2015/08/09 - 2015/08/09
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TOMISLAVさん
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ベルリン郊外のヴァンゼー。
ここは、8月のドイツ ベルリン旅行で私が私が最も訪れたかった場所であるが、今回、この旅行記をUPするかどうか迷った。
理由は
・現代史の事項で、評価が難しい。そのため、まだ内容的に自分自身の中で消化しきれていない。
・この場所の意味を理解するために背景の理解が必要だが、上記のためうまく説明できるか自信がない。
・内容も「楽しい」ものではない。
からだ。
ですので、以降の文章を読んでいてつまらなかったり、内容的に嫌気がさすようでしたらどうぞこの旅行記を閉じてください。
でも書こうと思ったのは、やはり今回のドイツ旅行で自分にとって一番記憶に残る場所であったからだ。
前置きが長くなりました。では、これから1942年1月20日のヴァンゼーへ旅立ちます。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
-
1942年1月20日 ドイツ第三帝国
そのころ、前年のモスクワ侵攻が失敗に終わり、対ソ戦は頓挫した。
ドイツの進軍は止まり、潮目が変わる。
そんなとき、ベルリン郊外のヴァンゼー(湖)の湖畔の邸宅にドイツ第三帝国の各組織の次官・局長級の15名が集まり会議が行われた。
その内容は…
以下、会議について私の稚拙な表現で書いていきますが、この「ヴァンゼー会議」の様子がよくまとまったドキュメンタリー映画があり、この「Conspiracy(謀議)」です。終始、会議場が舞台の変わった映画ですが、会議の様子を把握するのによい映画です。行く前に購入し「予習」していきました。 -
ベルリンからポツダム(旅行記別にあり)へ向かう途中、ベルリン郊外ヴァンゼー駅で降り、114番バスで、とある高級邸宅跡を訪ねる。
ヴァンゼーは、いまでも高級住宅地や別荘などがならぶ場所である。 -
門をくぐると、会議が行われた邸宅がたたずんでいた。
-
邸宅の入り口。
ここの出席者たちも、車を寄せて入ったのだろう。
1月20日なので、雪もあったのだろう。 -
この邸宅は、もともとユダヤ人一家の所有物であった。
写真が「元所有者」であったユダヤ人一家の写真。
ナチス政権下で、当然に没収となり、この一家はどこかへ移送される…。取り上げた邸宅をSS(親衛隊)の所有にうつし、会議場や保養施設として利用していたようだ。 -
この会議を招集した
SS(親衛隊)の国家保安本部(SD)長官
ラインハルト・ハイドリッヒ親衛隊大将。
当時まだ37歳。強引ともいうべき行動力がヒトラーなどのナチスの最高幹部たちの目に留まり、急激な出世につながったのだろう。今回も、行き詰まった状態の打破をこのハイドリッヒに託したのだろう。 -
1942年1月20日。当時のドイツ第三帝国にとって、最も頭の痛い問題は当然、戦局である。対ソ戦は停滞。西ではイギリスの爆撃。加えて日本の真珠湾攻撃でアメリカも参戦。それが当時のドイツの前門の「虎」だとすれば、後門の「狼」はユダヤ人問題である。
写真のように、青や紫色の部分は、ドイツ帝国の占領地や「同盟国」で、当時のドイツの「版図」である。
ナチスは当初、ユダヤ人をドイツから外国へ追い出す「移住」政策を推進。ユダヤ人をドイツから追い出したわけであるが、地図のように「ドイツ」の版図が広がると、当然に「帝国内」のユダヤ人が増えていくことになる。移住政策は破たんする。一方で戦局は悪化。
内治のために、ユダヤ人の「一掃」が速やかに求められる。
そのため、ドイツの各省庁やナチス党、親衛隊などの各組織を横断した最終解決策を早急に決定する必要が生じる。
ユダヤ人問題をすぐに、最終的に「解決」するために、ヴァンゼー会議が招集された。 -
政府の各省庁(外務省、内務省、司法省など)や党の官房、ポーランド総督府、親衛隊ユダヤ人問題担当部門 などから
15人の男たちが集められる。出席者全員を紹介するのは煩雑なため避ける。以下で数名の紹介にとどめる。
ここでは、当時のドイツ第三帝国の広範な組織から次官・局長級の高官が集められてユダヤ人問題を話し合ったと捉えていただければいいでしょう。 -
写真が15人によって、ユダヤ人問題について話し合われた会議場あと。
もともとは邸宅の食堂だった場所を会議場として利用。
写真の展示台のある場所に、長机が置かれて15人が取り囲むように座った。 -
会議場あと。展示台に会議録などの文書が展示されていますが、それは後程紹介します。
-
会議の出席者の一部を紹介しつつ、会議のおおまか(ほんとうにおおまか)な内容を紹介していきます。わかりにくい部分は私の理解が浅いためです。予めご容赦ください。
ヴァンゼー会議の議長は、
親衛隊(SS)国家保安本部(SD)長官 ラインハルト・ハイドリッヒ
既述の通り、停滞する戦局のなか、ドイツ帝国としてはユダヤ人問題をさっさと片づけたい。ユダヤ人問題は各組織が個々におこなっているがそれでは捗らない。一方、広大なドイツの「帝国内」およびこれから倒して「編入予定」のソ連も含めると1100万人のユダヤ人を抱えることになる。
ヒトラー総統はゲーリング国家元帥にユダヤ人問題を早急かつ最終的な解決を指示。多くの省庁や組織が係わる問題で「普通に」会議をしたら紛糾すること間違いないだろう。強引に会議をまとめる人物にこの会議を託す必要があるだろう。そこで、強引で「有能」なハイドリッヒに白羽の矢が立つ。 -
強引な議長とともに、ユダヤ人問題について正確な数字を把握しかつ披露することで、議長の結論を補強する「補佐役」が必要となる。
議事進行役、会議運営役として
親衛隊(SS)国家保安本部(SD)ユダヤ人問題担当
アドルフ・アイヒマン中佐
が適任となる。
彼は、戦後アルゼンチンに潜伏していたところ、イスラエルに拉致されていわゆる「アイヒマン裁判」を受けさせられるが、その「罪状」の一つがこの会議への関与であった。 -
既述の通り、ドイツが抱える1100万人のユダヤ人の「退場」がこの会議の議題である。もはや、移住は版図が広がりすぎた、「外国」とは戦争中である。移住に代わるユダヤ人の帝国からの「退場」の方法を考える必要がある。
出席者の一人
四か年計画省次官 エーリッヒ・ノイマン
は、戦時中でドイツ国内の労働力不足を訴え、ユダヤ人を戦中の労働力として活用することを主張するが、迅速なユダヤ人「退場」を追求するハイドリッヒによって退けられる。
戦争中にドイツにとって、人手不足のドイツにとってユダヤ人の手も借りたい状況にあっただろうが、ユダヤ人を強制労働させるために、前線のドイツ人を追い立て役として呼び戻さなければならなくなる。戦争中のドイツのジレンマである。
また、ユダヤ人はホワイトカラーが多いため、道路工事などの肉体労働に向かず、強制労働というモラールの低い状態でどれだけ労働力になるかは疑問であったろう。 -
労働力としてユダヤ人を使いつぶすには限界があるとすれば、帝国内に抱えるユダヤ人は増える一方。今のところ、ポーランドなどのゲットーに収容しているが、収容能力は限界を迎える。
ポーランド総督府次官 ヨーゼフ・ビューラー
は、ユダヤ人であふれるゲットーの改善を求める。すなわち、収容中のユダヤ人の「処理」を求めた。 -
では、射殺すればいいではないか。否、殺人の経験のない我々が考える以上に、銃や刀で人を大量に殺すのは難しい。
ラトビア地区SD指揮官代理 ルドルフ・ランゲ少佐
はラトビアでユダヤ人3万人弱の殺害を指揮した経験から、銃殺の問題点を指摘する。
命令とはいえ、自らの手で人を殺すことは、ほとんどの人間にとって精神的荒廃をもたらす。ユダヤ人と言ってもドイツ人との混血もいて、外見はドイツ人であるユダヤ人を躊躇なく撃てるドイツ青年はどれだけいるだろうか。銃殺は当然に、SS隊員の士気を下げる。自分たちの任務に対する疑念を命令で押し付けるには限界がある。
また、銃殺のために要員交代もあるため、銃殺要員を前線から呼び戻す必要がある。内治の問題でユダヤ人を「退場」させたいのに、前線から人手をさき戦局を悪化させるのは本末転倒になる。 -
この会議では、ユダヤ人の定義が問題になる。
両親ともユダヤ人の子は、ユダヤ人であるが、
では、ユダヤ人とドイツ人の子(第1級混血ユダヤ人)は、ドイツ人?ユダヤ人?クオーター(第二級混血ユダヤ人)は?
どこまでを「ユダヤ人」と定義するのか。「退場」させられるユダヤ人の数が変わるし、反対に救われる「ドイツ人」の数も変わる。
ユダヤ人の混血の割合によってユダヤ人の範囲を規定したいわゆる「ニュルンベルグ法(1935年制定)」の制定に参画した
内務省次官 ヴィルヘルム・シュトゥッカート
は、ユダヤ人関連法のエキスパートであった。
写真から彼の法に対する厳格な姿勢がうかがえよう。彼にとって、自らが参画したユダヤ人関連法が、ユダヤ人をとにかく排除するための道具に成り下がることは我慢できないであろう。法の対象者のみならず、法の運用者もそれに縛られることによって、法的に「美しい」と言えるだろう。
とにかくユダヤ人を根こそぎ排除したいハイドリッヒがユダヤ人の範囲を広くとったことに対し、ニュルンベルグ法を逸脱することに彼は反対する。ユダヤ人に対する憐憫ではなく、彼の作った法が曲げられるからだ。
それは美しくない。
また、ユダヤ人を「退場」させると法律的に別の問題が生じる。例えば、ユダヤ人とドイツ人の夫婦がいて、ユダヤ人の配偶者のみ「退場」された場合、ドイツ人配偶者がユダヤ人配偶者の財産を相続することになるが、相続事由が、「退場…SD部隊がどこかへつれていきました」ではまずいだろう。
映画「謀議」では、シュトゥッカート(俳優はコリン・ファース)が、「退場」の代替案として、ユダヤ人の不妊処置を主張する。不妊処置をすれば、ユダヤ人は子を生せなくなり、いずれユダヤ人はいなくなる。
ニュルンベルグ法制定時には、ユダヤ人「退場」は想定されていないため、「退場」とこの法との整合性が難しい。不妊処置は、ニュルンベルグ法を逸脱せずに、かつ「穏健な」方法でユダヤ人問題を解決できる。法をゆがめずに荒事もせずにすむ。美しい解決策ではないか。
しかし、これは時間がかかるため早急に解決したいハイドリッヒには受け入れられない方法であろう。 -
不妊処理は、時間がかかるし、結局ユダヤ人が帝国内に残留してしまう。
強制労働も、人手がかかる。
銃殺は、士気にかかわる。
この3つの方法はダメだ。
では、時間をかけずに、実行要員の精神的負担が少ないユダヤ人「退場」の方法はなにか?
それが、「ガス室」である。
これが、議長ハイドリッヒが予め用意していた結論である。
すでに、精神障碍者「退場」で実績のあったガス室利用を拡張して、速やかにかつ継続的にユダヤ人を「退場」させることがハイドリヒの強引な議事進行で決定される。
ここの出席している各省庁や党、親衛隊の各位は、総統のためこの件を委任されたハイドリッヒの指示に従ってユダヤ人抹殺に「協力」してもらう。これが、この会議の目的であった。
「会議」といういうより、「下達」であった。組織の上層部(この会議の場合ヒトラー総統やゲーリング国家元帥)が部門横断的な会議を行わせるときに、紛糾を嫌い、「有能」でお気に入りの部下に結論ありきの会議を執り行わせる。議事の内容はともかくも、私たちが勤務する組織でも少なからずこんなことはなかったたろうか。他の出席者は、協力を強要され一旦は物事が捗るが、それは組織内の意思疎通という迂遠だが必要な潤滑油を枯渇させ、穏健な解決方法が生まれる余地を失わせてしまう。
会議は意思疎通という名目で乱発されるが、その会議が意思疎通の途を閉ざすというパラドックスを生じていないか? -
会議詳細は、出席者の間の秘密とされ、出席者に配られた会議の資料やメモは会議終了後すぐさま破棄。後日、出席者には会議運営役 アイヒマンから議事録が配られるが、上長のみに見せ(次官の場合大臣のみ)、廃棄させた。他言は厳禁。これで、会議の存在は「秘密」になるはずであった。
しかし、戦後に外務省からこの会議の議事録が発見され、この会議の存在が明るみになった。
出席者の一人であった
外務次官 マルティン・ルター(宗教改革者と同じ名前ですね)
がハイドリッヒから送られた議事録だ。 -
1942年1月8日付け
SD長官ハイドリッヒから外務次官マルティン・ルター宛の文書。
要約すると
「ユダヤ人問題について昨年12月8日に予定して会議が、1月20日に指定の場所(ヴァンゼー)で行われるので来てね」という招待状だ。
ヴァンゼー会議には懐疑派もいたが、会議の行われたことの有力な傍証となった。 -
1942年2月26日にハイドリッヒがルターに送った議事録の添え状。
赤線や書き込みは、外務次官ルターか外務大臣リッベントロップによるものか。 -
議事録の1枚目
会議の出席者名が載っている。 -
議事録2枚目。
ユダヤ人口の各地地域別一覧表になっている。
例えば、一番上は「ドイツ国内 131,800人」と記載されている。
合計は、一番下の1100万人である。
この表に基づいて、
例えば、ハムを作る会社だとしたら、
「何頭の豚をつぶす必要があるか」という感じで、
ユダヤ人「退場」について検討したのだろう。
背筋が凍る表である。 -
少し気が重くなったの、邸宅の裏庭に出る。
この瀟洒な建物の中で、ユダヤ人抹殺の方法論を論じたとは…。 -
裏庭のそばには、ヴァン湖が迫っている。ヨットが見られたが、建物内の内容を見た後だと、なんだか空々しい。
-
以上、ヴァンゼー会議について記載した。
今回は、表現がどぎつくなったが扱う内容のためとご了解いただきたい。
ここは、「楽しい」場所ではないため、他人様にはおススメすることはできないが、ドイツ第三帝国がなぜあのような極端な手段を採ったかを考える上ではよいだろう。
ドイツにとって、1942年1月20日は戦争のため、総統のため、ドイツのためという名分の元、ポイントオブノーリターンを過ぎた日になったのであろう。
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この旅行記へのコメント (1)
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- kids560さん 2025/02/10 13:58:01
- ヴァンゼー会議と最終的解決
- いやーエグイネタを扱いましたね。大丈夫ですか?自分を見つめる視線を感じることはありませんか?これはやばいです。
映画「ヒトラーのための虐殺会議」も視ました。「12人の怒かれる男たち」と同じようにほとんど1つの部屋で行われている話し合いという場面が変わらないのに引き込まれるという点では同じ作品でした。
その会議がこれほど素敵な建物の中で行われていたとは人間の闇の深さに改めて身震いします。不妊手術を受けさせて年月を重ねて民族を浄化しようという提案が穏健派だというのですからこの闇がどれだけやばいか分かるというモノ。
訪れた結果どうですか。飲み込めるようになりましたでしょうか。こういう観点の旅もあるのだなっと興味を持つ旅行記でした。
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