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羊年の一日。ひさしぶりに羊太夫伝説の地を訪れました。<br /><br />●上野三碑:()内は高崎市文化財保護課HPによる<br />・山上碑(ヤマノウエヒ)  7世紀後期(681年)<br />・金井沢碑(カナイザワヒ) 8世紀前期(726年)<br />・多胡碑(タゴヒ)   8世紀前期(711年)<br /> *山上碑は日本最古の墓誌として、金井沢碑は先祖供養への誓願として、共に在地豪族が造立したものです。<br /> *多胡碑は日本三古碑のひとつとして江戸期から著名でしたが、近年は金石文中の『給羊』が「羊太夫」に給うと解すか否かの論議が主のようです。<br /><br />●七輿山(ナナコシヤマ)古墳<br /> 滅亡に際して自害した羊太夫一族の7人の女性を輿に乗せて葬った場所と伝わります。<br /><br />●羊神社<br />多胡氏の方が、祖神とする多胡羊太夫(藤原宗勝:先咲神社の由緒による<br />)を祀っています。<br /><br />で、羊太夫さんをご存じない方は、まずはこちらからザ・ザーっと、どうぞ。<br />http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1873682/95<br /><br />定番のwikiです。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E8%83%A1%E7%BE%8A%E5%A4%AA%E5%A4%AB

点と点 Vol.1・・・(群馬県西毛地域)

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2015/03/28 - 2015/03/29

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アムールヤマネコ

アムールヤマネコさん

羊年の一日。ひさしぶりに羊太夫伝説の地を訪れました。

●上野三碑:()内は高崎市文化財保護課HPによる
・山上碑(ヤマノウエヒ)  7世紀後期(681年)
・金井沢碑(カナイザワヒ) 8世紀前期(726年)
・多胡碑(タゴヒ)   8世紀前期(711年)
 *山上碑は日本最古の墓誌として、金井沢碑は先祖供養への誓願として、共に在地豪族が造立したものです。
 *多胡碑は日本三古碑のひとつとして江戸期から著名でしたが、近年は金石文中の『給羊』が「羊太夫」に給うと解すか否かの論議が主のようです。

●七輿山(ナナコシヤマ)古墳
 滅亡に際して自害した羊太夫一族の7人の女性を輿に乗せて葬った場所と伝わります。

●羊神社
多胡氏の方が、祖神とする多胡羊太夫(藤原宗勝:先咲神社の由緒による
)を祀っています。

で、羊太夫さんをご存じない方は、まずはこちらからザ・ザーっと、どうぞ。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1873682/95

定番のwikiです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E8%83%A1%E7%BE%8A%E5%A4%AA%E5%A4%AB

旅行の満足度
4.5
同行者
家族旅行
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配
  • こんにちは(=^・^=)。<br />上野三碑のひとつ山上碑ですが、石碑だけでなく隣接する古墳とセットで国指定特別史跡(1954年)に指定されています(古墳の墓誌碑と特定されたため)。

    こんにちは(=^・^=)。
    上野三碑のひとつ山上碑ですが、石碑だけでなく隣接する古墳とセットで国指定特別史跡(1954年)に指定されています(古墳の墓誌碑と特定されたため)。

  • 【銘文】高崎市文化財保護課HPによる<br />辛己歳集月三日記<br />佐野三家定賜健守命孫黒売刀自此<br />新川臣児斯多々弥足尼孫大児臣娶生児<br />長利僧母為記定文也<br />放光寺僧<br />

    【銘文】高崎市文化財保護課HPによる
    辛己歳集月三日記
    佐野三家定賜健守命孫黒売刀自此
    新川臣児斯多々弥足尼孫大児臣娶生児
    長利僧母為記定文也
    放光寺僧

  • 【現代語訳】高崎市文化財保護課HPによる<br />辛巳年10月3日に記す。<br />佐野三家(サノノミヤケ)をお定めになった健守命(タケモリノミコト)の子孫の黒売刀自(クロメトジ)。これが、新川臣(ニッカワノオミ)の子の斯多々弥足尼(シタタミノスクネ)の子孫である大児臣(オオゴノオミ)に嫁いで生まれた子である長利僧(チョウリノホウシ)が、母の為に記し定めた文である。放光寺の僧。<br /><br />*漢文でなく日本語の統語法で漢字を並べている(史部流:フヒトベリュウ)。

    【現代語訳】高崎市文化財保護課HPによる
    辛巳年10月3日に記す。
    佐野三家(サノノミヤケ)をお定めになった健守命(タケモリノミコト)の子孫の黒売刀自(クロメトジ)。これが、新川臣(ニッカワノオミ)の子の斯多々弥足尼(シタタミノスクネ)の子孫である大児臣(オオゴノオミ)に嫁いで生まれた子である長利僧(チョウリノホウシ)が、母の為に記し定めた文である。放光寺の僧。

    *漢文でなく日本語の統語法で漢字を並べている(史部流:フヒトベリュウ)。

  • 碑面に向かって、右側面と後面。<br /><br /> *実物の格調云々とか感じられればと訪れはしたものの、そこら辺の河原に転がっている大きめの”石”(輝石安山岩)としか・・。

    碑面に向かって、右側面と後面。

     *実物の格調云々とか感じられればと訪れはしたものの、そこら辺の河原に転がっている大きめの”石”(輝石安山岩)としか・・。

  • 碑文にでてくる放光寺(出土した複数のヘラ書き瓦から山王廃寺を比定)の推定復元図(前橋市にある山王廃寺跡の掲示板から別途)。

    碑文にでてくる放光寺(出土した複数のヘラ書き瓦から山王廃寺を比定)の推定復元図(前橋市にある山王廃寺跡の掲示板から別途)。

  • 山上古墳(φ15m・H5mで7世紀中築の南西に開口した山寄せ墳丘)<br />上:後代に改変された開口から羨道部(D3.3m・W0.9m・H0.9m)<br />下:玄室(D2.7m・W1.8m・H1.7m)から羨道部<br /><br /> *地元産の凝灰岩を切石積みしています。

    山上古墳(φ15m・H5mで7世紀中築の南西に開口した山寄せ墳丘)
    上:後代に改変された開口から羨道部(D3.3m・W0.9m・H0.9m)
    下:玄室(D2.7m・W1.8m・H1.7m)から羨道部

     *地元産の凝灰岩を切石積みしています。

  • 玄室(奥1石・側4石・天2石)と江戸期に奉安された馬頭観音

    玄室(奥1石・側4石・天2石)と江戸期に奉安された馬頭観音

  • 現地にある愉しい掲示板(=^・^=)

    現地にある愉しい掲示板(=^・^=)

  • いまは史跡に至る石段か…、なあ○o。.

    いまは史跡に至る石段か…、なあ○o。.

  • 金井沢碑の覆屋 国指定特別史跡(1954年)

    金井沢碑の覆屋 国指定特別史跡(1954年)

  • 【銘文】高崎市文化財保護課HPによる<br />上野国群馬郡下賛郷高田里<br />三家子■為七世父母現在父母<br />現在侍家刀自他田君目頬刀自又児加<br />那刀自孫物部君午足次蹄刀自次若蹄<br />刀自合六口又知識所結人三家毛人<br />次知万呂鍛師礒マ君身麻呂合三口<br />如是知識結而天地請願仕奉<br />石文<br />神亀三年丙寅二月廾九日<br />※■は欠字<br />※「蹄」(ヒヅメ)は旧字体であったため、新字体で表記しています。

    【銘文】高崎市文化財保護課HPによる
    上野国群馬郡下賛郷高田里
    三家子■為七世父母現在父母
    現在侍家刀自他田君目頬刀自又児加
    那刀自孫物部君午足次蹄刀自次若蹄
    刀自合六口又知識所結人三家毛人
    次知万呂鍛師礒マ君身麻呂合三口
    如是知識結而天地請願仕奉
    石文
    神亀三年丙寅二月廾九日
    ※■は欠字
    ※「蹄」(ヒヅメ)は旧字体であったため、新字体で表記しています。

  • 【現代語訳】高崎市文化財保護課HPによる<br />上野国(コウズケノクニ)群馬郡(クルマノコオリ)下賛郷(シモサヌゴウ)高田里(タカダノサト)に住む三家子■が(発願して)、祖先および父母の為に、ただいま家刀自(イエトジ:主婦)の立場にある他田君目頬刀自(オサダノキミメヅラトジ)、その子の加那刀自(カナトジ)、孫の物部君午足(モノノベノキミウマタリ)、次の蹄刀自(ヒヅメトジ)、次の若蹄刀自(ワカヒヅメトジ)の合せて六人、また既に仏の教えで結ばれた三家毛人(ミヤケノエミシ)、次の知万呂、鍛師(カヌチ)の礒部君身麻呂(イソベノキミミマロ)の合せて三人が、このように仏の教えによって(我家と一族の繁栄を願って)お祈り申し上げる石文(イシブミ)である。<br />神亀3年丙寅(ヘイイン)2月29日

    【現代語訳】高崎市文化財保護課HPによる
    上野国(コウズケノクニ)群馬郡(クルマノコオリ)下賛郷(シモサヌゴウ)高田里(タカダノサト)に住む三家子■が(発願して)、祖先および父母の為に、ただいま家刀自(イエトジ:主婦)の立場にある他田君目頬刀自(オサダノキミメヅラトジ)、その子の加那刀自(カナトジ)、孫の物部君午足(モノノベノキミウマタリ)、次の蹄刀自(ヒヅメトジ)、次の若蹄刀自(ワカヒヅメトジ)の合せて六人、また既に仏の教えで結ばれた三家毛人(ミヤケノエミシ)、次の知万呂、鍛師(カヌチ)の礒部君身麻呂(イソベノキミミマロ)の合せて三人が、このように仏の教えによって(我家と一族の繁栄を願って)お祈り申し上げる石文(イシブミ)である。
    神亀3年丙寅(ヘイイン)2月29日

  • 碑面に向かって、右側面と後面。<br /><br /> *やはりそのU・・・、輝石安山岩(要するに普通に見かける火山岩)・・です。

    碑面に向かって、右側面と後面。

     *やはりそのU・・・、輝石安山岩(要するに普通に見かける火山岩)・・です。

  • 上:多胡碑覆屋 国指定特別史跡(1954年)<br />下:多胡碑記念館<br /><br /> *上野三碑は世界記憶遺産の登録を目指しています。

    上:多胡碑覆屋 国指定特別史跡(1954年)
    下:多胡碑記念館

     *上野三碑は世界記憶遺産の登録を目指しています。

  • 多胡碑記念館:@200円<br />上:復元された墳丘(屋外:無料)<br />下:拓本体験<br /><br /> *上野三碑は世界記憶遺産の登録を目指しています。

    多胡碑記念館:@200円
    上:復元された墳丘(屋外:無料)
    下:拓本体験

     *上野三碑は世界記憶遺産の登録を目指しています。

  • 【銘文】高崎市文化財保護課HPによる<br />弁官符上野国片岡郡緑野郡甘<br />良郡并三郡内三百戸郡成給羊<br />成多胡郡和銅四年三月九日甲寅<br />宣左中弁正五位下多治比真人<br />太政官二品穂積親王左太臣正二<br />位石上尊右太臣正二位藤原尊

    【銘文】高崎市文化財保護課HPによる
    弁官符上野国片岡郡緑野郡甘
    良郡并三郡内三百戸郡成給羊
    成多胡郡和銅四年三月九日甲寅
    宣左中弁正五位下多治比真人
    太政官二品穂積親王左太臣正二
    位石上尊右太臣正二位藤原尊

  • 【現代語訳】高崎市文化財保護課HPによる<br />朝廷の弁官局から命令があった。上野国片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新たに郡をつくり、羊に支配を任せる。郡の名は多胡郡としなさい。和銅四(711)年三月九日甲寅。左中弁正五位下多治比真人による宣旨である。太政官の二品穂積親王、左太臣正二位石上(麻呂)尊、右太臣二位藤原(不比等)尊。

    【現代語訳】高崎市文化財保護課HPによる
    朝廷の弁官局から命令があった。上野国片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新たに郡をつくり、羊に支配を任せる。郡の名は多胡郡としなさい。和銅四(711)年三月九日甲寅。左中弁正五位下多治比真人による宣旨である。太政官の二品穂積親王、左太臣正二位石上(麻呂)尊、右太臣二位藤原(不比等)尊。

  • 碑面に向かって、右側面と後面と左側面。<br /><br /> *前面が土中に伏せてあり、故に外気にさらされた三面の碑文が自然風化したとの見解もありますが、さて如何感じられたでしょうか。<br />側面に文字らしきが残るとの説もあります(現状での視認は不可)。<br />材質は牛伏砂岩(多胡石:砂岩では硬質な耐久性もある地元堆積岩)とのこと。

    碑面に向かって、右側面と後面と左側面。

     *前面が土中に伏せてあり、故に外気にさらされた三面の碑文が自然風化したとの見解もありますが、さて如何感じられたでしょうか。
    側面に文字らしきが残るとの説もあります(現状での視認は不可)。
    材質は牛伏砂岩(多胡石:砂岩では硬質な耐久性もある地元堆積岩)とのこと。

  •  *南側の山を超えた秩父地方には和同開珎や奈良大仏に使われた銅が採れ、その発見者が羊太夫と伝わるようです。彼はその功績で大出世するのですが・・。

     *南側の山を超えた秩父地方には和同開珎や奈良大仏に使われた銅が採れ、その発見者が羊太夫と伝わるようです。彼はその功績で大出世するのですが・・。

  •  *その秩父を目指して10kmほど車道を行くと、金鑽(カナサナ:金佐奈)神社という武蔵二ノ宮(名神大)があります。素戔嗚尊(スサノオノミコト)や日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に縁のある神社ですが、伊奈波社の旧地(丸山)で脳裏に浮かんだのが其処なんです。<br />上:本山派修験の護摩壇から、右が神体山の御嶽(稜線)・そして最奥が稲含山<br />下:鏡岩(室町期に高崎落城の炎も映ったと伝わるチャート表面)<br />(参考:2013.09.28撮影)<br /><br />金鑽神社WIKI<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%91%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE

     *その秩父を目指して10kmほど車道を行くと、金鑽(カナサナ:金佐奈)神社という武蔵二ノ宮(名神大)があります。素戔嗚尊(スサノオノミコト)や日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に縁のある神社ですが、伊奈波社の旧地(丸山)で脳裏に浮かんだのが其処なんです。
    上:本山派修験の護摩壇から、右が神体山の御嶽(稜線)・そして最奥が稲含山
    下:鏡岩(室町期に高崎落城の炎も映ったと伝わるチャート表面)
    (参考:2013.09.28撮影)

    金鑽神社WIKI
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%91%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE

  •  *羊太夫伝説は渡来人と鉱山に関係するようです。<br /> 渡来人といえば私の世代では秦(ハタ)さんが有名です。が前回もですが其処に必ず、在来人の物部(モノノベ:金井沢碑文中にも)さんが登場します。<br />

     *羊太夫伝説は渡来人と鉱山に関係するようです。
     渡来人といえば私の世代では秦(ハタ)さんが有名です。が前回もですが其処に必ず、在来人の物部(モノノベ:金井沢碑文中にも)さんが登場します。

  • *古代、物部さんは神祇信仰で軍事担当。それが仏法護持の蘇我さんに敗れた。後の大化の改新では蘇我さんが春日大社に縁の深い藤原さんに敗れた。<br /><br /> ここまでだと「神道系が勝ったのね」くらいの話ですが、何故にその後は仏法が神祇信仰を凌ぎ・・?宇治の平等院って、たしか寺でしたよねE。<br />

    *古代、物部さんは神祇信仰で軍事担当。それが仏法護持の蘇我さんに敗れた。後の大化の改新では蘇我さんが春日大社に縁の深い藤原さんに敗れた。

     ここまでだと「神道系が勝ったのね」くらいの話ですが、何故にその後は仏法が神祇信仰を凌ぎ・・?宇治の平等院って、たしか寺でしたよねE。

  • 七輿山古墳(現地案内板から)。<br /><br /> *群馬県下というより、6世紀古墳として東日本最大級らしいです。藤岡インタを降り富岡方面に向かう道路沿いにあるので、何度となく横を走ってましたが…。

    七輿山古墳(現地案内板から)。

     *群馬県下というより、6世紀古墳として東日本最大級らしいです。藤岡インタを降り富岡方面に向かう道路沿いにあるので、何度となく横を走ってましたが…。

  • 推定復元図(現地案内板から)。<br /> (通しD145m・共にH16m・後円φ87m・前方W106m:三重の周溝)<br />

    推定復元図(現地案内板から)。
     (通しD145m・共にH16m・後円φ87m・前方W106m:三重の周溝)

  • 墳丘を固める石組と円筒埴輪(φW0.4〜5m・H1.1m:七条凸帯付きの大型)。<br />

    墳丘を固める石組と円筒埴輪(φW0.4〜5m・H1.1m:七条凸帯付きの大型)。

  • 上:円墳入り口。<br />下:円墳一段目にある五百羅漢。<br />

    上:円墳入り口。
    下:円墳一段目にある五百羅漢。

  •  *後世語られた七輿山伝説の基になった、七つに枝分かれした松でしょうか。

     *後世語られた七輿山伝説の基になった、七つに枝分かれした松でしょうか。

  • 円墳側から方墳側をみる。

    円墳側から方墳側をみる。

  • 方墳二段目。

    方墳二段目。

  • 方墳二段目から下。

    方墳二段目から下。

  • 上:下から方墳。<br />下:下から堀部分。

    上:下から方墳。
    下:下から堀部分。

  • 掘外から方墳部をみると、段丘状態がよく分かる。

    掘外から方墳部をみると、段丘状態がよく分かる。

  • 方墳から円墳方向へ(方墳右側)。<br />上から。<br />下から。

    方墳から円墳方向へ(方墳右側)。
    上から。
    下から。

  • 方墳から円墳方向へ(方墳左側)。<br />上から。<br />下から。

    方墳から円墳方向へ(方墳左側)。
    上から。
    下から。

  • 上:方墳左側の石組み。<br />下:壊れた石組み石と円筒埴輪の欠片。

    上:方墳左側の石組み。
    下:壊れた石組み石と円筒埴輪の欠片。

  • 円墳右側から方墳方向。

    円墳右側から方墳方向。

  • 円墳右側(方墳左側)から眺めた全体。

    円墳右側(方墳左側)から眺めた全体。

  • 羊神社の全景。<br /><br />

    羊神社の全景。

  •  *天児屋命は春日権現ですね。

     *天児屋命は春日権現ですね。

  •  *羊太夫は渡来人というより、どうやら藤原一族のようですね。<br /> 家紋も下がり藤だし、カッコいい五重塔付きだし…か。

     *羊太夫は渡来人というより、どうやら藤原一族のようですね。
     家紋も下がり藤だし、カッコいい五重塔付きだし…か。

  •  *地元の方に大切に守られている御社。裏が竹藪にもかかわらず、いつも綺麗に清掃されています。

     *地元の方に大切に守られている御社。裏が竹藪にもかかわらず、いつも綺麗に清掃されています。

  •  *実は、羊神社は名古屋にもあるんですよ。現地には詳しい方がいらっしゃるので、どうぞ。<br />http://4travel.jp/travelogue/10874508<br />http://4travel.jp/travelogue/10875625<br />http://4travel.jp/travelogue/10969006<br /> 画は同社を天野信景が宝永4年(1707)に紹介した一文です。

     *実は、羊神社は名古屋にもあるんですよ。現地には詳しい方がいらっしゃるので、どうぞ。
    http://4travel.jp/travelogue/10874508
    http://4travel.jp/travelogue/10875625
    http://4travel.jp/travelogue/10969006
     画は同社を天野信景が宝永4年(1707)に紹介した一文です。

  •  *12年前の趣味週刊の切手。原図は正倉院宝物:羊木臈纈屏風(羊木昴兆風)ですが、調べると愉しいですよ。寸法違いどころか読みすらも(羊の秘密は、今日はココまで。(ToT)/~~~)<br /><br />・・・羊が一匹・羊が二匹・・羊が・三匹目飛べ!

     *12年前の趣味週刊の切手。原図は正倉院宝物:羊木臈纈屏風(羊木昴兆風)ですが、調べると愉しいですよ。寸法違いどころか読みすらも(羊の秘密は、今日はココまで。(ToT)/~~~)

    ・・・羊が一匹・羊が二匹・・羊が・三匹目飛べ!

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