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福島市で、おくの細道で、松尾芭蕉が巡った、文智摺観音、飯坂温泉鯖湖湯を紹介します。

福島宿(16)では、続いて、おくの細道で芭蕉も訪れた、文智摺観音を参拝し飯坂温泉を散策(奥州古道歩き No14--2)

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2015/04/17 - 2015/04/17

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ムッシュ

ムッシュさん

福島市で、おくの細道で、松尾芭蕉が巡った、文智摺観音、飯坂温泉鯖湖湯を紹介します。

旅行の満足度
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  • 文知摺観音(もちずりかんのん)の入口

    文知摺観音(もちずりかんのん)の入口

  • ここは、松尾芭蕉さんも訪れた観音さんです。そんな訳で、芭蕉さんの立像も.<br />

    ここは、松尾芭蕉さんも訪れた観音さんです。そんな訳で、芭蕉さんの立像も.

  • 奥の細道の一節が刻まれている。芭蕉はここで「早苗とる 手もとや昔しのぶ摺」という句を残している。<br /><br />【奥の細道より】<br /> 月日は百代の過客にして 行きかふ年も又旅人也・・・・・・<br /> 二本松より右に切れて 黒塚の岩屋一見し 福島に宿る<br /> あくれば しのぶもち摺の石を尋ねて 偲ぶのさとに行 遥山蔭の小里に 石半土に埋てあり 郷の童部の来たりて教ける 「昔は此山の上に侍しを 往来の人の麦草をあらして 此石を試侍をにくみて 此谷につき落せば 石の面下ざまにふしたり」と云 さもあるべき事にや<br />    早苗とる手もとや<br />      昔しのぶ摺 <br />                         元禄二年五月二日

    奥の細道の一節が刻まれている。芭蕉はここで「早苗とる 手もとや昔しのぶ摺」という句を残している。

    【奥の細道より】
     月日は百代の過客にして 行きかふ年も又旅人也・・・・・・
     二本松より右に切れて 黒塚の岩屋一見し 福島に宿る
     あくれば しのぶもち摺の石を尋ねて 偲ぶのさとに行 遥山蔭の小里に 石半土に埋てあり 郷の童部の来たりて教ける 「昔は此山の上に侍しを 往来の人の麦草をあらして 此石を試侍をにくみて 此谷につき落せば 石の面下ざまにふしたり」と云 さもあるべき事にや
        早苗とる手もとや
          昔しのぶ摺 
                             元禄二年五月二日

  • 公園案内図<br />【文知摺観音】 福島県指定史跡及び名勝(昭和38年12月13日指定)<br /> この地は信達三十三観音二番札所としての霊地であり、また文知摺石をめぐる伝説の地としても古くから市民に親しまれてきた所であります。<br /> この信仰と伝説とが中核となって、この地には長い歳月にわたり堂塔が建立され多くの碑が配置されてきました。そのなかには甲剛の碑のように由緒がつまびらかでないものもありますが、文永四(1267)年の文字が刻まれている鎌倉期の板碑や元禄九(1696)年に、福島城主堀田正虎が文知摺石を顕彰した碑、また信達の俳人たちが京都の俳人丈左房を迎えて建てた松尾芭蕉の句碑などは史実が明らかで、しかも当地の文化や歴史を跡づける価値の高いものであります。<br /> さらにこれらの堂塔建碑の配置が静寂な自然の中にとけこみ、新緑に映える多宝塔、紅葉の樹下に苔むす文知摺石など、市民が遠い伝説のゆかりや民間信仰が生みなした民俗遺跡をしのびながら遊歩するのにたる風致をそなえております。かつて都人たちが枕歌として詠じ芭蕉が奥のほそ道の行脚に立ち寄り、文人正岡子規や墨客小川芋銭が足を運んだこの地は、市民の憩いの地として長く保存されるのにふさわしい史跡および名勝であります。<br />                      福島市教育委員会<br /><br />

    公園案内図
    【文知摺観音】 福島県指定史跡及び名勝(昭和38年12月13日指定)
     この地は信達三十三観音二番札所としての霊地であり、また文知摺石をめぐる伝説の地としても古くから市民に親しまれてきた所であります。
     この信仰と伝説とが中核となって、この地には長い歳月にわたり堂塔が建立され多くの碑が配置されてきました。そのなかには甲剛の碑のように由緒がつまびらかでないものもありますが、文永四(1267)年の文字が刻まれている鎌倉期の板碑や元禄九(1696)年に、福島城主堀田正虎が文知摺石を顕彰した碑、また信達の俳人たちが京都の俳人丈左房を迎えて建てた松尾芭蕉の句碑などは史実が明らかで、しかも当地の文化や歴史を跡づける価値の高いものであります。
     さらにこれらの堂塔建碑の配置が静寂な自然の中にとけこみ、新緑に映える多宝塔、紅葉の樹下に苔むす文知摺石など、市民が遠い伝説のゆかりや民間信仰が生みなした民俗遺跡をしのびながら遊歩するのにたる風致をそなえております。かつて都人たちが枕歌として詠じ芭蕉が奥のほそ道の行脚に立ち寄り、文人正岡子規や墨客小川芋銭が足を運んだこの地は、市民の憩いの地として長く保存されるのにふさわしい史跡および名勝であります。
                          福島市教育委員会

  • 【柴山郡長顕彰碑】<br /> 明治十八年(1885)信夫郡郡長柴山影綱が文知摺石を発掘 現在の状態にしたことを顕彰し 明治三十七年三月建立した 撰文は旧福島藩督学兼侍講・高橋忍南 書は安洞院十四世瓦嶽玄彰和尚による<br />                           信夫文知摺保勝会

    【柴山郡長顕彰碑】
     明治十八年(1885)信夫郡郡長柴山影綱が文知摺石を発掘 現在の状態にしたことを顕彰し 明治三十七年三月建立した 撰文は旧福島藩督学兼侍講・高橋忍南 書は安洞院十四世瓦嶽玄彰和尚による
                               信夫文知摺保勝会

  • 松尾芭蕉の句碑<br />【芭蕉句碑】<br /> 元禄二年(1689)旧五月二日 門人曾良と共に文知摺石を尋ねて詠む<br />   早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺<br /> 句碑は京都の俳人・丈左房が寛政六年(1794)五月 追遺の句会を開催 自ら揮毫し霊山町の松青と協力して建立したものである<br />                         信夫文知摺保勝会<br />

    松尾芭蕉の句碑
    【芭蕉句碑】
     元禄二年(1689)旧五月二日 門人曾良と共に文知摺石を尋ねて詠む
       早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺
     句碑は京都の俳人・丈左房が寛政六年(1794)五月 追遺の句会を開催 自ら揮毫し霊山町の松青と協力して建立したものである
                             信夫文知摺保勝会

  • 【甲剛碑】<br /> 異様な二字ですが甲剛の古字と解されています<br /> 甲剛とは金剛と同様で北斗(北斗七星)を意味するものといわれています<br /> 北畠親房の筆になるものをその子顕家が建立したと伝えられています。<br />                            信夫文知摺保勝会

    【甲剛碑】
     異様な二字ですが甲剛の古字と解されています
     甲剛とは金剛と同様で北斗(北斗七星)を意味するものといわれています
     北畠親房の筆になるものをその子顕家が建立したと伝えられています。
                                信夫文知摺保勝会

  • 文知摺石の伝説説明板<br />【石の伝説】<br /> 遠い昔の貞観年間(九世紀なかばすぎ)のことです。陸奥国按察使(あぜち) 源融(とほる)公が、おしのびでこのあたりまでまいりました。夕暮れ近いのに道もわからず、困り果てていますとこの里(山口村)の長者が通りかかりました。<br /> 公は、出迎えた長者の女(むすめ)、虎女の美しさに思わず息をのみました。虎女もまた、公の高貴さに心をうばわれました。<br /> こうして、二人の情愛は深まり、公の滞留は一月余りにもなりました。<br /> やがて、公を迎える使いが都からやってきました。公は始めてその身分をあかし、また会う日を約して去りました。<br /> 再会を待ちわびた虎女は、慕情やるかたなく、「もちずり観音」に百日詣りの願をかけ、満願の日となりましたが、都からは何の便りもありません。<br /> 嘆き悲しんだ虎女が、ふと見ますと、「もちずり石」の面に慕わしい公の面影が彷彿とうかんで見えました。なつかしさのあまり虎女がかけよりますと、それは一瞬にしてかきうせてしまいました。<br /> 虎女は、遂に病の床についてしまいました。<br />   みちのくの忍ぶもちずり誰ゆえに、みだれそめにし我ならなくに  (河原左大臣源融)<br /> 公の歌が使いの手で寄せられたのは、ちょうどこの時でした。<br />もちずり石を、一名「鏡石」といわれるのは、このためだと伝えられています。<br />                            信夫文知摺保勝会<br />

    文知摺石の伝説説明板
    【石の伝説】
     遠い昔の貞観年間(九世紀なかばすぎ)のことです。陸奥国按察使(あぜち) 源融(とほる)公が、おしのびでこのあたりまでまいりました。夕暮れ近いのに道もわからず、困り果てていますとこの里(山口村)の長者が通りかかりました。
     公は、出迎えた長者の女(むすめ)、虎女の美しさに思わず息をのみました。虎女もまた、公の高貴さに心をうばわれました。
     こうして、二人の情愛は深まり、公の滞留は一月余りにもなりました。
     やがて、公を迎える使いが都からやってきました。公は始めてその身分をあかし、また会う日を約して去りました。
     再会を待ちわびた虎女は、慕情やるかたなく、「もちずり観音」に百日詣りの願をかけ、満願の日となりましたが、都からは何の便りもありません。
     嘆き悲しんだ虎女が、ふと見ますと、「もちずり石」の面に慕わしい公の面影が彷彿とうかんで見えました。なつかしさのあまり虎女がかけよりますと、それは一瞬にしてかきうせてしまいました。
     虎女は、遂に病の床についてしまいました。
       みちのくの忍ぶもちずり誰ゆえに、みだれそめにし我ならなくに  (河原左大臣源融)
     公の歌が使いの手で寄せられたのは、ちょうどこの時でした。
    もちずり石を、一名「鏡石」といわれるのは、このためだと伝えられています。
                                信夫文知摺保勝会

  • この巨石が【文知摺石】である。<br />かつてこの地は、綾形石の自然の石紋と綾形、そしてしのぶ草の葉形などを摺りこんだ風雅な模様の「しのぶもちずり絹」の産地でした。その名残を今に伝える文知摺石は、都からの按察使(巡察官)、源融(みなもとのとおる)と長者の娘・虎女の悲恋物語の舞台となり、小倉百人一首にも詠まれています。その後、松尾芭蕉や正岡子規など、多くの文人墨客が足を運んでいます。

    この巨石が【文知摺石】である。
    かつてこの地は、綾形石の自然の石紋と綾形、そしてしのぶ草の葉形などを摺りこんだ風雅な模様の「しのぶもちずり絹」の産地でした。その名残を今に伝える文知摺石は、都からの按察使(巡察官)、源融(みなもとのとおる)と長者の娘・虎女の悲恋物語の舞台となり、小倉百人一首にも詠まれています。その後、松尾芭蕉や正岡子規など、多くの文人墨客が足を運んでいます。

  • 受付事務所にて受付をしていた女性が、この由来を説明して下さった。。

    受付事務所にて受付をしていた女性が、この由来を説明して下さった。。

  • 石を見下ろす

    石を見下ろす

  • 境内奥にひっそりと佇む虎女と融の墓所<br />都の融から虎女に届いた歌には「みちのくの忍ぶもちずり誰ゆえに みだれ染めにし我ならなくに」と、融が遠く都で恋の思いに心乱れている様子が記されていました。故事にちなんでもちずり石は別名「鏡石」とも呼ばれています。境内の奥には虎所と源融(京都嵯峨の清涼寺より土を移す)の墓が建立され、当時の歴史を今に伝えています。

    境内奥にひっそりと佇む虎女と融の墓所
    都の融から虎女に届いた歌には「みちのくの忍ぶもちずり誰ゆえに みだれ染めにし我ならなくに」と、融が遠く都で恋の思いに心乱れている様子が記されていました。故事にちなんでもちずり石は別名「鏡石」とも呼ばれています。境内の奥には虎所と源融(京都嵯峨の清涼寺より土を移す)の墓が建立され、当時の歴史を今に伝えています。

  • 庭に咲くカラ―

    庭に咲くカラ―

  • 境内の散歩路。桜がきれいです。

    境内の散歩路。桜がきれいです。

  • 福島県指定重要文化財 安洞院多宝塔。只今改修中。28年春完成との言。

    福島県指定重要文化財 安洞院多宝塔。只今改修中。28年春完成との言。

  • 安洞院多宝塔

    安洞院多宝塔

  • 文智摺観音堂

    文智摺観音堂

  • 文智摺観音の入口に立つ松尾芭蕉像

    文智摺観音の入口に立つ松尾芭蕉像

  • 飯坂温泉駅の駅舎<br />ここから以下は、宿泊した飯坂温泉街を散策したフォトです<br />

    飯坂温泉駅の駅舎
    ここから以下は、宿泊した飯坂温泉街を散策したフォトです

  • 【飯坂温泉駅前に立つ松尾芭蕉像】<br /> 俳聖芭蕉は元禄二年(1689年)江戸を出発して奥州北陸をめぐり美濃の大垣に着くまで百五十日に及ぶ俳諧修練の旅をつづけながら旅行記「奥の細道」にまとめ後世に残した この旅行文はわが国の文学史上に不滅の光彩を放っている<br /> 旅の途次芭蕉は門弟曾良と共にまだ温泉場としての形態を放っていない当時のひなびた飯坂温泉を訪れている<br /> 飯坂の城主佐藤庄司基治の菩提寺「医王寺」を訪ね 源義経に従って転戦し討死した基治の息子 継信忠信兄弟の功に耳を傾け継信忠信の死を悲しむ母を慰めるため 二人の嫁が夫の甲冑を身につけて凱旋のさまを粧った話に涙を流し<br />   笈も太刀も五月にかざれ紙幟<br />の一句を残した<br /> 然し飯坂の泊りは雷雨降り持病もおきて寝苦しい一夜であった様である<br /> このたび飯坂温泉の住民挙げてのご協力と日展評議員彫塑家太田良平氏の特別のご理解ある制作によりここに芭蕉の像を建立し史跡を永くとどめる次第であります<br />   昭和五十七年睦月 飯坂温泉観光協会・飯坂町史跡保存会・飯坂温泉旅館協同組合・飯坂町商工会・飯坂地区町内会連合会・湯野地区町内会連合会

    【飯坂温泉駅前に立つ松尾芭蕉像】
     俳聖芭蕉は元禄二年(1689年)江戸を出発して奥州北陸をめぐり美濃の大垣に着くまで百五十日に及ぶ俳諧修練の旅をつづけながら旅行記「奥の細道」にまとめ後世に残した この旅行文はわが国の文学史上に不滅の光彩を放っている
     旅の途次芭蕉は門弟曾良と共にまだ温泉場としての形態を放っていない当時のひなびた飯坂温泉を訪れている
     飯坂の城主佐藤庄司基治の菩提寺「医王寺」を訪ね 源義経に従って転戦し討死した基治の息子 継信忠信兄弟の功に耳を傾け継信忠信の死を悲しむ母を慰めるため 二人の嫁が夫の甲冑を身につけて凱旋のさまを粧った話に涙を流し
       笈も太刀も五月にかざれ紙幟
    の一句を残した
     然し飯坂の泊りは雷雨降り持病もおきて寝苦しい一夜であった様である
     このたび飯坂温泉の住民挙げてのご協力と日展評議員彫塑家太田良平氏の特別のご理解ある制作によりここに芭蕉の像を建立し史跡を永くとどめる次第であります
       昭和五十七年睦月 飯坂温泉観光協会・飯坂町史跡保存会・飯坂温泉旅館協同組合・飯坂町商工会・飯坂地区町内会連合会・湯野地区町内会連合会

  • 温泉街の中心、駅前を流れる摺上川。水量豊富です。この川は阿武隈川に合流する。

    温泉街の中心、駅前を流れる摺上川。水量豊富です。この川は阿武隈川に合流する。

  • 採進堂酒店

    採進堂酒店

  • 旅館さばこ

    旅館さばこ

  • 【鯖湖湯】<br />芭蕉と曽良もこの飯坂温泉で入湯しました。<br />松尾芭蕉の奥の細道の中で、<br />「飯塚(芭蕉は奥の細道において飯坂のことを飯塚と記しています)」として記され、知名度を浸透させたようです。<br /><br />1689年(元禄二年)五月に、松尾芭蕉とその弟子、河合曾良の二人がここ飯坂に立寄ったとされています。当時の二人が感じた飯坂(飯塚)とは、どんなものだったのでしょうか。<br />【芭蕉 おくのほそ道 旧暦五月1日】<br /> 其夜、飯塚にとまる。<br /> 温泉(いでゆ)あれば湯に入て宿をかるに、土座に莚を敷て、あやしき貧家也。<br /> 灯もなければ、ゐろりの火かげに寝所をまうけて臥す。<br /> 夜に入て雷鳴、雨しきりに降て、臥る上よりもり、蚤、蚊にせゝられて眠らず。<br /> 持病さへおこりて、消入斗(きえいるばかり)にならん。<br /><br /> その夜は飯塚に泊まった。<br /> 温泉があるので湯に入り、宿を借りたが、土間にむしろを敷いただけの粗末な貧家であった。<br /> 灯火もないので、いろりの灯が届くところに寝床をつくり、横になった。<br /> 夜に雷が鳴り、大雨が降って寝ている上から雨漏りがし、ノミみや蚊に刺されて眠れない。<br /> 持病がぶりかえし、苦しみ、気を失うほどであった。

    【鯖湖湯】
    芭蕉と曽良もこの飯坂温泉で入湯しました。
    松尾芭蕉の奥の細道の中で、
    「飯塚(芭蕉は奥の細道において飯坂のことを飯塚と記しています)」として記され、知名度を浸透させたようです。

    1689年(元禄二年)五月に、松尾芭蕉とその弟子、河合曾良の二人がここ飯坂に立寄ったとされています。当時の二人が感じた飯坂(飯塚)とは、どんなものだったのでしょうか。
    【芭蕉 おくのほそ道 旧暦五月1日】
     其夜、飯塚にとまる。
     温泉(いでゆ)あれば湯に入て宿をかるに、土座に莚を敷て、あやしき貧家也。
     灯もなければ、ゐろりの火かげに寝所をまうけて臥す。
     夜に入て雷鳴、雨しきりに降て、臥る上よりもり、蚤、蚊にせゝられて眠らず。
     持病さへおこりて、消入斗(きえいるばかり)にならん。

     その夜は飯塚に泊まった。
     温泉があるので湯に入り、宿を借りたが、土間にむしろを敷いただけの粗末な貧家であった。
     灯火もないので、いろりの灯が届くところに寝床をつくり、横になった。
     夜に雷が鳴り、大雨が降って寝ている上から雨漏りがし、ノミみや蚊に刺されて眠れない。
     持病がぶりかえし、苦しみ、気を失うほどであった。

  • 【鯖湖湯】<br /><br />温泉街には9つの共同浴場と4つの足湯があります。<br />飯坂温泉で一番古い湯で、元禄2年(1689)に飯坂を訪ねた芭蕉もこの湯に入ったといわれています。日本最古の木造建築共同浴場として親しまれてきましたが、平成5年に明治時代の共同浴場を再現した御影石の湯船に改築されました。<br /><br />【鯖湖湯】<br /> 鯖湖湯は飯坂温泉発祥の地とされ、元禄2年(1689年)奥の細道の途中飯坂に立寄った松尾芭蕉が湯につかったと伝えられる名湯です。<br /> 日本最古の木造建築共同浴場(明治22年建築)で、平成5年に明治を忍ぶ共同浴場として忠実に再現しました。<br /> 泉   質  アルカリ性単純温泉  泉温 51.0度<br /> 浴槽温度  47度前後(源泉かけ流しの為、熱いお湯が特徴です。)<br /> 利用料金  大人(12歳以上)200円 子供(1歳以上12歳未満)100円<br /> 営業時間  6時~22時(年末年始を除く)<br /> 休 業 日   毎週月曜日(【月曜日が祝日、振替休日の場合は営業します。)

    【鯖湖湯】

    温泉街には9つの共同浴場と4つの足湯があります。
    飯坂温泉で一番古い湯で、元禄2年(1689)に飯坂を訪ねた芭蕉もこの湯に入ったといわれています。日本最古の木造建築共同浴場として親しまれてきましたが、平成5年に明治時代の共同浴場を再現した御影石の湯船に改築されました。

    【鯖湖湯】
     鯖湖湯は飯坂温泉発祥の地とされ、元禄2年(1689年)奥の細道の途中飯坂に立寄った松尾芭蕉が湯につかったと伝えられる名湯です。
     日本最古の木造建築共同浴場(明治22年建築)で、平成5年に明治を忍ぶ共同浴場として忠実に再現しました。
     泉   質  アルカリ性単純温泉  泉温 51.0度
     浴槽温度  47度前後(源泉かけ流しの為、熱いお湯が特徴です。)
     利用料金  大人(12歳以上)200円 子供(1歳以上12歳未満)100円
     営業時間  6時~22時(年末年始を除く)
     休 業 日   毎週月曜日(【月曜日が祝日、振替休日の場合は営業します。)

  • 飯坂温泉は、奥羽(東北)地方有数の古湯であり、古くは「鯖湖の湯」と呼ばれました。<br />鳴子・秋保とともに奥州3名湯に数えられ、2世紀頃には日本武尊が東征の折に、1689年には俳聖 松尾芭蕉が奥の細道の途中に立ち寄ったとされる歴史ある温泉地です。<br /><br />【鯖湖之碑の由来】<br />                 勅撰和歌集拾遺集より<br /> あかずしてわかれしひとのすむ里は さばこのみゆる山のあなたか<br />     碑文は白河楽翁公(松平定信)の筆による(鯖湖の恋歌)<br />    鯖湖碑陰記<br /> 土人以古鯖湖即為此地聞之<br /> 老公<br /> 老公書賜古歌刻碑樹之臣典謹識其陰<br /> 詔後世使之知之<br />   文化十三年丙子      白河廣瀬典識<br /> 漢詩説明<br />  「この地の人が鯖湖はここであるということを松平定信がきいて古歌を書かれたので臣の廣瀬瀬典がこれを碑にきざんで建てた。」<br />    正碑移転記<br /> 正碑或恐羅災相議移之八幡祠畔爰代以此石<br />   明治三十五年元旦     如電大槻修<br /> 漢詩説明<br />  老公が書かれた正碑が災にあってなくなることを心配して正碑を飯坂町八幡神社に移して代わりの副碑をここに建てた。<br />     平成二年葉月 湯澤町内会 鯖湖神社氏子<br /> <br />与謝野晶子の歌<br />   わがひたる 寒水石の 湯槽にも 月のさしたる 飯坂の里   <br />   明治四十四年八月<br />正岡子規の句<br />   夕立や 人声こもる 温泉のけむり   明治二十六年七月

    飯坂温泉は、奥羽(東北)地方有数の古湯であり、古くは「鯖湖の湯」と呼ばれました。
    鳴子・秋保とともに奥州3名湯に数えられ、2世紀頃には日本武尊が東征の折に、1689年には俳聖 松尾芭蕉が奥の細道の途中に立ち寄ったとされる歴史ある温泉地です。

    【鯖湖之碑の由来】
                     勅撰和歌集拾遺集より
     あかずしてわかれしひとのすむ里は さばこのみゆる山のあなたか
         碑文は白河楽翁公(松平定信)の筆による(鯖湖の恋歌)
        鯖湖碑陰記
     土人以古鯖湖即為此地聞之
     老公
     老公書賜古歌刻碑樹之臣典謹識其陰
     詔後世使之知之
       文化十三年丙子      白河廣瀬典識
     漢詩説明
      「この地の人が鯖湖はここであるということを松平定信がきいて古歌を書かれたので臣の廣瀬瀬典がこれを碑にきざんで建てた。」
        正碑移転記
     正碑或恐羅災相議移之八幡祠畔爰代以此石
       明治三十五年元旦     如電大槻修
     漢詩説明
      老公が書かれた正碑が災にあってなくなることを心配して正碑を飯坂町八幡神社に移して代わりの副碑をここに建てた。
         平成二年葉月 湯澤町内会 鯖湖神社氏子
     
    与謝野晶子の歌
       わがひたる 寒水石の 湯槽にも 月のさしたる 飯坂の里   
       明治四十四年八月
    正岡子規の句
       夕立や 人声こもる 温泉のけむり   明治二十六年七月

  • 【鯖湖神社とお湯かけ薬師如来】<br />身体の癒したい所に温泉をかけると良くなると伝えられている「泉仏 お湯かけ薬師如来」も祀られています。<br /><br />【円蔵院八幡寺御分霊 泉仏 お湯かけ薬師如来】<br /> その昔、千数百年前、「日本武尊」が東征の折、病に倒れ鯖湖湯に湯浴して平癒した伝説があり、また明治時代には東京帝大の丹波敬三博士による鯖湖湯の湯質の分析・日本の総合病院の創始者松本良順による温泉治療の評価・真鍋嘉一郎の「ラヂュウム」の含有発見等、鯖湖湯は昔から「薬湯」の名声を遺憾なく発揮して現在に至っています。<br /> 以上の名声に合わせ、この度の新鯖湖湯の復元オープンに際し鯖湖神社(湯神様)のご本尊である「薬師如来像」を建立し、併せてその徳を広く授からん事を祈念し、お湯をかけ薬師如来の由来およびその霊験を書きしるします。<br /> 薬師如来様は、薬師瑠璃光王如来と尊ばれ、東方の浄瑠璃世界の仏さまで左手に薬壷、右手に三界印を結び、日光菩薩・月光菩薩を脇士として種々の薬を生じて、過去・現在・未来の三世にわたって法を説きいかなるところにおいても、常に衆生を救って下さると示されております。<br /> また如来とは仏をさす同意語で人々を導くためにやって来た人と解釈されています。<br /> 薬師如来様の、み心に帰依し奉り、生命力と天然の恵みの薬湯(鯖湖湯)の効能を授かりこれを多くの人々に与えられん事を念じます。<br /> お湯かけ薬師如来様にお湯をかけ体の不具合のところを「さする」または「なでる」して、薬湯(鯖湖湯)に入浴して頂けば効能はさらに上がることと信じます。<br />   「南無大師遍照金剛」   合掌

    【鯖湖神社とお湯かけ薬師如来】
    身体の癒したい所に温泉をかけると良くなると伝えられている「泉仏 お湯かけ薬師如来」も祀られています。

    【円蔵院八幡寺御分霊 泉仏 お湯かけ薬師如来】
     その昔、千数百年前、「日本武尊」が東征の折、病に倒れ鯖湖湯に湯浴して平癒した伝説があり、また明治時代には東京帝大の丹波敬三博士による鯖湖湯の湯質の分析・日本の総合病院の創始者松本良順による温泉治療の評価・真鍋嘉一郎の「ラヂュウム」の含有発見等、鯖湖湯は昔から「薬湯」の名声を遺憾なく発揮して現在に至っています。
     以上の名声に合わせ、この度の新鯖湖湯の復元オープンに際し鯖湖神社(湯神様)のご本尊である「薬師如来像」を建立し、併せてその徳を広く授からん事を祈念し、お湯をかけ薬師如来の由来およびその霊験を書きしるします。
     薬師如来様は、薬師瑠璃光王如来と尊ばれ、東方の浄瑠璃世界の仏さまで左手に薬壷、右手に三界印を結び、日光菩薩・月光菩薩を脇士として種々の薬を生じて、過去・現在・未来の三世にわたって法を説きいかなるところにおいても、常に衆生を救って下さると示されております。
     また如来とは仏をさす同意語で人々を導くためにやって来た人と解釈されています。
     薬師如来様の、み心に帰依し奉り、生命力と天然の恵みの薬湯(鯖湖湯)の効能を授かりこれを多くの人々に与えられん事を念じます。
     お湯かけ薬師如来様にお湯をかけ体の不具合のところを「さする」または「なでる」して、薬湯(鯖湖湯)に入浴して頂けば効能はさらに上がることと信じます。
       「南無大師遍照金剛」   合掌

  • 飯坂温泉と鯖湖湯の由来<br />【飯坂温泉と鯖湖湯のはじまり】<br /> はるか昔 鬱蒼とした原生林に覆われた山の端の小さな谷間に 豊かな温泉が湧き 湯の流れは沢となり 湯煙をあげて摺上川に注いでいた<br /> これが飯坂温泉の原点、鯖湖湯の始まりである 伝説に 日本武尊が東征の折 病に伏し佐波子湯に湯浴し たちまち平癒したといわれている<br /> 「あかずして わかれし人のすむさとは さばこのみゆる 山のあなたか」と 古歌に詠まれた 「さばこ」は飯坂の古称ともいえるようだ<br /> 月日は流れ 源平時代の悲劇の名将 源義経と共に永遠の語り草となっている継信・忠信兄弟の父 佐藤基治は信夫の里を統治し「湯の庄司」とよばれ 温泉とのかゝわりの深さを示している<br /> 鎌倉も末 伊達政信は湯山城を築き飯坂氏を名のる 此頃よりこの地は湯治場の賑わいをみせる<br /> 元禄ニ年 芭蕉は曾良と共に「奥の細道」の旅の一夜を飯坂に過ごした 随行日記の里程の正確さから この辺りかと推測する事も可能である<br /> 明治となり こゝに初めて科学のメスが入れられた 丹波敬三の温泉の定量的分析をはじめとした幾多の研究 中でも真鍋嘉一郎によるラジウムの含有の発見は 飯坂ラジウム温泉の名を全国に広めた 悠久の大自然の中に 今も脈うつ鯖湖湯こそ 飯坂温泉の象徴であり歴史である

    飯坂温泉と鯖湖湯の由来
    【飯坂温泉と鯖湖湯のはじまり】
     はるか昔 鬱蒼とした原生林に覆われた山の端の小さな谷間に 豊かな温泉が湧き 湯の流れは沢となり 湯煙をあげて摺上川に注いでいた
     これが飯坂温泉の原点、鯖湖湯の始まりである 伝説に 日本武尊が東征の折 病に伏し佐波子湯に湯浴し たちまち平癒したといわれている
     「あかずして わかれし人のすむさとは さばこのみゆる 山のあなたか」と 古歌に詠まれた 「さばこ」は飯坂の古称ともいえるようだ
     月日は流れ 源平時代の悲劇の名将 源義経と共に永遠の語り草となっている継信・忠信兄弟の父 佐藤基治は信夫の里を統治し「湯の庄司」とよばれ 温泉とのかゝわりの深さを示している
     鎌倉も末 伊達政信は湯山城を築き飯坂氏を名のる 此頃よりこの地は湯治場の賑わいをみせる
     元禄ニ年 芭蕉は曾良と共に「奥の細道」の旅の一夜を飯坂に過ごした 随行日記の里程の正確さから この辺りかと推測する事も可能である
     明治となり こゝに初めて科学のメスが入れられた 丹波敬三の温泉の定量的分析をはじめとした幾多の研究 中でも真鍋嘉一郎によるラジウムの含有の発見は 飯坂ラジウム温泉の名を全国に広めた 悠久の大自然の中に 今も脈うつ鯖湖湯こそ 飯坂温泉の象徴であり歴史である

  • 【旧堀切邸概要】<br /> 堀切家は、1578(天正6)年に梅山太郎左衛門が、若狭(現在の福井県)からこの地に移り住んだのが始まりと言われています。<br /> 「堀切」の名は、屋敷の西を流れていた赤川に由来しており、赤川が大雨で氾濫した時、堀を切って被害を食い止めたことから、地名を堀切とし、堀切氏と称したと伝えられています。<br /> 江戸時代、堀切家は大庄屋として財力を蓄え、飢饉時の農民救済など地域の経済に大きく貢献しました。<br /> 現在の屋敷面積は、4,084㎡ですが、1880(明治13)年以前には約2倍以上あったと伝えられています。主屋は、火災にあった明治13年の翌年に再建された近代和風住宅です。屋敷内には、1775(安永4)年に建築された県内で現存する建立年代が明確な最古の十間蔵や当寺の生活を伝える建物が見られます。<br /> 堀切家では、14代良平の長男で我が国の近代政治史にその名を残す堀切善兵衛(衆議院議長、駐イタリア大使)、そして関東大震災後の東京復興に尽力した次弟、善次郎(東京市長、内務大臣、東京福島県人会長)、福島の経済界に大きな役割を果たした末弟、久五郎(衆議院議員)を排出しました。

    【旧堀切邸概要】
     堀切家は、1578(天正6)年に梅山太郎左衛門が、若狭(現在の福井県)からこの地に移り住んだのが始まりと言われています。
     「堀切」の名は、屋敷の西を流れていた赤川に由来しており、赤川が大雨で氾濫した時、堀を切って被害を食い止めたことから、地名を堀切とし、堀切氏と称したと伝えられています。
     江戸時代、堀切家は大庄屋として財力を蓄え、飢饉時の農民救済など地域の経済に大きく貢献しました。
     現在の屋敷面積は、4,084㎡ですが、1880(明治13)年以前には約2倍以上あったと伝えられています。主屋は、火災にあった明治13年の翌年に再建された近代和風住宅です。屋敷内には、1775(安永4)年に建築された県内で現存する建立年代が明確な最古の十間蔵や当寺の生活を伝える建物が見られます。
     堀切家では、14代良平の長男で我が国の近代政治史にその名を残す堀切善兵衛(衆議院議長、駐イタリア大使)、そして関東大震災後の東京復興に尽力した次弟、善次郎(東京市長、内務大臣、東京福島県人会長)、福島の経済界に大きな役割を果たした末弟、久五郎(衆議院議員)を排出しました。

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