2015/05/20 - 2015/05/21
1位(同エリア8件中)
ベームさん
5/20(水)、2日目。5/21(木)、3日目。
20日。タオバービショフスハイムからラウダ行を諦めてバート・メルゲントハイムに行き一泊します。
21日。バート・メルゲントハイムからヴァイカースハイムに行き、クレクリンゲン行を諦めてヴュルツブルクに戻りました。いずれもDBのストの影響です。
バート・メルゲントハイム:ヴュルツブルクの南西35キロ、人口23000人。1058年には文献に現われ、1340年都市権獲得。1525~1809年までドイツ騎士団総長の居城があった栄光の町。
1826年この地で牧夫が鉱泉を発見、以来温泉療養地としても有名。
戦災にあっていなく中世からの建築物が残っている。
詩人メーリケはこの地に住んで結婚しており、ベートーヴェンもここのドイツ騎士団の宮廷楽団でヴィオラ奏者をしたことがあるそうです。
ヴァイカースハイム:バート・メルゲントハイムの東10キロ、人口7千人。1156年よりホーエンローエ家の本拠地。1313年都市権獲得。
ヴァイカースハイム城はホーエンローエ家居城のうち最も美しいとされている。「美しいタウバー渓谷」の町として認定。
共にバーデン・ヴュルテンベルク州。
写真はヴァイカースハイム城。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ロマンチック街道全ルート。
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丸で囲ったのが訪問地。
タオバービショフスハイム~バートメルゲントハイム泊~ヴァイカースハイム~ヴュルツブルク。 -
タオバービショフスハイムの駅。
鉄道ストのためホームを覗いただけ。 -
バス停です。
貼ってある時刻表を見ると途中で1回乗り換えてバート・メルゲントハイムへ行けるようです。この時点でラウダ行きは諦めました。
バート・メルゲントハイムにはホテルを予約してあるのでとにかくそこまでたどり着かないといけません。やれやれです。 -
ラウダ・タオバーブリュッケというバス停で乗換え。
こんな街道で乗換えのバスが来るのか不安でした。 -
近くをタオバー川が流れ、橋の上の欄干にこんなピエタ像を見つけました。
バスの姿が見えた時はほっとしました。 -
無事着きました。
DBのバート・メルゲントハイム駅。 -
駅前のホテルヴィクトリア。
田舎の4つ星ホテルですがよいホテルでした。 -
駅前の新市庁舎。
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ホテルにチェックインしてすぐドイツ騎士団城に向かいました。
途中キリアンの泉。 -
キリアンの泉。
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ドイツ騎士団城です。
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当初12世紀に領主ホーエンローエが水城を築きました。
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1525年バート・メルゲントハイムはドイツ騎士団総長の居住地となり、1526~1809年にかけてその居城となりました。
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ドイツ騎士団:軍事力を持つカトリック騎士修道会のひとつでテンプル騎士団、聖ヨハネ騎士団と共に3大騎士団といわれる。
12世紀後半、聖地エルサレム巡礼者、十字軍を保護の目的で設立。13世紀初期、ローマ教皇より武力による異教徒の制圧、キリスト教化を認められポーランドのバルト海沿岸地域に進出、ドイツの東方植民の先駆けとなった。
14世紀にその最盛を迎えドイツ騎士団国を建設。しかし反発する在地領主、都市などがポーランド王国の下に結集し各地で騎士団を打ち破るようになる。
1525年、ポーランドのドイツ騎士団国は消滅しプロイセン公国となるがドイツでは存続し、各地でその居城跡が残っています。
今も慈善団体として存続しているようです。 -
今はドイツ騎士団城博物館となっています。
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シュロス教会。
城内には教会もあります。 -
シュロス教会。
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おそらく歴代総長の一人でしょう。
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シュロス教会。
1736年。プファルツ・ノイブルク公とバイエルン公により建設。 -
設計にはバルタザール・ノイマンとキュヴィィエが積極的に関与している。
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天井画。
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ノイマンが関与しているだけあって、ヴィース教会の天井と似ています。
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騎士団の紋章。
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ドイツ騎士団城博物館/ドイチュオルデンスムゼウム。
館内は写真禁止でした。東洋人が珍しかったのか何を思ったのか係員が私をあちこち引張り回し説明してくれます。聞いても良く分からないし、博物館などは一人で見て回るのが好きなので途中でお引き取り願いました。親切心だったのでしょう、悪いことをしました。 -
この城には数々の王侯が逗留しています。
アドルフ王、皇帝ルートヴィヒ、皇帝カール4世、皇帝フリードリヒ等々。 -
街の中心に戻って聖ヨハニス教会。
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1290年頃聖ヨハネ騎士団により建設されました。
ドイツ騎士団の前にヨハネ騎士団がいたのでしょうか。 -
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ピエタ。
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ヨルダン河での洗礼者ヨハネによるキリストの洗礼。
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聖ヨハニス教会の後ろにある聖マルティン教会。
1741年。 -
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貧者に自分の衣を半分切り裂き与える聖マルタン。
貧者は実はキリストでした。 -
マルクト広場。
広場の北側に建つツヴィリングハウス/ツインハウス。
後ろの塔は聖ヨハニス教会。 -
双子のような建物が並んでいます。1780年。
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広場の南にはシュタットハウス/旧市庁舎。
インフォメーションが入っています。 -
広場を取り囲む建物。
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見事な木組みの家が目立ちます。
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メインストリートのブルク通りの先にドイツ騎士団城の塔が見えます。
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広場の中央に騎士団総長ミルヒリンクの噴水。
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マルクト広場の南のハンス・ハインリヒ・エーラー広場。
カルチャー・フォーラム。もとは1702年に建設されたドイツ騎士団のギムナジウムでした。 -
聖マリエン教会。
14世紀。 -
聖マリエン教会の前に建つマリアの泉。
1855年。 -
オクセンガッセの建物。
ホテルに戻りがてら散策を続けます。 -
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ミュールヴェーア通りに入りました。
ペスト記念柱。1740年。
中世から近世にわたり猛威を振るったペスト。人々はペストの拡大を防ぎ終焉を祝って記念柱を立てました。 -
綺麗な木組みの家。
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カフェ。
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壁面の聖母マリア。
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ビオラーデン/自然食品の店。
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ミュールヴェーア通り。
聖ベルンハルト。 -
そのエンブレム。
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イタリアン・アイスカフェ。
1644年とあります。
今日はこれでホテルに戻りました。ホテルはバスタブ付で、疲れた体をゆっくり癒しました。 -
翌5/21。
朝のうちバート・メルゲントハイムの名所クアパークに行きました。
飲泉場は7時から開いています。 -
ホテルから線路沿いに歩いてタオバー川を渡り15分です。
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クアパークへようこそ。
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クアパークへようこそ。
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綺麗に手入れされた公園です。
もうこの時間から整備が始まっていました。 -
1826年この鉱泉を発見した羊飼いのフランツ・ゲーリヒ。
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飲泉場ヴァンデルハレです。
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ヴァンデルハレ。
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公園の隅にあるマリティム・パークホテル。
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ヴァンデルハレの中のトリンクテンペルで鉱泉を試しました。2ユーロ払うとジョッキを貸してくれます。
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4種類の鉱泉があり、飲むと消化器官、肝臓、リュウマチ、糖尿病などに効くそうです。
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味はとても辛いもの、中辛、微辛とあり係員が説明してくれました。
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ジョッキ1杯とても飲めたものでなく、効果を期待するには何日を通わなくてはいけないでしょう。
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盛りを過ぎたカスターニエン/マロニエの花。
ドイツ各地に白や赤の花がまだまだ咲いていました。
日本では西洋とちの木と云うようです。 -
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踏切を渡りホテルに戻ります。
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ずっと先が駅。
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ホテルで荷物を受け取りヴァイカースハイムに向かいました。
ストは継続中ですが予定していて列車は動いていました。
駅のホームを移るのに線路を渡ります。普段は遮断機が下りていて列車が到着すると駅員が上げて人を通します。ドイツの田舎の駅ではホームとホームをつなぐのに、地下道や渡り廊下を造らずにこういった線路を渡らすのが結構あります。 -
ヴァイカースハイム駅。
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駅から10分ほど歩き街なかに出ました。
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マルクト広場です。
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奥の塔はヴァイカースハイム城。
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広場中央の噴水。
小さな町で、見るべきものはマルクト広場周辺とヴァイカースハイム城だけです。 -
2006年以来2度目の訪問です。
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市庁舎。ツーリストインフォメーションが入っています。
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マルクト広場。
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タオバー地方博物館。
元穀物倉庫、1582年。 -
広場の東端に聖ゲオルク教会。
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聖ゲオルク教区教会。
1425年。 -
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マルクト広場から北にハウプト通りに行ってみました。
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バラの噴水。
1770年頃。 -
通りにまたがって塔が建っています。
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ゲンズトゥルム/がちょう塔。
1320年頃。現市立博物館。登れるそうですがパス。 -
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広場の方に戻ってきました。
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マルクト広場の裏手にも木組みの家が並んでいます。
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水瓶とコップを持っています。中身はワインでしょうか水でしょうか。
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ヴァイカースハイム城に行きます。
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聖ゲオルク教会と広場を挟んで向かい合っています。
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城のシンボルラード塔。
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アーチを入った所。
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中庭。
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庭園。
館内はどこも同じなので入りません。。 -
ヴェルサイユに模したバロック式の美しい庭園。
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ヴァイカースハイム城。
ホーエンローエ家の居城。ルネサンス様式。1595~1603年。 -
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ヘラクレスの泉。
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オランジュリーを望む。
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カスターニエンの木。
白い花がまだ残っています。 -
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オランジュリー。
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オランジュリー。
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丘の斜面はブドウ畑です。
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城内の有名な騎士の間をパンフレットより借用します。
鹿の首の剥製が一杯。 -
ホーエンローエ伯ヴォルフガンク2世。
1600年頃。 -
ホーエンローエ伯妃マグダレーナ。
1600年頃。
夫婦とも人相あまり良く無し。 -
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これは現代彫刻。
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マルクト広場に戻ると丁度ロマンチック街道を走るヨーロッパバスが停まっていました。乗客の多くは日本人でした。
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帰りの列車から。バート・メルゲントハイム駅。
当初の計画はヴァイカースハイムからクレクリンゲンに行き、ヘルゴット教会のティールマン・リーメンシュナイダー作聖母被昇天の祭壇を見てヴュルツブルクに帰るものでした。
しかしストの影響でクレクリンゲンに行けば今日中にはヴュルツブルクに帰れなくなるかもしれません。残念ながら丁度ヴュルツブルク行の列車が有るのでそれに乗ることにしました。結局昨日今日でラウダとクレクリンゲン行きを諦めたことになります。
いまいましいDBです。 -
昨日諦めたラウダ駅を通過しました。
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クレクリンゲン行を止めて早めにヴュルツブルクに帰ることになったので、ヴュルツブルクの町を歩く時間が出来ました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (1)
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- クサポンさん 2015/08/26 22:55:19
- ゆっくり回られたんですね
- ベームさん
クサポンです。
ヴァイカースハイムの街などゆっくり回られたんですね。私は短い休憩時間の写真だけ撮ったので中は?と気になっていました。
私も次回は下調べをして、ゆっくり回りたいと思います。
写真が私の大好きなビールと言うのが嬉しいです♪
ドイツはビール天国でした。
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