2015/03/29 - 2015/03/29
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Nobby’sさん
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やあ、みなさん、こんにちは。
一回で企画倒れで終わってしまうかと思いきや、今週も続きを歩いてみたのでした。 第二回、中山道をてくてくと歩いていくという企画の続きです。
果たしていつまで続くのか不明ですが、先週に引き続いて、今回は板橋から埼玉県の蕨宿までを歩いてみました。東京ではちょうど桜が満開で、中山道のあちこちで桜を見ることができました。
表紙の画像は板橋(まさに板橋の名前の由来となった橋)で撮った桜です。
約10Km、今回はなんだか結構疲れました。 今日は暑いぐらいで、しかも午後はちょっと湿度もありましたからね。
今回は荒川を渡って、埼玉に入ります。江戸時代であれば渡し舟を使わねばならないところです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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さあ、やってきました板橋駅です。
東口を降りると桜並木があり、まさに満開を迎えようとしていました。
すばらしいタイミングです。 -
その東口を出て、広場を過ぎた目と鼻の先に新選組隊長、近藤勇の墓所がありました。
大きな看板が置いてあります。 -
近藤勇の石像です。 眼光が鋭い。
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幕末、京都の治安維持にあたっていた新選組でしたが、やがて新政府軍と旧幕府軍の戦いである、戊辰戦争に参加しました。鳥羽・伏見の戦いで新政府軍に敗北して江戸へ撤退することになります。
そして、一度は流山で再結集しましたが、捕らえられた近藤は斬首。ここに埋められたとのことです。
日本はつい近年まで首狩り族だったのですね。恐。 -
近藤勇の銅像です。
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このように立派な墓標が建てられていました。
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江戸へ戻った新選組でしたが、そこで袂を分かったのがこの永倉新八でした。
でもいまは同じところに碑があるのですね。 -
さて、板橋から中山道を歩き始めます。
国道17号から、旧中山道に入ります。
板橋宿です。 -
中山道六十九次のうち、江戸から数えて一番目の宿場です。
板橋宿は、平尾宿、仲宿、上宿という三つの宿場の総称だそうです。
現在もその名前を残しています。 -
ご覧のように旧中山道は国道から一本入ったところを通っており、静かに歩くことができます。
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このように昔の風景画がありました。
江戸時代にはどんな風景が広がっていたのでしょうか。一度江戸時代をこの目で見てみたいなと思います。 いまのコンクリートに埋められた街がどのようだったのか、昔の風景を見てみたいと思うのです。 -
平尾宿の脇本陣跡です。
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平尾町脇本陣跡とあります。
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板橋宿は、江戸四宿のひとつ。品川宿、内藤新宿、千住宿と並んで、五街道のうちで日本橋に近い宿場だったのだ。
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仲宿です。
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板橋宿、本陣跡。
日本橋から10kmという距離だったため、宿泊というよりは休憩に使われたようです。 -
板橋宿、本陣跡。
このような江戸時代のなごりを探すのも中山道を歩く楽しみになってきました。 -
やがて、向こうに桜並木が見えてきました。
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ここが板橋の名前の由来となった板橋です。
今日は桜が満開で、本当についていました。 -
この橋周辺は江戸時代にも非常ににぎやかだったそうです。
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板橋からの桜。
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石神井川にかかる桜がみごとです。
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橋をとらえて桜と共に撮ってみました。
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縁切榎という、パワースポット。悪縁を断ち切り、良縁を呼ぶと評判だそうです。
江戸時代には旗本屋敷だったがその脇にあった榎がいつの間にか縁切榎と呼ばれるようになって、嫁入りの際には縁が短くなるといってこの下を通らなかった、とか。 -
寳勝山南蔵院です。板橋から歩くことしばらく。中山道沿いにあります。
ここは別名、桜寺と呼ばれているとかで、八重紅枝垂桜が有名だそうです。 -
みごとな枝垂桜です。
板橋十景にも選ばれている。 -
さて、歩を進めます。
日本橋から13kmです。 -
志村一里塚というバス停がありました。
このあたりに一里塚があるはずです。 -
とても古い建物がありました。
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その横に志村の一里塚がありました。
立派に整備されています。 -
現存する一里塚は全国的にも珍しいものだそうです。
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まちなみ景観賞を受賞したそうです。
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志村坂上で、国道から旧道に入って行きます。
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清水坂は、急坂で江戸から最初の難所だったとのことです。
ここから富士山を見ることができたのですね。 -
板橋と戸田との間にあります。
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桜並木がある公園がありました。
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桜が見ごろですね。
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新河岸川にかかる志村橋のたもとから。
水面にかかる桜がよいですね。 -
志村橋です。
このあたりは江戸時代は一面の野原で、サクラソウの名所だったそうです。 -
戸田橋を渡ります。
江戸時代、ここは江戸防衛のために架橋されておらず、舟渡だったそうです。それが舟渡という地名にも残っているのです。
渡船場の跡があるそうです。 -
荒川(昔は戸田川と呼んだそう)を渡って、川岸を降りておくと、旧中山道があります。
そこにミニ公園があり、こんな説明がありました。 -
街道沿いには舟渡する人のためのお店がいろいろあったそうです。
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菖蒲川を渡って行きます。
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戸田公園近くを抜けて、やがて蕨宿に到着です。
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蕨宿の入口です。ここから17号から脇の旧道に入ります。
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歴史民俗資料館の分館がありました。 本館は数百メートル北に行ったところにあります。
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蕨宿の石碑です。 開宿400年とのことです。
ここに歴史民俗資料館があります。入場無料です。 -
中には蕨宿のジオラマや、旅籠の上がり口で到着した旅人の足を洗う姿の再現や、大名、旅籠の食事、宿帳などが展示されています。
なかなか見どころが多いです。
これまで中山道を歩いてくると、宿場がどんなだったのか、その当時の旅や暮らしがどうだったのかをとても興味深く見ることができます。 -
ここまで板橋宿から二里十町(約9.1km)。
結構疲れました。 -
JRの蕨駅は中山道から東へ500mくらい離れたところにあります。
そこまで歩いて今日は終了です。
江戸の最初の宿場から、渡船して蕨宿へ至る中山道。 まだまだ旅は始まったばかりです。
お疲れさまでした。
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