那智勝浦・太地旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 公務員にとって、お安く宿泊するには”共済の宿”を利用するのが賢い方法である。一般の旅館の2万円ほどの宿泊費が6千円ほどで泊まれるのだ。<br /> 今回、現役会員の家人と退職会員の私とで1万6千円で一泊する旅をしてきた。場所は那智勝浦の「サンかつうら」である。<br /> 高速道路が南紀白浜から”すさみ”まで伸びたことにより、私の居住する和歌山県日高町から2時間半ほどで那智勝浦まで行くことができる。以前は4時間以上もかかったのが嘘のようだ。<br /> 公務員の特権を利用して秋の三連休に那智勝浦で一泊することにしたのである。<br /> 高速を”すさみ”で降りるとここで一休み、ドライブ休憩である。ちょうど道の駅「すさみ」がある。しかし連休のことゆえ凄い混みようであった。駐車場までは車の渋滞が続いている。とても休憩するには時間が係りそうなので休憩することを止め、串本の海中公園まで行くことにした。串本まではおよそ30分である。串本から那智勝浦までは30分ほどの距離である。<br /> 串本海中公園で名物の「鯨のふりかけ」を買って休憩し、目的地の「サンかつうら」に向かった。<br /> 那智勝浦の手前に紀勢自動車道が伸びてきている。これに乗ると、これまた快適なドライブ。休憩やガソリン補給を含めて3時間ほどで那智勝浦に着いてしまった。<br /><br /> 「サンかつうら」は海沿いの宿泊施設である。最近改装されたらしく館内はやけに美しい。<br /> フロントで受付を済ますと四階の客室に向かう。部屋の中に入ると熊野灘を望むテラスがあり海が綺麗に見えた。遠くに那智の山々の稜線も清々しく見える。驚いたことにこれらを一望する望遠鏡が窓際に用意されていた。こんなサービスのある旅館は初めてだ。さっそく望遠鏡で覗くと、日本一の那智の滝の瀑布が聞こえるように見えてくるのである。景色を見て心が洗われるということはこういうことかと実感すると、次は心だけでなく今度は身体を洗う番だと大浴場へ向かった。<br /> 大浴場の浴室は泡風呂である。露天風呂は樽の檜の浴槽である。ここからも海岸線の美しい海が一望できる。まったく旅の疲れも忘れてしまう。ここで残念なことが一つあった。那智勝浦は温泉地であり温泉旅館もたくさんあるのであるが、宿泊した「サンかつうら」は温泉ではないのである。ここのお風呂は那智川から流れてくる湧水を汲んで沸かしている。那智川の清流であるから肌には優しくここちいいのであるが、家の水道水を沸かしたのとは違う差はあるのであるが、温泉でないのが惜しいところである。それでも綺麗な大浴場と泡風呂は疲れを取るにはよかった。<br /> 風呂を出た後の楽しみは夕食である。<br /> メニューには松竹梅の三つのコースがあり、宿泊費の1万二千円から2万円のコースの中に含まれている。私はもちろん最安値の梅コースである。それでも満足に食べきれないほどの量と種類の多さであった。味はもちろん美味である。<br /> 夕食後、ロビーに出ると、宿泊者用の雑誌や図書が用意されていた。食後満腹のお腹を抱えて部屋でゆっくり読書などを楽しむように出来ているらしい。私は阿川佐和子の『あんな作家、こんな作家、どんな作家』を借りて、作家の人となりを知ることに務め、夜を楽しむことにした。<br /> 翌日は世界遺産と日本美術の旅に出た。<br /> 那智勝浦は熊野三山のひとつであり、熊野信仰を集めた場所である。特に有名なのが那智の滝と熊野古道、そして青岸渡寺である。しかし、那智勝浦の世界遺産の中であまり知られていないのが補陀落山寺(ふだらくさんじ)である。那智の滝に向かう山裾にある。補陀落とは観音菩薩の浄土のことである。この観音信仰を寺名にした寺なのである。作家・五木寛之もこの寺を訪れている。著書『百寺巡礼・関西編』の中では次のように書かれている。<br /><br /> −那智山の高台にある青岸渡寺から降りて、海際のほうへと向かう。<br />  そこにもうひとつたいへん興味深い寺があった。名前を補陀落山寺(ふだらくさんじ)という。現在は青岸渡寺の末寺(まつじ)で、開祖は同じ裸形(らぎょう)上人、創建は約千六百年前と伝えられている。<br /> 「フダラク」という名前は印象的だ。一見、「ホダラク」と読んでしまうように、この言葉はもともと日本語ではない。梵語のPotalaka(ポータラカ)の音を写しとったものだ。ポータラカというのは、観世音菩薩が住むとされる南インドの伝説の山の名前である。<br /> 古人はこの熊野の那智山を、観音菩薩が住むポータラカに近い場所だと考えた。そして、ここから船出をして、海の彼方にある補陀落浄土に往生しようとするふしぎな信仰が生まれてくる。<br /> その信仰が形になったのが「補陀落渡海」(ふだらくとかい)といわれるものである。<br /> 青岸渡寺と補陀落山寺の両方の住職である高木亮亨師によれば、平安中期ごろから、補陀落山寺の住職は、ある年齢になると小さな船で補陀落浄土へ旅立っていったという。(中略)<br /> ポルトガルのイエズス会の宣教師たちも、補陀落渡海のことを本国へ報告書に書いた。そのひとり、ルイス・フロイスは、渡海船の船底には穴をあけて栓(せん)をしてあり、あとでそれを引き抜いて船もろとも沈んでいく、と報告しているという。(中略)<br /> 補陀落山寺からは、約千年のあいだに二十五人ほどの僧が渡海した記録が残っているという。そして、次第にこの寺の住職が六十歳くらいになると、渡海するのが当然のように思われてきたらしい。(中略)一説によれば、補陀落渡海とは臨終が近い僧の水葬だったともいう。(中略)<br /> 補陀落山寺の裏山には、渡海僧たちの墓がひっそりと並んでいた。周囲はうっそうとした森。かすかに名前が読める墓石もあった。<br /> そんな墓の前に立ったとき、身体がジーンとしびれるような感覚をおぼえた。美しくも残酷な物語の主人公たちがここに眠っている。−<br /><br /> 五木寛之はこのように書いている。私が訪れた晩秋にも何か他の寺とは違う異様な時間が流れているように思えた。<br /> 国道42号線を那智川に沿って青岸渡寺に向かって曲がると山裾の鬱蒼とした森の中に小さな寺があった。そこが補陀落山寺である。<br /> 五木寛之が書いているように創建は千四百年前であるが、何回か建て替えられたとみえて現在の寺からは古さは感じられない。それでも本殿の中に入っていくと、秘仏の観世音菩薩を囲うように四天王像が安置されていて荘厳な雰囲気を醸し出している。皇太子殿下も独身時代に参拝されているようで本殿に写真が飾ってあった。この寺も紀ノ国の他の世界遺産と同じく世界遺産なのだ。皇太子殿下の写真の隣にユネスコの「世界遺産登録書」がある。これが「世界遺産登録書」かと唸りながら見てしまった。本殿の脇には『百寺巡礼・関西編』にもある「渡海船」があった。この船を見ると、船の四方に赤い鳥居がある不思議な船である。もちろん当時の渡海船を復元したものであるが、この船に乗って死出の旅に出たかと思うと、五木寛之が書いているように”身体がジーンとしびれる”ような感じが私もしてしまった。<br /><br /> 次に向かったのは串本町の”芦雪の寺”である。この寺は、正式には錦江山無量寺という。虎関禅師の開山による臨済宗東福寺派の別格寺院である。ここに円山応挙の弟子、長沢芦雪の名画が所蔵されているのである。ゆえに「芦雪寺」の異名がある。<br /> 長沢芦雪は1754年生まれ、江戸中期に活躍した絵師である。円山応挙の一番弟子であり、師の応挙とは対照的に大胆な構図、奇抜で機知に富んだ画風で当時たいへん人気を博していた。芦雪は1799年に亡くなっているが、これは芦雪の傑出した技量に嫉妬した応挙の弟子の毒殺だという説がある。このことを司馬遼太郎は小説『芦雪を殺す』のなかで詳細に記している。<br /> 那智勝浦から車を走らせて”芦雪の寺”に向かった。<br /> 国道42号線を紀伊大島に渡るバイパス橋の手前に来ると応挙芦雪館の看板が見えてくる。ここを看板にしたがい右に折れると無量寺にすぐに行き着く。ただし、国道から入る道は極端に狭いので注意を要する。車の対向はまず無理といったところ。大型車は通るのは無理。私の車はカローラなのでどうにか通れたが・・・・。<br /> 寺の前には専用の駐車場があるので普通車は簡単に駐車することができる。<br /> 境内は閑散として落ち着きがあるがこれといって特色のない小さな寺である。ここに江戸を代表する二人の絵師の応挙芦雪館があるのである。ここで二人の来歴や作品の数々を見ることができるのであるが、但し絵画のほとんどは複製品で、本物は防湿防災完備の宝物館に収蔵されている。応挙芦雪館と宝物館と本堂の合わせての入館料は1300円となっている。後で分かったことだがこれはお得な値段である。来歴、本物、また本物がどのように安置されていたかを知ることができたからである。<br /> 三連休が終わってこの日は平日ゆえに、私たち以外の見学者は誰もいなかった。受付の人の案内により、応挙芦雪館から見て回ることにした。<br /><br /> 当時の無量寺の住職はこの寺の本堂の障壁画を描いてもらおうと知人である京都の応挙のもとを訪ねると、一番弟子の芦雪を串本の無量寺に差し向けたのである。これがこの寺に芦雪の襖絵が残る謂れである。応挙と芦雪の人となりや障壁画の複製画とこの寺の来歴を応挙芦雪館でひと通り見た後、宝物館へと案内された。建物は鉄筋コンクリート造りの入母屋式の建物である。入口は鉄の扉で頑丈に閉ざされている。案内係が鍵を開けて重い扉をゆっくり開けると、本堂を模した荘厳な木造の書院造りがコンクリート屋根の下に出現した。そこに長沢芦雪の龍虎図が書院造の八枚の襖絵の中に立ち現れたのである。これは圧倒的な迫力をもって覆いかぶさってきた。息が出来ないというのはこういうことをいうのだろうと思った。襖絵であるから裏もある。龍虎図の裏には動物画と人物画が微細に生き生きと描かれている。これは襖絵の表と裏を見ることによって、その絵の本質を知るためにそうしているのではないだろうか。なぜなら通常美術館などの展示では表しか見ることができない。襖絵の場合、表裏一体なのではないのだろうか。ここの龍虎襖絵は、虎の裏には池に遊ぶ鯉、そしてこの鯉に岸辺から襲いかかろうとしている猫がいる。この猫はいまにも飛びかかりそうである。虎の絵は、この猫を水中から見ている鯉の目線ではないのかと思ったのである。そんな表裏一体。<br /> また龍図の裏には人物画、「唐子遊図」が描かれている。中国の唐時代の子どもが屈託なく遊んでいる姿である。このあどけない子どもの内面には、恐ろしい龍の姿があると芦雪は見たのではないのだろうか。また、「唐子遊図」の隣には師匠の円山応挙の「波上群仙図」も描かれている。これは仙人が龍を呼び起こし、それほどの出来栄えゆえに応挙が後に仙人を書き足したのではないのだろうかと、そんなふうにも思えてしまう表裏一体の見事さなのである。いずれも国の重要文化財であるが、こんな日本で一番小さな美術館は、鬼気迫る迫力で私を打ちのめした。<br /> 師匠の応挙に負けず劣らずの絵画が描けるなら、司馬遼太郎が小説に書くように他の弟子が嫉妬して暗殺するのも頷けるのである。<br /> 宝物館を見た後、デジタル複製画がはめ込まれた本堂の内部を見学した。本来はこのように襖絵が配置されていたのかと目の当たりに見ると、これも他の美術館にない一興であった。<br /> 無量寺を出ると再び狭い道路を通り一路日高町の我が家へと向かった。<br /> 紀伊大島へ渡るバイパスのところでAコープに立ちより新鮮なマグロの刺身を買う。これで今夜の夕食を楽しむためである。<br /> 南紀の旅もまた、思い出多い旅となった。<br /> 途中の海岸線は、我が故郷ながら紀の国の海は美しいものだと、あらてめて思った。<br />

補陀落山寺から芦雪の寺へ

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2015/11/23 - 2015/11/24

626位(同エリア916件中)

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nakaohideki

nakaohidekiさん

 公務員にとって、お安く宿泊するには”共済の宿”を利用するのが賢い方法である。一般の旅館の2万円ほどの宿泊費が6千円ほどで泊まれるのだ。
 今回、現役会員の家人と退職会員の私とで1万6千円で一泊する旅をしてきた。場所は那智勝浦の「サンかつうら」である。
 高速道路が南紀白浜から”すさみ”まで伸びたことにより、私の居住する和歌山県日高町から2時間半ほどで那智勝浦まで行くことができる。以前は4時間以上もかかったのが嘘のようだ。
 公務員の特権を利用して秋の三連休に那智勝浦で一泊することにしたのである。
 高速を”すさみ”で降りるとここで一休み、ドライブ休憩である。ちょうど道の駅「すさみ」がある。しかし連休のことゆえ凄い混みようであった。駐車場までは車の渋滞が続いている。とても休憩するには時間が係りそうなので休憩することを止め、串本の海中公園まで行くことにした。串本まではおよそ30分である。串本から那智勝浦までは30分ほどの距離である。
 串本海中公園で名物の「鯨のふりかけ」を買って休憩し、目的地の「サンかつうら」に向かった。
 那智勝浦の手前に紀勢自動車道が伸びてきている。これに乗ると、これまた快適なドライブ。休憩やガソリン補給を含めて3時間ほどで那智勝浦に着いてしまった。

 「サンかつうら」は海沿いの宿泊施設である。最近改装されたらしく館内はやけに美しい。
 フロントで受付を済ますと四階の客室に向かう。部屋の中に入ると熊野灘を望むテラスがあり海が綺麗に見えた。遠くに那智の山々の稜線も清々しく見える。驚いたことにこれらを一望する望遠鏡が窓際に用意されていた。こんなサービスのある旅館は初めてだ。さっそく望遠鏡で覗くと、日本一の那智の滝の瀑布が聞こえるように見えてくるのである。景色を見て心が洗われるということはこういうことかと実感すると、次は心だけでなく今度は身体を洗う番だと大浴場へ向かった。
 大浴場の浴室は泡風呂である。露天風呂は樽の檜の浴槽である。ここからも海岸線の美しい海が一望できる。まったく旅の疲れも忘れてしまう。ここで残念なことが一つあった。那智勝浦は温泉地であり温泉旅館もたくさんあるのであるが、宿泊した「サンかつうら」は温泉ではないのである。ここのお風呂は那智川から流れてくる湧水を汲んで沸かしている。那智川の清流であるから肌には優しくここちいいのであるが、家の水道水を沸かしたのとは違う差はあるのであるが、温泉でないのが惜しいところである。それでも綺麗な大浴場と泡風呂は疲れを取るにはよかった。
 風呂を出た後の楽しみは夕食である。
 メニューには松竹梅の三つのコースがあり、宿泊費の1万二千円から2万円のコースの中に含まれている。私はもちろん最安値の梅コースである。それでも満足に食べきれないほどの量と種類の多さであった。味はもちろん美味である。
 夕食後、ロビーに出ると、宿泊者用の雑誌や図書が用意されていた。食後満腹のお腹を抱えて部屋でゆっくり読書などを楽しむように出来ているらしい。私は阿川佐和子の『あんな作家、こんな作家、どんな作家』を借りて、作家の人となりを知ることに務め、夜を楽しむことにした。
 翌日は世界遺産と日本美術の旅に出た。
 那智勝浦は熊野三山のひとつであり、熊野信仰を集めた場所である。特に有名なのが那智の滝と熊野古道、そして青岸渡寺である。しかし、那智勝浦の世界遺産の中であまり知られていないのが補陀落山寺(ふだらくさんじ)である。那智の滝に向かう山裾にある。補陀落とは観音菩薩の浄土のことである。この観音信仰を寺名にした寺なのである。作家・五木寛之もこの寺を訪れている。著書『百寺巡礼・関西編』の中では次のように書かれている。

 −那智山の高台にある青岸渡寺から降りて、海際のほうへと向かう。
  そこにもうひとつたいへん興味深い寺があった。名前を補陀落山寺(ふだらくさんじ)という。現在は青岸渡寺の末寺(まつじ)で、開祖は同じ裸形(らぎょう)上人、創建は約千六百年前と伝えられている。
 「フダラク」という名前は印象的だ。一見、「ホダラク」と読んでしまうように、この言葉はもともと日本語ではない。梵語のPotalaka(ポータラカ)の音を写しとったものだ。ポータラカというのは、観世音菩薩が住むとされる南インドの伝説の山の名前である。
 古人はこの熊野の那智山を、観音菩薩が住むポータラカに近い場所だと考えた。そして、ここから船出をして、海の彼方にある補陀落浄土に往生しようとするふしぎな信仰が生まれてくる。
 その信仰が形になったのが「補陀落渡海」(ふだらくとかい)といわれるものである。
 青岸渡寺と補陀落山寺の両方の住職である高木亮亨師によれば、平安中期ごろから、補陀落山寺の住職は、ある年齢になると小さな船で補陀落浄土へ旅立っていったという。(中略)
 ポルトガルのイエズス会の宣教師たちも、補陀落渡海のことを本国へ報告書に書いた。そのひとり、ルイス・フロイスは、渡海船の船底には穴をあけて栓(せん)をしてあり、あとでそれを引き抜いて船もろとも沈んでいく、と報告しているという。(中略)
 補陀落山寺からは、約千年のあいだに二十五人ほどの僧が渡海した記録が残っているという。そして、次第にこの寺の住職が六十歳くらいになると、渡海するのが当然のように思われてきたらしい。(中略)一説によれば、補陀落渡海とは臨終が近い僧の水葬だったともいう。(中略)
 補陀落山寺の裏山には、渡海僧たちの墓がひっそりと並んでいた。周囲はうっそうとした森。かすかに名前が読める墓石もあった。
 そんな墓の前に立ったとき、身体がジーンとしびれるような感覚をおぼえた。美しくも残酷な物語の主人公たちがここに眠っている。−

 五木寛之はこのように書いている。私が訪れた晩秋にも何か他の寺とは違う異様な時間が流れているように思えた。
 国道42号線を那智川に沿って青岸渡寺に向かって曲がると山裾の鬱蒼とした森の中に小さな寺があった。そこが補陀落山寺である。
 五木寛之が書いているように創建は千四百年前であるが、何回か建て替えられたとみえて現在の寺からは古さは感じられない。それでも本殿の中に入っていくと、秘仏の観世音菩薩を囲うように四天王像が安置されていて荘厳な雰囲気を醸し出している。皇太子殿下も独身時代に参拝されているようで本殿に写真が飾ってあった。この寺も紀ノ国の他の世界遺産と同じく世界遺産なのだ。皇太子殿下の写真の隣にユネスコの「世界遺産登録書」がある。これが「世界遺産登録書」かと唸りながら見てしまった。本殿の脇には『百寺巡礼・関西編』にもある「渡海船」があった。この船を見ると、船の四方に赤い鳥居がある不思議な船である。もちろん当時の渡海船を復元したものであるが、この船に乗って死出の旅に出たかと思うと、五木寛之が書いているように”身体がジーンとしびれる”ような感じが私もしてしまった。

 次に向かったのは串本町の”芦雪の寺”である。この寺は、正式には錦江山無量寺という。虎関禅師の開山による臨済宗東福寺派の別格寺院である。ここに円山応挙の弟子、長沢芦雪の名画が所蔵されているのである。ゆえに「芦雪寺」の異名がある。
 長沢芦雪は1754年生まれ、江戸中期に活躍した絵師である。円山応挙の一番弟子であり、師の応挙とは対照的に大胆な構図、奇抜で機知に富んだ画風で当時たいへん人気を博していた。芦雪は1799年に亡くなっているが、これは芦雪の傑出した技量に嫉妬した応挙の弟子の毒殺だという説がある。このことを司馬遼太郎は小説『芦雪を殺す』のなかで詳細に記している。
 那智勝浦から車を走らせて”芦雪の寺”に向かった。
 国道42号線を紀伊大島に渡るバイパス橋の手前に来ると応挙芦雪館の看板が見えてくる。ここを看板にしたがい右に折れると無量寺にすぐに行き着く。ただし、国道から入る道は極端に狭いので注意を要する。車の対向はまず無理といったところ。大型車は通るのは無理。私の車はカローラなのでどうにか通れたが・・・・。
 寺の前には専用の駐車場があるので普通車は簡単に駐車することができる。
 境内は閑散として落ち着きがあるがこれといって特色のない小さな寺である。ここに江戸を代表する二人の絵師の応挙芦雪館があるのである。ここで二人の来歴や作品の数々を見ることができるのであるが、但し絵画のほとんどは複製品で、本物は防湿防災完備の宝物館に収蔵されている。応挙芦雪館と宝物館と本堂の合わせての入館料は1300円となっている。後で分かったことだがこれはお得な値段である。来歴、本物、また本物がどのように安置されていたかを知ることができたからである。
 三連休が終わってこの日は平日ゆえに、私たち以外の見学者は誰もいなかった。受付の人の案内により、応挙芦雪館から見て回ることにした。

 当時の無量寺の住職はこの寺の本堂の障壁画を描いてもらおうと知人である京都の応挙のもとを訪ねると、一番弟子の芦雪を串本の無量寺に差し向けたのである。これがこの寺に芦雪の襖絵が残る謂れである。応挙と芦雪の人となりや障壁画の複製画とこの寺の来歴を応挙芦雪館でひと通り見た後、宝物館へと案内された。建物は鉄筋コンクリート造りの入母屋式の建物である。入口は鉄の扉で頑丈に閉ざされている。案内係が鍵を開けて重い扉をゆっくり開けると、本堂を模した荘厳な木造の書院造りがコンクリート屋根の下に出現した。そこに長沢芦雪の龍虎図が書院造の八枚の襖絵の中に立ち現れたのである。これは圧倒的な迫力をもって覆いかぶさってきた。息が出来ないというのはこういうことをいうのだろうと思った。襖絵であるから裏もある。龍虎図の裏には動物画と人物画が微細に生き生きと描かれている。これは襖絵の表と裏を見ることによって、その絵の本質を知るためにそうしているのではないだろうか。なぜなら通常美術館などの展示では表しか見ることができない。襖絵の場合、表裏一体なのではないのだろうか。ここの龍虎襖絵は、虎の裏には池に遊ぶ鯉、そしてこの鯉に岸辺から襲いかかろうとしている猫がいる。この猫はいまにも飛びかかりそうである。虎の絵は、この猫を水中から見ている鯉の目線ではないのかと思ったのである。そんな表裏一体。
 また龍図の裏には人物画、「唐子遊図」が描かれている。中国の唐時代の子どもが屈託なく遊んでいる姿である。このあどけない子どもの内面には、恐ろしい龍の姿があると芦雪は見たのではないのだろうか。また、「唐子遊図」の隣には師匠の円山応挙の「波上群仙図」も描かれている。これは仙人が龍を呼び起こし、それほどの出来栄えゆえに応挙が後に仙人を書き足したのではないのだろうかと、そんなふうにも思えてしまう表裏一体の見事さなのである。いずれも国の重要文化財であるが、こんな日本で一番小さな美術館は、鬼気迫る迫力で私を打ちのめした。
 師匠の応挙に負けず劣らずの絵画が描けるなら、司馬遼太郎が小説に書くように他の弟子が嫉妬して暗殺するのも頷けるのである。
 宝物館を見た後、デジタル複製画がはめ込まれた本堂の内部を見学した。本来はこのように襖絵が配置されていたのかと目の当たりに見ると、これも他の美術館にない一興であった。
 無量寺を出ると再び狭い道路を通り一路日高町の我が家へと向かった。
 紀伊大島へ渡るバイパスのところでAコープに立ちより新鮮なマグロの刺身を買う。これで今夜の夕食を楽しむためである。
 南紀の旅もまた、思い出多い旅となった。
 途中の海岸線は、我が故郷ながら紀の国の海は美しいものだと、あらてめて思った。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
3.5
グルメ
3.5
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
自家用車 徒歩
  • 「サンかつうら」フロント

    「サンかつうら」フロント

  • フロント横のテラス

    フロント横のテラス

  • ロビーの椅子。この壁際に図書や雑誌が用意されている。

    ロビーの椅子。この壁際に図書や雑誌が用意されている。

  • 夕食の料理。食べきれない量と種類である。<br />

    夕食の料理。食べきれない量と種類である。

  • 大浴場脱衣所。

    大浴場脱衣所。

  • 大浴場。泡風呂となっている。

    大浴場。泡風呂となっている。

  • 檜の樽風呂。海が望める。<br />

    檜の樽風呂。海が望める。

  • 客室から熊野灘の海が望める。<br />

    客室から熊野灘の海が望める。

  • 客室のテラスに望遠鏡が用意されている。<br />

    客室のテラスに望遠鏡が用意されている。

  • 四階の客室。<br />

    四階の客室。

  • 補陀落山寺正面。

    補陀落山寺正面。

  • 補陀落渡海の石碑。渡海船が刻まれている。<br />

    補陀落渡海の石碑。渡海船が刻まれている。

  • 補陀落渡海した僧の名が刻まれている。<br />

    補陀落渡海した僧の名が刻まれている。

  • 渡海船の復元されたもの。<br />

    渡海船の復元されたもの。

  • 世界遺産の石碑。<br />

    世界遺産の石碑。

  • 本殿内部の不動明王像<br />

    本殿内部の不動明王像

  • 本殿内の四天王像。<br />

    本殿内の四天王像。

  • 本殿内の四天王のひとつ、毘沙門天像。<br /><br />

    本殿内の四天王のひとつ、毘沙門天像。

  • 秘仏観世音菩薩を祀る内陣。<br />

    秘仏観世音菩薩を祀る内陣。

  • 皇太子殿下の写真。<br />

    皇太子殿下の写真。

  • ヨネスコ「世界遺産登録書」。<br /><br />

    ヨネスコ「世界遺産登録書」。

  • 補陀落山寺を訪れた五木寛之。「百寺巡礼・関西編」より<br />

    補陀落山寺を訪れた五木寛之。「百寺巡礼・関西編」より

  • 無量寺入口。<br />

    無量寺入口。

  • 応挙芦雪館入口。<br />

    応挙芦雪館入口。

  • 無量寺本堂<br />この中に応挙が描いた「龍虎襖図」があった。<br />

    無量寺本堂
    この中に応挙が描いた「龍虎襖図」があった。

  • 龍虎襖絵と裏面の波上仙図や唐子遊図のパンフレットより<br />。<br />

    龍虎襖絵と裏面の波上仙図や唐子遊図のパンフレットより

  • 鉄筋コンクリート造りの宝物館。<br />

    鉄筋コンクリート造りの宝物館。

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