2015/11/28 - 2015/11/28
302位(同エリア547件中)
マローズさん
先月、NHK「ファミリーヒストリー」で、ドランクドラゴン塚地武雅氏の先祖邸跡が高知県黒潮町入野にあり、その屋敷跡前にかつて一里塚があったことが解説されました。番組では地元の歴史についてはあまり調査してないようでしたが、その一里塚があった道は、坂本龍馬が16歳の頃、四万十市中村の四万十川の堤(現在の通称「赤鉄橋」の西袂の北方)普請の差配役補佐として出張した際、歩いた土佐西街道兼、遍路道です。そしてそこは道の分岐となっており、背後の八丁山の西方の山伏峠を越える橘川古道の起点でもありました。武雅氏の先祖が隣村で仕事(代々左官の棟梁)をする時等に越えた古道です。
武雅氏の祖父家族はその一里塚前の屋敷に昭和10年まで居住していましたが、後に大阪府東大阪市高井田に移りました。その地で財を築き、武雅氏の父を授かるのですが、終戦の昭和20年、当主だった武雅の祖父が屋根から落下して、仕事ができない身体になり、一家は故郷に帰ります。そして前の屋敷からほど近い所に住居を得て、武雅の祖母が食堂を始めます。しかし4人の子供を育てるには厳しく、密造酒の販売まで手掛けました。
昭和30年代後期まで食堂を続けた後、また一家は大阪に戻ります。武雅は阪南市で生まれました。
土佐西街道の入野の一里塚跡はこれまで、歴史研究家(私もその一人ですが)や県教育委員会も比定できてなかったので、関連付随史跡として、武雅氏の先祖邸跡を探訪しました。明治に入り、この一里塚から姓を取り、「塚地」と名乗るようになったのでした。
場所は前述の番組を録画して何十回も繰り返し見て、検討をつけていました。国道沿いのスーパー「サンシャイン大方店」の交差点から北方です。屋敷跡は雑草に埋もれ、基礎が残るのみでした。
昭和20年から30年代まで武雅の祖父母や父、叔父、伯父が暮らしていた食堂については、周辺の60代以上の住民は皆、知っている模様で、案内して戴きました。塚地一家が転居後は貸家となっており、食堂部分は若干改装されていましたが、他は昔のままのようです。
その後、他の住民に武雅の叔父宅を案内して貰い、それが終わると車で移動し、前述の山伏峠とその近くの展望のいい八丁山に登りました。それらのコースは地元の保存会が整備しています。
八丁山山頂からは、入野松原の海岸から太平洋が一望できます。今年2月に癌で他界した武雅の父は、病床で何度も武雅に「もう一度、入野の海を見たい」と言っていたと言います。
武雅の父に思いを馳せていると、曇っていた空が晴れ渡ってきました。
山伏峠や八丁山のコースガイドについてはhttp://www.yamakei-online.com/cl_record/detail.php?id=49648を。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- 自家用車
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