2015/09/28 - 2015/09/29
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悠遊人(ゆうゆうじん)さん
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(写真は臼杵古園石仏、大日如来像)
宿を湯布院から別府に移し、宇佐神宮から国東(くにさき)半島を廻ります。
宇佐神宮 -- 富貴寺 -- 真木大堂 -- 熊野磨崖仏 -- 両子寺 -- 別府
翌日は 臼杵の石仏と臼杵城下町です。
※大分は海岸沿いに北から豊後(ぶんご)、国東(くにさき)、杵築(きづき)、日出(ひじ)、別府、鉄輪(かんなわ)、大分、臼杵(うすき)、清水(そうず)など変わった読み方が多いが、これはおそらく古代外来人が住み着いたことを現わしています。 ちょうど奈良県に奈良(なら)や飛鳥(あすか)、宇陀(うだ)などインドの地名が多いのに対し、大分の源流はどこにあるのでしょうか? アテ字とは少しちがい朝鮮系の言語のような気もします。 我々はもっともっと地名や人名の出所や意味にこだわったほうがいいのではないかと思います。
・天照らす宇佐に卑弥呼の眠る森 <壹 與>
・臼杵仏外は暑かろ煩かろ <悠遊人>
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宇佐神宮 一之御殿(八幡大神、応神天皇を祀る)
宇佐神宮はあの道鏡が天皇の位を狙ったとき、皇室が神の意志を問うべく和気清麻呂を遣わした由緒ある神社です。(万世一系が途絶えるかという大事になぜ伊勢神宮ではないのでしょう)
ここは全国に4万ある八幡宮の総本山でもある。
またかつては敷地内に弥勒寺が併設されたことを記憶に留めたい。(神仏習合) -
宇佐神宮 二之御殿(比売大神/ひめのおおかみ を祀る)
※二の院は卑弥呼を祀っているとも言われています。 ならば邪馬台国はこのあたりにあったのかもしれません。 卑弥呼の墓の上に宇佐神宮を造ったという説があります。 また卑弥呼=天照大神という説もあれば神功皇后という説もあります。 なお神功皇后は応神天皇の母に当たります。 -
宇佐神宮
手前から一之御殿、二之御殿、三之御殿(神宮皇后を祀る)となります。かつては宗像三神を祀っていたとも云われ、そのせいか礼拝は「二拝四拍手、一礼」(出雲大社と同じ)となっている。
●近年、邪馬台国は畿内に、また歴代の政権は伊勢神宮を無理に第一位の宮に仕立て上げようと感じてしまうのですがねえ。 記紀ともども天皇家優位に編修・改ざんされているような気がします。現天皇家にとって万世一系は崩せないものですから。
※とにかく宇佐・国東半島一帯は古代の匂いがプンプンとしているところです。 ウサん臭い? 国東ならその西に都があったのでは? 豊後の豊は卑弥呼の後継者、壹與/トヨから来たのでは?「葦原中国/あしはらなかつくに」のなかつは豊後中津では? などなど。 日本の3・4世紀の動きをもっと知りたいですね。。 -
(以下、国東半島を廻ります)
六郷満山 富貴寺(国宝)
今日は住職がおられ、直接話を聞くことができました。 大堂は内部が四点柱で区切られ阿弥陀如来座像が安置されており、ちょうど平等院鳳凰堂や平泉金堂と同じ様式です。 長い間雨風にさらされ、また子供の遊び場になっていたようですから、周りの壁画などほとんど消えかかっているのが残念です。 -
熊野磨崖仏(重文) 不動明王
藤原末期の造立と言われています。 磨崖仏とは崖にそのまま刻んだ仏像をいいます。 右側に大日如来像があります。 それぞれ高さ6〜8mほどでしょうか。
なおこのあたり一帯に磨崖仏は400体あるともいわれてます。
ちょうど末法の時代に一気に広まったのでしょう。 -
熊野磨崖仏2 大日如来像
六郷満山の拠点のひとつ胎蔵寺から登りはじめ、最後に鬼が一夜で築いたとされる急な乱積石段を99段を登ると左側の崖に刻まれています。 地層は阿蘇の凝灰角礫岩です。(脆いので崩れやすい)
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六郷満山 両子寺(ふたごじ) 仁王像と山門
国東半島のほぼ中央にあります。 718年(養老2年)開基
六郷満山の総寺院。 子授祈願でよく知られます。 六郷とは国東半島が六つの地区から成っていたということです。 人口増加に伴って弥勒寺の坊主が開墾していったようだ。 この域のほとんどは天台系寺院
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両子寺 不動明王
・国東の神や仏の多きこと
※しかしこの国東半島は実に不思議な形をしています。 地図上ではまるで中央に富士山を上回るほどの巨大コニーデ型火山がデンと構えているように見えるのですが、その中央の両子山の標高はたった721mしかないのです。 -
臼杵石仏 ホキ石仏第一群 第2龕
阿弥陀如来 (部分)
きれいな色彩で描かれていたのが偲ばれます。 -
臼杵石仏 ホキ石仏第一群 第4龕
真ん中が閻魔大王です。 死後49日目に天国に行くか地獄に行くかがここで裁かれます。 -
臼杵石仏 ホキ石仏第二群 第1龕 阿弥陀三尊像
臼杵石仏の数は60数体、そのうち国宝は59体(数体は崩壊のため指定ならず)
・臼杵さま外は暑かろ煩かろ <悠遊人> -
臼杵 古園石仏群
大日如来を中心に曼荼羅を構成、臼杵石仏群の中心です。
永く地震で首が落ちていたのですが、昭和期に修復されました。
ただ私には首がすこし左向きになっているのでは、と見えてしまうのですが・・・
ここの石仏もやはり磨崖仏であり、崖を削って彫られています。 -
満月寺 境内の仁王像
対のもう一体と共にユニークな姿です。
この寺には臼杵石仏を造らせたといわれる真野長者夫妻像とそれを彫ったといわれる蓮城法師像が安置されています。 -
臼杵市内に入る
龍原寺 三重の塔 -
臼杵市内 仁王座歴史の道
この「切通し」あたりが臼杵を代表する旧城下町の景観でしょう。
城主 大友宗麟はキリスト教徒でしたので多くの外来人が来ていたはずです。 -
臼杵市内 八町大路
醤油屋です。 臼杵の魚は特に美味しい。 大分は関サバ、関アジ、城下かれいが有名ですが、ここの肝まで味わうふぐは特別です。 シビれます。 また特産として全国一のかぼすがあります。
※大分豊後水道で獲れる魚はなぜ美味いかというと、海流で揉まれることもありますが、第一の理由は水がきれいなことだと思います。 それは寒暖の差が大きいことや九重、由布岳(1500-1800m)に代表される海岸沿いに連なる山々から発生する霧から生まれ出る河川水は非常にきれい。 湯布院にいけばそれがよくわかります。
富士の伏流水が流れ込む駿河湾や飛騨富山湾の魚が美味しいのと同じ理屈です。 -
臼杵城
大友宗麟(17世紀)が築城、のち稲葉氏が治めることになりました。
もともとは海と河川に囲まれた島/半島だったようです。 少しだけスペインを懐かしく思い出しました。
・宗麟の夢の彼方にエスパーニャ
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