2015/03/08 - 2015/03/25
155位(同エリア228件中)
愛走路さん
1983年3月信楽窯元見学へ 1988年8月 信紫香楽宮跡へ
27年ぶりの3度目の信楽の里へ
むろん予定はなかった。
たまたま 強風で伊良湖岬から鳥羽へのフェリー欠航
伊勢湾岸自動車道で猛吹雪に 亀山JCTで南紀に向かわず
雪が止んでると思える新名神高速道路へ入る。
甲賀土山SAで疲れ果て仮眠
聖武天皇(701〜756、在位724〜749)
文武天皇の第一皇子。、
皇族から皇后を立てる慣習を止め
藤原不比等の娘の光明子を皇后とする。
仏教を信じ、全国に国分寺や尼寺を建てたほか、
奈良に東大寺を創建して大仏を造り、天平文化をつくりだした。
5年で遷都4回。
「続日本記」によると、
聖武天皇は740年に平城京を離れ、恭仁宮の建設をはじめる。
742年には紫香楽宮の造営も始めたので、国家財政を圧迫し、
743年末に恭仁宮建設を止めた。
翌年、焼失後に再建中だった難波宮を都と宣言。
ところが、天皇はその直前に紫香楽宮へ移っており、
745年正月、紫香楽宮が都となった。
だが、山火事や地震が相次ぎ、4ヶ月後には平城京へ戻った。
聖武天皇の側近には、唐から帰ってきた僧や吉備真備らがいた。
唐の文化にあこがれ、太原、長安、洛陽の3都制を敷いて
玄宗皇帝(685〜762)にならったのではと・・・。
洛陽の郊外には龍門石窟があり、巨大な大仏が造られていた。
聖武天皇が紫香楽宮で大仏を造立しょうとしたことと符合する。
(一部朝日新聞より抜粋)
天平の古道をいく 滋賀県道5号線 京都府道5号線
京都府道・滋賀県道5号木津信楽線は、
京都府木津川市を起点に滋賀県甲賀市信楽町中野に至る
主要地方道である。
この道は742年、奈良時代に紫香楽宮と恭仁宮とを結ぶ古道であった。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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吹雪の中から生還
06時00分 北北西の空に月が浮かんでいる
土山SAに逃げ込んで10時間
昨夜このPには、雪に覆われていたトラックでいっぱい。
この時間 雪まみれの車は 吾がアルファードだけ。
洗顔後 湯を沸かし
アツアツのコーヒーと
手づくりパン(戸隠で一斤半)を作りのせている、
で朝食
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08時28分土山SA出発
信楽の街を抜け 平城京跡へ -
2015年3月11日(水曜日)曇り
信楽IC 08時38分 音羽蒲郡IC〜高速道路料金2870円
赤松自然散歩路 -
東海自然歩道 駅前広場のトイレ
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日本の古代道路とは、中央政府が飛鳥時代から平安時代前期にかけて計画的に整備・建設した道路。
府道・県道5号線は、742年奈良時代に紫香楽宮と恭仁宮とを結ぶ古道でした。 -
信楽高原鉄道 紫香楽宮跡駅ホーム
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信楽高原鉄道
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信楽高原鉄道 紫香楽宮跡駅看板
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最初の信楽焼き窯元
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大戸川に沿って
信楽中心街 -
信楽中心街
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信楽中心街
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信楽中心街
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信楽中心街
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信楽中心街
国道307号線
別名
近江グリーンロード -
信楽中心街
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信楽中心街
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国道307号線 左手に「なかのゴルフ練習場」が見えたら
次の信号を左折。表示・標識はない。
株式会社タカコ滋賀工場の看板あり(看板の色若草色)
県道5号線へ入る
途中で京都府に入り
府道5号線となる。
すぐに 車一台やっとという幅になる。
幸い 対向車はなかった。
なごみの湖 湯船森林公園 フィシッングエリア
府道5号線から -
なごみの森の看板
府道5号線より -
休憩処
府道5号線
ここから先
谷あいを行くカーブ(ガードレール有)が連続する。
対向車が来たら
どちらかがバックしないとならない。
朝の農作業へ行く
軽トラと2台すれ違う。
ドライバーさん、皆 驚き顔
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