2012/04/26 - 2012/04/27
114位(同エリア7494件中)
ねんきん老人さん
- ねんきん老人さんTOP
- 旅行記103冊
- クチコミ14件
- Q&A回答2件
- 458,499アクセス
- フォロワー252人
2009年にNHKの大河ドラマで『天地人』というのがあったそうですね。
私は観ていないし、原作も読んでいません。 それどころか、ドラマの主人公であった直江兼続という人物のことを全く知らないのです。
そんな私が米沢の上杉神社に行ったのですが、「兼続を知らない者が何しに来た?」と言われているような、居心地の悪さを味わいました。
そんなに有名な人なの?
でも、上杉神社は4度目ですが、過去3回の訪問ではどこにも直江兼続なんて書いてなかったし、誰もそんな名前は口にしていませんでしたよ。
大河ドラマで取り上げられた途端に、一億総兼続通みたいになっちゃうのって、あんまり共感できないなぁ・・・と、自分の無知を棚に上げての米沢詣でです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
【 上杉鷹山の像 】
福島県の小野川温泉に1泊して、2日目の9時半、上杉神社に着きました。
駐車場から松岬神社公園を通って上杉神社に向かう途中、上杉鷹山公の像が。(平成6年建立)
まあ、米沢藩の財政立て直しに身を挺した名君として知名度抜群の藩主ですから、銅像くらいあってもおかしくはないですね。
もっとも、存命中に銅像の話が出たら、本人は「なんたる無駄遣い!」と激怒したと思います。
白状しますが、私は上杉神社を謙信と鷹山を祀った神社だと思っていました。 でも鷹山は明治35年に摂社である松岬神社に移されたのだそうですね。 だからここに像があるのか・・・。 知りませんでした。 -
【 表参道 】
上杉神社は上杉城跡に建てられているので、参拝するにはまず舞鶴橋を渡って掘の内側に入ります。
「毘沙門天」の「毘」を墨書した旗印は有名ですが、「龍」という旗も使っており、それも「毘」と対になって立てられています。 「懸り乱れ龍」と呼ばれるものです。エヘン!
では、なぜ龍なのか、龍は何を意味するのか。
訊かないでください。 知らないからです。上杉神社 寺・神社・教会
-
【 内堀 】
堀に沿って多くの幟旗が立っています。
どうも上杉家ゆかりの武将たちの旗らしいのですが、情けないことに私の知っている名前はありませんでした。
「ナントカ下野守○○」とか「薩摩守」「壱岐守」などなど、全国の守護大名がこぞっている感じですが、史実にのっとったものなのか、観光用なのか、分かりません。上杉神社 寺・神社・教会
-
【 群雄割拠? 下剋上? 】
堀には沢山の鯉がひしめいています。
その様子はまさに群雄割拠の趣きですが、ときどき小さ目の鯉が大きな鯉の上に乗り上げたりして、下剋上の感もあります。 -
【 直江兼続と上杉景勝の像 】
堀を渡ると右側に直江兼続と上杉景勝の像が。 ン? 前からこんなのあったっけ?
見れば台座に「天地人」の文字が。 さては大河ドラマのあとで建てられたんだな。
こういうところがイヤですね。 上杉神社といえばいやしくも上杉謙信を祀った由緒ただしい神社でしょ。 大河ドラマにあやかって客寄せをするなんて、プライドが傷つきませんか?
それにこの銅像、どう見ても家来である兼続(右)の方が景勝より目立っているじゃないですか。 -
【 上杉謙信公の像 】
そしてなんと、兼続・景勝像の後方に、ひっそりと謙信公の像がありました。
昔、家族で来たときに、次男がこの像に登ったことを思い出します。 あれからもう20年以上。 謙信様、お忘れいただけましたでしょうか?
あのときは境内を睥睨するような威圧感がありましたが、今は兼続像にはしゃぐ観光客たちに軽んじられて、なんだか哀れな風情が・・・。
上様、ご無念のほど拝察仕りまする。上杉謙信公像 名所・史跡
-
【 上杉鷹山公の像 】
おっと、参道左側にまたしても鷹山公の像が。 (平成4年建立)
こちらは立ち姿。農業改革の陣頭指揮をとっているところでしょうか。
そばに説明板があり、アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディが「政治家で最も尊敬する人は上杉鷹山公である」と述懐したということが書かれています。
へー、そうだったんだ。 鷹山公も偉かったけど、ケネディさんも勉強家ですね。 -
【 なせば成る・・・ 】
これはもう、知らぬ人のいない名句ですね。
「鳴れば鳴る、鳴らねば鳴らぬ、何事も、無きが如くに、何度も屁をひる」
これは高校時代に私が黒板に書いて先生に怒られた句です。 -
【 拝殿前の参道 】
二の鳥居をくぐると、いよいよ拝殿に近づきます。
平らな屋根が拝殿で、唐破風の屋根はその手前の神門です。 -
【 神門 】
大正8年に米沢大火と呼ばれる火災があり、千数百棟が焼失したそうですが、上杉神社もそのときに全焼したとのこと。
現在の社殿その他の建物はすべてその後に新しい設計で再建されたそうです。
ということは、社殿はすべて築百年足らずということになりますが、そうは感じさせない重厚さがあり、拝殿手前の神門も、くぐるときには無意識に頭を下げてしまいます。 -
【 拝殿 】
拝殿の側面は蔀戸(しとみど)になっており、上下の真ん中を上に吊り上げて光や風を入れることができるようになっています。
と、ちょっとばかり難しいことを書きましたが、これはたまたまどこかの団体さんがいて、そのガイドさんが説明しているのを盗み聞きして知ったことです。
家に帰って、忘れないうちに調べ直しました。 「しとみど」を漢字で書けたのはそのためです。 -
【 参道を戻る 】
過去3回ではこれほどの数の幟旗は見ませんでした。
やはり大河ドラマで参拝客が増えたせいでしょうか。
それぞれの旗に絵が描いてあったりして、なんだか俗っぽい感じになっているのが残念です。 -
【 春日山林泉寺 】
上杉神社を出たあと、近くのお寺に直江兼続の墓があるというので行ってみました。
春日山林泉寺といって、曹洞宗のお寺です。 なーんて言うと、ちょっと物知りのようですが、実はそういうお寺があることも知りませんでしたし、まして直江兼続という人物については何も知らなかったのですから、我ながら何しに行ったのかと思ってしまいます。
人が行く所に行かなかったというと、あとで後悔することが多いので、いわば野次馬根性で行ってみたというだけのこと。 -
【 長尾権四郎の墓 】
なんだか古そうで変わった形のお墓が沢山ありました。
ここには「侍大将長尾権四郎家の墓」と書かれた木札が立っていましたが、それがどんな人なのか、これまた申し訳ないけど分かりません。 -
【 新貝弥七郎の墓 】
これは新貝弥七郎のお墓です。 なーんちゃって、これも知りません。
そばの説明板に頼りましょう。
米沢藩士新貝喜兵衛の次男で、吉良上野介の養子の小姓になった人だそうです。
吉良邸に赤穂浪士が討ち入ったときに、上野介を助けるために戦って討死したということ。
ちなみに上野介は上杉綱憲の次男だったんですねぇ。 それも知りませんでした。
この旅行記、書いていてイヤになります。 だって、知らないことばかりなんですから。 -
【 鐡孫左エ門の墓 】
神刺原築城奉行鐡孫左エ門泰忠と書かれています。
知りませーん。 -
【 甘糟備後守景継の墓 】
甘糟備後守景継・・・へゝゝゝ・・・。 もう笑うしかありません。
出てくる名前、出てくる名前、まったく知らないのですから。
悔しいから、イチャモンをつけましょう。
説明板によれば、甘糟景継というのは越後を中心にいくつかの城を持つ武将だったようですが、それならなぜ備後守(備後国の国司)なんて肩書をつけているのでしょう? 備後といったら、今の広島県でしょ?
まあ、それを言っていたらきりがないわけで、群雄割拠の戦国時代になると、みんな偉そうな名前を欲しがって、“領域詐称”ともいうべきデタラメな肩書をつけていたことは公然の事実ですものね。 -
【 万年堂 】
このお寺にはこういう穴の開いた箱みたいなお墓が沢山ありますが、これは直江兼続が考案した万年堂と呼ばれるもので、敵に攻められたときに積み上げて防御壁としたんですって。
これまた「へー!」としか言うことができません。 -
【 直江兼続夫妻の墓 】
はい、お待たせいたしました。直江兼続夫妻のお墓です。
この墓石も万年堂になっていますが、その穴が六角形なのが特徴で、これは直江家の家紋をかたどっているのだと、そばの説明板にありました。
向かって左に「直江山城守兼続」、右に「直江お船」と札が立っています。
大河ドラマでは妻夫木聡さんが兼続、常磐貴子さんがお船を演じたそうで、美男美女ですから視聴率も上がったのだと思います。(観ていなくて、スイマセン)
こうしてお墓が並んでいるのも、妻夫木さんや常磐さんを思い浮かべながら見るからロマンチックな感じがするわけで、もし配役が武△鉄矢さんや泉△ン子さんだったら、観光客も素通りでしょうね。 -
【 上杉家廟所 】
境内には上杉家代々の奥方や子女のお墓が並んだ「上杉家廟所」もあります。
謙信の姉「仙洞院」、景勝の夫人「菊姫」、定勝の夫人「市姫」、綱勝の夫人「媛姫」・・・全然分かりません。
鷹山の側室「お豊の方」だけは、何かのときに「鷹山を支えた姉さん女房」みたいな話で聞いたことがあるので、なんとなく親しみがありますが、それ以上のことは知りません。 -
【 八海山法音寺 】
林泉寺から北西に2kmほど行くと、法音寺があります。
天平年間に新潟県の八海山の麓に行基が建立したお寺だということで、慶長年間に上杉景勝が米沢に移ったのにともなって米沢城内に移設、さらに明治時代に現在の地に移されたとか。
つまり1200年以上の歴史をもつ大変なお寺なのですね。(この“大変な”という漠然とした形容が無知の証のようで、我ながらなんとも情けないのですが) -
【 上杉家御廟所 】
その“大変なお寺”には、高貴な仏像がわんさかあり、寺内を見て回るだけでそれこそ大変な時間がかかるらしいのですが、野次馬根性の私はまっすぐ「上杉家御廟所」に向かいます。
えっ、上杉家御廟所? さっき林泉寺にあったじゃない。
もーっ! どこまで無知なんだ。 林泉寺のは米沢藩歴代藩主の奥方たちの墓所、ここのは歴代藩主の墓所。 格が違うんだ。
へぇー、知らなかった。 そういえばあっちは「廟所」、こっちは「御廟所」って書いてあるなぁ。 -
【 上杉謙信公の墓 】
ありました。 上杉謙信公のお墓です。
生涯に何度も名前を変えた謙信が最後に名乗った「輝虎」の文字が刻まれています。 -
【 歴代藩主の墓 】
米沢藩初代藩主(謙信)のお墓に向かって左側に2代、右側に3代、そしてまた左に4代、右に5代・・・と、だんだん左右に広がる配置で歴代藩主のお墓が並んでいます。
※ 言うまでもありませんが、謙信を米沢藩主というのは正しくありません。
謙信は越後国の守護大名であって、上杉氏が米沢藩を治めたのは景勝(謙信の甥。謙信の養子でもある)からですから、実質的には景勝が初代です。
ただ、越後から米沢に移った上杉家の「家祖」として謙信を初代と呼び、景勝以下を2代、3代・・・と呼んでいるということですね。
初代(謙信)と2代(景勝)、10代(治憲)以外の名前は知りません。
-
【 上杉博物館 】
さすがにここまで知らないことが並ぶと、私としても情けない気持ちがつのり、上杉神社の駐車場まで戻って上杉博物館に入りました。
そうだったのか、なるほどなるほど、と納得しながらの見学でしたが、これまた情けないことに、せっかく勉強したことを今ではほとんど覚えていません。
というわけで、あれも知らないこれも知らない無知な老人の米沢詣ででした。
子供のころ、神社のお賽銭を盗んだり鳩を捕まえて家で飼ったり、罰当たりなことばかりしていた私ですが、いつのころからか神社というものに尊崇の念を持つようになり、冒頭に述べたとおり上杉神社にも4回お詣りしています。
ただ、勉強とは無縁のまま馬齢を重ね、せっかくお詣りしても故事来歴等なにも知らないので、ただ「へー、へー」と聞いては忘れる繰り返しです。
これからは少しずつでも勉強して、いつかはきちんとした解説つきの旅行記を書けるようになりたいと・・・思って・・・います。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
25