2015/01/29 - 2015/02/08
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2015年1月29日から11日間、某・アイ・エスの「魅惑のモロッコ周遊11日間」に参加してモロッコを旅した。当初、同様のコースで某物語の10日間コースを予定していたが、シャウエンやメルズーガにも泊まれるので当コースを選んだ。
ツアー参加者は夫婦3組、姉妹3組、姉妹+娘、女友達、女子大生各1組、一人参加の男性2名、女性4名の合計25名で、うち女子大生5名が参加していた。添乗員は9年目、40代のK沢さんというオシャレで物知りな男性だった。
[旅程]
1月29・30日 羽田~カサブランカ~ラバト(泊)
1月31日 ラバト~ティトゥアン~シェフシャウエン(泊)
2月01日 シェフシャウエン~ヴォルビリス~メクネス~フェズ(泊)
2月02日 終日フェズ
2月03日 フェズ~イフレン~エルフード~メルズーガ(泊)
2月04日 メルズーガ~エルフード~トドラ~ワルザザード(泊)
2月05日 ワルザザード~アイトベンハッドウ~マラケシュ(泊)
2月06日 終日マラケシュ
2月07・08日 マラケシュ~カサブランカ~羽田
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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2月1日(日)
ホテルは街から離れた高台にあるので見晴らしが良い。
まだ明けやらぬシェフシャウエン(旧市街)の街 -
少し明るくなったので街の中を撮ってみる。
やはり青い街だった。 -
朝食
7時からなのでレストランに行ってみると真っ暗で誰もいない。しばらくすると従業員がやって来て用意を始めた。
そして一寸さびしい朝食だった。 -
アトラス・シャウエン
街から遠いので、歩いてはいけない。
室内も少しお粗末で、サービスも今一つ。
でも、眺望は抜群です。 -
ホテルを8時30分に出発
途中、シェフシャウエンの全体が見えるポイントで撮影タイム。
未だ町全体に陽が当たっていない。
左上にポツンとある建物がアトラス・シャウエン -
ヴォルビリスに向かう途中
シェフシャウエンの近くなので未だこの辺りは山の中、オリーブの木が見られる。 -
畑が広がり広々として来た。
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休憩で寄ったレストラン
ホテルが併設されていた。 -
水飲み場のようでロバが居る。
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小さな町を通り抜ける。
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道路ではラバも一緒に走る。
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広々とした小麦畑とロバ
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この辺り一帯はオレンジの生産地、道路沿いにオレンジを売る露店が見られる。
後方はオレンジ畑 -
バスはなだらかなリフ山脈を上がって行く。
眼下には広々とした大地が広がる。 -
農家だろうか?
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ヴォルビリスを見下ろすポイントにやって来た。
(世界遺産: ヴォルビリス) -
左側のエリア、バシリカの辺り
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右側のエリア、凱旋門と水道橋
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アーモンドの花が咲いていた。
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ムーレイ・イドリスの町に入る。
ヴォルビリスの観光の前にこの町で昼食です。 -
町はずれにあるレストランで昼食を頂く。
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レストランの室内
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モロッカンサラダ
種類も量も有りますが、人(自分)によってはこの中には食べられない物(いくつも)もあります。 -
ミントティー
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ビーフタジン
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デザートは大盛のフルーツ
一寸、手抜きかなと思ったら、 -
更に、揚げたお菓子も付いた。
好き嫌いの無い人だったら、このレストランは当たりかも。 -
ヴォルビリスの遺跡に入る。
この町が造られたのは、西暦40年頃で、町は紀元前3世紀頃に在ったカルタゴの施設群の上に築かれたと推測されている。現在目にする遺跡は紀元2世紀頃のもので、この町はローマ人がアフリカから撤退した後も、しばらくは維持されていたが、4世紀後半の地震により壊滅的な被害を受けて廃墟に成ったと推測されている。
ヴォルビリスの南東門 -
オルフェウスの邸
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オルフェウスの邸のモザイク画
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バシリカ(左側)とキャピトル(右側)
バシリカはローマ建築において、裁判所や取引所に用いられた集会施設。
キャピトルはローマ神ゼウスを祀るものでゼウス神殿ともいうであったというような説明が添乗員さんから。 -
フォーラムの左脇にバシリカ、その先にキャピトル
フォーラムとは古代ローマ都市の公共広場のことである。四周をバシリカ、元老院、神殿などの公共施設や列柱廊で取り囲まれた計画的なオープンスペースとなり、屋根のない公共建築の観を呈するのが普通であったというような説明が添乗員さんから。 -
バシリカの全景
バシリカは建築の平面形式のひとつとなり、中央の身廊の2辺ないしはそれ以上の辺を、側廊によって取り囲むものをいう。 -
カラカラ帝の凱旋門
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騎士の家
バッカスと恋人アリアドネを描いた鮮やかなモザイク画のダイニングルーム。
この時はこんなものかと思ったが、この後5月に行ったイギリスの「ローマン・バス」のモザイクタイルを見たら、ヴォルビリスのすごさが分かった。 -
ヘラクレス功業の家
ヘラクレスはギリシア神話上、12の功業を果たすことになる。その苦行の様子をメダイヨン(楕円の枠)でそれぞれを描写した。 -
北の浴場
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水道橋
奥の山から水を引いて来た。 -
デクマヌス・マクシムス通り
ローマへの道
ヴォルビリスは6世紀に入ると再び人が住むようになり、681年には、アッバース朝の支配下に入るがイドリス2世によってフェズの町が建設されると、ヴォルビリスの重要性は失われて衰退した。この都市の遺跡群は1755年に起きたリスボン大地震で被害を受け、更に前後する時期にはメクネスでの建築資材として大理石の一部が持ち去られたというような説明を添乗員さんから。
ここだけでも多くの知見を披露してくれた添乗員さんでした。 -
ムーレイ・イドリスの街の全景
8世紀の終わりにモロッコとして最初のイスラム王朝であるイドリス朝がおかれた。
15時15分ヴォルビリスをメクネスに向けて出発する。 -
羊がいっぱい。
整然と並んで歩いて行った。 -
16時メクネスに到着
マンスール門前のエディム広場 -
マンスール門
(世界遺産:メクネス) -
マンスール門
北アフリカでもっとも美しく、有名な門の一つ。 -
マンスール門の内側に入るとララ・アウダ広場
前面に更に城壁で囲まれたエリアがある。 -
この城壁の門をくぐる。
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門をくぐるとすぐ左手にムーレイ・イスマイル廟がある。
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中央に大理石の水盤があるパテオ
左横の入口から正面の部屋に入る。 -
部屋へは靴を脱いで入る。
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部屋の天井
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ムーレイ・イスマイルの墓
左から2番目の少し大きめの棺(白い突起)がムーレイ・イスマイルのもの。
部屋の4隅にルイ14世から贈られたという時計があるが、正面の2つしか見ることが出来ない。 -
ムーレイ・イスマイル廟を出たところ
16時40分フェズに向けて出発する。 -
メクネス市内のドライブインでようやっとトイレ休憩となる。
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フェズへ高速道路を走る。
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19時30分フェズに到着する。
ホテルのロビー
今日のホテルは☆☆☆☆☆ロイヤル・ミラージュ、天井の装飾は見事だ。 -
夕食はホテルのレストランで頂く。
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夕食はビッユフェ
一皿目は前菜 -
二皿目はメイン
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三皿目はデザート
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室内は広いとは言えないがベッドは大きかった。
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バスタブはあったが全体的にしょぼかった。
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