2015/03/29 - 2015/03/31
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ちびのぱぱさん
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苫小牧というのは、意外に盲点でした。
何が盲点かというと、うっとうしい通過点くらいにしか考えていなかったのですが……。
漁港に激混みの食堂があったなんて……
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車
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カルルス温泉、鈴木旅館の鈴木亀吉クン。
旅館の片隅の読書コーナーの陽当たりの良いところで、いつもばたばたしている…… -
たぶん、餌をねだっているんだな。
「かめきち!」って呼ぶと、一瞬停まってこっちを見る。
初めて会ってから10年以上たつよね。
覚えてくれたんだろうか。
従業員の人たちでさえ、毎回初めてみたいな顔しているのに。
ウイやつ。 -
鈴木旅館をチェックアウトし、登別温泉街を目指す。
登別温泉とカルルス温泉は車で10分くらいの距離だけど、その山道の途中忽然と中国の廃墟が現れる。
1992年にオープンし、たった7年で閉鎖された天華園というテーマパークの廃墟です。
じつに不思議な眺めで、廃墟萌えにはたまらないのではないか。 -
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秘密の足湯
カルルス温泉から登別温泉に抜ける間道に、ひとしれず温泉の流れる川があります。
野口観光「石水亭」の裏手になるでしょうか。
まだ所々残雪が残るような山道を川に沿って進むと、程よい場所に足湯が設けてあり、野趣あふれる雰囲気の中、のんびり足を浸けると、頭上から鳥たちのさえずりが降ってきます。
そのままだまって腰を掛けると、さらさらとお湯の流れる音が耳に心地よい。 -
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そんなに深くないですし、この時期温度もぬるい。
相方から「滝口でペットボトルにお湯を汲む」という使命を与えられ、おそるおそる滝壺に近づく。
滝の近くは、ひざくらいまでの深さです。
足の裏に感じる砂が、疲れを癒そうと、結構な痛みを伴って刺激してきます。 -
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天然露天風呂の誘惑
川は大湯沼から流れだし、上流に行く程温度は上がる。
途中の滝壺は、まんま露天風呂に見えてくる。
温泉街の喧噪もここまでは届かない。
いっそ、川に浸かっちゃうのもありか。
むかし友人が、この手の場所で誰もいないのを良いことにすっぽんぽんになって浸かったら、ちょうどそのタイミングでバスで来たと思しき団体がドヤドヤやってきて、
「あれ〜、ひとが入ってるよ。」
「ほんとだ。」
「にいさん、湯加減どう?」
と、さんざん写真を撮られた話を聞きました。
しばらくは出るに出られず、ひたすらその時が過ぎ去るのを念じていたということです。
やっぱり、最低水着着用が無難でしょう。 -
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川の途中には、いつの頃に作られたものとも知れぬ石段が河床に向かって作られています。
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大湯沼に抜ける手前に、噴出口があって、たまに泥熱湯を吹き上げるのだとか。
「気をつけてください。」
なんて看板が立っているけど、どのくらい吹き上がるのかしら。
私たちは、ここで引き返しました。 -
ホッキを食べるために一念発起
ブログで知ったマルトマの社員食堂に行きたい一心で、登別からせっせと苫小牧まで走って、漁港に来ました。
すごい人気店らしい。
漁港の場所は、ちょっと分かりづらい。
小樽とかに比べると、苫小牧というところは無駄に広くて、どうにもまとまりようがない。
むやみに走らされた感があります。
いったいどんな発展のしかたをしてきたのだろうと、理不尽な不満がつのったころ到着しました。
ただ、苫小牧のホッキは日本一です。 -
いかにも水産会社っぽいマルトマ株式会社の社屋の横に、この構えです。
どう見ても裏口にしか見えない扉を開けると、事務所への通路の横に、たしかに食堂がありました。
着いたのが1時近かったけど、まだ数名の行列が出来ている。
社員食堂だからか、「外来」でならぶと思ったより時間が掛かるけど、ここまで来て後には引けないので辛抱強く待つ。 -
待ち時間の間に、ごちゃごちゃしたポップや雑誌などで取り上げられた記事の切り抜きなどを見ていると、少しずつ列が進む。
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観光客っぽいのは私たちだけで、わりに地元感のある客層。
ふむ、こういうところで外れはないだろうと独り合点します。
漸く順番が来ておそるおそる入ると、店内はものすごい数の色紙。
まずこれで圧倒されます。
でも、店員の方は、いたって親切で安心しました。
われわれは、待ち時間の間にポップを見て決めておいたホッキカレーとマルトマ丼を注文。
お向かいに座っていた年輩のご婦人が、まごまごしている私らにセルフのお茶の場所を教えてくださいました。
さりげなく周囲を見回すと、ホッキご飯を食べているのが目に入り、あれもいいかなと落ち着かない。
食堂で迷い出すときりがない人間だから、スパッと注文するのを心がけています。 -
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ホッキカレー専用に「開発」されたというガラナソーダが最初に来ました。
お店の人の写真入り。 -
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先に出てきたのは、マルトマ丼。
マルトマ丼1800円→1300円のサービス中。
煮魚のおまけ付き。
ウニを食べると鮮度が一目瞭然です。
どのネタも、新鮮でした。 -
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このしじみ汁もやけに美味しかった。
カレーにも付いています。 -
ねえさん、これなんの煮付けだろう、うまいね。
えっ、きょうはホッケにカレイにカジカとかですけど。
じゃあ、これはカジカかな。
さあ、マルトマ丼のおまけだから、どれを出しているんだか……。 -
へいお待ち!
ホッキカレーが出てきました。
お皿が良いですね。 -
ものすごい具だくさん。
ホッキの出汁が利いてカレーの旨みが半端ではない。
ガラナソーダ付きで1150円でした。
食事を終わったのが2時少し前でしたが、相変わらず行列が出来ていました。
営業は、確か3時頃までではなかったか。
だんだん品数が少なくなって、注文しても、無くなりましたという返事が多くなっていました。 -
道路を隔てて道の駅があり、海産物や食堂もあります。
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苫小牧開拓の歴史に触れる
ホッキカレーと抱き合わせるのもどうかと思いますが、ちょっと気になっている場所があります。
漁港からどんどん東に向かい、荒漠とした原野の中を20分程車を走らせると、勇武津(ゆうぶつ)という地名の場所に達します。
近くにはJR日高本線の勇払駅があります。
ここは今から200年前、幕府の意向により本州の開拓団が入植しました。
江戸時代にこの蝦夷地に入植した人々がいたとは、ちょっとおどろきです。
それにしても、なんという荒涼とした土地だろう、と思いました。
ただただ原野が広がっている。
地理的に言うと、苫小牧西港と東港のちょうど中間地点。
余談ですが、新日本海フェリーはへんぴな東港から出るので、間違えると大変なことになります。
苫小牧市では市政50年を記念、ここに勇武津資料館という施設を建設し、この地の開拓の先駆けとなった開拓団に関連する資料を展示しています。 -
八王子と苫小牧の意外な繋がり
東京に住んでいた子供の頃、よく訪れた近所の八王子市民会館には、ガラスのケースに入った白鳥の剥製が展示してあり、姉妹都市である苫小牧から送られた旨が掲げられていました。
どうして苫小牧?と思っていましたが、今の苫小牧の礎を作ったのが八王子千人同心の中から志願した開拓者だったというのです。
八王子千人同心
実家のある東京都の八王子市は江戸時代から千人同心というのがありまして、小学校の時にその歴史を習いました。
これは、徳川が甲府に対する守りを固めるためにもうけた守備軍で、まあ、半農の武士です。
幕末の新撰組がこのあたりを母体にしていたのも、そういう徳川に対する忠誠心が土壌にあったからといいます。
天然理心流の近藤勇は、その千人同心の組頭の息子なのです。
原半左衛門
この時期幕府は、松前藩管理下にあった勇払場所を幕府直轄とし、北辺の有事に備えようとしていました。
千人同心のトップである千人頭の原半左衛門はこれに呼応し、弟の新助とともに、同心の次男三男の救済も兼ねて北海道開拓を幕府に願い出、約100人を引き連れてこの地に入植したと言います。
半士半農の次男以降の男子には、ろくな食い扶持もなかったんですね。
半左衛門が白糠で、新助がこの勇払に、それぞれ半分ずつの50人を伴って入植しました。
1800年のことです。
ちょうど、近海にロシア船などが出没し、北辺の警備強化が叫ばれ、高田屋嘉兵衛が函館建設に尽力していた頃でしょうか。 -
入場無料です。
春休みなので、小学生が来て何かの勉強会をしていました。 -
苫小牧あたりは北海道の中でも気候は温暖で雪が少ない場所という印象があるのですが、今から200年前は、冬を越すのは大変だったんだろうなあ。
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八王子との繋がりを感じさせる品々
八王子は桑を良く産し、早くから織物が盛んでした。
私の子供の頃も、機織り機の賑やかな音が古い木造の工場から聞こえていたのを覚えています。
北海道開拓では、初期の頃、養蚕が奨励されたようです。
札幌駅の隣にある桑園駅という名前にも、そういう事情が現れています。 -
勇武津開拓との関連は不明ですが、八王子の郷土芸能である車人形が飾られていました。
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無謀だった?蝦夷地入植
入植した開拓民たちを待ち受けていたのは、想像を絶する過酷な北海道の自然でした。
その生活は困難を極め、病気や餓えなどで多くの者が命を落としたそうです。
残った者たちも、けっきょく4年程で八王子に引き上げてしまいました。
つまり入植は、みごとに失敗したのです。
八王子というのは盆地でして、夏は暑く、冬場はけっこう寒くて雪が降り積もったりします。
それなりに、厳しい気候には慣れているという自負があったんじゃないかと、想像するのです。
つまり、蝦夷地をちょっと甘く見ていた。
しかし北海道の気候は、彼らの想像を上回ったと言うことでしょう。
べつに、彼らが悪いわけではない。
それだけ、未知の土地だったのではないかな……。
おととい、白老で見たアイヌコタンのことを思い出しました。
彼らは、みごとにこの厳しい気候に根付いていた。 -
資料館の近くに、亡くなった人々の墓を集めた墓所がありました。
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北辺の地に散った人々の、せめてものメモリー。
苫小牧の方たちは、苫小牧の起源を、この八王子千人同心による勇払開拓に求めようとしているようです。 -
幼い我が子を残して病死した梅の墓がありました。
ひときわ立派な墓石です。
幽霊となって夜な夜な現れたという、「夜泣き梅女」民話が語り継がれているのだとか。
今の苫小牧からは想像の付かないお話です。
墓所の前の広場には、カササギのけたたましい鳴き声が響いていました。
八王子の千人同心たちの足跡は、確かに残されているのだけれど、その後の開拓にはどのような影響を与えたのでしょう。
もしかしたら、犬死にだったのではなかったか。
あまりにも荒漠とした勇払原野を、札幌に向かって車を走らせながらふとそんな疑問が頭をよぎりました。
幼い頃見た白鳥の剥製は、その後どうなったのだろう。
今でも、変わらずに置かれているのだろうか、それとも……
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