長浜旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 近江(滋賀県)の国には、100名城が4城(彦根城、安土城、観音寺城、小谷城)指定されています。この内、現存天守が存在するのは、国宝指定の彦根城だけです。あとの3城は城址です。彦根城は、2013年5月30日付けでこの欄で掲載していますので、そちらを参考にして下さい。<br /> 安土城は、織田信長が天下統一を目標に建てた平山城です。観音寺城は、繖(きぬがさ)山に佐々木六角が築城したものです。小谷城は、浅井3代が戦国の動乱を戦い抜いた城です。三代目の長政は信長の妹・お市を妻に迎え、その子・三姉妹は戦国の歴史に名を残しています。<br /> 写真は、安土城天主(復元)です。

近江の100名城を訪ねて/安土城、観音寺城、小谷城

13いいね!

2015/04/22 - 2015/04/22

420位(同エリア904件中)

0

32

ひま人

ひま人さん

 近江(滋賀県)の国には、100名城が4城(彦根城、安土城、観音寺城、小谷城)指定されています。この内、現存天守が存在するのは、国宝指定の彦根城だけです。あとの3城は城址です。彦根城は、2013年5月30日付けでこの欄で掲載していますので、そちらを参考にして下さい。
 安土城は、織田信長が天下統一を目標に建てた平山城です。観音寺城は、繖(きぬがさ)山に佐々木六角が築城したものです。小谷城は、浅井3代が戦国の動乱を戦い抜いた城です。三代目の長政は信長の妹・お市を妻に迎え、その子・三姉妹は戦国の歴史に名を残しています。
 写真は、安土城天主(復元)です。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
観光バス JRローカル 私鉄 徒歩
  •  安土城天主信長の館。建物内部には、復元された天主と資料が展示されています。

     安土城天主信長の館。建物内部には、復元された天主と資料が展示されています。

  •  安土城天主(復元)。1992年「スペイン・セビリア万国博覧会」の日本館のメイン展示として安土城天主の最上部5階6階部分が内部の障壁画と共に原寸大にて忠実に復元されました。<br /> 万博終了後その「天主」を旧安土町が譲り受け解体移築し、新たに5階部分に、発掘された当時の瓦をもとに焼き上げから再現した「庇屋根」、天人の飛ぶ様を画いた天井「天人影向図」、6階部分に金箔10万枚を使用した「外壁」、「金箔の鯱をのせた大屋根」が取り付けられました。内部には、当時信長が「狩野永徳」を中心に描かせた「金碧障壁画」も再現しています。

     安土城天主(復元)。1992年「スペイン・セビリア万国博覧会」の日本館のメイン展示として安土城天主の最上部5階6階部分が内部の障壁画と共に原寸大にて忠実に復元されました。
     万博終了後その「天主」を旧安土町が譲り受け解体移築し、新たに5階部分に、発掘された当時の瓦をもとに焼き上げから再現した「庇屋根」、天人の飛ぶ様を画いた天井「天人影向図」、6階部分に金箔10万枚を使用した「外壁」、「金箔の鯱をのせた大屋根」が取り付けられました。内部には、当時信長が「狩野永徳」を中心に描かせた「金碧障壁画」も再現しています。

  •  天主障壁画。

     天主障壁画。

  •  安土山。安土城は標高199mに築城。

     安土山。安土城は標高199mに築城。

  •  安土城跡。大手道。立派な石畳になっています。<br /> 安土城は天正7年(1579年)、織田信長の命により日本で最初に天守閣を備えた城であっただけでなく、世界で初めての木造高層建築でした。その高さは46mの壮大で絢爛豪華な様をキリスト教宣教師が「ヨーロッパにもあるとは思えない壮大なもの」と絶賛したそうです。しかし、1582年「本能寺の変」後、半月たらずのち築城以来わずか3年で焼失し、長年その外観、構造は解明されず「幻の名城」と呼ばれてきました。

     安土城跡。大手道。立派な石畳になっています。
     安土城は天正7年(1579年)、織田信長の命により日本で最初に天守閣を備えた城であっただけでなく、世界で初めての木造高層建築でした。その高さは46mの壮大で絢爛豪華な様をキリスト教宣教師が「ヨーロッパにもあるとは思えない壮大なもの」と絶賛したそうです。しかし、1582年「本能寺の変」後、半月たらずのち築城以来わずか3年で焼失し、長年その外観、構造は解明されず「幻の名城」と呼ばれてきました。

  •  伝 羽柴秀吉邸跡。

     伝 羽柴秀吉邸跡。

  •  伝 羽柴秀吉邸跡石垣。

     伝 羽柴秀吉邸跡石垣。

  •  織田信長公本廟。二の丸跡にあります。羽柴秀吉は天正11年1月、三法師に年賀を表すべく登城し、翌2月信長公ゆかりの安土城二の丸跡に太刀、鳥帽子、直垂などの遺品を埋葬して本廟としました。そして、6月2日の一周忌に織田一族や家臣を集め、盛大に法要を行いました。

     織田信長公本廟。二の丸跡にあります。羽柴秀吉は天正11年1月、三法師に年賀を表すべく登城し、翌2月信長公ゆかりの安土城二の丸跡に太刀、鳥帽子、直垂などの遺品を埋葬して本廟としました。そして、6月2日の一周忌に織田一族や家臣を集め、盛大に法要を行いました。

  •  本丸御殿跡。「信長公記」によればこの建物には天皇を招き入れる「御幸の間」があったと記載されています。その後の調査で慶長年間に改修された京都御所内の天皇の住居である清涼殿と酷似した構造になっていることが判明、さらに礎石上の柱痕からこの建物が高床式であったこと、周囲の三の丸跡や天主取り付け台と渡り廊下と繋がっていたことが明らかになりました。

     本丸御殿跡。「信長公記」によればこの建物には天皇を招き入れる「御幸の間」があったと記載されています。その後の調査で慶長年間に改修された京都御所内の天皇の住居である清涼殿と酷似した構造になっていることが判明、さらに礎石上の柱痕からこの建物が高床式であったこと、周囲の三の丸跡や天主取り付け台と渡り廊下と繋がっていたことが明らかになりました。

  •  本丸跡石垣。

     本丸跡石垣。

  •  本丸跡石垣。

     本丸跡石垣。

  •  天主跡礎石。この部分は天主の穴蔵にあたり、その上にさらに大きな天主がそびえていた。5層7階(地上6階地下1階)の天主は、高さ33mの木造建築ではわが国で初めてのものであった。

     天主跡礎石。この部分は天主の穴蔵にあたり、その上にさらに大きな天主がそびえていた。5層7階(地上6階地下1階)の天主は、高さ33mの木造建築ではわが国で初めてのものであった。

  •  總見寺三重塔(国重文)。臨済宗妙心寺派の寺。安土城築城の際、信長が他所より移築し本丸の峰に自らの菩提寺にしたと伝えられています。<br /> 三間三重の塔で屋根は本瓦葺き。室町時代の建物で棟柱に、享徳3年(1454年)建立、天文24年(1555年)修理の墨書きがあります。天正3,4年に信長が甲賀の長寿寺から移建したものとされています。

     總見寺三重塔(国重文)。臨済宗妙心寺派の寺。安土城築城の際、信長が他所より移築し本丸の峰に自らの菩提寺にしたと伝えられています。
     三間三重の塔で屋根は本瓦葺き。室町時代の建物で棟柱に、享徳3年(1454年)建立、天文24年(1555年)修理の墨書きがあります。天正3,4年に信長が甲賀の長寿寺から移建したものとされています。

  •  仁王門(国重文)。元亀2年(1571年)建立。屋根は入母屋造り、本瓦葺き。門内に安置さえている金剛力士像も国重文。信長が天正年間に甲賀から移したものです。

     仁王門(国重文)。元亀2年(1571年)建立。屋根は入母屋造り、本瓦葺き。門内に安置さえている金剛力士像も国重文。信長が天正年間に甲賀から移したものです。

  •  観音寺城跡石垣。観音寺城は標高432.9m、南北にのびる繖山(きぬがさやま)の山上に築かれた山城です。正確な築城年代は定かではないが、南北朝時代に築かれたと考えられている。幾多の戦いがあったが、近江守護の六角氏の居城となる。<br />国史跡指定。

     観音寺城跡石垣。観音寺城は標高432.9m、南北にのびる繖山(きぬがさやま)の山上に築かれた山城です。正確な築城年代は定かではないが、南北朝時代に築かれたと考えられている。幾多の戦いがあったが、近江守護の六角氏の居城となる。
    国史跡指定。

  •  観音寺城石垣。戦国時代には大幅な改築が行われるが、六角氏は浅井長政に戦いで敗れ、お家騒動に伴う家臣団の分裂などで衰退します。<br /> 永禄11年(1586年)織田信長が兵を起こすと観音寺城から逃げ落城。以後再建されず廃城になりました。現存は主に石垣が残されています。

     観音寺城石垣。戦国時代には大幅な改築が行われるが、六角氏は浅井長政に戦いで敗れ、お家騒動に伴う家臣団の分裂などで衰退します。
     永禄11年(1586年)織田信長が兵を起こすと観音寺城から逃げ落城。以後再建されず廃城になりました。現存は主に石垣が残されています。

  •  観音寺城石垣。

     観音寺城石垣。

  •  観音寺城石垣。

     観音寺城石垣。

  •  小谷城・番所跡、かつては登城者の検問所があり、城郭主要部への入り口でした。<br />小谷城は浅井氏の居城であり、信長との激しい攻防戦が行われた山城です。標高495m小谷山から南の尾根筋に築かれた山城で、城の建物の遺構などは全く残っていません。<br /> 

     小谷城・番所跡、かつては登城者の検問所があり、城郭主要部への入り口でした。
    小谷城は浅井氏の居城であり、信長との激しい攻防戦が行われた山城です。標高495m小谷山から南の尾根筋に築かれた山城で、城の建物の遺構などは全く残っていません。
     

  •  番所跡。

     番所跡。

  •  虎午前山展望所。眼下に信長の本陣のあった虎午前山を展望することができます。また、琵琶湖も望めます。

     虎午前山展望所。眼下に信長の本陣のあった虎午前山を展望することができます。また、琵琶湖も望めます。

  •  御茶屋跡。主郭部先端の曲輪跡。西側の隅に庭があったと思われます。

     御茶屋跡。主郭部先端の曲輪跡。西側の隅に庭があったと思われます。

  •  御馬屋跡。三方を高い土塁に囲まれています。馬小屋があったかどうかは不明。

     御馬屋跡。三方を高い土塁に囲まれています。馬小屋があったかどうかは不明。

  •  馬洗池。御馬屋の横にあり、馬を洗ったのか、飲み水にしていたのか不明。

     馬洗池。御馬屋の横にあり、馬を洗ったのか、飲み水にしていたのか不明。

  •  首据石。六角氏との戦いに内通した、今井秀信の首をさらしたと言われる石です。

     首据石。六角氏との戦いに内通した、今井秀信の首をさらしたと言われる石です。

  •  赤尾屋敷跡。天正元年9月1日に浅井長政が29歳の若さで自刃した地です。

     赤尾屋敷跡。天正元年9月1日に浅井長政が29歳の若さで自刃した地です。

  •  黒金御門跡。両袖に巨石を群れを構えた御門跡。

     黒金御門跡。両袖に巨石を群れを構えた御門跡。

  •  桜馬場跡。大河ドラマ「江・姫たちの戦国」のロケの中心地。城内随一の大パノラマがひろがる。

     桜馬場跡。大河ドラマ「江・姫たちの戦国」のロケの中心地。城内随一の大パノラマがひろがる。

  •  浅井氏及家臣供養塔。日本五大山城に数えられる小谷城は、大永年間(1521〜28年)、浅井亮政(すけまさ)が琵琶湖を一望する伊吹山系の小谷山に築城、戦国大名浅井亮政・久政・長政三代の居城であった。三代目の長政は永禄10年(1567年)、織田信長の妹お市を妻に迎え、勢力の拡大をはかった。しかし、長政は元亀元年(1570年)、朝倉攻めに出陣した信長に突然反旗を翻した。そのため、信長は浅井討伐に鉾先を転じ、姉川で朝倉・浅井連合軍を破ったが、小谷城を落とすまでには至らなかった。しかし、信長は小谷城攻略をあきらめず、天正元年(1573年)、小谷城は信長によって落城しました。

     浅井氏及家臣供養塔。日本五大山城に数えられる小谷城は、大永年間(1521〜28年)、浅井亮政(すけまさ)が琵琶湖を一望する伊吹山系の小谷山に築城、戦国大名浅井亮政・久政・長政三代の居城であった。三代目の長政は永禄10年(1567年)、織田信長の妹お市を妻に迎え、勢力の拡大をはかった。しかし、長政は元亀元年(1570年)、朝倉攻めに出陣した信長に突然反旗を翻した。そのため、信長は浅井討伐に鉾先を転じ、姉川で朝倉・浅井連合軍を破ったが、小谷城を落とすまでには至らなかった。しかし、信長は小谷城攻略をあきらめず、天正元年(1573年)、小谷城は信長によって落城しました。

  •  大広間跡。お江が生まれたとされる曲輪跡。「千畳敷き」とも呼ばれ、城内最大の曲輪跡です。

     大広間跡。お江が生まれたとされる曲輪跡。「千畳敷き」とも呼ばれ、城内最大の曲輪跡です。

  •  本丸跡。天守など城の中心となる建物があったと推定される。南側に石積が残る。北側に大堀切りが見られる。

     本丸跡。天守など城の中心となる建物があったと推定される。南側に石積が残る。北側に大堀切りが見られる。

  •  小谷城戦国歴史資料館。戦国時代に北近江を統治した浅井三代、そして400年の時を経て国指定史跡として大切に守られてきた小谷城跡。三人の城主と、その居城である小谷城にスポットを当て、戦国の歴史に親しむ手がかりとしての資料等を公開しています。

     小谷城戦国歴史資料館。戦国時代に北近江を統治した浅井三代、そして400年の時を経て国指定史跡として大切に守られてきた小谷城跡。三人の城主と、その居城である小谷城にスポットを当て、戦国の歴史に親しむ手がかりとしての資料等を公開しています。

この旅行記のタグ

13いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP