2015/05/23 - 2015/05/23
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captainfutureさん
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2015年5月23日(土)
ハンガリー人村のシク村2日目。 午前中はミシェル氏が宿附属ターンツハーズ(踊りの家)やハンガリー舞踏博物館を案内。 午後は22年振りにシク村散策、見晴らしの良い丘に登り、村を一望。 乗せてくれた車は牧羊場とチーズ小屋に向かい、自家製チーズをご馳走になった。
1L ≒ \30
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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今回の宿泊ルート:
2015年 5/20 成田、カタール、ブカレスト → /22 シク村 → /27 シゲット・マルマツィエイ → /29 ポイエニレ・イゼイ村 → 6/4 オクナ・シュガタク→ /8 クルージュ・ナポカ → /14 ブカレスト、カタール → /15 成田
上記を拠点に、周辺の村を訪問。 ピンク色がマラムレシュ地方。 -
遠くからの教会の鐘の音と、どこかの鶏の鳴き声、柔らかな朝日で 6:30起床。
上 : 部屋はこのダンスホールを通って、右の扉を開けて2階。
下 : 宿全景。 右半分はダンスホールと民宿、左半分が居住地。 -
上 : テラスで朝食(宿泊費込)
下 : 奥には巣箱。 -
巣箱ではシジュウカラが巣作り。 2日前からヒナの鳴き声がし出したという。 2mくらい近づいてじっと見ていると、親鳥はエサをくわえたまま警戒して巣箱近くで待機。 5mくらい離れるとやっと入って行った。
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ミシェル氏が通りの反対側の舞踊博物館を案内してくれることに。
ダンスホールを保持経営していた約100年前の家を2005年に買い取って補修。
村にディスコができた1994年から、この村ではハンガリー舞踊は廃れ、買い取った当初は、村人はこの家の価値が分からず、多くの人から なぜと言われたという。現在はターンツハーズ(踊りの家)も完成、村人もハンガリー舞踊を再認識、復活する兆しも見えているとのこと。
写真のこの棟は、当時のオーナー一家居住棟。 -
現在は一部を民宿としても使用。 下は、当時のオーナー一家の結婚式の時の写真。
ミシェル氏がハンガリー舞踊を知ったのはPeter Korniss著写真集(1967年著)。 その後、ハンガリー各地、旧ハンガリー領ルーマニア各地でそれを習ったが、この村でのそれが一番気に入り、10年前の45歳の時にここの家を購入。 ちなみにその後オランダでも仕事を続け、ちょうど退職祝いをした日が2011年東日本大震災日だったという。 -
上 : この地域は長い間、ハンガリー領、ルーマニア領を繰り返してきた。 ハンガリー人村家庭に良くある自家製カバー類や壁掛け等の刺繍はハンガリー国旗を意識した赤、白、緑が基調。 ミシェル氏によると、チャウシェスク時代はハンガリー系を冷遇。 人々はこうした中でも、日々の生活の中で したたかに自分たちのアイデンティティーを大事にしていたことが伺える。
下 : 奥にも古い写真。 ここも赤、白、緑。 -
奥の茅葺の納屋へ。
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上 : 天井にはびっしりと舞踊用ブーツ。 赤い印は女性用。
下 : 家畜が引く荷車 -
上 : この棟がかつてのダンスホール「ターンツハーズ(踊りの家)」。
下 : 張り巡らされたベンチには楽団が座り、中央のこの狭いスペースに一度に沢山の村人が踊ったという。 -
右 : 当時のここでの様子
左 : ちょうど右の写真奥と同じ窓とベンチ。 左はその Peter Korniss著写真集。http://hetedhethatar.hu/hethatar/?p=1086、
Peter Kornissは今でもたびたびここを訪れているよう。
http://www.fotoklikk.hu/hirek/megnyilt-korniss-peter-allando-fototarlata?page=1 -
上 : ここの庭での舞踊の様子。 右にはたくさんの民族衣装の男性が見守っている。 左端にはさっきの写真家 Peter Korniss。
下 : 現在のその庭。 -
宿と同じ敷地内にあるターンツハーズ(踊りの家)。
この庭では月1くらいでハンガリー舞踊の復興、継承の為、村人や子供達が集まっての舞踊会を開いているという。
数日前には日本人ハンガリー舞踊 愛好家数名がルーマニア人ガイドを連れて見学に来たとのこと。 -
ここにもズラリと並んだ舞踊用ブーツ。
譲ってくれた人にコーヒーをご馳走したのがきっかけで、壊れたブーツを次々と持ってきてくれるようになったという。 村人は通常5、6足は持っているとのこと。 -
ミシェル氏にこの村の地図をもらい、散策開始。
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上 : 宿を出て右(北)の景色
下 : 左(南)の景色 -
上 : 宿(写真左)隣りの坂道を上ってみる。
下 : ちょうど大きな木材を担いで入る男性が。 覚えたてのハンガリー語「ヨーナポト・キーヴァーノク(こんにちは)」で挨拶。 -
ちょっと上がって行きなさい、と手振り。 息子さんも帰って来た。
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上 : この村独自の つばの狭い伝統帽。
下 : 中は製材所のような設備。 椅子には斧が刺さったまま。 後で知るが、こちらの田舎では自宅まで設計やごく一部分を除き、自力で作ってしまうので、これ位の設備はどの家にもあるよう。 -
上 : おじさんが棚からトランシルバニア、マラムレシュ地方を代表する果実蒸留酒「ツイカ」を。
下 : 皆で乾杯。 田舎ではどの家にもあるという自家製。 50度以上ある強い酒。 -
上 : ウチのはこのブドウから作ったよと手振り。
下 : お礼に持参の緑茶を飲んでみてもらうが、どうもイマイチだったよう。 -
クラシックないいラジオ。 おじさんが若い頃にお金を貯めて買ったという。
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庭を案内してくれる。 いつも切り身でしか見ないけど、結構かわいい。 他に鶏、ウサギ、乳牛など。
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上 : 右が居住棟、左が木材置き場。
下 : 息子さんが草刈り。 干し草にするという。 柄の部分は自家製。 -
13:00、お礼を言って表へ。
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上 : 後日に行く、ルーマニア人村の家屋とはどこか違う。
下 : 上の写真の庭。 右には古式ゆかしい旧式トイレ。 -
上 : 村独特の衣装
下 : こちらの古い家は壁のどこかに築年が記されている事が多いが、見つからなかった。 -
赤茶色の屋根群と山の緑
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上 : 教会が見えてきた。 村人口 約2,700人の73%が信者のカルヴァン派(改革派、プロテスタントの一派)の教会。 2年の改装を終え来月6月19日に開会式。
下 : 懐かしい門。 すっかり綺麗になってしまったが確かに見覚えがある。
地図を見ると、この小さな村にはキリスト教3大宗派のカトリック、プロテスタント、正教会を含め6宗派の信者がいて、それぞれに教会があるよう。 -
中庭から見上げたところ。
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上 : 中では来月開会式に合わせ、急ピッチで壁画修復。
下 : ハンガリーからの観光客と。 どうしてこんなに時間が掛かるんだろうと思っていたら、頭に「天使の輪」が乗るよう試行錯誤してくれていた。 -
遠くに村を見下ろす様に墓地。 この後、行ってみることに。
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上 : 急な階段を下りて、村の中心地の広場へ。
下 : 右には催事場とバス停。 左は酒場。 -
上 : 伝統帽のおじさん。
下 : 公民館。 閉まっていた。 -
上 : 売店。 道で娘さんにどこかにレストランは無いか聞くが、かなり遠くの様。 昨日、バスから見た村入口のペンション附属のところか。
下 : もう15:00、昼はここで何か買うことに。 伝統衣装の客。 -
上 : 牛乳1リットル(3.40L)、ネーブル(1.58L、1キロ4.45L)、クロワッサン(1.6L)、パン(1.6L)に税24%1.58L で合計 8.18L (\245)
下 : 売店前ベンチで。 このベンチは数年前までこの更地にあったシティーバンクのものだったと。 写真右奥には警察署と郵便局が入った村役場。 ポツポツと雨。 -
さっきの広場にはシク村の民族衣装でバッチリ決めた若者が。 この帽子はやや前かがみに被るのが粋なんだそう。
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赤色が現在のハンガリー。 失った領土にもハンガリー系住民の様々な民族衣装。 この村は38番 Szek村( ハンガリー名。ルーマニア名が Sic )。
1920年トリアノン条約で、面積の7割、人口の6割を失い、ハンガリー人の半数以上が国外に取り残されたという。 (その後一時期、少し取り戻したが1947年に再び元に戻ってしまう)。 -
ゲルラの街で今夕、ハンガリー舞踊の催し物があり、参加するため集まったという。 一緒に付いて行かせてもらおうかと思ったが、明朝の教会での聖霊降臨祭、明日夜の宿での舞踊会でも見られるだろうと思いお願いしなかった。 (今から思えばお願いすれば良かった。)
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上 : 広場前の記念碑。 1717年、モンゴルからのタタール人襲来で村が壊滅、ほとんど全村民が殺害、それを忘れない為に毎年追悼祭を行っているとのこと。(記念碑にはモンゴル人とタタール人を混同しているよう。)
下 : この坂道を下ってみる。 -
上 : 下りたところでは何か庭の手入れ中。
下 : おじさんが挨拶してくれた。 -
この道を渡って、
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上 : 今度はこの細道を登って、さっきの教会から向かいの山の上に見えた小さな教会へ。
下 : 手を振って大声で挨拶。 -
農作業中。 トウモロコシ畑のよう。 伝統帽を持ち上げて挨拶してくれた。 遠くにはさっきの教会。
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上 : 突き当りには十字架(クルーチェ)。
下 : 16:30、到着。 後で地図によると、この村(2,700人)の僅か4%の少数派ルーマニア系住民 (ハンガリー系は94%)が信仰するルーマニア正教会。 入口には1760年の文字。 -
今度はあの墓地のある丘を登ってみる。
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だいぶ坂を下りて来た。
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上 : 家畜に引かせる荷台。
下 : ようやく到着。 あの坂道を隔てて、右がプロテスタント、左がカトリックの墓地と分かれているとのこと。 -
上 : 干し草塚。
下 : だいぶ登って来た。 日差しも強く暑い。 -
上 : 17:00、墓地をバックに。 風が気持ちいい。
下 : 横にも目を向ける遠くに山小屋が。 後で行ってみると、チーズ小屋で山の向こうは牧羊場だった。
https://youtu.be/BvZeiEH6zEk ( 58秒 ) -
上 : 登って来た道を進んでみる。 遠くにお百姓さん。 ここもトウモロコシ畑のよう。
下 : 挨拶すると、日本人か〜?と聞かれる。 -
道の先もずっとこんな丘が広がっている。
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上 : お百姓さんに断って、畑の中を下って砂利道に出る。 草むらから、いきなり野生のウサギが飛び出す。
下 : この近くに塩湖があり、その水が流れて白くなっているところ。 -
上 : だいぶ山小屋に近づいて来た。
下 : ひと気は無いが、牧羊犬が数匹。 すごい剣幕で吠え出す。 -
上 : 山小屋に行くのは諦めて、宿に戻ることに。
下 : 後ろから、ドコドコと大きなエンジン音。 家畜の草を刈ってきたようだ。 -
上 : 村まで乗せて行ってもらえないか頼んでみるが、一人乗り用、トゲのある草で上にも乗れず。
下 : 伝統帽が似合うおじさんだった。 -
1993年8月と比較。 当時こんなところまで歩いて来たとは覚えていなかった。
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車が。 乗っていきなさい、と。 反対方向だが乗せてもらうことに。
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おお、さっきの山小屋の主だったようだ。 どうやら羊乳のチーズ小屋らしい。
互いに言葉は通じないが、ミハイさんとリッチー君という名だけは分かった。 -
自家製羊チーズとルーマニア産ビールをご馳走に。 チーズは食べやすく美味しい。
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上 : ミハイさんと真っ黒に日焼けした牧童のおじさん。
下 : 牧童おじさんは犬を連れて、丘の向こうへ帰って行った。 -
上 : 今度は車で丘の向こうへ連れて行ってくれることに。
下 : 丘を越えたところには牧羊場が。
http://youtu.be/KhXq0nkNgc4 ( 1分10秒 ) -
上 : 草の香りと風がとても気持ち良い。 これも今旅で見たかった光景。
下 : 後ろには、ぽっかり口が開いたような塩湖。 -
上 : やや警戒しつつも、だいぶ牧羊犬も吠えなくなってきた。
下 : リッチー君がリンゴをあげる、と。 一緒に後ろの塩湖まで行ってみることに。 -
1812年までは塩の鉱山があったところ。
今は入れない様になっているが、1993年に来た時は柵も無く、村人が泳いだり塩水を汲みに来ていた。 滞在先ノイジ家でも、ここの塩水を使ってトウモロコシを食べていて私もご馳走になった。 ここの塩湖はとても深く、19世紀初めに爆発事故があり、ここで働いていた40人位が亡くなったという。 後方にはそれを記録する2つの石碑。 -
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上 : 村側
下 : 反対側。 どこまでも牧草地が続く。 -
ここでの爆発事故を記した石碑
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19:20、そろそろ村へ帰ることに。 ミハイさんの車の同乗させてもらう。
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ミハイさん行きつけの売店前に到着。
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上 : 皆で乾杯。 今朝お邪魔した家の息子さんもいる。
下 : リッチー君がわざわざ宿近くまで見送りに来てくれた。 別れ際、一生懸命何か言ってくれているが、言葉が通じず。 -
20:00、宿到着。 夕食10ユーロ(\1,390)。 ここの物価ではかなり割高。
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上 : 突然、前の通りを牛が。 食事中だが、手元のカメラを持って追いかけてみる。
下 : 帰る家を知っているようで、おじさんが指示しなくても自分から入って行った。 左奥に奥さんが出迎え。 -
上 : 自分から牛舎に入って行く。
下 : 後ろはトウモロコシ貯蔵庫 -
上 : この村伝統の赤色衣装の奥さんが、搾乳バケツを手渡す。
下 : まずはきれいに拭いてから。 -
さっきから私のことが気になるよう。 (^^;
-
上 : リズミカルな搾乳の音がしだした。
下 : お礼を言って宿へ戻る。 もう21:00だが、まだ明るい。 -
明日は聖霊降臨祭。 本来だったら今夜は前夜祭、明日当日 夜も朝方まで二日連続、民族衣装でハンガリー舞踊のパーティーが開かれるのだが、宿主ミシェル氏によると1994年にとうとうこの村にもディスコができ、綿々と受け継がれて来たこの祝祭日の行事も以来廃れてしまい、今年も行われないとのこと。
1989年革命後、国外への移動自由、TVの映りも飛躍的に良くなり外の情報がどんどん入ってきた時代の流れだろうが、残念。 いつか良さが見直されますように。
写真は、宿に戻る途中に会った立ち話中の奥さん達。
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この旅行記へのコメント (4)
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- カスピ海さん 2015/08/08 23:01:59
- 羊のチーズとリンゴ
- こんばんは。ルーマニア、ハンガリー文化圏の旅行記、たのしく拝見しております。
そうか、聖captainfutureさんだったのか、そんなひみつが^^ 天使の輪が証拠。
私もルーマニアへ行ったとき、同じ列車に羊のチーズを売りに行くおじいさんと乗り合わせ、民族衣装のおばあさんから「これ、お食べなさい」とリンゴを差し出され、クルージ大学の学生さんと食べた記憶がよみがえりました。
記憶の丘の風景はまさに、このシク村と同じで、羊がいて、牧童が休憩にジャケットを木の枝にかけて休んでいたり。
この外に世界の都市があるのが幻なのでは?と思うメールヒュンさ。ルーマニアの人も牛までも^ ^、人懐っこい印象で、
captainfutureさんが登場人物のひとりとして出てくる絵本をながめているようです!
同じ場所を再訪したときに、同じアングルで写真を取ってしまうお話、私もそれをよくやります。
いいなと思う所は歳を経ても変わらず、趣味趣向は案外根強く保存されるのかなと思います。
新感覚の旅行記、大切に読み進めてまいります。♪
- captainfutureさん からの返信 2015/08/09 12:28:43
- RE: 羊のチーズとリンゴ
- いつも素敵なコメントをありがとうございます。
おお、カスピ海さんもルーマニア、しかもクルージの方にも行かれたことがあるんですね。
しかもそんな素敵な思い出まで♪
>記憶の丘の風景はまさに、このシク村と同じで、羊がいて、牧童が〜
カスピ海さんもあの光景を目の当たりになさったのですね!
>この外に世界の都市があるのが幻なのでは?と思うメールヒュンさ。
よくぞピタリと言葉で上手く言い表して下さいました。まさにその通りでした。
まるでカスピ海さんと同じ経験を共有できたような嬉しい気持ちです。(^^)
>いいなと思う所は歳を経ても変わらず、趣味趣向は案外根強く保存されるのかなと思います。
ホントですね。 僕も今回、つくづく感じました。
まだ定点観測の旅、続くのですが、またお時間のある時にでも覗きにいらしてください♪
-
- 川岸 町子さん 2015/08/01 16:32:56
- 天使の輪
- captainfutureさん、こんにちは!
しっかり見えましたよ(@^▽^@)
天使の輪☆
いつものイスラム帽もお似合いですが、こちらも良い輪〜(笑)
私はいつか、民族衣装を楽しむ旅に出たいと思っているので、今回も興味深く拝見させてもらいました。
民族衣装は、歴史や文化、風土、宗教などが込められていて、見ごたえありますね。
町子
- captainfutureさん からの返信 2015/08/01 21:38:53
- RE: 天使の輪
- 町子さん、おばんです!
天使の輪、そんな撮り方があるのかと最初驚きました。(笑)
町子さんも是非、またヨーロッパ辺りに行かれた時は試されてみてください!
各国の民族衣装、結構日本でも楽しまれている方々がいるみたいですよ。
もし機会があったら、ルーマニアの田舎巡り、民族衣装体験も兼ねてオススメです♪
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