2015/11/06 - 2015/11/07
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ワイン好きさん
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東京をあらためて見直す東京散策がいま、江戸っ子の間でひそかなブーム。地元ではないが、江戸を作った徳川の権勢を知る名古屋の仲間が、江戸を学ぼうと始めた東京散歩。歴史検証に歩くことでトレンドの最先端にぶつかることも少なくなく意外な発見もある。江戸幕府400年の歴史はさまざまな文化の名残を今に伝えている。
2015年4月7月に続く、東京散歩の第3回。
今回は江戸末期から明治そして戦後に至る東京の変化について歩き、そして食文化を体験して文明開化を実感。
第一回は江戸資料館や江戸の名残を探訪。第二回は江戸の芸能や生活文化、暮らしなどを垣間見た。今回は、江戸末期から明治、そして現代にいたる江戸から東京への変化を実感する旅となった。
東京はどこを歩いても江戸の名残を感じるとともに、それぞれに根付いた江戸の町人の生活文化が今に伝わっている。東京では、その地に育った人たちの間でもその歴史をたどるツアーが地元のボランティアの方々の案内とともに盛んになっている。折から世界各国からの観光インバウンドの来訪者たちも増える中、日本の変貌ぶりを各国の人たちにも知ってもらうことこそ、本来の国際交流になるのかもしれない。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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11月6日の早朝の新幹線。名古屋から東京に向かうひかり号はほぼ満席。富士山が見え始めたあたりから、車両内の外国人(中国人?)旅行客が窓にへばりつくようにシャッターを切っていた。日本の自然文化遺産で、世界遺産の威容は、見るものを圧倒するようだ。いつもは寝ていた車内で、今回は珍しく起きて窓外を眺めていたのが幸い、思わぬプレゼントだった。
雲一つない秋空に富士が映える。さすがに世界遺産の威容、日本の象徴と実感した。東海道53次の宿場も富士のふもとにはある。江戸時代、参勤交代はもちろん、街道を行きかう江戸時代の人々はこの富士をどう見たのか?
リニア時代には、この景色は見られない。移動時間を優先して旅の情緒が奪われるとなると、ビジネス以外の利用者の車窓の景色の移ろいと旅の風情をどう担保するかも課題だろう。 -
品川にこの日のメンバー12人が集合、朝9時30分スタートで山手線、総武線を乗り継いで信濃町に。
慶応病院や公明党本部で知られる信濃町の駅舎はモダンなビル。ここから歴史の扉を開ける信濃町駅 駅
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信濃町駅から絵画館へ。秋の気配の深まりを感じつつ歩く。
明治神宮外苑 公園・植物園
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品川から最初に向かったのが神宮外苑にある絵画館。東京の大学に通い、絶えず神宮外苑に来ていた筆者も初めての展示鑑賞。東京の東京たるゆえんがこの展示で描かれた絵画の数々。設立当初はわずかだったという江戸から明治への歴史的転換点が、手書きの絵画でよくわかる。寄贈者が全国の各県、各市に及んでいることからも絵画館の目指す意図がくみ取れた。学生たちにもっと見てもらいたい施設だ。
聖徳記念絵画館 美術館・博物館
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旧樺太(サハリン)の日露国境画定境界線レプリカ展示
絵画館を出ると、これがなぜここにというレプリカが何気なくある。
そのいわれを見てみると、日露戦争後の1905年(明治38年)ポーツマス条約(日露講和条約)で樺太の北緯50度以南を日本が領有することになった。翌1906年(明治39年)から1908年(明治41年)にかけて天文測量による日露両国の国境画定作業がおこなわれ東のオホーツク海沿岸から西の間宮海峡側までの、132キロメートルの間に4基の天測境界標、17ヶ所に平均6キロメートルごとに中間標石、19ヶ所に木標がたてられた。聖徳記念絵画館 美術館・博物館
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その天測境界標第四号の複製品が明治神宮聖徳記念絵画館正面の西側駐車場奥に設置してある。1926年(昭和元年)、旧樺太庁から寄贈されたもので現在は標石の大きさは高さ64、正面幅30〜50、側面幅18〜30センチメートル程度で将棋の駒のような形になっている。標石の一面には菊の紋章と「大日本帝国」、「境界」の文字が弧状に刻され、他面にはロシア帝国の双頭鷲紋章とキリル文字で「РОССiЯ」(ロシア)、1906、「ГРАНИЦА」(グラニツェア 国境)の文字が横直線状に刻されており、側面には「天第四號 明治三十九年」、反対側面も「АСТР(|の縦棒4つ)」(アストロ 天測)の刻字が、また頂部台形のところには「模造」の刻字がある。
聖徳記念絵画館 美術館・博物館
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明治神宮聖徳記念絵画館にはレプリカだけでなく、安田稔(やすだ・みのる 1881〜1965)によって描かれた「樺太國境劃定」の壁画が展示されている。1932年(昭和7年)12月に制作され日本石油株式会社により奉納されたもの。寸法は縦2.7メートル、横2.5メートル。日露の両国陸軍が標石を設置している様子が描かれている。
聖徳記念絵画館 美術館・博物館
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絵画館を出て西に少し歩くとぽっかり空間がある。国立競技場と日本青年館のあった場所だ。構造物がないとこんな空間になってしまう。2020年のオリンピック開催時にはここには人があふれかえるはず。どんな競技場ができるか、次世代の若者のために、受け継がれる建物を作ってほしい。
国立競技場 名所・史跡
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壁の間から新宿方面をのぞくとこんな景色。あと4年でどんな景色に変わるか?まさか生ガキのお化けが出現していることはあるまい。
日本青年館大ホール 名所・史跡
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さらに表参道方面に歩を進めると、名物のイチョウ並木に。都民の散歩道らしく、犬の散歩に来ているカップルや、高齢者を連れた親子連れなどがのんびり歩いている。もう少しで、イチョウの色づきがピークに。
明治神宮外苑いちょう祭り 祭り・イベント
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背の高いイチョウは先のとがった槍のようになっている。朝はジョギング、昼は散策の道として、都心の癒しの場になっているのがよくわかる。スポーツ施設だけでなく、オリンピックの年にはここが外国人注目のスポットになりそうだ。
明治神宮外苑 公園・植物園
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イチョウ並木を抜けるとしゃれたテラスのあるレストランに到着。ここでランチ。まだ12時前だが、多くの順番待ちのお客さんが店外に。街の風情に溶け込んだその雰囲気は、メニューを見なくとも入ってみたいと思わせる造りだ。
キハチ 青山本店 グルメ・レストラン
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12人の席を確保するため、1か月前の予約開始日に幹事の一人が電話と格闘してくれた。平日のランチの予約すら取れないほどの人気店。メニューはイタリアンを中心にさまざまな料理が選べる。今回はオードブルとメインがそれぞれ三種類選べるデライトランチを選択(2700円)。隣の席のオーダーと見比べ食べ比べる。隣の芝生は青く見えるを実感。
キハチ 青山本店 グルメ・レストラン
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店内はアラブ系、英国系など、海外からのお客さんでいっぱい。日本人が少なくまさにインターナショナル。そんな多様なお客さんを意識したかのように料理も多国籍。日本人のランチ風景とは違い、同じテーブルでも各人各様のオーダーのようで、同じものを食べている人が少ないのが興味深い。
キハチ 青山本店 グルメ・レストラン
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オードブルの一つ。思わずビールだけでは止まらずワインをオーダー。話も酒も進む。ここでの酒が思わぬアクシデントにつながるとは・・・。
キハチ 青山本店 グルメ・レストラン
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キハチでランチの後は、タクシーに分乗して市ヶ谷の防衛省に。事前申し込みで団体見学もできるとあって、こちらも幹事が事前に予約をしてくれた。さすがに国の防衛を担った拠点とあって、見学者とはいえ、住所、氏名、生年月日を明記。当日は、その事前登録と証明できる免許証などを照合してやっと許可となる。
キハチでビールとワインをいただいた一行は、この照合でひと悶着。防衛省だけに、量に関わらず飲酒しての見学は困るとお叱り。
確かに、防衛省ならずともこれは反省しなければならないが、名古屋から来てくれたのだからと何とか見学を許可された。寛容な対応に感謝。防衛省の見学ができるのは新たな発見。 by ワイン好きさん防衛省 (市ヶ谷台) 美術館・博物館
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常に見えるところにという指示のもと、この立入証を胸に下げ入場。ビルの4階分に相当する高さを一気に上がることができるエスカレータを上がり、防衛省市ヶ谷台庁舎群の見学に。
防衛省の広報担当官が常に同行する中、団体と個人合わせて40人ほどの見学者がおよそ2時間のツアーに出発。説明してくれるのは専門の説明員で自衛隊員ではないと思しき女性たち。自衛隊のアピールにこうしたサービスをしていることは驚きでもあった。防衛省の見学ができるのは新たな発見。 by ワイン好きさん防衛省 (市ヶ谷台) 美術館・博物館
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2時間10分の行程はほとんど撮影可能とのことだが、大事な施設や映像など著作権に影響のあるものは撮影できないと説明を受ける。歩き始めてすぐ、メインの庁舎A棟は撮影禁止。最初の見学先は、市ヶ谷記念館。もともとA棟のあったところに建っていた建物で、昭和21年からの極東国際軍事裁判の法廷として使われたところ。1970年(昭和45年)11月25日に三島由紀夫が当時の陸上自衛隊東部方面総監室で総監を人質に立てこもり、檄文とともに演説した後自殺した部屋も再現されている。
平成12年5月に移築、完全に同じものではないが、大講堂や旧陸軍大臣室(東部方面隊総監室)、天皇の休憩所だった(旧便殿の間)が復元され、当時の様子を伝えている防衛省の見学ができるのは新たな発見。 by ワイン好きさん防衛省 (市ヶ谷台) 美術館・博物館
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極東軍事裁判の開かれた市ヶ谷記念館大講堂。床のフローリングの床材は移築前のものを再利用。30センチ角のナラ材で、7200枚のうちゆがみが出た399枚以外は創建当時の部材を組み合わせて復元するなど相当気を使っていることが分かる。
天皇が来訪された際の視線を意識し2階席との位置関係を床の傾斜やドアの位置で工夫するなど、戦前の天皇陛下への配慮がしのばれる造りになっている。防衛省の見学ができるのは新たな発見。 by ワイン好きさん防衛省 (市ヶ谷台) 美術館・博物館
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旧陸軍大臣室。その後の陸上自衛隊東部方面監察官室。三島由紀夫が立てこもった部屋がここ。ドアには刀傷も3か所残され、その当時が偲ばれる。
見学者はこの後、広報資料館などに行き無事2時間10分のツアーを終了。入場時の叱責もいい思い出に。
午後3時40分解散。このあとしばらくフリータイム
浮世絵展の開かれている永青文庫など思い思いにフリーの時間を楽しんだ。防衛省の見学ができるのは新たな発見。 by ワイン好きさん防衛省 (市ヶ谷台) 美術館・博物館
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夕食はねぎま鍋。
人形町の細い道を入ったところにある「よし梅芳町亭」
昭和の名女優・花柳小菊が住んでいた美しい建物は、屋久杉の木目を活かした天井や波板ガラス、細かくデザインされた格子、床の間にしつらえた銘木の床柱など、見どころがたくさんの有形文化財に登録された由緒ある建物。 昭和初期の息吹を感じながら、江戸名物のねぎま鍋を楽しんだ。よし梅 芳町亭 グルメ・レストラン
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ねぎま鍋には新鮮なマグロがたっぷり。〆はおじやでみんな満足。
よし梅 芳町亭 グルメ・レストラン
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2日目も朝9時スタート。東京駅で荷物をロッカーに入れた後、南千住の回向院に向かう
回向院は寺の案内によると1651年(慶安4年)に新設された小塚原(こづかっぱら、こづかはら)刑場での刑死者を供養するため、1667年(寛文7年)に本所回向院の住職弟誉義観(ていよ・ぎかん)が常行堂を創建したことに始まる。
この寺には、安政の大獄により刑死した橋本左内・吉田松陰・頼三樹三郎ら、また「毒婦」と云われた高橋お伝などの歴史上の有名人物が葬られている。
1771年(明和8年)に蘭学者杉田玄白・中川淳庵・前野良沢らが刑死者の解剖(腑分け/ふわけ)に立ち合ったことを記念した観臓記念碑(建立は1922年)がある。
戦後の代表的な誘拐事件の通称「吉展ちゃん事件」の犠牲者村越吉展ちゃん(当時4歳)の供養のために建立された「吉展地蔵尊(よしのぶじぞうそん)」がこの寺の入り口にある回向院 寺・神社・教会
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今回は江戸から明治の食文化を極めるかのようなグルメツアーにもなった。2日目の昼食は吉原に隣接した三ノ輪の中江で馬刺しと桜鍋。ここも予約で12人が昼前に到着。吉原に向かう客がとりあえず腹ごしらえをしたということで、時間がかからないよう滞留時間が短かったとか。いかにもという造りの店構えに歴史を感じる。
桜なべ中江 グルメ・レストラン
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桜鍋は小ぶりの鍋に馬肉を牛肉にすればすき焼きと変わらぬ内容となっている。前菜は馬刺しなどが用意され、日本酒がうまい。この日も前日に懲りず、昼から日本酒とビール。馬肉は生でも食することができるということから、しゃぶしゃぶ風に沸騰した割り下に2〜3度くぐらせるだけ。吉原に向かう客は食事はそこそこに、気もそぞろだったから、このスピード感が重要だったとか。今の時代の客には少々あわただしい。鍋の後、残った煮汁に卵をとき入れ、ご飯にのせて親子丼風に。牛よりヘルシーを実感する味わいを満喫した
桜なべ中江 グルメ・レストラン
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昼食に満足した後は三ノ輪駅でいったん解散、フリータイムに。ちょうど腹ごなしの散歩を楽しむ人も。ここでもスカイツリーがよく見える。
三ノ輪駅 駅
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午後2時半から鈴本演芸場に。前回は歌舞伎。今回は落語と町人たちの娯楽を共有する。
名古屋の大須演芸場は大きな期待を集めて再開したが、その後もあまり目立ったイベントがない。東京では毎日こうした演芸場に多くの人が集まる。江戸から続く町人文化の優れた伝承が続く東京の奥深さを感じる。鈴本演芸場 名所・史跡
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3回のツアーの最後は江戸にちなみ、東海道の起点である日本橋のお多幸のおでん。庶民の癒しの場で締めくくり。大正の濃いめの味付けは、いかにも東京風。名古屋のみそおでんに比べ、種類が多く、あれもこれも味わいながら、酒を楽しむ。江戸巡りツアーにはふさわしい締めくくりとなった。毎回1泊2日。計6日間の東京探訪はこれで終わり。
2020年東京オリンピック。2027年リニア開通で、東京がどう変わるか?その原点となった江戸文化がどのように変質し、次世代に継承されていくか、つくづく東京は町人の、商人の町だということがよくわかった。一極集中がますます顕著になりつつある東京にほかの都市がどう存在をアピールするか。ともに隆盛になるのが一番の理想のはずだ。
日本という国とそれを取り巻く世界の環境変化の中で首都東京がどう変っていくかまだまだ興味が尽きない。江戸と徳川時代を築いた尾張徳川のゆかりの地が40分で結ばれる前にまたの機会がそんなに遠くない時期に訪れそうだ。
地元を知り、日本の全国の文化が融合した東京を知ることが、日本を世界にどうアピールするかに通じる道だと知らされた東京散歩だった。日本橋 お多幸本店 グルメ・レストラン
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