2015/06/10 - 2015/06/10
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芸術の都パリが生んだ幾多の巨匠画家が、その後南仏に拠点を移したことはよく知られている。南仏に巨匠画家の足跡を訪ね、彼らを魅了した南仏の魅力を探る事をテーマにした旅の第4弾は、天才パブロ・ピカソが晩年創作活動の拠点を構え、彼の芸術に大きな影響を与えた街、アンティーヴォ、ヴァロリスにある二つのピカソ美術館を訪ねた旅行記である。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
① パブロ・ピカソと南仏コートダジュール
1881年スペインマラガで生まれたピカソは、19歳でパリに出るやその才能を開花させ、次々に新しい絵画流れを生み出し独創的な芸術を創造することで名声を確立していった。ピカソがパリから南フランスに移ったのは、戦後60歳をすぎてからの事である。大戦中占領下パリでの制約された生活からの解放されたのと、当時のパートナーであったフランソワーズ・ジローとの共同生活をする地を求めて生まれ故郷スペインに海岸のように陽光あふれる南仏に移住を決めたと言われている。
移住にあたって大作を制作できるアトリエを探していたところ、アンティーブ市が、管理していた17世紀のグリマルディ城砦の1室を提供することとなり、1946年9月に正式に移り住んだ。
南仏に移り住んだ巨匠にはそれぞれ異なる事情があり興味深いところであるが、地元が移住の環境整備を申し出てくれる点はさすがに既に名声不動のものにしていた天才ピカソならではのエピソードである。但しアンティーボ滞在はわずか2カ月あまりで、その後旅で偶々訪れた近郊の陶器の町ヴァロリスに移り陶芸にのめり込むこととなる。1973年92歳でカンヌの近郊のムージャンで亡くなるまで南仏コートダジュールに滞在した。
晩年の天才ピカソはこの地で陶芸作品を含め精力的に制作活動をしており、個人的にも二度目の正式な結婚をしたりとコートダジュールは因縁浅から地となった。
コートダジュールにはアンティーブにピカソ美術館、陶芸の村ヴァロリスには国立ピカソ美術館とピンポイントで二つのピカソ美術館がある。
ニースを拠点として、二つの街のピカソの足跡を巡ることとする。
行程の概略は以下の通りとなる
1. 国鉄ニース駅から西行き(カンヌ方面)特急TERで20分、アンティーブ下車
2. ピカソ美術館まで徒歩。30分程
駅前の大通りを南下しジェネラル・ド・ゴール広場を左折し旧市街を海岸まで東進する。海岸に面して旧城砦を利用したピカソ美術館がある。
3. アンティーブからヴァロリスへenbibus社のバス#8で20分
ピカソ美術館から街の中心ド・ゴール広場まで徒歩で戻り、広場のバス停から#8のバスに乗り、Place de la Liberationで下車。約20分の乗車、20分間隔で運行している。降車停留所は判りにくいので運転手にヴァロリス、ピカソ美術館に行くので着いたら教えてくれと言っておく方が安心だ。スマホかタブレットに目的地をインプットしGPSで自分の位置を確認しながら移動するのが最も確実である。筆者は専らこの方法で海外で迷走する事はなくなった。
4. 国立ピカソ美術館見学とヴァロリス骨董通り散策
5.ヴァロリスから envibus社の#8バスに乗車、アンティーブ駅まで戻る
#8系統はアンティーブ市街は行きとは異なる路線を走るので要注意である。行きで乗車したド・ゴール広場は通らず、直接アンティーブ駅西口(来た時と反対側)に停まる。想定外であったが、GPS機能でモニターしていて事なきを得た。
6. アンティーボからニースに戻る。フランス国鉄ニース方面行きTERで20分
アンティーブのピカソ美術館の開館時間10:00から逆算してニースを9:00前後発の列車に乗れば、二つの美術館と街並みを散策、食事をしても夕方早目にはニースに戻れる行程である。 -
②アンティーブ ピカソ美術館
17世紀グリマルディ家の城砦であった建物がアンティーボ市の管理で博物館として運営されていた。
前述の通り、南仏で大作を創作できるアトリエを探していたピカソに市が博物館の1室を提供することとなった。
ピカソは1946年9月から2カ月間、創作活動に没頭する。その後隣町の陶芸の町ヴァロリスに移るが、アンティーボで制作した全作品をそのまま市に永久貸与という形で残していった。市はここでの作品とヴァロリスでのピカソの陶芸作品、彼の没後未亡人から寄贈された作品、および20世紀現代美術作品コレクションを展示するため1966年ピカソ美術館として開館した。
アンティーボ美術館の独断的見所
-各地のピカソ美術館(パリ、バルセロナ、マラガ、ヴァロリス)の中で、最初に出来た美術館であり、かつ地中海に面して最も立地が良い。
-ピカソのアトリエであった3階の大空間に展示された1946年アンティーボで制作された作品群。
制作時期が限定された展示というのもユニークであるが、地中海を一望にできるアトリエで戦後の解放と新しいパートナーとの出会いで最も幸福であった時代の作品で、代表作「生きる喜び」に象徴されるように明るく伸び伸びとした大作ばかりで見応えがある。
-ヴァロリスにおけるピカソの陶器作品 52枚の皿の展示
人間の顔、魚、鳥、等をモチーフにした皿が壁一面に展示されている。ヴァロリスで2000もの陶芸作品を制作したと言われているが、60歳後半の年代で新しいマチエールにであい熱情がほとばしるような作品である。
-地中海を望むテラスの彫刻作品
美術館の裏庭は地中海を見渡せるテラスになっていて、現代作家の彫刻が展示されている。絶好のロケーションでピカソの創作意欲をさぞや掻き立てたことであろう。
-アンティーブ滞在当時のピカソのスナップ写真
アトリエで制作中のピカソ、当時のパートナーのフランソワ・ジローとのショット、訪ねてきた友人とのショットなど興味深い写真の展示も楽しい。
写真:アンティーブ ピカソ美術館正面入り口
グリマルディ城砦の形が良くわかる。基礎の石垣部分からスロープを登って美術館正面エントランスに至る。
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・ピカソ美術館テラスに展示されている彫刻作品
美術館内は写真撮影は禁止されている。外部は撮影可である。
美術館のテラスは地中海を見渡すことができる絶景のビュースポットである。現代美術の彫刻作品が展示されていて、景色を見ながら作品を鑑賞できるスペースになっている。 -
・ピカソ美術館テラスの彫刻作品
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・テラスのオブジェ作品
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・美術館外壁のオブジェ作品
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・テラスのオブジェ作品
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・抜けるような青空のもとでテラスで芸術作品を楽しむ人々
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・アンティーブの旧市街
アンティーブの街の中心のジェネラル・ド・ゴール広場とピカソ美術館のある海岸線に挟まれた一帯がアンティーブ旧市街である。細い路地の両側に小さな店やレストラン、カフェが並び街歩きが楽しいところである。
写真:旧市街の小路で見かけた、生花を丸くぼんぼり状に活けて街灯から吊るしたおしゃれな街路樹ならぬ街路花。住民のセンスの良さを感じる。 -
・アンティーブ旧市街の市場
ピカソ美術館の近くにマルシェ・プロヴァンスという名の市場がある。毎朝午前中開設される地元の人々用の食品市場である。朝から活気にあふれている。 -
③ 国立ピカソ美術館 ヴァロリス
アンティーボからモナコ方面へ西進したところに陶芸の村ヴァロリスがある。
ヴァロリスの街中には16世紀に造られたヴァロリス城があり、その中に3つの美術館が隣接してある。
国立ピカソ美術館。陶芸美術館、マニエリ美術館の3館である。 -
・ヴァロリス城の入り口
ゲートの柱には3美術館の銘板が並んでいる。
陶芸美術館はヴァロリス出身の陶芸作家のコレクション展示。ピカソの陶芸作品も展示されてる。
マニエリ美術館はイタリア現代美術作家マニエリのコレクションを展示。
チケットは3美術館共通である。 -
・「戦争と平和」”La Guerre et la Paix”
国立ピカソ美術館は、ヴァロリス村の礼拝堂に合わせてピカソが制作した「戦争と平和」というテーマの壁画一作品だけの、特殊な国立美術館である。
陶芸の村ヴァロリスを訪れて、作陶の魅力に取りつかれたピカソはここにアトリエを構え陶芸に情熱を傾注する。田舎の陶器村に過ぎなかったヴァロリスの村人たちはピカソを歓迎し、創作をサポートする。ピカソの70歳の誕生日を村の陶芸家たちが祝った際、お礼として村の礼拝堂に壁画を描く約束をし、ごく短期間でこの作品を完成させたと言われている。
作品は撮影禁止であるので、ショップで入手した絵ハガキで壁画を紹介したい。
(左上 礼拝堂の向かって左壁画)戦争の図
左端の平和の騎士と黒い戦闘馬車に乗る兵士との対峙で戦争を表現している。兵士は左手に楯、右手に血ぬりの剣を持っている。馬は本を踏みにじっていて、戦争は文化を破壊することを象徴しているかのようだ。背景にシルエットで殺戮、蹂躙をしている兵士が描かれピカソの戦争に対する強い嫌悪を感じる事ができる。
(左下 礼拝堂向かって右壁画) 平和の図
右壁画の戦闘馬車に対して平和の象徴として白いペガサスが中央に描かれている。その周囲を人々が、笛を奏で、踊り、子供が戯れ、木の実がたわわに実った樹の下の草上で家族が憩い平和を享受しているのが描かれている。
(右 礼拝堂正面の壁画)世界の4つのパーツ図
黒、黄、赤、白の人が手を携えて平和のシンボル鳩を掲げている図。色の違いは肌の色を象徴していると考えられ、人種を越えて平和を祈念する意図が示されている。
ピカソの反戦絵画は1937年作「ゲルニカ」(ソフィア王妃芸術センタ マドリッド)、1951年作「朝鮮虐殺」(ピカソ美術館 パリ)が有名である。ヴァロリスの「戦争と平和」もその系譜で戦争に対する強い抗議のメセージがストレートに出ているが、全2作との違いは同時に平和への強い祈念が描かれている点にあるのではないかと思う。
第2次大戦後の復興の時期に、マティスがロザリオ礼拝堂の復興を手掛けたり、シャガールがヴァンス礼拝堂にモザイクがを書いたりと同時代の巨匠といわれる画家が同じ南仏で社会に対する貢献活動しているのにピカソも刺激を受けていたに違いない。陶芸という新たな分野を見いだしてくれたヴァロリス村に感謝の意を込めて、二度とふたたび戦争という愚行を起こさないというメセージを壁画にして村の礼拝堂に残すことが画家として今でできる貢献と考えたように感じられる。
村人へのメッセージとしてピカソの絵としては対象を容易に想起できる理解しやすい内容の壁画である。
細長いチューブ状の礼拝堂いっぱいに描かれた壁画の一作品のみの国立美術館の存在意義が伝わる素晴らしい空間である。 -
・ピカソ作品 「羊を抱く男」
ヴァロリス城の前には噴水のあるポール・イスナール広場がある。周囲にレストランが囲み街の中心、憩いの広場となっている。
広場中央にピカソが制作して街に寄贈した「羊を抱く男」と題するブロンズ像が立っている。この像は今回の旅の出発点パリのオランジェリー美術館の中のポール・ギヨーム・コレクションの一室に展示してあった。後者は習作かもしれない。ピカソは陶芸に出会った感謝の意を街に表して寄贈したのであろうからこの像はここにあるのがふさわしい。
余談となるが、写真の遠景に移り込んでいるレストランで昼食をした。
「Cafe Liorca」という名のレストランであるが、今回のフランス旅でベストのレストランであった。Menuという昼の定食を注文したが、見た目も味も洗練されていて素晴らしかった。価格も前菜とメインプレートとカフェで?19とリーズナブルなので、ヴァロリスでの昼食ならお勧めである。 -
・「羊を抱く男」の銘板
1949年 MAITRE(Master ピカソの事)によりヴァロリス村に提供されたと刻んである。 -
・ヴァロリスのメインストリート ジョルジュ・クレマンソー通り
村の中心ポール・イスナール広場から南へ伸びるメインストリートは両側に陶芸の店が並ぶ。陶器製の花活け鉢が舗道に並べられ如何にも陶器の街であることを演出している。店に並ぶ陶器は骨董品ではなく、日用使いに食器、あるいは装飾品が目立った。残念ながら訪問した時は昼休み時間帯で、写真のように
通りには人一人なく、店のほとんどが閉まっていた。ヴァロリスの陶器製品を買う目的の方は時間を調整して訪問した方が良い。昼休みは14:00まで2時間しっかり取る店がほとんどだ。
(まとめ)
ピカソのコートダジュールの足跡を訪ねて二つの街を周遊した。ピカソのエネルギーを肌で感じた旅であった。
地中海沿岸の鉄路から外れ田村への旅はバスに頼らざるを得ないが、冒頭にも記したようにバスを乗り継ぐたびは旅人にとってはハードルが高い。
-事前にWeb情報で、目的地へのアクセス方法、バス路線、時刻表、バス停の位置等調べておくことは必須である。
-現地に着いたら情報に変更がないか実際のバス停の時刻表をチェックする。
-乗車の際は、運転手に目的地の停留所を示したカードを見せ、系統が間違っていないか確認する。降りる時教えてくれるようジェスチャーで判るので依頼しておく。乗り換える際は、乗換バスの停留所が同じ場所でないことがあるので乗換バス停を運転手に確認する。
-とにかく判らなかったら自分で適当に判断せずに目的地をメモに書いて人に聞きまくるのが良い。フランスの公共交通の職員の不親切、不遜な態度には良く出会うが、その分一般人は自分も普段同じ思いをしているからか、親切な人が多いような気がする。
-最強の武器は、スマホ、タブレットのマップアプリでGPS機能で目的地と自分の位置をモニターすること。これとても正しいバスに乗れなければ話にならないので、次前の情報収集に尽きることとなる。
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