2015/07/12 - 2015/07/12
18位(同エリア81件中)
かっちんさん
旭川と稚内を結ぶ宗谷本線の普通列車に乗ります。
旭川から稚内まで直通するたった1両の普通列車は、1日1本だけ往復しています。
旭川を出発するとしばらく田園風景、やがて塩狩峠を越え、天塩川沿いに牧草ロールが点々とする酪農地帯を走ります。
宗谷本線はいわゆる秘境駅と呼ばれる駅が多いところです。
音威子府(おといねっぷ)では天北線の資料館があり、懐かしい思い出がよみがえります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
早朝の旭川駅
旭川駅の新駅舎は平成23年にグランドオープンした綺麗な駅です。 -
ホームでは動物駅員がお出迎え
旭山動物園の動物たちですね。 -
稚内駅行きの時刻案内
旭川〜稚内まで直通する普通列車は、1日1本だけ走っています。
旭川を6時05分に出発すると稚内には11時56分に到着し、6時間弱の鉄道旅です。 -
稚内駅行き普通列車
たった1両のディーゼルカーです。
出発時に座席は8割方うまりました。 -
シンボルマーク Sohya
列車の側面に、宗谷と利尻富士がデザインされたシンボルマークが付いています。 -
イチオシ
赤いサボ
稚内⇔旭川の赤いサボ(行先板)が、列車の赤いラインと似合います。
車両はキハ54です。 -
昭和61年製造
キハ54は昭和62年(1987年)の国鉄分割民営化に先立ち、経営困難が予想された北海道の経営基盤整備を目的として、国鉄最終年度予算で製造された車両です。
ステンレス製軽量車体にエンジンを2基搭載し、1両だけでも勾配に耐える運転が可能で、28年経過した現在も現役で活躍しています。
新潟鐵工の銘板は懐かしいです。 -
日本製紙旭川工場
旭川を出発すると、2つ目の新旭川で製紙工場が見えてきます。
北海道のほぼ中央に位置している旭川工場は、道内各地からチップや木材が容易に集荷でき、石狩川の良質な水を活かしてパルプを生産しています。 -
ラッセル車の先頭部分
新旭川を過ぎると石北本線と分かれ、やがて旭川運転所の車両基地が見えます。
ここにDE15形除雪用ディーゼル機関車の先頭に付ける雪かき部分(ラッセルヘッド)が並んでいます。
1本の線路に十数台以上が綺麗に並び、きちんと順番待ちを守っている小学生のようです。 -
青空に浮かぶ「ひつじ雲」
ひつじの群れがいるようです。
遠くにうっすらと大雪山系が見えます。 -
比布(ぴっぷ)駅
比布町では6月下旬〜7月上旬に名産のイチゴ狩りができます。
「ぴっぷ」駅は、1980年(昭和55)頃にピップエレキバンの会長と樹木希林がテレビCMの撮影をしたところです。
ホームにある比布駅名板の前で、会長が樹木希林にエレキバンの説明を始めたとき、突然列車が通り、通過後「聞こえた?」という、あのCMです。
現在、駅舎がなくなっていますが、コンパクトな新駅舎ができるそうです。 -
イチオシ
美しい彩りの車窓
このあたりは、米や麦の田園地帯と牧草地が続いています。 -
蘭留(らんる)駅
駅名はアイヌ語の「ラン、ル」(下る道)に由来しています。
その名の通り、これから塩狩峠の急坂を登っていきます。 -
イチオシ
塩狩峠に到着します
石狩と天塩の境にある峠です。
1909年(明治42)に塩狩峠に差し掛かった旅客列車の最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかける事故が発生し、乗り合わせた鉄道職員が客車の前に身を挺して暴走を食い止めたところです。
三浦綾子の小説「塩狩峠」にもなりました。 -
駅名は塩狩駅
ここで反対列車と交換します。 -
東六線駅
塩狩峠を越えると下り坂になり、和寒(わっさむ)駅の次が東六線駅です。
ここは1956年(昭和31)に仮乗降場として新設され、1959年(昭和34)に駅に昇格したところです。
乗降場の名前が今でも待合室に使われており、いつか訪れてみたいですね。 -
士別駅
駅の西側にはサフォーク種めん羊の観光牧場サフォークランドがあります。
今日は日曜ですが、学校の行事があるようで高校生が大勢乗って来ます。 -
緑の草むらに目立つ紫のルピナス
多寄駅のあたり。 -
エゾノシモツケソウの群生
瑞穂駅のあたり。 -
ワンちゃんの朝散歩
風連駅の跨線橋から、こちらの停車している列車を眺めています。
鉄ワンちゃんかも・・・ -
アオサギくん
田んぼにいる朝飯を狙っています。 -
SLキマロキ編成
車窓から名寄市北国博物館のSLキマロキ編成が見えます。
北海道の豪雪地帯ではラッセル車で線路脇に寄せた雪が壁になってしまいます。
キマロキ編成では、牽引役のSLの次に連結されているマックレー車が大きな板で雪の壁を削り取ります。
その後ろに続くロータリー車は雪を取り込み、勢いよく遠くに飛ばします。
客車のように見える車体にはボイラーがあり、その蒸気がロータリーの動力になります。
そして、ボイラーに水を供給する炭水車、マックレー車とロータリー車を後ろから押すSLが連結されています。
かつて、豪雪地帯に活躍したキマロキ編成を厳冬期に見たかったです! -
名寄駅
名寄では、旭川行きの快速「なよろ」に出会います。
昔、名寄から東に名寄本線、西に深名線の鉄道がありました。
昭和50年頃、厳冬期の深名線に乗っていたところ、線路の前をタヌキが歩いていて、列車が急停車。
線路の両側が雪の壁になっていたので、タヌキは逃げることができず、結局運転手さんの手助けにより、壁の上に乗せてもらい逃がしてあげました。
タヌキは線路から抜け出せず、困っていたのですね。 -
北星駅
1959年(昭和34)に新設された駅で、板張りの小さなホームがあります。
少し離れたところに、赤いトタン屋根の待合室が見えます。
ここは牛山さんの言う秘境駅です。 -
木造の待合室
待合室の外側に「毛織の☆北紡」と書かれた古い看板が掲げられています。
北紡について調べてみると、ユニチカの部門史資料に参考になる記事がありました。
1965年(昭和40)にユニチカと北紡が出資し、旭川市に新北紡を設立して羊毛から梳毛糸(そもうし)の生産を行ったのですが、その後業績不振により1973年(昭和48)に撤収した内容です。
50年近くたった現在でも錆びずに残っているのは、ホーロー看板だからでしょうか? -
知恵文(ちえぶん)駅
可愛らしい煙突が青空に顔を出しています。
こぎれいな貨車駅舎ですね! -
イチオシ
牧草ロールがゴロゴロ
南美深(南びふか)のあたりから、牧草地が増えはじめます。 -
美深(びふか)駅
赤レンガの農業倉庫が見えます。
かつて、美深〜仁宇布(にうぷ)まで、国鉄美幸(びこう)線があったのですが、1985年(昭和60)に廃止されました。
路線名は美深の美、オホーツク海沿い興浜北線北見枝幸の幸からとっており、北見枝幸までつなげる計画だったことがわかります。
仁宇布には、松山牧場とトロッコ王国があります。
トロッコ王国では、旧美幸線の線路(往復10km)をエンジン付きのトロッコで走れます。
普通自動車免許があれば自分で運転することができます。 -
大きな青空
近くを天塩川が流れています。 -
イチオシ
紋穂内(もんぽない)駅
貨車の車掌車を使った駅舎で、塗装の割れが古さを感じさせます。
いわゆる秘境駅のひとつです。 -
恩根内(おんねない)駅
美深町の最北部にある集落です。
お洒落な駅舎ですね。 -
緑色の牧草ロール
牧草ロールは、円筒形に成形した牧草をポリエチレンのラップで巻き上げ発酵させます。
ラップの色には、白、黒、緑などがあります。 -
豊清水駅
ログハウスのようなやや大きな駅で、いわゆる秘境駅のひとつです。 -
青空に映える天塩川温泉駅
ここから音威子府(おといねっぷ)村です。
まわりは酪農地帯で、近くに天塩川温泉があります。 -
咲来(さっくる)駅
咲来集落は明治時代に駅逓が置かれて稚内方面開拓の中継になり、栄えたところです。 -
まもなく音威子府駅
ここで28分間停車するので、駅に降りてみます。 -
ホームに丸太で作られたSL
音威子府村は「森と匠の村」で、森林資源を活用した工芸による村おこしを行っています。 -
古い跨線橋
音威子府駅は1912年(大正元年)に旭川から宗谷線として開業します。
音威子府から先の稚内までは、2つのルートで徐々に延伸します。
1930年(昭和5)に、現在の宗谷本線と浜頓別経由の北見線(後の天北線)となり、音威子府が重要な乗換駅になります。
1989年(平成元年)に利用客の少なくなった天北(てんぽく)線は廃止されます。 -
音威子府の駅舎
1990年(平成2)に改築した新しい駅舎です。 -
名物の音威子府そば
営業時間が9:30〜16:00。
列車の発車が9:20なので、今回は残念ながら食べられません。 -
黒いそばが特徴(ポスター)
北海道産の玄そばを甘皮まで挽いて入れているので、そばの風味が豊かでコシが強く、真っ黒なそばが出来上がります。 -
板に駅名を彫った行先案内板
工芸を得意とする村の行先板ですね! -
音威子府は宗谷本線の中間地点
旭川と稚内の運賃が同じであり、ちょうど中間地点です。 -
天北号
音威子府駅の交通ターミナル内に天北線資料室があるので見学します。
特急車両に天北のヘッドマークが描かれています。
でも、急行天北号は、急行用車両を使っていたのですが・・・ -
懐かしい立喰蕎麦(写真展示)
昔、夜行急行「利尻」が走っていたころ、深夜に音威子府で停車する時間があり、ホームで温かい蕎麦を食べた記憶があります。
かっちんにはとっても懐かしい写真です。 -
天北線路線図
天北線は音威子府から東側に曲がり、オホーツク海沿いを走って稚内まで行きました。 -
通票閉そく器
タブレット(通票)を使った閉そく方式に使う設備です。
隣の駅と手回し電話で連絡を取りあい、装置から通票の玉を取り出してタブレットに収納し、運転手に渡していました。
閉そく区間には通票を持った1列車しか通れません。 -
C551
宗谷本線にはC55形1号機のSLが走っていました。
美しい容姿のSLで、夜行急行「利尻」を牽引していました。 -
急行天北の愛称板
展示物を見ていると、昔天北線を乗った想い出がよみがえり、しばらく見とれていました。
次の旅行記では、宗谷本線の後半(音威子府〜稚内)を紹介します。
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