1988/12/11 - 1988/12/11
4253位(同エリア5994件中)
マローズさん
奈良市の山奥にある柳生の里は、大河ドラマ「春の坂道」放送時、全国から脚光を浴びたものの、それ以降はひっそりとした佇まいを見せている。
柳生氏の祖は12世紀中頃、関白・藤原頼通が春日大社に柳生の地を社領として寄進した際、管理者となった大膳永家。
柳生氏の所領として認められるのは鎌倉時代だが、戦国時代に紆余曲折があり、太閤検地では没収されている。
藩政時代に宗矩が兵法指南役として徳川秀忠と家光に仕え、柳生その他の地、一万石以上を与えられ、大名となった。宗矩の長男が隻眼の剣豪として有名な十兵衛三巌(みつよし)。四男は柳生家の菩提寺・芳徳寺の第一世住職・烈堂だが、この名は「子連れ狼」の拝一刀の敵役名としても知られる。寺の開祖は漬物のたくあん考案者として有名な沢庵禅師。
柳生の里には宗矩や十兵衛関連史跡の他、春の坂道の原作者・山岡荘八が一時所有していた家老屋敷である柳生資料館、古墳、石仏等が点在しており、史跡ハイキングを楽しむことができる。
[探訪コース]
当時のコース図等は廃棄しているため、記憶が定かではないが、奈良交通バス・「柳生」バス停の一つ北の「笠置登山口」バス停で降車し、阿対(あたや)地蔵、塚穴(古墳)、十兵衛杉、家老屋敷、陣屋跡、一刀石と巡り、帰路沿いの正木坂剣禅道場や芳徳寺は陽が落ちたため、素通りし、柳生バス停へ下ったのではないかと思う。
写真を撮った各史跡の説明は写真のキャプションにて。尚、当時使用していたカメラはピントの微調整(シャッターの半押し)機能がないものだったため、ピントが殆ど合っていない。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 2.5
- 交通
- 1.5
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄
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柳生の里への道か或いは剣塚へ向かう道
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剣塚・・・古城山山上の砦に建つ。元弘元年(1331)8月、後醍醐天皇が京を脱して笠置山に還幸され、倒幕の兵を挙げた時、馳せ参じた宗厳の7代前の当主・柳生播磨守永珍が砦を築いていた。堀切や土塁、郭が残る。
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塚穴・・・横穴式古墳。玄室は高さ2.7メートル、奥行き3.6メートル、幅1.8メートル。宗矩の父・石舟斎宗厳はかつて玄室にあった石棺を手水鉢に加工して使用していたことから、「石舟斎」と号した。
内部見学自由。 -
阿対地蔵・・・このように呼ばれる磨崖仏だが、右の大きい方は阿弥陀如来で左が地蔵菩薩。豆腐を供えると子宝に恵まれるという。
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十兵衛杉・・・寛永13年(1636)、十兵衛が将軍・家光の命を受け、西日本諸藩の動静を探る旅に出る際、記念に植えた杉だと言われているが、昭和期、落雷を受け、枯れた。後世、横に二代目十兵衛杉が植樹された。
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柳生資料館(だったと思う)の兜や木刀
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家老・小田山主鈴の屋敷内だったか?
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家老屋敷の庭だったか?
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一刀石・・・天乃石立神社の奥に鎮座する7メートルの巨石。毎夜、天狗を相手に剣術の修行をしていた宗巌が、ある時、天狗を斬った。が、翌朝見てみたらこの巨石だったという。
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