2012/10/30 - 2012/10/30
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旅遊de美食散歩さん
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ディープな街日ノ出町。いろんな顔をもつ日ノ出町はちょっと横道にはいるとおや?っというところに歴史的建造物があったりして、ぶらぶらと散策するにはもってこい!
今回は清正公堂や吉田家の大井戸、天神坂などをめぐりました♪
- 旅行の満足度
- 4.0
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まずは日ノ出町駅前のオルガン広場から。とはいっても広場というほどスペースはないのでよ〜くみないとこの案内板も完全に見落とします。笑
日ノ出町近辺にある歴史的見どころを紹介している案内板。全部制覇したくなるくらい、なかなか興味深いラインナップ! -
日本で最初のオルガンを作成した西川オルガンがここ日ノ出町にあったことから、こちらはオルガン広場と名付けられたのだそう。
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ほらね、見てるといろいろ散策してみたくなるでしょう?
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この辺りは次回またゆっくりと歩いてみようっと♪
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今回はこのあたりをメインに散策散策!
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まずは大岡川沿いにある長谷川伸 生誕地の碑から。桜並木の真下にありました。
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長谷川伸は、大正・昭和時代の劇作家で小説家です。
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川を渡って現在の『菓匠しげた』にいくと、以前は隣に煉瓦造の蔵がありました。オルガン広場の案内図にもここにレンガ蔵があるとありますが、もともとこの『菓匠しげた』の蔵として使われていたそうですが、歴史的価値は十分にありそうなのに、現在すでに解体されてしまってもう見ることはできません。惜しい・・・・。
蔵のあった場所をさらに先にすすむと大井戸があります。この大井戸は初代の吉田勘兵衛が、吉田新田を開いたときに掘ったもので、水質にすぐれ200年にわたって付近住民の飲料水となっていたんですって。
昭和20年進駐軍によって埋められてしまいましたが、平成20年復活したそうです。 -
大井戸の先にあるのは清正公堂別院。清正公堂は1676年、吉田勘兵衛が新田守護のために建てた常清寺に祀られていた「勝負の神様」であるそうな。
その後常清寺は南区に移転したそうですが、清正公堂は別院として吉田勘兵衛の住宅跡地に再度建立され祀られているのだそうです。 -
お参りしたらものすごく運が開けそう!笑 毎年5月には5月大祭があるんだそうです。行って見たい〜!
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付近にはちょっと歴史ありそうな民家がたくさん。こちらは蔵だったのを住宅に変えたのかしら?
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でも蔵にしては窓なんてちょっと洋風だし。どんな歴史が刻まれているのかなー?
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こちらも雰囲気の似た窓をもつ住宅。商売でもしていた感じですが、古そうでいい味だしてますねえ。
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さて、お次は天神坂。
江戸時代の木材商・初代吉田勘兵衛は、大岡川河口の入り海が埋め立てやすいのに目を付け新田開発を計画しました。そして8年の歳月と多大な工費をもって吉田新田が完成したそうです。
その際に使われた埋立て土砂の一部は日ノ出町駅裏にある天神山から採ったそう。天神坂には土取場跡の碑が建っているというので、今度は日ノ出町駅まで戻って坂道歩きです。
駅を正面に見て右側に道があり、ずんずん行くと階段がでてきます。そのまま道なりに跨線歩道橋を渡っていくと石段が続いています。駅からはけっこうわかりづらかったですね。道案内みたいなのは何もないし、通りがかりの人に聞いても誰もわからないし。笑 -
でも歩くとすぐに土取場跡の碑がでてきました。碑は昭和9年に建立されたものだそうですが、漢文で書かれているのか読み取れません。
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碑のある所から先が野毛山に至る天神坂だそうですが、この碑をみるのが目的なので石段のぼりはここで終わり。笑
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最後は日ノ出町から関内まで歩きました。開港直後、開港場への出入り口として、ここに橋が架けられました。その橋が吉田新田から架橋されたことにより「吉田橋」と呼ばれたそうです。
橋には関門が設けられたので、関門を境に海側を関内、陸側を関外と呼んだそう。関内駅のすぐ近くには吉田橋関門跡の碑が建てられていましたよ。
今回の散策はここでおしまい!1日よく歩きました〜♪お疲れ様!
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