2015/09/13 - 2015/09/14
968位(同エリア1952件中)
ひま人さん
今回の100名城巡りは、阿波の国・徳島と讃岐の国・高松を訪ねました。往きは神戸三宮から高速バスで世界一の吊り橋[明石海峡大橋]から淡路島を経由して徳島駅前へ。JR徳島駅裏手の旧徳島城跡を訪ねました。そして、正午過ぎの高速バスで高松駅前へ。全国で駅から一番近い徒歩約3分の旧高松城跡・玉藻公園を訪ねました。一泊後、JR高松から列車で日本で最初の道路・鉄道併用橋である[瀬戸大橋]を通り、岡山経由で帰路に着きました。四国架橋三つの内、二つを渡りぐるっと一周してきました。
写真は高松城月見櫓です。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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「国史跡・徳島城跡」石碑と堀。戦国時代、阿波の地は群雄が割拠し、しばしば城主が入れ替わった。天正10年(1582年)には土佐国の長宗我部元親が侵攻し阿波が平定されました。天正13年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐に勲功のあった蜂須賀家政(蜂須賀小六正勝の子)が阿波一国18万6千石を賜った。入封当初は徳島西部にあった一宮城に入城したが、入城早々に現在の地に大規模な平山城を築造し、翌年完成しました。以後、江戸時代を通じて徳島藩蜂須賀氏25万石の居城となり、明治維新を迎えました。
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鷲(わし)の門。5代藩主蜂須賀光隆(1652−1666)の時代、正門として三木という人物に造らせたといわれる。昭和20年(1945年)徳島大空襲で焼失。1989年徳島市制100周年を記念して復元されました。門前にある道路の関係上門の規模と位置は当時と少し異なっています。徳島城跡はこれ以外は主要な建物は残っていません。
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石垣と堀。
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下乗橋(げじょうばし)。城内の堀に架けられた木製の太鼓橋で、殿様の住む御殿への正面出入り口にあたります。この橋を渡ると桝形が設けられ石垣や門によって厳重に守られていました。下乗橋とは、橋の前で駕籠などの乗り物から降りて歩いて渡ったことからに由来しています。明治2年(1869年)花崗岩製になり、さらに同41年に現在のように水平の橋に改造されました。
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徳島城博物館。徳島城の歴史的な藩主ほか書籍や阿波淡路浄瑠璃本などが展示されています。
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徳島城博物館。
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太鼓櫓跡。
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蜂須賀家政公銅像。蜂須賀家政(藩祖)は、天正13年(1585年)秀吉の四国平定の大功により阿波一国を賜り、天正14年(1586年)に一宮城から中世に築造された渭津城を修築して徳島城とし、藩政の中心としました。
この銅像は、戦前はここに野太刀と長槍を持った甲冑姿の蜂須賀小六正勝(家祖)の銅像が立っていたが、戦時中に供出されてしまいました。それが昭和40年(1965年)袴姿の藩祖・家政公の銅像に生まれ変わりました。 -
「名勝 旧徳島城表御殿庭園」石柱。徳島城の表御殿に設けられた庭園。茶人武将・上田宗箇の作庭とされています。枯山水と築山泉水庭から構築された回遊式庭園です。城郭内部に設けられたため1520坪と、規模は大きくありませんが、桃山様式を顕著に示しており貴重なものです。
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表御殿庭園・心字池。
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心字池。
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枯山水・石橋。
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枯山水庭園。
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「史跡 高松城跡」「玉藻公園」案内板。高松城は、又の名を玉藻城と呼ばれていますが、その由来は万葉集で柿本人麿が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因んで、この辺りの海が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来します。
この城は天正15年(1587年)に、豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正が、天正16年から香東郡野原庄と呼ばれていた現在地を高松と改め築城に着手した平城(水城)です。縄張り(設計)は、当時築城の名手であった黒田孝高(如水)とも細川忠興よもいわれています。瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は、日本の三大水城といわれています。
生駒氏は4代54年間続きましたが、お家騒動により改易、寛永19年(1642年)松平頼重が入城。頼重は徳川家康の孫で、徳川光圀(水戸黄門)の兄にあたります。頼重以降、松平氏の治世は11代228年間にわたり、高松は松平氏の城下町として栄えました。 -
鞘(さや)橋。本丸と二の丸を結んでいる唯一の連絡橋で、当初は欄干橋でしたが、江戸時代中期に屋根付きの橋になりました。
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鞘橋。
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天守閣跡。生駒氏時代の天守は、絵図や古文書によると3重だったとされいます。松平氏時代の寛文10年(1670年)に改築された天守は3重5階の南蛮造りで四国最大の規模を誇っていましたが、明治17年(1884年)老朽化を理由に取り壊されました。
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天守閣跡。
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天守閣跡礎石。
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内堀。海とつながっているので、タイやチヌなどの海の魚がいて舟から魚釣りが楽しめます。
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水門。堀が海とつながっているので、潮の干満による水位調節のための水門が設けられています。
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披雲閣(ひうんかく)。重要文化財指定。松平藩時代にも現在の場所に披雲閣と呼ばれる広大な建物(現在の約2倍)がありました。藩の政庁及び藩主の住居として使われていましたが、明治時代老朽化により取り壊されました。大正6年(1917年)当時のお金で15万円余の巨費を投じてこの披雲閣が復元されました。
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披雲閣玄関。内部は142畳敷きの大書院をはじめ、槇の間、松の間、蘇鉄の間など雅致を生かした部屋があり、波の間には天皇陛下・皇后陛下が宿泊されました。
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披雲閣庭園。名勝指定。大正6年作庭された枯山水の庭です。江戸時代の三尊石や重さ11トンといわれる手水鉢があります。
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披雲閣庭園。
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艮(うしとら)櫓、重要文化財指定。北東の方角が丑寅ということからこの名前があります。三重三階、入母屋造り、本瓦で初重に大きな千鳥破風が特徴です。
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月見櫓。重要文化財指定。北の丸の隅櫓として延宝4年(1676年)の完成。出入りする船を監視する役割を持つとともに、藩主が江戸から船で帰られるのをこの櫓から望み見たので”着見櫓(つきみ)”ともいわれています。総塗籠造りの三重三階、入母屋造り、本瓦で、初重は千鳥破風、二重は唐破風と屋根の形を対象させています。
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水手御門・渡櫓。月見櫓に連なる藥医門様式の水手御門は、いわば海の大手門です。
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