの和食でこの値段じゃ期待はできないと思っていたのですが、おいしくてサービスもよく大満足でした。 -
最終日。グスクめぐりにはやはりレンタカーが便利そうです。
ANAクラウンプラザにはオリックスが入っていて、しかも前夜に聞いた某社より安かったのでここに決定。出発の時に目的地をナビに入れてくれたのも親切でした。
中城(なかぐすく)城跡の駐車場に着くと、朝からの雨に加え風も強まっています。 -
雨ニモマケズ、坂を登って中城へ。
中城は、代々の先中城按司が築いてきたものに、15世紀、琉球王の命で座喜味城から移ってきた護佐丸がさらに増築したもので、6つの郭で構成されます。
最初に目の前に立ちはだかるのは、築城の名手護佐丸が築いた三の郭です。 -
三の郭は、五角形や六角形に加工した石を組み合わせて積む相方積みという、最も完成度の高い技法でつくられています。
-
三の郭と北の郭の間にある裏門。幕末に来航したペリーがその精巧さを賞賛したとか。
-
崩れかけた北の郭に蘇鉄の茂っているところが南国の城跡らしい。
-
三の郭の上に上がると、その曲がりっぷりがよく分かります。
-
二の郭の門。
-
二の郭の石積みに上ったところでカメラのメモリーが満杯に。傘を風に飛ばされそうになりながらなんとかメモリー交換。
-
一の郭に向かって左手には海を見おろすはずですが、雨に煙って見えません。
-
一の郭の石積みは高く三層になっています。
ここには正殿が建ち、護佐丸が琉球国王への謀反の疑いありとして勝連城主阿麻和利に滅ぼされた後は国王の世継ぎが支配し、その後も番所や村役場として政治権力の場であり続けましたが、沖縄戦で焼失しました。 -
その奥には南の郭があります。
-
南の郭は霊域として今でも信仰の場となっています。
-
正門。ここだけアーチになっていないのがちょっと残念でした。
-
次の勝連城へ向かう途中の沖縄市のベーカリー「マルコポーロ」で昼食休憩です。
-
勝連城は勝連半島の丘の上にあります。
13世紀頃から築城され、この地の按司の居城となっていましたが、15世紀の阿麻和利の時代に最盛期を迎えます。
阿麻和利は貿易により勝連を繁栄させて名君とたたえられ、国王尚泰久の娘をめとり、護佐丸の中城を攻め滅ぼします。
しかし、その後、自らも国王軍との戦に敗れ、勝連城は廃城となります。 -
門は失われたままですが、このあたりは四の郭のようです。
-
三の郭へは木の階段がつけられ登りやすくなっています。
-
三の郭の門があったところ。布積みとよばれる石積みが美しい。
-
城壁の外は断崖です。
-
二の郭の舎殿礎石。ここには17m×14.5mの頑丈な建物が建っていました。
-
ウシヌジガマという洞窟。落城の際、阿麻和利はこのガマから落ち延びたという伝説が残っているそうです。
-
ウミチムン。火の神が祀られ、また、藪地島、浜比嘉島、久高島ま、津堅島など神話を残す周辺の島々を遙拝する場所でもあったようです。
-
一の郭への石段。上に行くほど狭くなっているのは攻め込みにくいように設計されているのだとか。
石段の向こうには中城湾が広がっています。 -
最奥の一の郭にたどり着きました。建物の礎石だけが残されています。
-
勝連城からは大量の染付(磁器の一種)や青磁が出土し、この地の経済的、文化的隆盛を裏付けています。
一の郭の案内板は、イケメン阿麻和利のイラスト入りで彼の人気を伝えていました。 -
断崖の上にそびえる城壁。難攻不落を思わせます。
-
一の郭にあるウタキ。廃城後は村人の信仰の場となっていたんですね。
-
今日は天気が残念ですが、中城湾と金武湾を見おろす絶景の地でもありました。
-
グスクめぐりを終え、最後に金武湾の海中道路を走り平安座島(へんざじま)まで行ってきて、あとは一路那覇空港へ。
天候に恵まれず青い海を楽しむことができなかったのは残念でしたが、そのぶん沖縄の歴史や文化、ヤマトとの関係について学ぶ機会ができたので、それもよかったかなと思える旅でした。
でも、次は絶対台風の来ない時に行くぞ〜!
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
41