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今まで折を見ては西国による東北侵攻のあとを訪ねて旅をしてきました。<br />坂上田村麻呂対アテルイの水沢、エミシ対源氏の前九年(盛岡)、奥州藤原氏を頼朝が攻めた奥州合戦(福島国見町)、薩長による戊辰戦争とみて、今回 最後に秀吉の奥州仕置きに関わる戦いの跡を見ました。いずれも剛力無体な西の中央政権が東北地方を略取するという構図です。<br />奥州仕置きに関する戦い(九戸政実(くのへまさざね)の乱)については別旅行記にまとめたので、ここでは公共交通で回った旅程と、そこで見つけたことや、訪ねられなかった名所などを紹介しておきます。表紙は二戸駅です。<br /><br />東京発11時20分の東北新幹線で二戸着が14時01分。東口駅前広場の端っこから出発する岩手県北バス:14時50分の伊保内行きに乗車。30分足らずで九戸神社入り口。そこから伊保内タクシー(0195-42-2125)の30分2730円というコースで九戸政実の首塚、九戸神社とまわって長興寺まで送ってもらったが、全行程を歩いても3km足らずです。<br />帰りは 16時06分か17時36分のバスで二戸市に帰ってホテルに投宿。<br />この九戸村は旧九戸郡内の伊保内村・山田村・江刺家村が合併して昭和30年にできたもので、伊保内村を生地とする九戸政実の姓を採ったという。<br /><br />翌日は市内の名所巡りで、最大のお薦めは国指定史跡の九戸城跡。<br />高橋克彦の小説「天を衝く」の九戸政実の築城で中世の平山城としては最大といわれ、九戸政実の乱の後に蒲生氏郷が改修して福岡城と改名し、南部氏が盛岡城に移るまで南部氏の本城であったが、地元民は九戸城と呼んでいた。盛岡城よりも早く史跡指定されたがその時の名称も九戸城であった。<br /><br />城跡の近くには白鳥川の凝灰岩の崖を穿った岩屋観音堂があり、狭い道だがタクシーは目の前まで入ってくれる。<br />珍しい神社として市街地を出はずれた所に武内神社がある。ご祭神が武内宿禰と神功皇后、応神天皇で、武内宿禰は最初に東北地方を偵察して「東の鄙に日高見国あり。土地肥えて広し。撃ちて獲るべし」と景行天皇に奏上した人物といわれる。これが西の勢力による東北地方侵略の遠因となったものと私は考えているので、好きな人物ではありませんが、こういう神社が祀られているのも東北人の大らかさでしょうか。<br /><br />社伝では大同2年に坂上田村麻呂が修復再興し、1591年には南部信直が九戸政実の討伐に出陣する際に武運祈願したという。南部信直は策を弄して婿入り先の主筋を滅ぼして成りあがった頭領で、嫌いです。小さい社だが神事としては山伏神楽がある。<br />ほかに、埋蔵文化財センターも小型だが要領よく縄文以降の歴史を展示している。クマ型土製品や、遮光器土偶などが見られる。<br /><br />今回、残念ながら訪れなかった名所は、瀬戸内寂聴師が名誉住職の天台寺。座敷わらし の金田一温泉。漆の浄法寺。陸棲巻貝を餌とするヒメボタル群生地の折爪岳。断崖に造られた鳥越観音堂などです。<br />隣町の一戸には世界遺産候補の御所野縄文遺跡があります。<br />お土産には西北15?の田子町の立派なニンニクが駅西口前の産直店にある。<br />

岩手県のてっぺん二戸市:不思議に面白い街でした

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2015/09/29 - 2015/09/30

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ANZdrifter

ANZdrifterさん

今まで折を見ては西国による東北侵攻のあとを訪ねて旅をしてきました。
坂上田村麻呂対アテルイの水沢、エミシ対源氏の前九年(盛岡)、奥州藤原氏を頼朝が攻めた奥州合戦(福島国見町)、薩長による戊辰戦争とみて、今回 最後に秀吉の奥州仕置きに関わる戦いの跡を見ました。いずれも剛力無体な西の中央政権が東北地方を略取するという構図です。
奥州仕置きに関する戦い(九戸政実(くのへまさざね)の乱)については別旅行記にまとめたので、ここでは公共交通で回った旅程と、そこで見つけたことや、訪ねられなかった名所などを紹介しておきます。表紙は二戸駅です。

東京発11時20分の東北新幹線で二戸着が14時01分。東口駅前広場の端っこから出発する岩手県北バス:14時50分の伊保内行きに乗車。30分足らずで九戸神社入り口。そこから伊保内タクシー(0195-42-2125)の30分2730円というコースで九戸政実の首塚、九戸神社とまわって長興寺まで送ってもらったが、全行程を歩いても3km足らずです。
帰りは 16時06分か17時36分のバスで二戸市に帰ってホテルに投宿。
この九戸村は旧九戸郡内の伊保内村・山田村・江刺家村が合併して昭和30年にできたもので、伊保内村を生地とする九戸政実の姓を採ったという。

翌日は市内の名所巡りで、最大のお薦めは国指定史跡の九戸城跡。
高橋克彦の小説「天を衝く」の九戸政実の築城で中世の平山城としては最大といわれ、九戸政実の乱の後に蒲生氏郷が改修して福岡城と改名し、南部氏が盛岡城に移るまで南部氏の本城であったが、地元民は九戸城と呼んでいた。盛岡城よりも早く史跡指定されたがその時の名称も九戸城であった。

城跡の近くには白鳥川の凝灰岩の崖を穿った岩屋観音堂があり、狭い道だがタクシーは目の前まで入ってくれる。
珍しい神社として市街地を出はずれた所に武内神社がある。ご祭神が武内宿禰と神功皇后、応神天皇で、武内宿禰は最初に東北地方を偵察して「東の鄙に日高見国あり。土地肥えて広し。撃ちて獲るべし」と景行天皇に奏上した人物といわれる。これが西の勢力による東北地方侵略の遠因となったものと私は考えているので、好きな人物ではありませんが、こういう神社が祀られているのも東北人の大らかさでしょうか。

社伝では大同2年に坂上田村麻呂が修復再興し、1591年には南部信直が九戸政実の討伐に出陣する際に武運祈願したという。南部信直は策を弄して婿入り先の主筋を滅ぼして成りあがった頭領で、嫌いです。小さい社だが神事としては山伏神楽がある。
ほかに、埋蔵文化財センターも小型だが要領よく縄文以降の歴史を展示している。クマ型土製品や、遮光器土偶などが見られる。

今回、残念ながら訪れなかった名所は、瀬戸内寂聴師が名誉住職の天台寺。座敷わらし の金田一温泉。漆の浄法寺。陸棲巻貝を餌とするヒメボタル群生地の折爪岳。断崖に造られた鳥越観音堂などです。
隣町の一戸には世界遺産候補の御所野縄文遺跡があります。
お土産には西北15?の田子町の立派なニンニクが駅西口前の産直店にある。

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  • 新幹線二戸駅を出ると 騎馬武者の政実公が迎えてくれる。<br /><br />馬は日本種ではないように見える。

    新幹線二戸駅を出ると 騎馬武者の政実公が迎えてくれる。

    馬は日本種ではないように見える。

  • 岩手県北バスは JRバスの先、居酒屋きんじ の看板手前から出る。<br /><br />同社のサイトは老人にも分かりやすくて、よくできていると思いますが、九戸村に行くのに伊保内行に乗るのというのが、わからなかった。

    岩手県北バスは JRバスの先、居酒屋きんじ の看板手前から出る。

    同社のサイトは老人にも分かりやすくて、よくできていると思いますが、九戸村に行くのに伊保内行に乗るのというのが、わからなかった。

  • 二戸駅前の商店街<br /><br />コンビニの少ない街です。弁当屋なんてものはなかった。

    二戸駅前の商店街

    コンビニの少ない街です。弁当屋なんてものはなかった。

  • 九戸村(旧伊保内村)の九戸神社入り口です。

    九戸村(旧伊保内村)の九戸神社入り口です。

  • 九戸神社入り口のバス停。<br /><br />首塚まで1?。

    九戸神社入り口のバス停。

    首塚まで1?。

  • 首塚は林の中。<br /><br />政実は宮城県栗原市三の迫で斬殺されたが、乞食に身をやつした九戸党の侍が夜陰に紛れて首級を盗んで持ち帰り、ここに葬ったという。<br /><br />小説「天を衝く」では土地の和尚が首桶と塩を用意してくれたとされている。

    首塚は林の中。

    政実は宮城県栗原市三の迫で斬殺されたが、乞食に身をやつした九戸党の侍が夜陰に紛れて首級を盗んで持ち帰り、ここに葬ったという。

    小説「天を衝く」では土地の和尚が首桶と塩を用意してくれたとされている。

  • 少し上ると 首塚がある。<br /><br />ここが不便なので 九戸神社参道に新しく首塚を造ったが やはり昔からの首塚にお参りする人が多いとのこと。<br />首は一つなのに・・・・・・

    少し上ると 首塚がある。

    ここが不便なので 九戸神社参道に新しく首塚を造ったが やはり昔からの首塚にお参りする人が多いとのこと。
    首は一つなのに・・・・・・

  • 九戸神社。九戸氏の祈願所とされている。

    九戸神社。九戸氏の祈願所とされている。

  • 草地の先が 政実神社です。

    草地の先が 政実神社です。

  • 政実神社

    政実神社

  • 長興寺。<br /><br />九戸家の菩提寺ですが、九戸氏の血統は絶え、後胤はいないという。<br /><br />政実の一子、亀千代は(おそらく)津軽を頼りに落ちる途中、青森県田子町佐羽内で斬殺されたとされ、現地には柵で囲まれた大木がある。(場所には異説もある)

    長興寺。

    九戸家の菩提寺ですが、九戸氏の血統は絶え、後胤はいないという。

    政実の一子、亀千代は(おそらく)津軽を頼りに落ちる途中、青森県田子町佐羽内で斬殺されたとされ、現地には柵で囲まれた大木がある。(場所には異説もある)

  • 本堂には400回忌とかで作られたという九戸家を祀った一画があり、気さくな和尚さんが「写真を撮ってもいいですよ」と言ってくれた。<br />現在は九戸家の血筋を引いた人がいないとのことだった。<br /><br />像はだれも見た人がいないし、絵も残ってない政実公の四代前?の殿様らしい。<br />武将らしく作ってくれと依頼したら、ちょんまげ頭の像だったので、ちょんまげは外してもらったそうです。

    本堂には400回忌とかで作られたという九戸家を祀った一画があり、気さくな和尚さんが「写真を撮ってもいいですよ」と言ってくれた。
    現在は九戸家の血筋を引いた人がいないとのことだった。

    像はだれも見た人がいないし、絵も残ってない政実公の四代前?の殿様らしい。
    武将らしく作ってくれと依頼したら、ちょんまげ頭の像だったので、ちょんまげは外してもらったそうです。

  • 九戸氏は 陸奥守として赴任してきた北畠顕家に従って来た甲斐源氏の南部師之の流れで、両者は南朝の歴史とともに消えたが、師之の弟、政長が当地に根付いて南部家の礎をかためたという。

    九戸氏は 陸奥守として赴任してきた北畠顕家に従って来た甲斐源氏の南部師之の流れで、両者は南朝の歴史とともに消えたが、師之の弟、政長が当地に根付いて南部家の礎をかためたという。

  • 政実公の400回忌に造られた慰霊塔。<br /><br />中央下に甲斐源氏の割菱(武田菱)、両脇に九曜紋が彫られている。<br /><br />映っている子供は和尚の孫で、二戸市で有名な座敷わらしではない。

    政実公の400回忌に造られた慰霊塔。

    中央下に甲斐源氏の割菱(武田菱)、両脇に九曜紋が彫られている。

    映っている子供は和尚の孫で、二戸市で有名な座敷わらしではない。

  • 九戸政実公が出陣の折に植えた銀杏と伝えられる。<br /><br />巨大な根元だったが、近年葉が小さくなったと和尚が心配していた。

    九戸政実公が出陣の折に植えた銀杏と伝えられる。

    巨大な根元だったが、近年葉が小さくなったと和尚が心配していた。

  • 二戸市内の九戸城跡。<br /><br />国指定の史跡で、盛岡城よりも早く九戸城の名前で登録されていいる。<br /><br />奥には土日のボランティアーガイドのたまり場の建物がある。<br />平日でも予約すれば無料で案内してくれるとのこと。

    二戸市内の九戸城跡。

    国指定の史跡で、盛岡城よりも早く九戸城の名前で登録されていいる。

    奥には土日のボランティアーガイドのたまり場の建物がある。
    平日でも予約すれば無料で案内してくれるとのこと。

  • 手前が二の丸。一段高いのが本丸。<br /><br />蒲生氏郷が改修した部分で、直線で仕切られた近世の城の形を示している。<br />石垣を穴太衆が積んだといわれるが、下部が石垣で上部は土塁のように見えた。<br /><br />1995年の発掘調査で、首のない骨が多数見つかったという。女・子供を二の丸に押し込めて火をかけ、撫で切りにしたという言い伝えと考え合わせると・・・・・、言葉もない

    手前が二の丸。一段高いのが本丸。

    蒲生氏郷が改修した部分で、直線で仕切られた近世の城の形を示している。
    石垣を穴太衆が積んだといわれるが、下部が石垣で上部は土塁のように見えた。

    1995年の発掘調査で、首のない骨が多数見つかったという。女・子供を二の丸に押し込めて火をかけ、撫で切りにしたという言い伝えと考え合わせると・・・・・、言葉もない

  • 左の二の丸と、右の本丸の間の濠。<br /><br />これも蒲生氏郷の手による。

    左の二の丸と、右の本丸の間の濠。

    これも蒲生氏郷の手による。

  • 二の丸の一画には土井晩翠の荒城の月の碑がある。<br /><br />大分県竹田市、会津若松、仙台・青葉城とこの地、二戸市九戸城の四か所にあるという。

    二の丸の一画には土井晩翠の荒城の月の碑がある。

    大分県竹田市、会津若松、仙台・青葉城とこの地、二戸市九戸城の四か所にあるという。

  • 立っているところは三の丸で、凝灰岩の崖の上が二の丸。<br /><br />三の丸は蒲生氏郷の手が及ばず、九戸政実時代の不定形で曲線で囲まれている。

    立っているところは三の丸で、凝灰岩の崖の上が二の丸。

    三の丸は蒲生氏郷の手が及ばず、九戸政実時代の不定形で曲線で囲まれている。

  • 岩屋観音堂。

    岩屋観音堂。

  • よくぞ作った洞窟観音。

    よくぞ作った洞窟観音。

  • 武内神社。 この左側に清水が沸いている。

    武内神社。 この左側に清水が沸いている。

  • 迂闊にも 社殿の正面写真を撮りそこなった。

    迂闊にも 社殿の正面写真を撮りそこなった。

  • 狛犬は 首が体にめり込んだような形だった。

    狛犬は 首が体にめり込んだような形だった。

  • 左側の狛犬。

    左側の狛犬。

  • 竹内神社

    竹内神社

  • 二枚目の写真に写っている駅前居酒屋 ”しんじ”には「天を衝く」の著者<br />高橋克彦の色紙が飾られていた。<br />食料と労働力の供給地としか扱われなかった東北に生まれた高橋克彦の胸に秘められた「政実の思い」とはいかなるものであったか・・・・・・<br /><br /><br />なお、雑穀で有名な二戸市だが ここで食べた蕎麦はさほどでもなかった。

    二枚目の写真に写っている駅前居酒屋 ”しんじ”には「天を衝く」の著者
    高橋克彦の色紙が飾られていた。
    食料と労働力の供給地としか扱われなかった東北に生まれた高橋克彦の胸に秘められた「政実の思い」とはいかなるものであったか・・・・・・


    なお、雑穀で有名な二戸市だが ここで食べた蕎麦はさほどでもなかった。

  • 日経新聞2017年4月16日の16面に、「二戸市シビックセンターの庭に立っている巨大な10本の L字鋼の柱が建っている。白地に無数のローマ字が書かれている。<br /><br />これを建物の二階から眺めると・・・・・・・・(次の写真)

    日経新聞2017年4月16日の16面に、「二戸市シビックセンターの庭に立っている巨大な10本の L字鋼の柱が建っている。白地に無数のローマ字が書かれている。

    これを建物の二階から眺めると・・・・・・・・(次の写真)

  • 郷土出身の物理学者 田中館愛橘博士の肖像が浮かび上がる。」 と説明されてい<br />た。<br /><br />今回の旅では このシビックセンターを訪問しなかったが、二戸市の面白さを説明するには好適と考え、追加しました。

    郷土出身の物理学者 田中館愛橘博士の肖像が浮かび上がる。」 と説明されてい
    た。

    今回の旅では このシビックセンターを訪問しなかったが、二戸市の面白さを説明するには好適と考え、追加しました。

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