2015/02/25 - 2015/02/26
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oterasanさん
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2015年9月26日(土)更新
先日、もらってうれしい「ご当地銘菓」ランキングの記事が載っていました。
3位は三重県・伊勢の「赤福」。
好きです、納得。
2位は北海道・札幌の「白い恋人」
工場見学に行った事があります。
納得、しかし六花亭の「バターサンド」のほうがもっと好き。
そして1位は。
宮城県・仙台市の「萩の月」。
カステラ生地にカスタードクリームを包んだお菓子。
好きです、お土産に買って帰った事もあります。
第45日目・2015年2月25日(水)
2月28日と3月1日は最終地のバンコクに滞在し3月2日に帰国。
この旅も後6日となりました。
「ロッブリー」と「アユタヤ」泊を考えていましたが疲れていたので「アユタヤ」へ向かい、3泊する事にしました。</
「日 程」
第 1日目 自宅→岡山〜上海(中国)〜バンコク(タイ)
第 2日目 バンコク→夜行寝台列車
第 3日目 夜行寝台列車→ナコーン・シー・タマラート
第 4日目 ナコーン・シー・タマラート→パッタルン
第 5日目 パッタルン→クラビ
第 6日目 クラビ二日目
第 7日目 クラビ三日目
第 8日目 クラビ〜クアラルンプール(マレーシア)〜パダン(インドネシア)
第 9日目 パダン二日目
第10日目 パダン→ブキティンイギ
第11日目 ブキティンギ二日目
第12日目 ブキティンギ三日目
第13日目 ブキティンギ四日目
第14日目 ブキティンギ五日目
第15日目 ブキティンギ六日目
第16日目 ブキティンギ→パダン〜クアラルンプール
第17日目 クアラルンプール〜ダナン(ベトナム)
第18日目 ダナン二日目
第19日目 ダナン三日目
第20日目 ダナン→ホイアン
第21日目 ホイアン二日目
第22日目 ホイアン→フエ
第23日目 フエ二日目
第24日目 フエ→ドンホイ
第25日目 ドンホイ→ヴィン
第26日目 ヴィン→ニンビン
第27日目 ニンビン→ハノイ
第28日目 ハノイ二日目
第29日目 ハノイ三日目
第30日目 ハノイ→バンコク(タイ)→寝台列車
第31日目 寝台列車→チェンマイ
第32日目 チェンマイ→パーイ
第33日目 パーイ二日目
第34日目 パーイ→メーホーンソーン
第35日目 メーホーンソーン二日目
第36日目 メーホーンソーン→メーサリアン
第37日目 メーサリアン→メーソート
第38日目 メーソート→スコータイ
第39日目 スコータイ二日目
第40日目 スコータイ三日目
第41日目 スコータイ→ランパーン
第42日目 ランパーン二日目
第43日目 ランパーン→プレー
第44日目 プレー→ウタラティット
第45日目 ウタラティット→アユタヤ
「宿泊先」
Boon Are Gong Riverside Homeestay
「今日の支払額」
〇 宿泊代 2,310円
〇 食事代 295TB=1,090円
〇 交通費 182TB= 670円
〇 その他 0円
合 計 4,070円
「通貨」
1TB(タイ・バーツ)= 3.7円
「今日の歩行」
5,536歩
第46日目・2015年2月26日(木)
「日 程」
第 1日目 自宅→岡山〜上海(中国)〜バンコク(タイ)
第 2日目 バンコク→夜行寝台列車
第 3日目 夜行寝台列車→ナコーン・シー・タマラート
第 4日目 ナコーン・シー・タマラート→パッタルン
第 5日目 パッタルン→クラビ
第 6日目 クラビ二日目
第 7日目 クラビ三日目
第 8日目 クラビ〜クアラルンプール(マレーシア)〜パダン(インドネシア)
第 9日目 パダン二日目
第10日目 パダン→ブキティンイギ
第11日目 ブキティンギ二日目
第12日目 ブキティンギ三日目
第13日目 ブキティンギ四日目
第14日目 ブキティンギ五日目
第15日目 ブキティンギ六日目
第16日目 ブキティンギ→パダン〜クアラルンプール
第17日目 クアラルンプール〜ダナン(ベトナム)
第18日目 ダナン二日目
第19日目 ダナン三日目
第20日目 ダナン→ホイアン
第21日目 ホイアン二日目
第22日目 ホイアン→フエ
第23日目 フエ二日目
第24日目 フエ→ドンホイ
第25日目 ドンホイ→ヴィン
第26日目 ヴィン→ニンビン
第27日目 ニンビン→ハノイ
第28日目 ハノイ二日目
第29日目 ハノイ三日目
第30日目 ハノイ→バンコク(タイ)→寝台列車
第31日目 寝台列車→チェンマイ
第32日目 チェンマイ→パーイ
第33日目 パーイ二日目
第34日目 パーイ→メーホーンソーン
第35日目 メーホーンソーン二日目
第36日目 メーホーンソーン→メーサリアン
第37日目 メーサリアン→メーソート
第38日目 メーソート→スコータイ
第39日目 スコータイ二日目
第40日目 スコータイ三日目
第41日目 スコータイ→ランパーン
第42日目 ランパーン二日目
第43日目 ランパーン→プレー
第44日目 プレー→ウタラティット
第45日目 ウタラティット→アユタヤ
第46日目 アユタヤ二日目
「宿泊先」
Boon Are Gong Riverside Homeestay
「今日の支払額」
〇 宿泊代 2,310円
〇 食事代 230TB= 850円
〇 交通費 50TB= 190円
〇 その他 50TB= 190円 合 計 3,540円
「通貨」
1TB(タイ・バーツ)= 3.7円
「今日の歩行」
11,614歩+自転車3時間
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
近くの7&11でコーヒー・パン・ガム・ウオーターを購入。(40TB=150円)
この宿に受付にいるお兄さん、私が宿から外に出ようとするといつも声をかけてくる。
親切心ありあり、感じの良い人だ。
7:00、チェックアウト。
お兄さんに見送られて駅へ。 -
まだ早いので誰もいません。
アユタヤまでのキップを購入。
列車番号106、4両目・40席の指定席が182TB(670円)。 -
7:33,列車が到着しました。
バンコク行きです。 -
きれいな2等席。
鈍行ではなく急行位かな。 -
列車はタイ西北部を南下しています。
-
-
約6時間後の13:30、やっと着きました。
-
世界遺産に登録された遺跡のある「アユタヤ」、首都バンコクより北に80kmの地にあります。
幾度も訪れているので新鮮味はありません。
日程消化のため。 -
可愛いお人形さんがお出迎え。
-
アユタヤ駅を降りてパーサック川に向かって正面の通りを歩きます。
-
今夜の宿は川沿いにある「Boon Are Gong Riverside Homeestay」。
評判が良かったので3日前に「Agoda」で予約しました。 -
受付はオーナーのおじさん。
予約を確認後地図をくれ、観光ポイントを説明してくれました。 -
部屋は受付の斜め前。
ちょっと狭めで清潔さはまあまあ。
シャワー・トイレ・冷蔵庫・クーラー・TV・朝食付き。 -
部屋で休んでいると日本語が聞こえてきました。
オーナーがお客さんを紹介してくれました。
フィリピン経由でこちらに来た同年輩のおじさん。
部屋にいると又日本語が。
私より2回り位若いご夫婦でした。 -
街歩き開始。
駅の方へ。 -
駅の周りには日本ではもう見かけなくなったダイハツミゼットのトゥクトゥクがずらり。
緑が基本ですが白やピンク・ミカン色も。 -
宿から駅までの通りは宿や食堂が並んでいます。
日本語の呼び込みをしたおばちゃんの店に入ってみました。 -
日本語が少し出来ます。
タイ国内のあちこち巡っていますがチェンマイとここアユタヤが日本語が聞こえる率が高い都市の様です。
大きなメニューから選んだ豚ミンチ炒めご飯とビール。(110TB=410円)
まだお客さんが少ないせいかおばちゃんは私の席から離れず日本語で話しかけてきます。
日本人の観光客が少なくなって中国人や韓国人が多くなったそうです。 -
夕食も日本人好きのおばちゃんがいる食堂へ。
空芯菜炒めとビール。(110TB=410円)
この通りの野犬が多く気を使います。 -
第46日目・2015年2月26日(木)
朝食会場。
パーサック川沿い。 -
渡し舟の斜め前。
-
市内へ行くのに便利な渡し舟。
今回幾度も利用する予定。 -
この宿の朝食は基本は麺。
アメリカンブレックファーストを50%オフで利用する事が出来るのでお願いしました。(50TB=190円)
スタミナ充分、元気が出そうな朝食です。 -
今日・明日と2日間の予定を検討。
今日は御朱印船貿易で栄えた時代の名残が残る「日本人町跡」へ。
明日は世界文化遺産に登録された古都「アユタヤ遺産」へ行く事にしました。
宿の近くに貸し自転車屋があったので借りる事に。(一日40TB=150円)
日本人町跡へ行く途中にあった「ワット・バナン・チューン」。 -
アユタヤ朝以前からある大寺院。
入館料がいる様ですが誰もいないので中へ入ってしまいました。
華人の信仰を集めている寺院です。 -
30〜40分で日本人町跡に到着。
2003年に息子達と訪れた事のある地。
入館料50TB=190円。 -
まだ朝早い為かお客さんは誰もいません。
スタッフが準備していました。 -
16〜17世紀、アユタヤは中国やアジアそしてヨーロッパ諸国から商人を集め住居を与えていました。
町を構成する事も許可、こうしてできた町のひとつが日本人町です。 -
日本人町を紹介するビデオがありますよ、と云われ入ってみました。
-
徳川時代の初期御朱印船貿易で栄え、1610〜1630年の最盛期には1500人程度の日本人が住んでいたそうです。
-
朱印船はこんな形をしていたのでしょう。
-
私の好きな花、見かけるとカメラを向けてしまいます。
-
チャオプラヤー川に沿った地にある日本人町跡。
-
日本人の多くは交易に従事していましたが王宮に仕えて傭兵になった人もいるそうです。
徳川家光時代の1635年、第3次鎖国令により朱印船貿易も終わり、日本人町も消滅しました。 -
記念館もありました。
-
日本人町の長「山田長政」は傭兵隊長から地方長官へ。
しかし王位継承の争いに巻き込まれ毒殺されたと伝えられたいます。 -
日本庭園。
-
自転車で宿へ向かいます。
途中で休憩。
すいかジュース。(40TB=150円) -
このホテルは見覚えがあります。
2003年に息子達と訪れた時の昼食会場となったホテルです。 -
宿に帰り、渡り船に乗って市内へ行きます。
-
お客さんが集まり次第出船し、5分位で対岸へ到着。(船賃5TB=20円)
-
世界各国のホテル案内及び申し込み会社「Agoda」で評判の「Grand Arent's Home」へやって来ました。
部屋を見せてもらいましたが少し狭め。
450TB=1670円で明日一泊申し込み。 -
日本人観光客が多いからでしょうか、コンビニで「焼き豚丼」や
-
「カツレツ弁当を売っていました。
明日買ってみたいと思います。 -
渡り船に乗って対岸を上がった所にレンタバイクやレンタサイクルのお店がありますがここの娘さんは商売上手。
通行している観光客を言葉巧みにお客さんにしていきます。
私も声をかけられたので「要りません」と云いましたが笑顔を返してくれました。
その後幾度もこの店の前を通りましたがいつも笑顔であいさつしてくれました。 -
渡り船は自転車もOK。
乗せ難くそうでしたが。 -
私の部屋のドアの前で2匹のワンちゃんが寝ていました。
受付の側で休んでいると昨日挨拶を交わしたフィリピン経由の「前さん」が帰ってきました。
一緒に夕食の約束。
昨日の夕食時の食堂へ。
飲み交わしているともう一組の日本人「明さん」ご夫婦とも遭遇。
4人で賑やかな夕食となりました。
「明さん」は九州で外国製の自動車を販売していましたが腰が悪くなって事業をやめて海外を放浪中との事。
皆さん旅慣れた方々です。
久しぶりに楽しいひと時、南国の夜は更けていきました。
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