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渡辺崋山の「游相日記」によると、彼は荏田で一泊した翌日、「女中が雨戸をあけると、もう日は高く、昨日、越してきた小さい山々が見渡せる。間もなく出立したが、すぐに矢元(今の谷本?)という所に出た。橋が渡してあって、銭をとってわたるしくみになっている。但し武士は無料であった。恩田という土地の茶屋でひと休みし、柿と栗をかった。・・・・」<br />とあります。<br /><br />上の図は谷本(やもと)川に架かる橋です。<br />「鎌倉・江ノ嶋・大山 新板往復雙六」北斎為一図より「谷本(やもと)を抜粋(神奈川県立博物館所蔵)<br /><br />ここでは、まず荏田から恩田の手前の「青葉台」までを紹介します。

大山街道② 荏田(横浜市青葉区)~青葉台(横浜市青葉区)

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2015/02/28 - 2015/02/28

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元カニ族

元カニ族さん

渡辺崋山の「游相日記」によると、彼は荏田で一泊した翌日、「女中が雨戸をあけると、もう日は高く、昨日、越してきた小さい山々が見渡せる。間もなく出立したが、すぐに矢元(今の谷本?)という所に出た。橋が渡してあって、銭をとってわたるしくみになっている。但し武士は無料であった。恩田という土地の茶屋でひと休みし、柿と栗をかった。・・・・」
とあります。

上の図は谷本(やもと)川に架かる橋です。
「鎌倉・江ノ嶋・大山 新板往復雙六」北斎為一図より「谷本(やもと)を抜粋(神奈川県立博物館所蔵)

ここでは、まず荏田から恩田の手前の「青葉台」までを紹介します。

同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • この区間に相当する1906(明治39)年発行の地図です。<br />現在では「たまプラーザ」と並び田園都市の中心である「青葉台」は、影も形もない丘陵地帯でした。<br /><br />地図の中央に流れる川が、上の渡辺崋山の「游相日記」に出てくる「谷本川」(鶴見川)です。

    この区間に相当する1906(明治39)年発行の地図です。
    現在では「たまプラーザ」と並び田園都市の中心である「青葉台」は、影も形もない丘陵地帯でした。

    地図の中央に流れる川が、上の渡辺崋山の「游相日記」に出てくる「谷本川」(鶴見川)です。

  • 荏田〜青葉台 4.8kmのルートマップです。

    荏田〜青葉台 4.8kmのルートマップです。

  • ウオークのスタート、① 田園都市線「荏田駅東口」です。

    ウオークのスタート、① 田園都市線「荏田駅東口」です。

    江田駅

  • 改札口を出て、線路の下のトンネルを抜けて、反対側に向かいまっす。

    改札口を出て、線路の下のトンネルを抜けて、反対側に向かいまっす。

  • 反対側には、②「国道246号線」が走っています。

    反対側には、②「国道246号線」が走っています。

  • 国道246号を、100mほど歩き、ガードを再びくぐります。

    国道246号を、100mほど歩き、ガードを再びくぐります。

  • 線路の北側の ③「線路沿いの坂道」を歩きます。<br /><br />江田駅周辺は現在、国道246号線、東名高速道路(高架)、東急田園都市線が交わる交通の要衝として開発されて、大山街道の痕跡はありません

    線路の北側の ③「線路沿いの坂道」を歩きます。

    江田駅周辺は現在、国道246号線、東名高速道路(高架)、東急田園都市線が交わる交通の要衝として開発されて、大山街道の痕跡はありません

  • やがて、道路は二股に分岐するので、線路から離れて右の道に入ります。

    やがて、道路は二股に分岐するので、線路から離れて右の道に入ります。

  • 線路から離れてしばらく行くと ④「ダブルロード(平行道路)の分岐点」に着きます。右側が大山街道の旧道です。

    線路から離れてしばらく行くと ④「ダブルロード(平行道路)の分岐点」に着きます。右側が大山街道の旧道です。

  • 左側の新しい道があるのに、わざわざこんな小道を後から作ることはありません。<br /><br />旧道がこのような形で残っている所は他にもあります。

    左側の新しい道があるのに、わざわざこんな小道を後から作ることはありません。

    旧道がこのような形で残っている所は他にもあります。

  • 旧道は150mほどで、もとの道に合流します。

    旧道は150mほどで、もとの道に合流します。

  • そのまま歩き、二又を右折して歩きます。

    そのまま歩き、二又を右折して歩きます。

  • そのまましばらく行くと ⑤「市ケ尾竹下地蔵堂」に着きます。<br />地蔵堂に上がる石段の下には、お地蔵さんや庚申塔などの石造物が並んでいます。

    そのまましばらく行くと ⑤「市ケ尾竹下地蔵堂」に着きます。
    地蔵堂に上がる石段の下には、お地蔵さんや庚申塔などの石造物が並んでいます。

    市ヶ尾竹下地蔵堂 名所・史跡

    旧大山街道沿いにある真宗のお寺で、石段を上がった境内は、大山が良く見える好展望地です。 by 元カニ族さん
  • 石段の上の地蔵堂は、江戸中期に建てられたもので、千日の托鉢によって建立されたため、千日堂ともいわれています。<br />江戸時代から続く念仏講は今も地元の人々により行われています。

    石段の上の地蔵堂は、江戸中期に建てられたもので、千日の托鉢によって建立されたため、千日堂ともいわれています。
    江戸時代から続く念仏講は今も地元の人々により行われています。

  • 地蔵堂を後にして、100mほど進んで、左折して坂道を降ります。

    地蔵堂を後にして、100mほど進んで、左折して坂道を降ります。

  • ここから、ゆるい下りの ⑥「猿田坂」です。

    ここから、ゆるい下りの ⑥「猿田坂」です。

  • ここは、大山街道の面影を色濃く残している部分です。

    ここは、大山街道の面影を色濃く残している部分です。

  • ⑦「日野往還」と大山街道との交差点の左側に、古い二階建ての ⑧「旅籠綿屋」があります。

    ⑦「日野往還」と大山街道との交差点の左側に、古い二階建ての ⑧「旅籠綿屋」があります。

    旅籠 綿屋 名所・史跡

    1882(明治15)年に建てられた旅籠で、大山街道の往時をしのばせてくれる貴重な建物です。 by 元カニ族さん
  • これは1882(明治15)年に建てられましたが、明治末期に廃業しています。<br />このあたり一帯は「竹の下下宿」とよばれた小さな宿場でした。

    これは1882(明治15)年に建てられましたが、明治末期に廃業しています。
    このあたり一帯は「竹の下下宿」とよばれた小さな宿場でした。

  • 道路に沿って小川があります。「大場川」で、谷本川(やもとがわ)に合流します。

    道路に沿って小川があります。「大場川」で、谷本川(やもとがわ)に合流します。

  • 谷本川に架かる ⑨「川間橋」です。<br /><br />この橋は江戸時代、川間吉兵衛が私費で架け、通行人から三文を取ったので「三文橋」ともよばれていました。<br />渡辺崋山の「游相日記」によると、武士は無料だったようです。

    谷本川に架かる ⑨「川間橋」です。

    この橋は江戸時代、川間吉兵衛が私費で架け、通行人から三文を取ったので「三文橋」ともよばれていました。
    渡辺崋山の「游相日記」によると、武士は無料だったようです。

  • 橋に上から見た「谷本川」で、下流で鶴見川に合流します。

    橋に上から見た「谷本川」で、下流で鶴見川に合流します。

  • 橋を渡り、真っ直ぐに進みます。

    橋を渡り、真っ直ぐに進みます。

  • やがて ⑩「大難(おうな)の辻」に着きます。<br />昔は急坂で、崖が崩れるとここまで土砂が押し寄せたので着いた名前です。

    やがて ⑩「大難(おうな)の辻」に着きます。
    昔は急坂で、崖が崩れるとここまで土砂が押し寄せたので着いた名前です。

  • ⑩「大難(おうな)の辻」では、二又をNTT側の細い道に入ります。

    ⑩「大難(おうな)の辻」では、二又をNTT側の細い道に入ります。

  • 細い道(旧道)を進みます。

    細い道(旧道)を進みます。

  • 細い道(旧道)を行くと ⑫「一里榎」があります。<br />樹齢600年以上あり、幹の空洞は明治時代に火災にあった跡です。<br /><br />

    細い道(旧道)を行くと ⑫「一里榎」があります。
    樹齢600年以上あり、幹の空洞は明治時代に火災にあった跡です。

    一里榎 名所・史跡

    樹齢は600年以上におよぶ榎で、横浜市の銘木指定になっています。 by 元カニ族さん
  • この家に庭です。

    この家に庭です。

  • この家の上に「小代官の屋敷跡」があります。<br />小代官は屋号で、かなり古い時代からこの地に住んでいたといわれています。

    この家の上に「小代官の屋敷跡」があります。
    小代官は屋号で、かなり古い時代からこの地に住んでいたといわれています。

  • 坂道を登って行きます。

    坂道を登って行きます。

  • 少し進むと ⑫「医薬神社」があります。

    少し進むと ⑫「医薬神社」があります。

    医薬神社 寺・神社・教会

  • 説明板には「戦国時代の末期の天正年間、真言宗関東三ケ寺の一つとして創建された医王山薬師院東光寺の境内に、山号「医」、寺号「薬」を取り「医薬神社」として祀られたのが始まり」と書かれています。

    説明板には「戦国時代の末期の天正年間、真言宗関東三ケ寺の一つとして創建された医王山薬師院東光寺の境内に、山号「医」、寺号「薬」を取り「医薬神社」として祀られたのが始まり」と書かれています。

  • 境内には、祠があり地神塔、双体道祖神などがあり、大師坐像の台石には「左大山道」と彫られています

    境内には、祠があり地神塔、双体道祖神などがあり、大師坐像の台石には「左大山道」と彫られています

  • 神社の対角線の角地は医薬神社が管理する「神道黄泉ノ園」という大きな墓地がありました。

    神社の対角線の角地は医薬神社が管理する「神道黄泉ノ園」という大きな墓地がありました。

  • 墓石には「○○家奥都城」と彫られていました。

    墓石には「○○家奥都城」と彫られていました。

  • また、「○○家奥津城」とも彫られていました。<br /><br />神道では「墓」とはいわないようです。

    また、「○○家奥津城」とも彫られていました。

    神道では「墓」とはいわないようです。

  • その後、⑬「藤が丘ゴルフ場」にそって進みます。

    その後、⑬「藤が丘ゴルフ場」にそって進みます。

  • 坂道を下ると ⑭「藤が丘駅へ通じる道」に突き当たります。

    坂道を下ると ⑭「藤が丘駅へ通じる道」に突き当たります。

  • この道を横切り、さらに下って行くと、右に ⑮「老人福祉センター」があります。

    この道を横切り、さらに下って行くと、右に ⑮「老人福祉センター」があります。

  • さらに進み、国道246号を跨ぐ ⑯「再勝(さいかち)橋」を渡ります。

    さらに進み、国道246号を跨ぐ ⑯「再勝(さいかち)橋」を渡ります。

  • 橋の上から見た国道246号です。

    橋の上から見た国道246号です。

  • 「再勝(さいかち)橋」を渡り、坂道を降りて行きます。

    「再勝(さいかち)橋」を渡り、坂道を降りて行きます。

  • 坂道の左にある ⑰「つつじヶ丘公園」です。

    坂道の左にある ⑰「つつじヶ丘公園」です。

  • そして、 ⑱「国道246号の陸橋」をくぐります。

    そして、 ⑱「国道246号の陸橋」をくぐります。

  • 「陸橋」をくぐると間もなく ⑲「青葉台駅」です。写真は青葉台駅を含む商業施設「青葉台スクエア」です。<br /><br />ここで、一時休憩し、長津田に向かいます。

    「陸橋」をくぐると間もなく ⑲「青葉台駅」です。写真は青葉台駅を含む商業施設「青葉台スクエア」です。

    ここで、一時休憩し、長津田に向かいます。

    青葉台駅

    東急田園都市線では、たまプラーザよりも先に開発された中心的な地域の重要駅です。 by 元カニ族さん

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