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赤坂の坂道を碑を求め歩いただけの旅行記です。<br />港区には80ヶ所以上の名の付いた坂がありますが赤坂エリアの一部の坂道を腰に万歩計、手にカメラを持ち散策しました。<br /><br /><br />

赤坂坂道散歩

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2015/03/01 - 2015/03/01

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アルプ・グリュム

アルプ・グリュムさん

赤坂の坂道を碑を求め歩いただけの旅行記です。
港区には80ヶ所以上の名の付いた坂がありますが赤坂エリアの一部の坂道を腰に万歩計、手にカメラを持ち散策しました。


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  • 散策のスタートは東京メトロ千代田線の乃木坂駅からとします。<br />乃木坂駅は乃木坂の中心に駅があります。<br />左側の道路は外苑東通りで、右側に下る坂が乃木坂ですが碑はありません。

    散策のスタートは東京メトロ千代田線の乃木坂駅からとします。
    乃木坂駅は乃木坂の中心に駅があります。
    左側の道路は外苑東通りで、右側に下る坂が乃木坂ですが碑はありません。

  • 乃木坂の碑<br />港区設置の碑は見当たりませんでしたが東京赤坂ライオンズクラブの立派な石製の碑が乃木神社にありました。<br /><br />「大正元年(1912)乃木将軍の葬儀と同時に幽霊坂という名は廃され、乃木坂に改められた。また、行合坂、なだれ坂とも呼ばれた」<br /><br />幽霊坂とは怖い坂ですがすぐ近くに青山墓地があるからでしょうか?

    乃木坂の碑
    港区設置の碑は見当たりませんでしたが東京赤坂ライオンズクラブの立派な石製の碑が乃木神社にありました。

    「大正元年(1912)乃木将軍の葬儀と同時に幽霊坂という名は廃され、乃木坂に改められた。また、行合坂、なだれ坂とも呼ばれた」

    幽霊坂とは怖い坂ですがすぐ近くに青山墓地があるからでしょうか?

  • 乃木坂<br />乃木会館の横の横断歩道辺りがが坂下ですが港区が設置した碑はありません。<br /><br />乃木坂については乃木神社と共に編集することにして次の坂へ向かいます。

    乃木坂
    乃木会館の横の横断歩道辺りがが坂下ですが港区が設置した碑はありません。

    乃木坂については乃木神社と共に編集することにして次の坂へ向かいます。

  • 檜坂<br />碑とミッドタウンを一緒に撮りましたがビルの高さが248mもあるため全体が収まりません。

    檜坂
    碑とミッドタウンを一緒に撮りましたがビルの高さが248mもあるため全体が収まりません。

  • 檜坂の坂上側の起点で左に見えるのが檜公園です。<br />碑のほとんどは港区が設置してあり、坂の由緒を読むと江戸時代の頃の歴史が多く勉強になります。<br /><br />江戸の時代からすでに開けていたと言うことです。

    檜坂の坂上側の起点で左に見えるのが檜公園です。
    碑のほとんどは港区が設置してあり、坂の由緒を読むと江戸時代の頃の歴史が多く勉強になります。

    江戸の時代からすでに開けていたと言うことです。

  • 檜坂<br />「江戸時代には、檜の木が多いため、檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸(檜町公園)に添う坂であった」

    檜坂
    「江戸時代には、檜の木が多いため、檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸(檜町公園)に添う坂であった」

  • 檜坂の坂下側の起点です。<br />全ての坂に2か所の碑がある訳ではありません。

    檜坂の坂下側の起点です。
    全ての坂に2か所の碑がある訳ではありません。

  • 檜坂の下には別の碑が檜公園の一角にありました。<br />赤坂檜町の地名が消滅したことを後世に残すためめ碑がです。

    檜坂の下には別の碑が檜公園の一角にありました。
    赤坂檜町の地名が消滅したことを後世に残すためめ碑がです。

  • 檜坂<br />古くは今井村であったこの地は赤坂檜町となり、現在は赤坂9丁目となっています。<br /><br />次の坂道へ向かいます。

    檜坂
    古くは今井村であったこの地は赤坂檜町となり、現在は赤坂9丁目となっています。

    次の坂道へ向かいます。

  • 本氷川坂<br />この坂は「タモリのTOKYO坂道美学入門」にも記載されてある坂で歴史的にも由緒がある坂として選ばれています。<br />この本では港区の坂が一番多く紹介されています。<br /><br /><br />坂上の起点です。

    本氷川坂
    この坂は「タモリのTOKYO坂道美学入門」にも記載されてある坂で歴史的にも由緒がある坂として選ばれています。
    この本では港区の坂が一番多く紹介されています。


    坂上の起点です。

  • 本氷川坂<br />「坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。社は明治16年4月、氷川神社に合祀された。元氷川坂とも書いた」

    本氷川坂
    「坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。社は明治16年4月、氷川神社に合祀された。元氷川坂とも書いた」

  • 本氷川坂<br />坂下の起点ですが左に見える塀は赤坂氷川神社で由緒ある神社です。

    本氷川坂
    坂下の起点ですが左に見える塀は赤坂氷川神社で由緒ある神社です。

  • 本氷川坂<br />赤坂氷川神社は氷川坂に挟まれる様に建てられていて広大な敷地を有します。

    本氷川坂
    赤坂氷川神社は氷川坂に挟まれる様に建てられていて広大な敷地を有します。

  • 本氷川坂<br />赤坂氷川神社<br /><br />次の坂へ向かいます。

    本氷川坂
    赤坂氷川神社

    次の坂へ向かいます。

  • 氷川坂<br />坂上の起点です。<br /><br />

    氷川坂
    坂上の起点です。

  • 氷川坂<br />「八代将軍吉宗の命で建てられた氷川神社のもと正面に当たる坂である」<br /><br /><br />次の坂へ向かいます。

    氷川坂
    「八代将軍吉宗の命で建てられた氷川神社のもと正面に当たる坂である」


    次の坂へ向かいます。

  • 転坂(ころびざか)<br />この坂はテレビ朝日で深夜に放送している「全力坂」で登場した坂です。<br />女優が全力で駆け上る番組で「この坂もまた、実に走りたくなる坂である」が番組最後の言葉です。番組表では6分ですがCMを除くとたった2分の番組です。<br /><br /><br />坂下の起点です。

    転坂(ころびざか)
    この坂はテレビ朝日で深夜に放送している「全力坂」で登場した坂です。
    女優が全力で駆け上る番組で「この坂もまた、実に走りたくなる坂である」が番組最後の言葉です。番組表では6分ですがCMを除くとたった2分の番組です。


    坂下の起点です。

  • 転坂<br />「江戸時代から道が悪く、通行する人たちがよくころんだために呼んだ。一時盛徳寺横の元氷川坂もころび坂といった」<br /><br />次の坂へ向かいます。

    転坂
    「江戸時代から道が悪く、通行する人たちがよくころんだために呼んだ。一時盛徳寺横の元氷川坂もころび坂といった」

    次の坂へ向かいます。

  • 稲荷坂<br />坂下の起点です。

    稲荷坂
    坂下の起点です。

  • 稲荷坂<br />「坂下北側に円融院があり、その境内の稲荷への門があったための坂。坂上に江戸城中清掃役の町があり掃除坂ともいう」<br /><br />

    稲荷坂
    「坂下北側に円融院があり、その境内の稲荷への門があったための坂。坂上に江戸城中清掃役の町があり掃除坂ともいう」

  • 稲荷坂<br />坂上からは左にミッドタウン、中央に六本木ヒルズが見えます。<br /><br />次の坂へ向かいます。

    稲荷坂
    坂上からは左にミッドタウン、中央に六本木ヒルズが見えます。

    次の坂へ向かいます。

  • 円通寺坂<br />坂下の起点です。

    円通寺坂
    坂下の起点です。

  • 円通寺坂<br />坂の名となった円通寺です。

    円通寺坂
    坂の名となった円通寺です。

  • 円通寺<br />赤坂の中心にも多くの寺院があるので驚きます。

    円通寺
    赤坂の中心にも多くの寺院があるので驚きます。

  • 円通寺近くの赤坂パークビル<br />品川区にある専修寺は、永禄2年(1559)曇譽上人により、青山の勢至堂を改築して開山、山院号を本山増上寺より賜う。二世誠譽上人の天正19年(1591)家康公により、赤坂堀端に家臣の菩提寺として移転。中興五世■譽上人(増上寺十八世定譽上人の直弟)の寛永2年(1625)赤坂碑と次一ツ木に代地を賜り、赤坂・専修寺として永年法灯を護寺するも、二十四世進譽上人の明治40年(1907)近衛歩兵第3連隊拡張の軍令により割譲止むなく桐ヶ谷の地に堂宇、墓碑(1573基)を移築す。<br />ここに歴代住職・檀信徒の佛縁を記念して當地に碑を建立す。合掌<br /> 平成20年(2008)3月吉祥日 當山 中興二十七世香譽亮哉<br /><br /><br />

    円通寺近くの赤坂パークビル
    品川区にある専修寺は、永禄2年(1559)曇譽上人により、青山の勢至堂を改築して開山、山院号を本山増上寺より賜う。二世誠譽上人の天正19年(1591)家康公により、赤坂堀端に家臣の菩提寺として移転。中興五世■譽上人(増上寺十八世定譽上人の直弟)の寛永2年(1625)赤坂碑と次一ツ木に代地を賜り、赤坂・専修寺として永年法灯を護寺するも、二十四世進譽上人の明治40年(1907)近衛歩兵第3連隊拡張の軍令により割譲止むなく桐ヶ谷の地に堂宇、墓碑(1573基)を移築す。
    ここに歴代住職・檀信徒の佛縁を記念して當地に碑を建立す。合掌
     平成20年(2008)3月吉祥日 當山 中興二十七世香譽亮哉


  • 円通寺坂<br />坂上の起点です。<br /><br /><br />次の坂へ向かいます。

    円通寺坂
    坂上の起点です。


    次の坂へ向かいます。

  • 薬研坂(やげんざか)<br />この坂には2つの碑がありますが両方とも坂の上に設置されています。

    薬研坂(やげんざか)
    この坂には2つの碑がありますが両方とも坂の上に設置されています。

  • 薬研坂<br />中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているために名づけられた。付近住民の名で何左衛門坂とも呼んだ。<br />

    薬研坂
    中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているために名づけられた。付近住民の名で何左衛門坂とも呼んだ。

  • 薬研坂

    薬研坂

  • 薬研坂<br />碑に書かれている通り中央がくぼんでいます。<br />通りの正面のビルはミッドタウンです。

    薬研坂
    碑に書かれている通り中央がくぼんでいます。
    通りの正面のビルはミッドタウンです。

  • 薬研坂<br />先に見える通りは国道246号線でその背後に見える森は赤坂御料地です。<br /><br />次の坂へ向かいます。

    薬研坂
    先に見える通りは国道246号線でその背後に見える森は赤坂御料地です。

    次の坂へ向かいます。

  • 弾正坂(だんじょうざか)<br />坂上の起点です。

    弾正坂(だんじょうざか)
    坂上の起点です。

  • 弾正坂<br />「西側に吉井藩松平氏の屋敷があり、代々弾正大弼(だいひつ)に任ぜられることが多かったため名づけられた」<br /><br />

    弾正坂
    「西側に吉井藩松平氏の屋敷があり、代々弾正大弼(だいひつ)に任ぜられることが多かったため名づけられた」

  • 弾正坂<br />坂の中間で国道246号線(青山道り)と交差して奥には豊川稲荷が見えます。

    弾正坂
    坂の中間で国道246号線(青山道り)と交差して奥には豊川稲荷が見えます。

  • 弾正坂<br />ここ豊川稲荷で参拝します。<br />どこから来たのかたくさんの人々がいました。

    弾正坂
    ここ豊川稲荷で参拝します。
    どこから来たのかたくさんの人々がいました。

  • 弾正坂<br />坂下の起点です。<br /><br />次の坂へ向かいます。

    弾正坂
    坂下の起点です。

    次の坂へ向かいます。

  • 九朗九坂(くろぐざか)<br />坂上の起点です。

    九朗九坂(くろぐざか)
    坂上の起点です。

  • 九朗九坂<br />「江戸時代の一ツ木町名主秋元八郎左衛門の先祖九郎九が住んでいて坂名になった。鉄砲練習場があって、鉄砲坂ともいう」<br />

    九朗九坂
    「江戸時代の一ツ木町名主秋元八郎左衛門の先祖九郎九が住んでいて坂名になった。鉄砲練習場があって、鉄砲坂ともいう」

  • 九朗九坂<br />豊川稲荷は弾正坂と国道246号線に囲まれるように建っています。

    九朗九坂
    豊川稲荷は弾正坂と国道246号線に囲まれるように建っています。

  • 九朗九坂<br />豊川稲荷の山門が坂上となります。<br /><br />次の坂へ向かいます。

    九朗九坂
    豊川稲荷の山門が坂上となります。

    次の坂へ向かいます。

  • 牛鳴坂(うしなきざか)<br />坂下の起点です。

    牛鳴坂(うしなきざか)
    坂下の起点です。

  • 牛鳴坂<br />「赤坂から青山に抜ける厚木道で、路面が悪く車を引く牛が苦しんだため名づけられた。さいかち坂ともいう」<br />

    牛鳴坂
    「赤坂から青山に抜ける厚木道で、路面が悪く車を引く牛が苦しんだため名づけられた。さいかち坂ともいう」

  • 牛鳴坂<br />坂上の起点です。<br /><br /><br />次の坂へ向かいます。

    牛鳴坂
    坂上の起点です。


    次の坂へ向かいます。

  • 丹後坂<br />坂上の碑

    丹後坂
    坂上の碑

  • 丹後坂<br />「元禄(1688〜)初年に開かれたと推定される坂。その当時、東北側に米倉丹後守(西尾丹後守ともいう)の邸があった」<br /><br />

    丹後坂
    「元禄(1688〜)初年に開かれたと推定される坂。その当時、東北側に米倉丹後守(西尾丹後守ともいう)の邸があった」

  • 丹後坂<br />坂と階段の組み合わせとなっています。

    丹後坂
    坂と階段の組み合わせとなっています。

  • 丹後坂<br />坂と言いながらこのような階段もあります。<br /><br />次の坂へ向かいます。

    丹後坂
    坂と言いながらこのような階段もあります。

    次の坂へ向かいます。

  • 三分坂(さんぷんざか)<br />この坂もタモリのTOKYO坂道美学入門で選ばれた坂です。<br /><br />坂上の碑

    三分坂(さんぷんざか)
    この坂もタモリのTOKYO坂道美学入門で選ばれた坂です。

    坂上の碑

  • 三分坂<br />「急坂のため、通る車賃が銀三分(さんぷん・百円余)増したためという。坂下の渡し賃一分に対していったとの説も」<br /><br />

    三分坂
    「急坂のため、通る車賃が銀三分(さんぷん・百円余)増したためという。坂下の渡し賃一分に対していったとの説も」

  • 三分坂の坂下の碑

    三分坂の坂下の碑

  • 三分坂の坂の下の碑廻りの報土寺にはいくつかの碑があります。<br />

    三分坂の坂の下の碑廻りの報土寺にはいくつかの碑があります。

  • 三分坂<br />「報土寺は、慶長十九年(一六一四)に、赤坂一ツ木(現赤坂二丁目)に創建され、幕府の用地取り上げにより安永九年(一七八〇)に三分坂下の現在地に移転してきました。この築地塀はこのころに造られたものといわれています。築地塀とは、土を突固め、上に屋根をかけた土塀で、宮殿・社寺・邸宅に用いられる塀です。塀のなかに瓦を横に並べて入れた土塀を特に「練塀」といいます」

    三分坂
    「報土寺は、慶長十九年(一六一四)に、赤坂一ツ木(現赤坂二丁目)に創建され、幕府の用地取り上げにより安永九年(一七八〇)に三分坂下の現在地に移転してきました。この築地塀はこのころに造られたものといわれています。築地塀とは、土を突固め、上に屋根をかけた土塀で、宮殿・社寺・邸宅に用いられる塀です。塀のなかに瓦を横に並べて入れた土塀を特に「練塀」といいます」

  • 三分坂<br />瓦を横に並べて入れた土塀を特に「練塀」です。

    三分坂
    瓦を横に並べて入れた土塀を特に「練塀」です。

  • 三分坂 雷電為右衛門の墓<br />「明和四年(一七六七)信州(長野県)小諸在大石村に生まれた。生まれながらにして、創建、強力であったが、顔容はおだやか、性質も義理がたかったといわれる。<br />天明四年(一七八四)年寄浦風林右衛門に弟子入りし、寛政二年(一七九〇)から引退までの二十二年間のうち大関(当時の最高位)の地位を保つこと、三十三場所、二百五十勝十敗の大業績をのこした。<br />雲州(島根県)松江の松平侯の抱え力士であったが引退後も相撲頭に任ぜられている。文化十一年(一八一四)当寺に鐘を寄附したが異形であったのと、寺院、鐘楼新造の禁令にふれて取りこわされた。<br />文政八年(一八二五)江戸で歿した」

    三分坂 雷電為右衛門の墓
    「明和四年(一七六七)信州(長野県)小諸在大石村に生まれた。生まれながらにして、創建、強力であったが、顔容はおだやか、性質も義理がたかったといわれる。
    天明四年(一七八四)年寄浦風林右衛門に弟子入りし、寛政二年(一七九〇)から引退までの二十二年間のうち大関(当時の最高位)の地位を保つこと、三十三場所、二百五十勝十敗の大業績をのこした。
    雲州(島根県)松江の松平侯の抱え力士であったが引退後も相撲頭に任ぜられている。文化十一年(一八一四)当寺に鐘を寄附したが異形であったのと、寺院、鐘楼新造の禁令にふれて取りこわされた。
    文政八年(一八二五)江戸で歿した」

  • 三分坂<br />大相撲史上未曾有の最強力士の雷電の手形です。<br /><br />次は歩き続けたためTBS経由で地下鉄で帰途に付きます。

    三分坂
    大相撲史上未曾有の最強力士の雷電の手形です。

    次は歩き続けたためTBS経由で地下鉄で帰途に付きます。

  • TBSの全景<br />TBSにも坂があるので寄って行きます。<br /><br />

    TBSの全景
    TBSにも坂があるので寄って行きます。

  • サカス坂<br />TBSと言えば赤坂サカス、赤坂サカスと言えばサカス坂です。<br />しかし、碑もなく歴史もない坂ですが何故かよく耳にする坂です。

    サカス坂
    TBSと言えば赤坂サカス、赤坂サカスと言えばサカス坂です。
    しかし、碑もなく歴史もない坂ですが何故かよく耳にする坂です。

  • さくら坂<br />サカス坂を上がったところにさくら坂がありますがこちらも碑はありません。<br /><br />桜が咲いている頃訪れていたら坂道の名の通りなのですが!

    さくら坂
    サカス坂を上がったところにさくら坂がありますがこちらも碑はありません。

    桜が咲いている頃訪れていたら坂道の名の通りなのですが!

  • TBSと言えばこのこの人?<br />お手を触れぬ様 ご注意下さい<br /><br />明日は六本木界隈の坂を散策します。

    TBSと言えばこのこの人?
    お手を触れぬ様 ご注意下さい

    明日は六本木界隈の坂を散策します。

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