2015/03/01 - 2015/03/01
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アルプ・グリュムさん
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渋谷はどこも坂道ばかりですが名称を与えられた渋谷駅周辺の坂道を散策しました。
ただ歩いただけの記録です。
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先ずは渋谷と言えば道玄坂から散策をスタートします。
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道玄坂にもその存在を示す碑が建てられています。
たくさんの人々が通り過ぎる道玄坂ですがこの碑をじっくり見る方は見かけません。 -
道玄坂の碑
江戸時代の道玄坂は、大山街道の一部として多くの人が往来していました。 当時の道玄坂は、現在の道玄坂から世田谷街道に入って松見坂までを広く呼んだものでした。 江戸中期頃より 道玄坂とは専らこの坂を指すようになったのです。 -
道玄坂にはもう一か所にも碑があります。
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道玄坂の碑
先ほどの碑と同じかと思いましたが内容が違っていました。
江戸時代以来、和田義盛の後裔大和田太郎道玄が、この坂に出没して山賊夜盗の如く振舞ったとの伝説がありました。しかし本来の道玄坂の語源は、道玄庵という庵があったことに由来すると考えられます。 -
道玄坂の碑
歴史深い碑が並んでいます。 -
道玄坂
大阪の堺から上京した歌人晶子は、道玄坂の近傍に住み与謝野寛と結婚しました。
その彼女が坂の上から西空の彼方の生家を思い詠んだ句が記されています。
母遠(とほ)うて瞳(ひとみ)したしき西の山
相模(さがみ)か知らず雨雲かかる -
道玄坂
渋谷道玄坂
渋谷氏が北条氏綱に亡ぼされたとき(一五二五年)その一族の大和田太郎道玄がこの坂の傍に道玄庵を造って住んだ。 それでこの坂を道玄坂というといわれている。 江戸時代ここを通る青山街道は神奈川県の人と物を江戸へ運ぶ大切な道だった。
やがて明治になり品川鉄道(山手線)ができると渋谷付近もひらけだした。近くに住んだ芥川竜之介、 柳田国男がここを通って通学したが、 坂下に新詩社ができたり、 林芙美子が夜店を出した思い出もある。これからも道玄坂は今までと同じくむしろ若者の街として希望と夢を宿して長く栄えてゆくことであろう。
樋口清之 -
道玄坂道供養碑
私は旧東海道の宿場の碑を記録しているのでこのような碑を見るとつい足を止めます。 -
道玄坂にはこのなマンホールがあります。
これは道玄坂限定の代物だと思います。
日本全国のマンホールの写真だけを写真に撮り続けている強者がいますがこの写真もとっているのだろうか? -
道玄坂坂上のバス停
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道玄坂と言えばこの光景です。
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この照明用ポールに道玄坂と書かれていますがその上の番号は何でしょうか?
道玄坂だけで一つの旅行記が編集できそうですが次の坂に向かいます。 -
間坂(まさか)
井の頭通りから公園通りへLoft沿いに進む道。
平成元年、Loftが一般公募により命名しました。
「渋谷駅と公園通りとの間」「ビルとビルの間」「『まさか』という語呂のよさ」「『間』という漢字が人と人との関わり合いをイメージする」との理由です。 -
間坂
通りの入り口のLoft -
間坂
奥の紀伊国屋書店の前に碑があります。 -
間坂の碑
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間坂
上から見た碑です。
文字が逆転していて印鑑の版のようです。 -
間坂
読み方は「まさか」と読みます。
次の坂へ向かいます。 -
スペイン坂
入口です。 -
スペイン坂
坂の入り口にはスペイン坂ではなくスペイン通りの碑が設置されてあります。 -
スペイン坂
日本離れしたこの光景はスペイン坂と命名した時に周囲の店舗が欧州風に模様替えしたそうです。 -
スペイン坂の碑
欧州風の街並み、この国旗はスペイン、イタリア、フランス?
この下に碑があります。 -
スペイン坂
訪れた時間が10時頃なのですぐに見つけられますが昼前からは食事する方々と観光客とメニューの看板で見つけるのは困難となりそうです。 -
スペイン坂
階段の入り口付近にあるスペイン坂の碑 -
スペイン坂
上部は階段となっています。
イタリアのローマにもスペイン階段があり有名です。
ローマのスペイン階段の上部には教会がありますがこちらははパルコがあります。 -
スペイン坂
名を知らせているのは東京FM渋谷スペイン坂スタジオではないでしょうか!
しかし、この場所はスペイン坂沿いではなく坂を登った先の通りを越したパルコにあります。
近くにあるユニクロの店名もスペイン坂店と呼んでいます。
次の坂へ向かいます。 -
オルガン坂
碑はありませんがスペイン坂のすぐ近くなので寄ってみました。 -
オルガン坂
東急ハンズの階段がオルガンの鍵盤に見えるからだそうです。 -
オルガン坂全景
このような坂は渋谷の各所で見られます。
渋谷区のHPでこの坂が紹介されていますが一般に認知されているのでしょうか?。
次の坂へ向かいます。 -
間坂
こちらも先ほどと同じ間坂ですが読み方はそのまま「あいだ」と読みます。
こち坂名の由来ははっきりしないが、昭和3年(1928)町名地番の改正が行われた際、この坂が大和田町と桜丘町との境になったところから「両町の間にある坂」との意味でこのように呼ばれるごとになったものであろう。 -
間坂
セルリアンタワー東急ホテル横にある案内地図にも通りの名も坂の名もありません。 -
間坂とセルリアンタワー東急ホテルが一緒に写ってあれば証拠になるのですがビルがやっと収まる程度の写真です。
高層建築を撮影するときは広角レンズがほしいと常に思っています。 -
間坂
駅前の歩道橋から見た間坂。
何の変哲もない普通の坂ですが一般に認知されているのか分かりません。
渋谷区のHPにはこの名が紹介されています。
次の坂へ向かいます。 -
宮益坂の入り口
この坂も有名で渋谷駅を境に道玄坂の対面側にある坂です。
渋谷駅前は工事の際中で、東急デパートが取り壊され地下鉄銀座線が宙に浮いている格好です。 -
宮益坂の碑
地下鉄銀座線は地上3階ありますが無理に地下に下りることなくこの坂のため自然と地下に入ることができるのです。
渋谷駅にはJR、京王、東急東横線、東急田園都市線等がありますが一番高い所を通る鉄道です。
銀座線が一番高い所を通ることには今後も変らず、地下鉄銀座線が地下化することはありません。 -
宮益坂の碑
かつて、富士見坂とも呼ばれたこの坂一帯は、古くから矢倉沢往還(大山道中)として江戸の町と郊外農村との接続点であったので、ささやかな商人町を形成していました。ここが渋谷宮益町と称されていたので、宮益坂と呼ばれるようになりました。 -
宮益坂の碑
周囲は花々が植えられています。
これも地域の方々のおかげです。 -
宮益坂を上り終わったら次に金王坂を下ります。
写真の左側が宮益坂で交差点の右側が青山通り(国道246号)で金王坂が始まる地点です。
地下鉄銀座線は写真の左の横断歩道の下を通っていて後はひたすら青山通りの真下地表ぎりぎりで走ります。 -
金王坂が始まる坂の上には碑が設置されています。
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金王坂の碑
明治大正昭和と波乱万丈の過程を経て市区改正町名変更に伴ない先輩諸氏の築かれた幾多の功績をたたえ由緒ある金王の地名を保存しここに金王坂と命名する。
地元の町会が設置しています。 -
金王坂の坂下
歩道橋に書かれている金王坂下の文字。
ところで渋谷の歩道橋の利用率は抜群でこの写真にも多くの利用者が渡っているのが見えます。
他の都市では歩道橋の下に横断歩道が設けられて歩行者は利用していません。
渋谷の歩道橋の下には横断歩道がないのとやはり若者の街だからでしょう。 -
金王坂の始まる交差点には渋谷クロスタワーがそびえます。
以前は渋谷のランドマーク的存在のビルだったのです。 -
坂とは関係がありませんが渋谷クロスタワーのテラスには今や亡き尾崎豊を偲ぶ広場があり、自由にメッセージ等を書くことができます。
尾崎豊もこのテラスで夕日を見ていたそうです。 -
横の壁にもファンからの熱いメッセージが書き込まれています。
以上で渋谷の坂道はこれで一冊とします。
渋谷には他にも多くの坂がありますが次回改めて訪れたいと思っています。
旅行記ランキングには興味も意味もないと思っているので投票はしないで下さい。
投票されても見返りの訪問、投票は致しません。
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