2015/04/25 - 2015/04/25
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江戸時代、徳川3代将軍の家光が、寛永2年(1625年)、開山(初代住職)を天台宗の僧・天海とし、この東京・上野山一体に、天台宗関東総本山の寛永寺を建てた。その年号が寺の名前になった。
江戸城を守るため鬼門の方角の上野山に、京の都の鬼門(北東)を守る比叡山に対して、「東の比叡山」という意味で山号を「東叡山」とした。
京の都を模して、清水寺や、根本中堂、五重塔を建て、江戸の守りとした。
そして幕末には、彰義隊の上野戦争があり、歴史的に考え深い所だ。
今回は、この寛永寺の史跡を中心に、合わせて2つの企画展、国立科学博物館の「大アマゾン展」と東京都美術館の「大英博物館展」を見てきた。歴史散歩と展示会のごった煮となったが、それぞれが楽しく、また上野山全体が寛永寺であったことを実感した。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
-
まず上野駅の隣の鴬谷駅から歩く。
言問通りの寛永寺坂を上がっていくと、左側に寛永寺の根本中堂があった。
右側は、?川慶喜の墓がある谷中霊園だ。 -
境内には、歴史の案内板が多かった。
その1つに当時の鬼瓦が飾ってあった。旧本坊表門鬼瓦「阿」形。
これはこの後見る「黒門」の名で親しまれている、寛永寺旧本坊表門(国指定重要文化財)に据えられていたものだそうだ。 -
横には、旧本坊表門・根本中堂 鬼瓦
尚、この寛永寺には歴代将軍の御霊廟がある。
今まで非公開であったが、現在は5名以上の申し込みで、特別参拝ができるようになっている。
http://kaneiji.jp/worship/ -
銅鐘
本鐘の大きさは、総高177.2cm、口径91.8cm。
厳有院殿(四代将軍家綱)の一周忌にあたる、延宝九年(一六八一)五月八日に厳有院殿廟前の鐘楼に奉献された。
明治維新以降に、寛永寺根本中堂の鐘として、当所に移されたと伝えられる。現在は、除夜の鐘や重要な法要の際に使用されている。 -
少し歩くと、江戸幕府5代将軍徳川綱吉霊廟勅額門の常憲院霊廟勅額門(重文)があった。
綱吉により、寛永寺に根本中堂が作られた。
この門と廟所は戦災を遁れた貴重な遺構だそうだ。 -
少し離れて道路沿いに、江戸幕府4代将軍徳川家綱の霊廟、厳有院霊廟の厳有院霊廟勅額門があった。
先ほどの5代将軍徳川綱吉霊廟勅額門とよく似ていた。 -
寛永寺の墓地と、東京国立博物館の間の通りを進む。
東叡山現龍院の殉死者の墓。
三代将軍徳川家光が死去した。その後を追って家光の家臣五名が殉死、さらにその家臣や家族が殉死した。ここには家光の家臣四名と、その家臣八名の墓がある。
これをきっかけに殉死が禁止となり風習がなくなった。 -
寛永寺旧本坊表門(重文)
寛永寺は、慶応四年(1866年)の上野戦争でことごとく消失したが、この表門のみ焼け残った。 -
寛永寺旧本坊表門を通して、輪王殿を見る。
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根本中堂から開山堂へ。
ここは天海(慈眼大師)と良源(慈恵大師、元三大師)を祀ることで「両大師」と言われる。 -
門を入って右手に阿弥陀堂があった。
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ここの本尊は阿弥陀様だ。
阿弥陀堂の中。 -
向かいの国立科学博物館で開催されている、アマゾン展を見てきた。
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フラッシュ、三脚を使用しなければ、撮影OKだったのがうれしかった。
ムツオビアルマジロと、ココノオビアルマジロ。 -
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アマゾン川最大の魚、ピラルクー。
観賞魚として有名なアロワナの仲間だ。繁殖期は体が赤くなる。 -
あの獰猛なピラニア。
ピラニアも多くの種類がいることを知った。 -
これは原住民の首飾り。
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旧東京音楽学校奏楽堂。
1890年(明治23年)に建設された。
日本で最初に建てられた本格的な西洋式音楽ホールとされる。 -
旧因州池田屋敷表門。
トーハクの敷地に昭和9年(1954)移築された鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門。 -
次は、東京都美術館の大英博物館展を見た。
ここは展示が多く、見応え十分であった。
特にあのロゼッタストーン(複製)は、憧れもあり見れて良かった(思ったより小さかった) -
隣にある上野動物園のパンダ。
昨年は寝ているパンダしか見れず、リベンジに来た。 -
相変わらず寝てばかりだったが、一瞬だけ目を開いた瞬間を撮ることが出来た。ラッキー。
目の周りの黒い模様で分かりにくいが、目はかなり小さいと思った。 -
寛永寺の五重塔。
実は上野動物園の側からだと、小さな堀で囲われているが、柵無しに見ることが出来た! -
この塔はもともと上野東照宮の一部として建てられたが、明治になってから神仏
分離令により寛永寺の所属となり、現在は寄付により東京都の所有となった。 -
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上野東照宮の参道に入る。
1627年(寛永4年)、津藩主藤堂高虎と天台宗僧侶天海僧正により、東叡山寛永寺境内に家康公をお祀りする神社として創建された。 -
参道の両側に、諸大名より奉納された石灯籠が多数あった。
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突き当たりに唐門がある。
背後には社殿が控えている。社殿内は非公開だが、唐門横から入場料500円が掛る。
2年前に訪れた時は、改修工事中であったので、新たに完成した黄金色がまぶしい。 -
唐門の柱内外の四額面には左甚五郎(ひだりじんごろう)作の昇り龍・降り龍の彫刻があり、 毎夜不忍池の水を飲みに行くという伝説があるそうだ。
唐門両側手前には、徳川御三家より2基ずつ寄進された銅燈篭があった。 -
この大きな灯籠は1631年(寛永8年)に佐久間勝之より奉納されたもので、高さ6.8mと あまりにも大きいのでお化け燈篭の名がある。
名古屋の熱田神宮、京都南禅寺の大石灯籠と合わせて日本三大石灯籠のひとつに数えられてる。 -
上野公園の南側に進む。大仏山という高台にあった上野大仏。
当初6mの座像大仏であったが、度重なる罹災により損壊し、現在では顔面部のみがレリーフとして保存される。
これ以上落ちないということから、合格祈願が多い。 -
大仏山には、もう1つ薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔と志納所があった。
パゴタとは、ミャンマー様式の仏塔のことを意味するそうだ。 -
大仏の向かいの高台に、寛永寺の時の鐘が見える。
最初の鐘は1666年にでき、その後、1787年に現存する鐘ができた。
現在では環境省の残したい日本の音風景1100選に選ばれ、毎日午前・午後6時と正午に撞かれている。 -
さらにこの登り坂は、残存長70m、後円部径43m、高さ5m、前方部幅23m。葺石は不明で、埴輪片が採取されている摺鉢山古墳。
かつてこの古墳を中心に古墳群が形成されていたが、ほかの古墳はすべて破壊された。 -
清水観音堂。
京都東山の清水寺を模した舞台造りのお堂で、寛永八年(1631)天海大僧正により建立された。 -
清水観音堂の月の松。
江戸時代の浮世絵師、歌川広重の代表作の「名所江戸百景」で描かれた「月の松」が約百五十年ぶりに復活していた。
リング状の松のまっすぐの先には、不忍池の弁財天が見える。 -
寛永寺を作った天海僧正の毛髪を納めた宝塔。
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彰義隊士の墓
彰義隊戦死者の遺体は、新政府軍を憚り放置されたままであったものを、三ノ輪円通寺の仏磨和尚と寛永寺の御用商人の三河屋幸三郎が戦死者供養の官許を受けて上野山で荼毘にふし、一部を円通寺に埋葬した。 -
西郷隆盛銅像。本人に似ていないという評判がある。
維新の三傑に数えられる。
新政府軍を指揮したが、この上野山の攻撃の作戦、総指揮は大村益次郎が行い、江戸を戦争の火災から守った。 -
縄文時代のころ、この不忍池は海であった。
江戸の頃は、京に対して、江戸の琵琶湖と模されたようだ。 -
不忍池通りの向かいには、伊豆榮・本店があった。
徳川八代将軍吉宗公の頃から、鰻割烹ひとすじの歴史ある店。
旅番組で見て興味があった。 -
アメ横
手前のオブジェクトは「東北・上越新幹線 上野駅誘致住民運動発祥の地」の記念碑であった。昭和46年台東区民の総力を挙げて実現したという。それを記念し台東区が製作した。 -
人通りが激しく、また写真のような果物を立ち食いしているため、余計渋滞が起こっている。
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この辺りは、昼飲みの露天居酒屋が多く、独特の雰囲気があり、いつもうらやましく思う所。
若い頃上野と言えば、アーミーグッズや2輪グッズをよく買いに来た場所。
上野寛永寺の歴史についてはようやく近年知り、今回一通り廻れて楽しかった。
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