2015/09/20 - 2015/09/20
879位(同エリア1294件中)
山帽子さん
平成27年10月20日、旧東海道の品川宿とその周辺の名所・旧跡を訪ね歩いた。都営浅草線三田駅で下車、田町第一ビル敷地内の西郷・勝会見の地を皮切りに、札の辻交差点、高輪大木戸跡へと歩き、旧東海道を山側に外れ四十七士の眠る泉岳寺や最初のイギリス公使館となった東禅寺などを訪れた。その後旧東海道に戻り、八ツ山橋を渡って品川宿に入る。品川宿では品川浦舟だまり、利田神社と鯨塚、品川宿本陣跡、荏原神社、品川寺等々をめぐり、京急鮫洲駅から帰途についた。自宅からの総歩数約18.000歩、歩行距離約10kmであった。表紙の写真は最初のイギリス公使館が置かれたた東禅寺に建つ三重塔。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- その他
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田町第一ビル前の西郷と勝の会見の地を記念する碑。慶応4(1868)年3月14日、新政府軍参謀西郷隆盛と旧幕府陸軍総裁勝海舟が薩摩藩蔵屋敷で交渉し、翌日に予定されていた新政府軍の江戸総攻撃を中止させた。その結果4月11日に江戸城は無血開城し、江戸の町は戦火を免れることとなった。日本にとって大変重要な会談の地である。写真の右手には第一京浜(旧東海道)が走る。
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西郷・勝の会談が行われた薩摩藩蔵屋敷とその周辺の絵図。西郷・勝会見の地の碑の下部に表示されているもの。旧東海道沿いに薩摩藩蔵屋敷があり、その背後は海であったことが分かる。
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江戸時代の高札場跡の札の辻交差点付近にある元和殉教遺跡。元和9(1623)年に50人のキリシタンが処刑されたことを示すもので、札の辻交差点から少し山側に登ったところにあり、周辺は公園緑地となっている。、
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元和殉教遺跡の碑から見た緑地公園。前方の樹木の先にかすかに見える建物は、エレベーターである。このエレベーターで右手の丘の上に・・・。
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エレベーターと丘を結ぶ歩道。この歩道を手前に歩いて最初のフランス公使館が置かれた済海寺へ向かう。
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最初のフランス公使館跡を示す碑。安政5(1858)年に日仏修好通商条約が締結され、翌年8月12日に済海寺にフランス公使館が置かれた。初代の駐日公使はド・ベルクール。場所は薩摩藩蔵屋敷や旧東海道と海を見渡すことのできる高台である。
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済海寺の隣にある亀塚公園。亀塚は古墳とされているが確証はないとのこと。ここは「更級日記」に見える竹芝寺といわれている。
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亀塚の頂上にある亀山碑。寛延3(1750)年にこの地を屋敷地としていた沼田城主土岐氏によって建てられた。
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亀塚公園から第一京浜(旧東海道)へと下りる。左手森の中は御田八幡神社。
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御田八幡神社。三田の地名の由来となったといわれる。
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御田八幡神社から第一京浜(旧東海道)を高輪大木戸を経て泉岳寺へと向かう。高輪大木戸は江戸時代の江戸への出入り口であり、道の両側に長さ5間、横4間、高さ1丈(約3m)の土手石垣が築かれ、柵と門があったという。付近には東海道を行き来する旅人を送迎するための水茶屋や牡丹餅屋が並び賑わったという。伊能忠敬の日本地図の起点とされる。
写真は泉岳寺の山門。 -
浅野家菩提寺の泉岳寺。吉良上野介を討った赤穂義士たちは、上野介の首を内匠頭の墓前に供えて報告したという。
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泉岳寺の水琴窟。四十七士の墓へ向かう途中にある。水を流すと美しい音が…。
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上野介の首を洗ったという井戸
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浅野内匠頭の墓
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内匠頭の墓に隣接して四十七士の墓が並ぶ
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安政6(1859)年に最初のしぎりすイギリス公使館が置かれた東禅寺。初代公使はラザフォード・オールコック。文久1(1861)年、尊王攘夷を主張する水戸浪士の襲撃を受け、死傷者が出た。
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東禅寺本堂。
東禅寺を後にして第一京浜(旧東海道)を進み、八ツ山橋を渡ると東海道五十三次の第一の宿場品川宿である。品川宿ははじめ「歩行新宿」「北品川宿(本宿)」「南品川宿」の三宿であったか、その後「北品川宿」(通称北)と「南品川宿」(通称南)となった。 -
旧東海道を少し左に入ると品川浦舟だまり。船宿や屋形船が並ぶ。
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利田神社。品川浦舟だまりの少し先に利田神社と鯨塚がある。
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鯨塚。江戸時代にはここまで鯨がやってきた。
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鯨塚の脇に立つ鯨の解説文。要約すると寛政10(1798)年5月、天王洲の浅瀬に長さ16m余のクジラが乗り上げた。瓦版も出版され、多くの見物客でにぎわったという。解体された鯨の骨は利田神社の境内に埋められたという。「うちよする 浪は御浜の・・・」は時の将軍家斉の歌。
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嘉永6(1853)年のぺりーの浦賀来航を受け、幕府は伊豆韮山代官江川英龍に品川沖に洋式の海上砲台の建造を命じた。当初11基の台場を築造する計画であったが、第8台場以降は未着手であり、第4・第7台場は途中で中止された。第4台場は後に造船所となり、その代わりに御殿山下台場が建造された。御殿山下台場の跡地にあるのが台場小学校である。
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善福寺。江戸時代末期に鏝絵の名人といわれた伊豆の長八の鏝絵が壁面に描かれる。
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善福寺の伊豆の長八の龍の鏝絵
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旧東海道の街並み。北品川から鈴ケ森まで約3.8kmにわたって江戸時代と変わらぬ道幅が旧東海道としてて残っている。
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品川宿本陣跡。現在は聖蹟公園となっている。
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品川橋。この橋を渡ると南品川宿。
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目黒川に架かる橋とその先の樹木の中に荏原神社
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南品川の鎮守である荏原神社
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飛騨の手前は荏原神社の恵比寿像
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南馬場の老舗海苔店。街並み整理の一環としてのりぞう海苔造りの浮世絵が壁面を飾る。
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品川寺。手前左に江戸六地蔵のひとつ、宝永5(1708)年に造られた地蔵菩薩が立つ。
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右の大樹は品川寺の樹齢600年のイチョウ。幹回り5.3m、樹高25m。
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品川寺の鐘楼
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品川寺の弁天堂
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品川寺の福禄寿。
七福神とは恵比寿、大黒、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋の七神。インド・中国・日本などに伝わる信仰の対象を組み合わせて、竹林の七賢などにならって、室町時代に「七」に整えられ、福徳をもたらす神され、人々の間に信仰された。七福神めぐりは文化文政(19世紀初頭)の頃から各地で特に盛んとなっていく。 -
品川寺の寿老人
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品川寺の恵比寿
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品川寺の大黒天。
このあと旧東海道を歩いて京急・青物横丁駅から乗車する予定であったが、あちこち見ている間に通り過ぎてしまい、結果として一つ先の鮫洲駅から帰途につくこととなった。
ゆっくりと旧東海道と品川宿周辺を歩き、江戸初期のキリシタン禁制や中期の赤穂義士事件、幕末の内憂外患、庶民の信仰、品川宿や品川周辺の景観の変化などに思いを巡らせながら、楽しく充実した一日を過ごすことができた。
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