2014/04/25 - 2014/05/05
130位(同エリア273件中)
ちゃおさん
沖縄にパナリ焼という素朴な壺焼がある。砂とか貝殻を混ぜ込んだ独特の素焼き壺だ。今はもう生産されていないが、江戸末期頃までは八重山の新城島で盛んに焼かれていた。新城島は通称「パナリ(離れ)島」と呼ばれる、西表の近くにある小さな島だ。今は住民が何十人住んでるかどうかも分からないほど本当に小さな過疎の離島だ。この小さな島で、どうしてこうした独特の製法の焼き物が発達したのか自分には分からない。30数年前沖縄に居住し、このパナリに触れた時、素朴な風合い、感触、土俗的な色合いと形に珍しさを覚えた。当時の記憶は忘れられない。
クリソロゴ博物館を出て通りを歩いていると、前方に竹矢来で囲われた大きな敷地があり、その竹網の隙間から黒い大きな壺が幾つも積み重ねて置かれているのが見えた。ああ、珍しい、ルソン壺だ。詳しくは知らないが、呂宋助左衛門がこれ等ルソン壺を多く日本に持ち帰り、大きな利益を上げたとも言われている。ああ、そのルソン壺をビガンのこんな場所で見ることが出来たとは!
左側その敷地の中に入ると、真ん中程に何店かの焼き物ショップがあり、色々な種類の焼き物を展示販売している。見た処、殆どは中国製の工場生産品のようだ。しかし目が向いたのは、これ等頒布品ではなく、敷地の周辺に乱雑に置かれている黒塗りの壺だった。・・ああ、そうか、そういう事だったのか・・
自分は茶道については殆ど知らないが、千利休が秀吉の勘気に触れて、切腹させられた事は知っている。その理由は諸説さるが、表向き巷間言われているのは、大徳寺山門に自身の木像を置き、その下を秀吉に通らせた、と言うのが、大きな理由のようだが、切腹を仰せつかった理由の一つにこのルソン壺があったとも言われている。
「あの小癪な利休が、ルソンから運んだ小便壺か骨壺を、さも有り難そうに高額な値段を付けて売り捌いている。何がルソン壺か! 痰壺じゃないか!」といたく腹に据えかねていた心情も、切腹理由に輪をかけていた。
今目の前にそのルソン壺、ルソン焼がある。成程、助左衛門はこのビガンから壺を荷受けし、堺まで運んでいたのか。。当時ここは中国人が支配する港だった。御朱印船が寄港するのに何等差し障りはない。そうした貿易船の一団が日本への帰途八重山に立ち寄り、その内の又何人かが、焼物師を引き連れ、新城島に上陸し、パナリ焼の製法を伝えたのか・・。そうして思えば、あの何の変哲もない小さな島で、独特の焼物、パナリが作られ、明治の初め頃まで引き継がれてきた伝統工芸も理解できた。今このビガンの焼き物市場で、殆ど放置された状態の黒塗りのマニラ壺を眺め、助左衛門から始まり、利休の切腹に至り、殆ど実用雑器に過ぎなかったパナリ焼が、現在骨董品として高く評価されつつある一連の事情が理解できるような気がしたのだった。
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