2015/11/02 - 2015/11/02
309位(同エリア557件中)
ゆらのとさん
悠久山の紅葉を観た
11月2日は晴天だった。妻と車で市内の悠久山公園の紅葉を観に出かけた。
今春、桜を観に出かけた時は満車で駐車できなかったが,その日はガラ空きだった。休日でなかったことと、悠久山が紅葉の名所であることを市民はあまり知らないからだ。
悠久山公園は37haもある広大な公園で2500本以上の桜が植えてある。楢や檜や銀杏も沢山生えている。晩秋になると、それらが一斉に紅葉と成る。(黄葉も含む)
悠久山は山が付くけれど土地名であって、山自体は標高300mもない。池の端で駐車してから、30分程で頂上に着いたが行きは昔からあった木の杭で造った階段式の坂道で昇った。曲りくねった急坂は老爺には応えたが、林道の木漏れ日と冷たい風が心地よかった。
山頂に着くと、長岡市街が一望できた。そこで、持参したおにぎりを食べ,,熱い番茶を飲んで、日本人の昼飯を満喫した。
妻との会話はあまり無かったけれど安らかな幸せをを感じた。(妻も多分) ゆっくりと休んでから、帰りは20年ほど前、桜を200本以上(八重桜が主)を植えた緩やかな坂道を下った。数年,見ないうちに桜の樹は大きく成長していた。桜葉すでに散っていたのでカサコソと枯葉を踏みつけるのは心地良かった。 その時、キィー、キィーと百舌(もず)が鳴いたのである。私は「やったー」と叫んだ。日本に渡来する百舌は少なくなったと、メデアで報道していたが悠久山には百舌が来るのである。
私は少年時代から晩秋に百舌が鳴く山道を歩くのが好きだった。その声を聞くと、冬に向かう憂鬱な日々が明るくなった。なぜ、「百の舌」(うそつき)なんて漢字を当てたんだろうなんて国学者を恨んだ。 辺りに誰もいなかったので、私は妻と大きな声で歌った。
「百舌が枯れ木で鳴いている おいらは藁を叩いている 綿引き車はおばあさん ゴットン水車も回っている」 この歌は、サトウハチロウ作詞、徳冨繁作曲で茨城県の子供向けの歌として戦前、作られたが、反戦の歌として戦後まであまり歌われなかったのだそうだ。
昭和30年代初め私は東京で苦学生だった。それでも、アルバイトの金が入ると、サークルの友達と新宿の歌声喫茶に通ったものだ。冬の時期になると、「もずが枯れ木で」の歌がよく歌われていた。
私は特に3番の歌詞が好きだった。 「あんさは満州へ行っただよ 鉄砲が涙で光っただ 百舌よ寒いと鳴くがいい あんさはもっと寒いだろ」 いつも、歌がここに来るとジーンとした。
歌い終わると暫く沈黙が続いた。私は今日の、この情景を短歌にしたかった。あれこれ考えて、お粗末な句が出来た。
晩秋の 悠久山に 踏み入れば
桜の枯葉 百舌の声
帰路、悠久山公園から1キロ駅よりの文化公園に立ち寄った、そこの紅葉も見事だった。
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悠久山公園アクセス:長岡駅東口からバス20分(20毎)
公園内案内: 大自然公園(桜の名所)、蒼紫神社、長岡城に似せた郷土資料館、野球場、水泳プール、小動物園〔無料〕、等
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