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私がまだ少年の頃、寄り道をして帰る細い路地に石碑が有りました。<br />小学生でも辛うじて読める文字は「ニ孝子」。<br />子供心に「にこうこ」と読んでいましたが、親に聞いてもわからないというし、当時はパソコンもスマホもなく図書館で調べるという知恵もなく、そのまま記憶は途切れました。<br />社会人になった頃、東萩駅から船津地区に向かう通りに「ニ孝子」と書かれた雀荘があり、その横に記憶に微かに残る二孝子の石碑が佇んでいました。<br />ネットで調べると萩市の香川津に住む兄弟が母親の病気治癒を願い、、30町(3・3キロ)離れた金毘羅社(現在の円政寺境内)まで、病気治癒を願って日参しました。しかし、12月11日、風雪をついて参拝した際、帰路の松本川の川岸で倒れて絶命したとの伝承があることを得ました。<br />この内容から私は勝手に兄弟は幼かったのだろうなと、今の年齢で小学生くらいと思っていたのですが、実は22歳と16歳の兄弟で、16歳の弟は後妻の子どもと言いますから二人は異母兄弟で兄からすれば母とは血縁がありません。<br />分別もついた年齢ですから無理をしたのか、それ以上に母を思ってのことか。<br />その二人が絶命してから今年が200年の節目だそうで、今まであった石碑の横に新たに200年祭と刻まれた石碑が建立されました。<br />その石碑を見学した後、兄弟が祈願した金毘羅社がある、円政寺にも足を延ばしました。<br />円政寺の起源は山口市で大内氏の祈願所として建立されたものでその当時からすると760年余り、萩に移設された当時からしても410年を数えます。<br />金毘羅社の方も、文献などから推測すると270年位経っているようです。<br />明治時代の神仏分離令があったにも関わらず、皇室とご縁があったことからそれを免れたようです。<br />境内には県下一の大きな灯籠や十二支が彫られた金毘羅社に幕末の偉人ゆかりの史跡も有り興味深いです。<br />金毘羅社の中には二孝子200年に際して新たに書かれた絵も奉納されています。<br />そして、境内にひっそりと二孝子の石碑も確認できました。<br />

200年前の美談を巡る小さな旅でした

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2015/12/19 - 2015/12/19

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風待人

風待人さん

私がまだ少年の頃、寄り道をして帰る細い路地に石碑が有りました。
小学生でも辛うじて読める文字は「ニ孝子」。
子供心に「にこうこ」と読んでいましたが、親に聞いてもわからないというし、当時はパソコンもスマホもなく図書館で調べるという知恵もなく、そのまま記憶は途切れました。
社会人になった頃、東萩駅から船津地区に向かう通りに「ニ孝子」と書かれた雀荘があり、その横に記憶に微かに残る二孝子の石碑が佇んでいました。
ネットで調べると萩市の香川津に住む兄弟が母親の病気治癒を願い、、30町(3・3キロ)離れた金毘羅社(現在の円政寺境内)まで、病気治癒を願って日参しました。しかし、12月11日、風雪をついて参拝した際、帰路の松本川の川岸で倒れて絶命したとの伝承があることを得ました。
この内容から私は勝手に兄弟は幼かったのだろうなと、今の年齢で小学生くらいと思っていたのですが、実は22歳と16歳の兄弟で、16歳の弟は後妻の子どもと言いますから二人は異母兄弟で兄からすれば母とは血縁がありません。
分別もついた年齢ですから無理をしたのか、それ以上に母を思ってのことか。
その二人が絶命してから今年が200年の節目だそうで、今まであった石碑の横に新たに200年祭と刻まれた石碑が建立されました。
その石碑を見学した後、兄弟が祈願した金毘羅社がある、円政寺にも足を延ばしました。
円政寺の起源は山口市で大内氏の祈願所として建立されたものでその当時からすると760年余り、萩に移設された当時からしても410年を数えます。
金毘羅社の方も、文献などから推測すると270年位経っているようです。
明治時代の神仏分離令があったにも関わらず、皇室とご縁があったことからそれを免れたようです。
境内には県下一の大きな灯籠や十二支が彫られた金毘羅社に幕末の偉人ゆかりの史跡も有り興味深いです。
金毘羅社の中には二孝子200年に際して新たに書かれた絵も奉納されています。
そして、境内にひっそりと二孝子の石碑も確認できました。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
  • 松本川沿いの道路脇に二孝子の石碑は有ります。

    松本川沿いの道路脇に二孝子の石碑は有ります。

  • 人家の隣に石碑が点在していました。

    人家の隣に石碑が点在していました。

  • 香川津二孝子絶命之処と書いてあるのでしょうか。

    香川津二孝子絶命之処と書いてあるのでしょうか。

  • 道路側から見ると大小4本の石柱が見えます。

    道路側から見ると大小4本の石柱が見えます。

  • 東萩駅から徒歩3分くらいの距離にあります。

    東萩駅から徒歩3分くらいの距離にあります。

  • 前を通る道路は船津地区へ延びています。

    前を通る道路は船津地区へ延びています。

  • 香川津二孝子の碑の説明看板です。<br />今なら病気になったら病院ですが当時は経済事情や医学のレベルからすると病気=まじないや神仏にすがって治すというのが一般的だったのでしょうね。

    香川津二孝子の碑の説明看板です。
    今なら病気になったら病院ですが当時は経済事情や医学のレベルからすると病気=まじないや神仏にすがって治すというのが一般的だったのでしょうね。

  • 今年新たに200年祭と書かれた石碑が建立されていました。

    今年新たに200年祭と書かれた石碑が建立されていました。

  • この地に移設されたのは福田一良さんという方の遺志のようですね。

    この地に移設されたのは福田一良さんという方の遺志のようですね。

  • 新たな石碑の建立に関わった方々の名前が彫られていました。

    新たな石碑の建立に関わった方々の名前が彫られていました。

  • 旧来よりの石碑にも色々な方が関わっていたようですね。<br />当時はそれ程二孝子の美談は市井の人々の心を打ったのでしょう。

    旧来よりの石碑にも色々な方が関わっていたようですね。
    当時はそれ程二孝子の美談は市井の人々の心を打ったのでしょう。

  • 二孝子の碑の横に画家の森寛斎の石碑がありました。

    二孝子の碑の横に画家の森寛斎の石碑がありました。

  • 萩市の中央公園です、ここまで車なら10分とかからない距離ですが、二孝子のように風雪の中を歩いて行くとならば私は遠慮します。

    萩市の中央公園です、ここまで車なら10分とかからない距離ですが、二孝子のように風雪の中を歩いて行くとならば私は遠慮します。

  • 花燃ゆも放送を終えましたが、久坂玄瑞さんが天空を指して寒風の中でも元気な姿を見せています。

    花燃ゆも放送を終えましたが、久坂玄瑞さんが天空を指して寒風の中でも元気な姿を見せています。

  • 萩城下町の史跡が簡易的に書かれた看板があります。この看板に従い円政寺に向かいます。

    萩城下町の史跡が簡易的に書かれた看板があります。この看板に従い円政寺に向かいます。

  • 円政寺の入り口に辿り着きました。中央公園から3分位の距離です。

    円政寺の入り口に辿り着きました。中央公園から3分位の距離です。

  • てんぐの寺、円政寺と書いてありました。

    てんぐの寺、円政寺と書いてありました。

  • 入り口には二孝子祈願の金毘羅社の文字と高杉晋作、伊藤博文が勉学した所との表記があります。

    入り口には二孝子祈願の金毘羅社の文字と高杉晋作、伊藤博文が勉学した所との表記があります。

  • 入場料、200円を払って境内へと向かいます。

    入場料、200円を払って境内へと向かいます。

  • 門の左側に見どころの説明書きがありました。

    門の左側に見どころの説明書きがありました。

  • 安政五年に書かれた絵図に円政寺が書かれているとのことです。

    安政五年に書かれた絵図に円政寺が書かれているとのことです。

  • 大内氏の祈願所であった証明に大内氏の家紋が入った瓦が現存しています。

    大内氏の祈願所であった証明に大内氏の家紋が入った瓦が現存しています。

  • 門を潜って右手に二孝子の石碑が鎮座していました。

    門を潜って右手に二孝子の石碑が鎮座していました。

  • 二孝子の美談の説明書きがありました。

    二孝子の美談の説明書きがありました。

  • 金毘羅社、円政寺の説明書きです。

    金毘羅社、円政寺の説明書きです。

  • 日本一の石灯籠と書かれていますがネット等では県下一と表記されています。

    日本一の石灯籠と書かれていますがネット等では県下一と表記されています。

  • 確かに大きな石灯籠です。この石灯籠はハイテクが満載で下側の足の数カ所が浮いていて免震構造になっているそうです。

    確かに大きな石灯籠です。この石灯籠はハイテクが満載で下側の足の数カ所が浮いていて免震構造になっているそうです。

  • 木の枝が刺してあることからも分かる通り、高度な透かし彫りが施されています。

    木の枝が刺してあることからも分かる通り、高度な透かし彫りが施されています。

  • こちらが金毘羅社の社殿です。

    こちらが金毘羅社の社殿です。

  • てんぐの面が飾ってありました。

    てんぐの面が飾ってありました。

  • 二孝子二百年際に当たり新しく書かれた絵が奉納されています。

    二孝子二百年際に当たり新しく書かれた絵が奉納されています。

  • こちらのてんぐの面が高杉晋作が度胸試しをした面です。

    こちらのてんぐの面が高杉晋作が度胸試しをした面です。

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