2014/04/06 - 2014/04/06
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pioさん
上野国立博物館で、お花見はいかが?
なんて・・・まるで自分の物のように始めてみましたが、ここは上野国立博物館の本館北の庭園です。
毎年桜の時期に庭園開放が催され(庭園のみ散策は無料)お花見客でごった返した同じ公園内とは思えない、静かに桜を心ゆくまま楽しめる穴場です。
博物館北庭園は、5棟の茶室を配し10種類以上の桜が時をずらしながら咲き誇りますので、この開放時期の楽しみでもあります。
写真は2年前(すみません。書き溜まってまして)ですが、今年2016年も変わらず、催されておりますので宜しければ、喧騒を離れた都会のオアシスを味わってみては如何でしょうか。
(2016春の開放:3月15日(火)〜4月17日(日)10:00〜16:00
※3月25日・4月1日・4月8日は19:30まで)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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日比谷線使用の私は、西郷さんの銅像近くの階段から公園へ入ります。右手に西郷どん、左手に旦妃楼飯店の道の突き当りが、寛永寺清水観音堂(重要文化財)です。
うーん。可也の数の外国の方。寛永寺清水観音堂 寺・神社・教会
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寛永八年に天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正によって創建されました。
天海大僧正は寛永二年に、二代将軍徳川秀忠から寄進されていた上野忍が岡に平安京と比叡山の関係に倣って「東叡山寛永寺」を開きました。
それは同時に、比叡山が京都御所の鬼門を守護、王城の鎮護を担うと伝えられるのに倣い、江戸城の鬼門の守りをも意味しました。
そして比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立した中の一つが
清水観音堂です。(ミニ清水の舞台も有りますw) -
垂れ桜は満開を少し過ぎたところ。
私はこの散り初めの花吹雪が舞う時期が一番好き。 -
4月6日ともなれば、ソメイヨシノは、そろそろ葉桜。
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この時、黄色い衣にコートを着たインド系のお顔立ちのお坊さんが、弟子と共に歩み寄り、私に仏陀の像の印刷された4cmx3cm程のしおりの様な物を差し出した。
「ん?」何?何?
『プレゼントです。どうぞ』結構真剣な目
「どうも有難うございます。しかし、結構です。」キッパリ
『何故ですか?』こっちが聞きたい。
「形を持たずとも、佛に守られているからです」てきとーな言訳・・
『そうですか。分かりました』寂しそうな目
丁寧にお辞儀をして別れた。
その僧侶は私に声を掛ける前、周りの方々には一切声を掛けてはいなかった。
何だったのだろうか。私に余程マイナスオーラが漂っていたのか?寂しそうな顔をしていたのか?疲れた様子だったのか?・・・・2年経ったが未だに不明。
振り返ると、そこに僧侶は居なかった。少し歩いて見たが見つからなかった。
不思議な体験。寛永寺清水観音堂 寺・神社・教会
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一昔前だと、テレカの押し売りかもなー。等ブツブツ言いながら国立博物館へ向かう。
お花見街道は流石に人が多いな。明るいうち(てか、午前中だよ)から陣取りが多くアルコール臭い。 -
博物館に到着。
私は庭だけでなく、中が好きなので、博物館の入場券も購入。 -
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そうなのよ。
桜は元より、建仁寺所蔵、俵屋宗達の風神雷神図屏風がお目当てです。東京国立博物館 美術館・博物館
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北庭園に入る手前の垂れ桜
若木ながら、頑張って沢山の花をつけて綺麗です。 -
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国立博物館北庭園では、この池を中心に回ります。
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高さ5.7mの銅製の塔。最上部の相輪には龍が絡み付き、垂木(たるき)、斗拱(ときょう)の組み物の細部まで入念に作られています。基壇に第5代将軍徳川綱吉(1646〜1709)が法隆寺に奉納した旨の銘文「大和国法隆寺元禄元年十二月日常憲院徳川綱吉」が線刻されています。綱吉の存命中に、院号と俗名を併記することは一般的にないため、没後奉納時の年号と施主の銘文が書き加えられたのでしょう。
庭園マップより。 -
高さ570cm 小ぶりですが、龍の細工が見事です。
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余り上手に撮れませんでした。
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春草盧
江戸時代、河村瑞賢(かわむらずいけん1618〜1699)が摂津淀川改修工事の際に建てた休憩所で、その後大阪へ、さらに原三渓(1863〜1939)に よって横浜の三渓園に移され、昭和12年(1937)に埼玉県所沢市にある松永安左エ門(耳庵・1875〜1971)の柳瀬荘内に移築されました。昭和 23年(1948)に柳瀬荘が当館に寄贈され、昭和34年(1959)に春草廬は現在の位置に移されました。入母屋(いりもや)の妻に掲げられた「春草廬」の扁額は、能書家として 知られる曼殊院良尚法親王(1622〜1693)の筆で、三渓が耳庵に贈ったものです。木造平屋建て、入母屋造、茅葺き、座敷は5畳と3畳からなります。
庭園マップより -
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花びらの絨毯。
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転合庵
小堀遠州(こぼりえんしゅう 1579〜1647)が桂宮から茶入「於大名(おだいみょう)」を賜った折、その披露のために京都伏見の六地蔵に建てた茶室です。1878年、京都・大原の寂光院に伝わっていた転合庵を、渡辺清(福岡県令、福島県知事、男爵)が譲り受け、東京麻布区霞町に移築。その後、三原繁吉(日本郵船の重役。浮世絵コレクター)へと所蔵者が変わっています。三原は茶入「於大名」も入手し、茶室転合庵とゆかりの茶入「於大名」がここで再び巡り合うこととなりました。その後、塩原又策(三共株式会社 今の第一三共の創業者)を経て、妻の塩原千代から昭和38年(1963)に茶入とともに当館に寄贈されました。
木造平屋建て、切妻屋根、瓦葺き、二畳台目向切席、遠州好み。4畳半座敷、水屋などがあります。
庭園マップより -
転合庵
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転合庵の裏に回りますと・・・
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庭園入口の問面。
ここからの眺めもなかなかです。 -
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六窓庵
慶安年間(1648〜1652)に奈良の興福寺慈眼院(じげんいん)に建てられたもので、もとは興福寺大乗院内にあり現在奈良国立博物館に移された八窓庵、東大寺塔頭四聖房の隠岐録(おきろく)とともに大和の三茶室といわれました。明治8年(1875)に博物館 が購入、解体輸送中に伊豆で船が難破しましたが、幸い材は流失をまぬがれて明治10年(1877)に当館に移築されました。その後、第二次大戦中再び解体され疎開しま したが、昭和22年(1947)9月、数寄屋の名工木村清兵衛により現在の位置に再建されたものです。入母屋造、茅葺きで席は三畳台目出炉、金森宗和(1584〜1656)好み。水屋、寄付、腰掛などは明治14年(1881)に古筆了仲(こひ つりょうちゅう)によって設計、増築されたものです。
にじり口にある手水鉢(ちょうずばち)は四方仏水盤といわれる形式のもので、延長3年(925)関白 藤原忠平が建立した法性寺(山城国)の石塔のひとつでした。その後、銀閣寺を経て所有者が幾人か変わり、明治18年(1885)に当館の所有になりました。
庭園マップより -
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九条館 くじょうかん
もと京都御所内の九条邸にあったものを東京赤坂の九条邸に移した建築で、当主の居室として使われていました。昭和9年(1934)九条家から寄贈され、現在の位置に移築されました。床張付、襖などには狩野派による楼閣山水図が描かれており、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りされています。
木造平屋建て、瓦葺き、寄棟造、間口15m、奥行き10m、2室、廻り廊下を巡らしています。
庭園マップより -
お茶会が催されていたようです。
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応挙館が木々の間から顔を見せます。なかなか趣がありますね。
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応挙館 おうきょかん
尾張国(現在の愛知県大治町)の天台宗寺院、明眼院(みょうげんいん)の書院として寛保2年(1742)に建てられ、後に東京品川の益田孝(鈍翁・ 1848〜1938)邸内に移築、昭和8年(1933)当館に寄贈され、現在の位置に移されました。室内に描かれている墨画は、天明4年(1784)、円山応挙(まるやまおうきょ、1733〜1795)が明眼院に眼病で滞留していた際に揮亳したものであると伝えられています。松竹梅を描いた床張付がのこされています。
墨画は保存上の理由から収蔵庫で保管されていますが、2007年、最新のデジタル画像処理技術と印刷技術を駆使した複製の障壁画が設置され、応挙揮毫当時の絵画空間が応挙館に再現されました。
木造平屋建て、入母屋造、瓦葺き、間口15m、奥行き9m、2室、廻り廊下を巡らしています。 -
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庭園は入口出口が一緒です。
はい。振り出しに戻りました。 -
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表慶館
明治33年(1900)、皇太子(後の大正天皇)のご成婚を記念して計画され、明治42年(1909)に開館した、日本ではじめての本格的な美術館です。設計は、J.コンドルの弟子で、東宮御所(現在の迎賓館)なども手がけた宮廷建築家の片山東熊。中央と左右に美しいドーム屋根をいただき、上層部の外壁面には製図用具、工具、楽器などをモチーフにしたレリーフがあります。明治末期の洋風建築を代表する建物として昭和53年(1978)、重要文化財に指定されました。
明治末期の洋風建築は重厚感が素敵です。
と褒めちぎり、冷え切ったのでお手洗いを拝借・・・東京国立博物館 美術館・博物館
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上野公園の喧騒はここまで届きません。
ゆったりとして、心地よい。 -
旧因州池田屋敷表門。旧丸の内大名小路(現在の丸の内3丁目)にあった鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門です。明治時代、当時の東宮御所正門として移されたのち、高松宮邸に引き継がれ、さらに昭和29年(1954)当館に移築されました。創建の時期は明らかでありませんが、形式・手法から見て江戸末期と考えられます。屋根は入母屋造左右に向唐破風(からはふ)屋根の番所を備え、大名屋敷表門では東京大学の赤門と並び称されるものです。
庭園マップより東京国立博物館 美術館・博物館
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法隆寺宝物館
法隆寺宝物館は、当館所管の法隆寺献納宝物すべてをまとめて保存・展示する建物として、昭和39年(1964)に開館しました。この旧宝物館では作品の保存上、公開は週1日に限られていました。そこで、保存機能をさらに高めながらも作品を広く一般に公開することを目的とし、平成11年(1999)に谷口吉生設計による新宝物館が開館しました。現在は、他の展示館と同様、週6日公開されるようになりました。緑に囲まれ、人工池を配した明るい外観と、静寂な展示室は、平成11年度の建築学会賞を受賞しました。中2階にある資料室では、法隆寺献納宝物デジタル・アーカイブと関連図書が閲覧できます。1階にはレストランがあります。東京国立博物館 美術館・博物館
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何の為ロッカーの写真を撮ったのかは記憶に有りません。
鍵が面白かったから?木調で好きだから?不明です。 -
法隆寺宝物館内は写真を撮れませんでした。
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法隆寺宝物館を出たら、もう日が傾いています。
まだまだ日が短い。
少しペースを上げなくては・・・
次に平成館で「栄西と建仁寺展」で俵屋宗達の風神雷神図屏風を満喫。(写真なし)
金箔が黒ずんで、風神の岩絵具の発色が思い描いていたものと随分と離れていた。
照明のせいかな・・・ -
そして、本館。
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大好きなの。国立博物館本館。
この頃の話題だったドラマの『半沢直樹』の勤める東京中央銀行の階段のあるホールはここです。
東京国立博物館は他にも数々のドラマや映画に使われています。ロケ地の聖地?と言って良いかもですね。 -
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博物館本館からの眺め
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ドアもこの重厚感。素敵です。
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展示物の一つ。盤双六。
私の愛するゲーム「バックギャモン」がシルクロードを伝って日本にたどり着いた時は、このような姿で伝わりました。
HNK大河ドラマ『平清盛』でも、松田聖子さんと松山ケンイチさんが度々サイコロを振り、勝負をしてましたね。
日本では江戸末期まで、良家の子女のお嫁入り道具に、将棋・囲碁と共に、この「盤双六」も含まれていました。 -
表記に「花喰鳥蒔絵双六版」と有りましたが、正しくは「盤双六」です。
「将棋」を「棋将」と言ったり、「囲碁」を「碁囲」と言ってるのと同じ位
バックギャモン愛好家には、違和感を感じます。 -
春やお花見に因んだ展示物で一杯でした。
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さてさて、そろそろ閉館の時間が迫って来ています。
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毎度の事ながら、博物館・美術館に入ると丸々一日を使ってしまいますが・・・
この日はもう1箇所行きたい所が有りまして・・・ -
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日が随分傾いてますが・・・
博物館正面横断歩道を渡り、ひたすら真っ直ぐ進み・・・ -
噴水も横目に、ひたすら前進・・・
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はい。到着〜。
東照宮です。寛永寺も回りたいけど、時間的に無理ね。。 -
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ありゃりゃ、あと10分で閉館時刻・・・
ざざっとお参り。 -
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時の鐘が鳴り響いています。18時だわ。。。
時の経つのが早すぎます。 -
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提灯に明かりが灯り、いよいよ夜族達の時間。
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後ろ髪引かれながらも、帰宅の途に。
家族がお夕飯を楽しみにしてくれているものね。。 -
家のりんごの盆栽も満開です。
りんごの花って、清らかな白で、とても可愛いの。
さぁて、現実に戻り主婦タイムです。
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