2015/09/12 - 2015/09/12
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かっちんさん
建材・設備機器メーカーのLIXILでは、「鉄道遺構・再発見」企画展を東京京橋のLIXILギャラリーで2015/11/21まで開催されています。
鉄道遺構とは廃線跡に残っている線路、橋梁、トンネル、施設など鉄道に関する構造物のことです。
今回の企画展は、鉄道遺構が現在でもいろいろな形となって活用されているところを写真と映像で紹介しています。
第二の人生として鉄道遺構が活躍する姿は、なぜか自分と重なりあい励みになります。
この旅行記では、展示内容とともに過去自分で旅をしたときの写真も組合せて紹介します。
なお、旅行記のコメントは展示会の解説パネル、LIXIL発行の書籍、見学施設の解説を参考にしています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
茨城マルシェ
有楽町駅から近い茨城県アンテナショップで昼食にします。 -
茨城マルシェ
茨城なので、納豆料理、常陸そばなどが名物です。
お昼の時間帯は新鮮野菜のビュッフェが付いています。 -
常陸秋そば大盛
美味しくいただきました。 -
LIXILギャラリー
京橋の橋の近くにLIXILのビルがあります。
毎週水曜が休館日、入場無料、2Fにギャラリーがあります。 -
「鉄道遺構・再発見」展示会場
この企画展は、2015/11/21まで開催されています。
室内からSLの走っている映画の音が聞こえてきます。 -
「鉄道遺構・再発見」のポスター
「風景に残る近代遺産、新たな価値で今に活きる」がテーマになっています。
このアーチ橋はどこだかわかりますか? -
LIXILのごあいさつ
廃線路になった後も新たな価値を付加された鉄道遺構14件を厳選し紹介します。 -
「鉄道施設の新たな価値と魅力」
産業考古学会会長の伊東 孝氏の挨拶です。
最後のところに、「この企画展はみなさんが現地に行かれて鉄道遺構の魅力を再発見するための誘いでもある」と書かれています。 -
企画展のスタッフ紹介
協力、写真撮影、展示デザインをやられた方のお名前です。
この旅行記にかっちんが撮った写真も掲載しますので、(か)と記載しておきます。 -
佐渡金銀鉱山トロッコレール
19世紀後半、フランスのドゴービル社が軌道と車両を開発し世界に広まりました。
佐渡金銀鉱山では、トロッコで鉱石を運ぶルートが、1899年(明治32)に完成しています。 -
大立竪坑櫓(か)
かっちんは2011年11月に佐渡金山を訪れました。
大立竪坑は明治10年から使われ、この櫓は昭和15年製の鋼製櫓です。 -
大立竪坑の上部(か)
レールの先が回転し、鉱車に積んでいる鉱石が貯鉱庫に落下する構造になっています。 -
トロッコ機関車(か)
1938年(昭和13)から使われ始めた蓄電式機関車が人車と台車を牽引します。
この機関車は昭和30年代〜40年代前半のものです。 -
坑内のレール(か)
坑道が複雑に分かれています。 -
国鉄士幌線のアーチ橋
1939年(昭和14)に上士幌〜十勝三股間が開通し、大小60ものアーチ橋が築かれました。
そのうちコンクリート製の橋は45にも及び、地元の川砂や砂利を用いて建設費を安く抑えています。 -
イチオシ
冬のタウシュベツ橋梁(か)
かっちんは2014年の春夏、2015年冬にタウシュベツ橋梁を訪れています。
糠平・幌加間にあるタウシュベツ橋は1937年(昭和12)に建造されたコンクリート製のアーチ橋です。
1955年(昭和30)に糠平ダム建設に伴いこの区間が水没した経緯があり、建造してからすでに78年が経っています。
夏の間は水没し、春と秋・冬には水位が下がるためタウシュベツ橋の姿が現れる幻の橋です。 -
冬の第四音更橋梁(か)
1936年(昭和11)に建造された橋です。
音更川に架かるところは鉄の桁橋だったのですが今は撤去され、アーチ橋が残されています。
ポスターになった写真はここですね。 -
横浜臨港線
桜木町からみなとみらい新港地区を結ぶ貨物鉄道がかつて走っていました。
現在は遊歩道となり、「汽車道」と名付けられています。 -
横浜臨港線(か)
2015年8月に大桟橋から見た高架の「汽車道」です。 -
足尾線
足尾銅山の銅輸送に1897年(明治30)日本で最初の電気鉄道を坑内に施設し、日露戦争ののち24年の歳月を経てようやく足尾鉄道が開通します。
足尾鉄道は急峻な地形の渓谷沿いを開削して施設されており、96の橋梁と12の隧道があり、足尾区間だけでも26橋梁が架けられています。
SLが走っていた当時の映画もこのコーナーで見られます。 -
足尾線の路線図
現在は、わたらせ渓谷鐡道として桐生〜間藤(まとう)間が運行されています。
2009年には足尾駅を含む12の鉄道施設が国登録有形文化財となりました。 -
古河橋梁(か)
2010年7月に足尾銅山を訪れました。
古河橋は1890年(明治23)に架設されたトラス鉄橋で馬車鉄道も敷かれました。
ドイツのハーコート社で製造された部材を現場で組み立てられるよう、ボルトとナット、ピン結合を採用しています。
現在は歩道橋として再生されています。 -
廃線跡(か)
間藤の先に、足尾本山までの廃線跡が見られます。 -
清水港線のテルファークレーン
1928年(昭和3)国鉄清水港線の清水港駅に、貨車に木材を積み込む作業の効率化のために、最新鋭のクレーンを導入しました。
コンベアを利用する場合は20トン分の木材の移動に1日を要しましたが、テルファではわずか48分荷役を終えることができました。
1939年(昭和14)に役割を終えました。 -
テルファークレーン(か)
2014年1月に清水港線の廃線跡を歩いていて見つけました。
2000年(平成12)にはテルファーが国登録有形文化財になりました。 -
ねじりまんぽ
ねじりまんぽは、トンネルを意味する「まんぽ」と、ねじれて積まれた煉瓦を意味する「ねじり」の合成語です。
盛り土の線路区間で道路や河川と斜めに交差する場合、普通のアーチのように煉瓦を水平に積むと、一方の端部にアーチにかかる力を橋台に伝達できないため、力の伝わる角度にあわせてレンガを積んだ構造になっています。
この技術は明治時代、お雇い外国人技師によってもたらされたと考えられており、大正時代には使われなくなりました。
西日本を中心に30例ほど存在しています。 -
イチオシ
ねじりまんぽ(か)
2005年4月、樽見鉄道に桜と鉄道の写真を撮りに行きました。
東海道本線大垣駅から東に向かった線路の築堤に小さなトンネルがあり、確かに斜めの通路になっていました。
当時は煉瓦の積み方が変わっているなと思っていましたが、この謎が解けました。 -
ねじりまんぽの築堤(か)
菜の花が綺麗なところです。 -
飛鳥山下跨線人道橋
JR王子駅南口から飛鳥山公園に通じるアーチ橋には、1880年(明治13)から1909年(明治42)にかけて、欧州から輸入された初期タイプの鋼レールが使用されています。 -
飛鳥山の橋(か)
2015年6月、飛鳥山の紫陽花を見に行った時、たまたま橋が写っていました。 -
ラチス桁跨線人道橋
1931年(昭和6)、古レール骨組みの橋脚・階段にラチス桁2連を組み合わせた中央本線茅野の線路を横断する跨線人道橋には、謎解きの面白さがあります。
桁の菱形の大きさやリベットの穴の様子から、1926年(大正15)から1928年(昭和3)にかけて行われた関西本線の2代目木曽川橋梁あるいは揖斐川橋梁の工事用桟橋のラチス桁174枚のうちの4枚ではないかと推測されています。
日本ではラチス橋の例が少なく、その背景に第一次世界大戦の影響で、一般的なプレートガーダー橋に必要な鋼板が入手困難だったと言われています。 -
イチオシ
茅野のラチス橋(か)
ラチス橋の話を事前に知り、2015年9月遠山郷からの帰りに茅野駅ホームからじっくり見てきました。
XXXの形が並ぶ珍しい橋を初めて見ました。 -
下駄歯橋梁
九州筑豊の田川線に1895年(明治28)に、将来の複線化を想定して橋梁を拡幅しやすいように、側面を凹凸にした「下駄歯」橋梁が造られました。
しかし、複線化されずに現在でも下駄歯のままの状態です。
この橋はまだ見てないので、旅先の候補にします。 -
碓氷線
旧国鉄信越本線の横川〜軽井沢間の難所碓氷峠を越える鉄道が碓氷線の愛称で親しまれました。
1893年(明治26)にアプト式、すなわち2本のレールの中央に敷いた歯形のレールに、機関車の歯車を噛み合わせて進む方式を採用し、鉄道が開通しました。
急勾配の鉄路には、26の隧道と18の橋梁が築かれています。
鉄製の桁橋は平地の1か所のみで、ほかはすべて煉瓦造りのアーチ橋が採用された理由は、立地が急勾配で、かつ特殊なレールを支えるためであったと考えられます。 -
碓氷線の路線図
1963年(昭和38)には、通常軌条による複線化と急勾配に対応可能な国産電気機関車が開発されて新線に切り替わり、アプト式の役割を終えました。
2001年(平成13)に横川から第三橋梁までが遊歩道「アプトの道」として整備され、2012年には熊ノ平まで延長されました。
国の重要文化財にもなっている5つの橋梁と10の隧道を通る、全長6.3kmのコースは70年間現役を貫いた構造物に間近に触れられる、貴重な道です。 -
イチオシ
碓氷線の隧道(か)
2012年4月に「アプトの道」を訪れました。
煉瓦造りの隧道を当時の列車に乗った気分で歩けます。 -
イチオシ
外の明かりがほっとさせる隧道(か)
第六隧道は工期短縮のため、途中からもトンネルを掘り、横穴があいています。 -
美しい姿のめがね橋(か)
めがね橋の第三橋梁は200万個以上の煉瓦を使用した、国内でも最大の煉瓦造りアーチ橋です。 -
大日影(おおひかげ)トンネル
日本各地に残っているさまざまな鉄道遺構の中でも、成功した再活用事例として知られている大日影トンネルと、それに続く深沢トンネルのワインカーブ(貯蔵庫)があります。
1903年(明治36)に開通した中央本線八王子〜甲府間のトンネルは、1968年(昭和43)の複線化、さらに線形改良の新トンネルが開通し、旧大日影トンネルが廃止されました。
2005年(平成17)、旧大日影トンネルはJR東日本から旧勝沼町へ無償譲渡され、その2年後に遊歩道として生まれ変わりました。 -
大日影トンネル遊歩道出口(か)
勝沼側からトンネルに入り、長さ1000mをおよそ30分かけて歩くと出口に到達します。 -
トンネル内(か)
ほの暗くヒンヤリしたトンネルは、無の世界に入り込めます。
トンネルで使用されている煉瓦は、明治時代に牛奥村(現甲州市)に建設した工場で焼いたものです。
煉瓦は1段おきに長手の段と小口の段を積んでいくイギリス式の積み方です。 -
トンネルの天井(か)
SLが走っていた当時の煤が黒く残っています。 -
魚梁瀬(やなせ)森林鉄道
高知県東部の海岸部と山間部を結ぶ魚梁瀬森林鉄道は、1911年(明治44)に開通した日本一の規模の森林鉄道です。
1963年(昭和38)にはダム建設とトラック輸送への切り替えなどにより、すべての路線が廃線となりました。
1988年(昭和63)に「森林鉄道の思い出を語る会」が開催され、2000年(平成12)には文化庁より一連の橋や隧道が近代化遺産として評価されました。
2009年(平成21)に、開通時より残るエヤ隧道やバンダ島隧道をはじめ、桟道や橋など、18か所に及ぶ土木構造物が国の重要文化財に指定されました。
この遺構が評価されるのは、5か町村にまたがる大規模な遺構が残っている点と、18か所の遺構を巡ることができ、県外の観光客が訪れるようになってきたことです。 -
魚梁瀬森林鉄道の路線図と遺構の写真
このコーナーでは、森林鉄道当時の暮らしぶりと木材を輸送しているトロッコなど、貴重な映画が見られます。 -
ディーゼル機関車
森林鉄道を走っていた機関車の模型です。
魚梁瀬はまだ行ったことがなく、ぜひ訪れてみたいと思います。
最後に、「鉄道遺構・再発見」企画展を見て、構造物の新たな知識を得ることができました。
まだ、訪れていない高知の魚梁瀬森林鉄道、筑豊の下駄歯橋梁はぜひ見に行きたいところです。
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