2015/10/24 - 2015/10/25
390位(同エリア568件中)
ケイホウさん
出雲二日目です。今日は熊野大社から境港に立ち寄り、大山にある大神山神社奥宮へ行きます。大神山神社奥宮は冬になると積雪で行けなくなるので今回行く事にしました。出雲には「出雲國神仏霊場」があり、その中の二ヶ所を巡ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
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朝食会場。かなりの人が出入りされてましたが、さほど混雑もなくゆっくり食事できました。土曜泊とあって、家族連れも何組かいました。客層は多様なようです。
朝、部屋の外に新聞が各室の前に置いてありました。 -
混雑防止のため食後のコーヒーはお部屋かロビーでとのことで隣室にコーヒーが設置してありました。紅茶やお茶のティーバッグもありました。
お風呂は女性用は中浴場くらいの大きさで、ジャグジーもあり、洗面台は三つでしたが、不自由なく使用できました。清潔感があり、気持ちよく入浴できました。
アメニティーはロビーの一角に用意してありました。 -
食事場所からJR出雲市駅が目の前に見えています。JR利用や高速バスも出雲市駅に着くので出雲大社へ行くには便利かなと思います。
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熊野大社へ行く前に旧大社駅に立ち寄りました。駅舎は明治45年に国鉄大社線の開通により開業され、大正13年に改築されました。純日本風の木造平屋建てです。JR大社線は平成2年3月31日に廃止され、その後平成16年、国の重要文化財に指定されました。
現在の出雲大社への交通路からは、少し外れているので、訪れる人もまばらです。
レトロで懐かしい感じのする建物です。 -
待合室は一、二等待合室と一般待合室の二つあり、昭和初期までは分けて使用されていました。高く設計された天井からは灯籠型の和風シャンデリアが玄関を含めて30個備え付けられ、ゆかしい感じがします。右側の厨子風の建物は旧出札室。
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昭和49年11月30日に本州を最後に走ったのが、この”D51形774号機”です。旧大社町では多くの参詣者を運んだ蒸気機関車を後世に残し、青少年の教育に役立たせるため、昭和50年11月に西日本旅客鉄道(旧日本国有鉄道)から無償貸与を受け、出雲大社神苑に展示していたが、平成13年7月に、旧大社駅整備施策の一つとして、旧JR大社駅に移設展示される事になったそうです。
往時を偲ばせる風景になっていました。 -
山間を走り、旧大社駅からは一時間位で到着。10:30着。熊野大社の鳥居です。意宇川(おうがわ)に架かる朱塗りの八雲橋を渡ります。
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左に手水舎。厳かで神々しい空気が流れています。
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境内案内図。それほど広くはない境内ですが、一時間近く滞在しました。
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隋神門。大きな注連縄です。奥に拝殿が見えています。
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拝殿。
御本殿の主祭神は神祖熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)
この御神名は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の別名です。
古代には出雲国造家が奉斎する大神として杵築大社(出雲大社)と同格、もしくはより上位に位置づけられていたそうです。
秋ですね。七五三参りの家族が何組がいました。 -
お守所。御朱印をお願いしました。
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中央に御本殿の千木が見えます
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稲田神社。御祭神は奇稲田姫命(くしいなだひめ)(素戔嗚尊の御妃神)です。
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舞殿。行事の時はここで神楽と餅まきをするそうです。
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舞殿で、個人で奉納された演目額が何枚もありました。
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左端が伊邪那美神社。御祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)(素戔嗚尊の御母神)
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鑽火殿(さんかでん)。
案内板には
御祭神スサノオノ大神は、「檜の臼・卯木の杵」で火を鑽(き)り出す法を教えられたので、熊野大社を「日本火出初屋社・ひのもとひでぞめのやしろ」とも讃えます。
出雲国造(出雲大社宮司)は古来しきたりにより、襲職には必ず大神の霊幸い給う神器の燧臼(ひきりうす)・燧臼(ひきりぎね)を拝戴し鑽火して「火継(ひつぎ)=霊継(ひつぎ)」の式を仕え、大神より霊威を戴き神性国造となります。
この鑽火殿はその古伝由緒を伝える建物であり、神器が奉安してあります。
毎年十月十五日の鑽火祭は出雲国造が出雲大社で用いられる神器を拝戴するために参向し、斎行される祭で、特殊な亀太夫神事として奉仕され、また神歌・琴板のもとに神慮一体の祈念の百番の榊舞を納めます。
と、書かれてました。
後日「鑽火祭と亀太夫神事」を調べて見ると、毎年、出雲国造が古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)に使用する燧臼(ひきりうす)・燧臼(ひきりぎね)を受け取るための神事で、その際に国造側は熊野大神へのお供えとして約1mほどの餅を献上します。ですが、熊野大社の亀太夫という社人はあれやこれやと難癖をつけて受け取ろうとしません。国造側はそれを黙って聞き入れようやく餅が納められると神聖な発火具一式が渡されるそうで、いわゆる「悪態祭」の一つだそうです。 -
熊野大社独特の社殿です。茅葺の屋根で四方の壁は檜の皮で覆われ、竹でできた縁がめぐらされています。
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右が荒神社。御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)
明治三十九年に「一村一社」の制が敷かれたので、旧熊野十一地区の各荒神社は明治四十一年ここに合祀されました。
左が稲荷社。稲荷社。御祭神は倉稲魂神(うかのみたま)(素戔嗚尊の御子神) -
左に少し見えている朱塗りの橋を渡ってきました。清らかな流れの意宇川の向こうに、たなびいてませんが国旗が立っています。本当に山間に建つ社です。
厳かで神秘的な佇まいが心に残りました。いつか又、訪れたいです。11:15発。 -
境港に向かいます。途中、「中海堤防道路」を走っています。堤防は海に浮かぶ大根島と対岸を結んでいて、道路が通っています。左が海で右は土手になっています。気持ちのいい道です。
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某CMで有名らしい江島大橋を渡ります。
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境港市場12:00着。近くには観光客むけの市場もあるそうなのですが、こちらにしました。
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お店(海陽亭)オススメの特選海鮮丼。2,100円。かなり人気らしくて並びました。とても美味しくいただきました。干物を少し買って12:45発。
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大山駐車場に13:35着。ここから大神山神社奥宮に向かいます。石段を上がると自然歴史館があり、歴史館の前の道を真っ直ぐ進みます。
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大山自然歴史館の前から振り返ります。日本海が見えています。このあたりには土産物店や飲食店があり賑やかです。
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駐車場から10分くらいで大山寺が見えてきました。
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右の石段を上がれば大山寺。左へ行けば大神山神社奥宮です。
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石造明神鳥居。文政3年(1820)に建立。(国重文)
大山への登山口でもあるので登山姿の人が大勢います。 -
大山寺は古来山岳仏教の地で、本尊として地蔵を本地とする大智明権現を祀っていました。地蔵信仰が盛んでしたから、大山寺周辺には多くのお地蔵さんや石像が今も残っているそうです。
鳥居をくぐるとすぐ右にお地蔵さん。山の冷気が肌にしみます。 -
昭和初期に自然石を使って造られた道。自然石の道では日本一長い(600m)そうです。側溝には山水が流れ、苔むした石畳の上の落ち葉を踏みしめながら進みます。風情のある清々しい道です。
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大山寺で数ある地蔵の中で、唯一自然石に刻まれたお地蔵さん。吉持地蔵です。
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銅製明神鳥居。天明2年(1782)建立。(国重文)
もとは大山駐車場近くの博労座(日本三大牛馬市の一つ・多い時には約12000頭もの牛馬の取引があったらしい)付近にあったものを昭和37年に現在の場所に移転したそうです。 -
手水場。山からひいた水でとても冷たかったです。飲んでいる人もいました。
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大神山神社神門。柿葺で唐破風をつけた四脚門。
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神門から奥宮が見えてきました。手水場から約100段くらいの石段をあがります。
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大神山神社奥宮。
御祭神は大己貴命(おおあなむちのみこと・大国主命の別名)
権現造り、屋根は柿葺、入母屋造り。拝殿は唐破風をつける。(国重文)
修験の地として始まった大山の山肌に寺が建立されたのは、奈良時代の事とされる。中門院、南光院、西明院の三院が12世紀までに成立。伯耆大山寺として、この三院を総称して呼ぶようになったのは室町時代以降のこと。各院は大日如来、釈迦如来、阿弥陀如来を信仰し、三院の中心理念として地蔵菩薩が祀られた。その地蔵菩薩が大智明権現(だいちみょうごんげん)という称号を受け祀られた社が大智明権現社であり、現在の大神山神社奥宮です。
明治8年の神仏分離政策により、伯耆大山寺から大神山神社へと名称が変えられた。明治36年には大山寺号の復興が認めれたが、大智明権現社(奥宮)と下山社(下山神社)は神社名義のまま残ることになった。(大神山神社パンフレット)
因みに今回は行けませんでしたが、大山寺の御本尊は地蔵菩薩(神号・大智明大権現−だいちみょうだいごんげん)です。 -
拝殿内部。幣殿を内拝しました。(300円)。
内部の格天井には彩色された234枚の花鳥人物が描かれていました。柱には白檀塗り(生漆塗り)が施されていて、金色と見まがうほど美しい飴色に輝いていました。お神酒をいただきました。 -
下山神社。
御祭神は下山大明神(渡辺源五郎照正命)
柿葺の権現造り。(国重文)
大山参拝の帰途、奇過に遇い死去。寺僧が哀れみ下山の地に塚を作り祀ったところ、霊験多く下山善神として人々の信仰を集める。と、記してありました。 -
弁財天社。
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裏側に来ています。雄大な大山が見えます。
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境内の横が登山道入口。大勢の登山者が境内にいます。お参りの人より多いかもしれません。
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戻ります。神門は表裏が反対になっているので「後向き門」と言われているそうです。
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参道から少しそれて金門にきました。このあたりは昔は修行の場だったようです。
正面に見えるのは大山です。大山の溶岩はもろく崩れやすい岩石で、今もたえず崩れて不安定な土砂を生産しているそうです。この土砂による土石流の発生を抑え、下流の被害を防止するため多くの治山ダムが築かれているそうです。
大山への崇敬と畏怖を感じました。
神話の神と自然崇拝の神、どちらも厳かで神秘に満ちていました。また訪れたいと思います。15:10発。
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