2015/05/07 - 2015/05/07
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comevaさん
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岡谷市の近代化産業遺産
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製糸全盛期の岡谷
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市立岡谷蚕糸博物館
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昭和11年、製糸家により寄付された旧岡谷市役所庁舎。
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旧岡谷市役所庁舎 (国登録有形文化財)
製糸業により発展した糸都岡谷のシンボル -
旧山一林組製糸事務所
大正10年に建築された旧山一林組製糸株式会社の事務所棟と守衛所建物です。国登録有形文化財。
山一林組製糸は明治12年創業で、岡谷でも5指に入る大製糸工場でした。昭和2年には、市内に本工場314釜、第2工場284釜、第3工場300釜、諏訪郡永明工場356釜、伊那郡伊奈富工場436釜、県外にも埼玉県熊谷工場320釜、千葉県我孫子工場365釜、静岡県沼津工場540釜、愛知県稲沢工場551釜の合計9工場3,966釜という全国第6位の釜数を誇る大工場でした。昭和4年には林組製糸株式会社、23年にミハト製糸株式会社、36年信栄工業株式会社として精密業に変わり、47年に閉業しました。 -
旧山一林組製糸事務所
現在は、絹工房として、絹織物研修・制作に利用されています。 -
旧山一林組製糸守衛所
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株式会社金上繭倉庫
〜製糸業のシンボルの一つ繭倉庫〜
製糸工場の原料繭は購入してから繰糸までの間、貯蔵が必要です。機械製糸発足の当初は、繭は居宅の2階か土蔵に置くのが普通でした。しかし、従来の土蔵は換気が悪くカビが生じる心配がありました。また、明治18年に尾澤金左衛門宅で火災が起こり、繭を焼失し大損害を被ったことから、繭専門の倉庫を建築する動きが高まりました。昭和初年には市内合計105棟の繭倉庫が存在し、白壁土蔵造りの4・5層から6層の建物は幾百もの煙突と共にシルク岡谷の象徴となっていました。
金上繭倉庫は、旧サスダイ中村甫助製糸所の繭倉であった建物で、卸業の金上が昭和32年に敷地ごと譲り受けて移転。現在も倉庫として利用しています。 -
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丸山タンク
〜製糸工場の水不足を解消する〜
生糸の製造には大量の水が必要で、さらに水質の善し悪しが生産性や品質に大きく影響しました。そのため、良質な水を豊富に確保することは製糸業発展の生命線でした。明治中期以降、製糸工場の規模が飛躍的に拡大すると、諏訪湖や天竜川河畔に大工場が集まる一方で、新屋敷などでは水不足が深刻化していました。
大正3年、製糸用水の供給を目的に結成された「丸山製糸水道組合」では折りしも時代が水車から電力への移行期を迎えていたことを受け、天竜川からポンプで水を揚げ、湖岸から650m離れ、湖面より20m高い丸山に貯水する大規模な揚水施設の設置に着手。タンクは同年10月に竣工し、塚間川以西の製糸業地帯へ潤沢な給水を可能にしました。
タンクは外周約38m、高さ約2m、壁の厚さは60cm強あり、内側には砂利混じりの粗いコンクリート造りの環状壁を二重に内包しています。給水能力は1日14時間稼働で1400立方メートル、製糸場3,530釜の需用に対応していました。 -
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旧林家住宅
〜製糸家林国蔵の居宅 経営の営みを伝える〜
製糸家であり実業家であった林国蔵の居宅。茶室と洋室が隣り合わせに接し、金唐紙の和室がある貴重な文化遺産。国重要文化財。 -
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旧片倉組本部事務所
〜かつて日本最大の製糸工場片倉組の本部事務所〜
かつて、名実ともに日本最大の製糸工場だった片倉組の本部事務所。事務所は明治43年に建築されました。国登録有形文化財。
昭和14年に群馬県富岡製糸場も片倉の所有となり、昭和62年まで自動操糸機によって操業していました。 -
鶴峯公園
大正時代、片倉組(現在の片倉工業)の施設として整備。
片倉組初代片倉兼太郎は、低年齢従業員への教育の重要性を感じここに小学校を建設することにしました。初代片倉兼太郎は、校舎の竣工を見ずに逝去しますが、二代兼太郎その遺志を継いで大正6年に完成させました。翌年には地区内同業者の願いにより、その従業員も受け入れました。工場法改正で未修了者の就労がなくなると、大正11年以降青年学校として社会教育に活用されました。
学校として使用されていたこの地が、公園化され「鶴峯」という名前になったのは昭和になってからのことです。 -
〜中部日本一のつつじの名所〜
昭和10年、一町歩(10,000平方メートル)に及ぶ一帯が片倉から川岸村に寄付されました。村ではこれを記念して、園内に300株のつつじを植える事にしました。 そこで、つつじを埼玉県安行から購入しましたが、安行側の勘違いで貨車3台分のつつじが送られてきました。 そのつつじの量に村中は大騒ぎ。だが返品もできず、青年会や商業会、村民の有志が何日もかかって植え込みました。 つまり、この”勘違い”がつつじの名所を生んだのです。 戦後、鶴峯公園管理委員会を設置、本格的整備が進められ、中部日本一のつつじの名所となりました。 全山を埋め尽くすつつじは、30種余り、3万株。 -
照光寺
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蚕霊供養塔(照光寺)
〜製糸発展のために犠牲になった蚕の霊を慰める〜
蚕霊供養塔が建立されたのは昭和9年です。 -
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