2015/03/03 - 2015/03/03
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ペコちゃんさん
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3月とはいってもまだ寒い曇天の一日、トレッキング仲間と6人で東武東上線沿線の山歩きに出かけました。
今回は、小川と寄居の間にある東武竹沢駅から「官ノ倉山」を歩いて、東秩父村の「和紙の里」に立ち寄るコースです。
昨年、秩父高原牧場にポピーを見に行った時に、バスの車窓から和紙の里が見えましたが、細川紙が11月にユネスコ無形文化遺産に登録されたこともあり、一度立ち寄ってみたいと思っていました。
和紙の里は、細川紙の事が分かるだけでなく、建物や庭園を見るだけでも訪れる価値があります。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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小川町駅で寄居行の電車に乗り換えて、8時半前に「東武竹沢駅」に到着・・・この駅に来たのは、勿論、初めて。
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今回は、官ノ倉山・石尊山をトレッキングして東秩父村の村落に下り、車道を歩いて和紙の里を見学してから、バスで東武東上線・小川町駅に戻るコースです。
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東武竹沢駅から官ノ倉山の登山口まで、しばらくの間、車が走る一般道を歩きます。
東武東上線とJR八高線は小川から寄居まで路線があまり離れていないので、この標識にもあるように、竹沢駅も東武とJRの案内になっています。 -
民家の黄梅(オウバイ)が綺麗な花をつけています。
黄梅は、花の形が梅(バラ科)に似ているためつけられた名前ですが、実はジャスミンの仲間(モクセイ科)です。
しかし、ジャスミンと違って、花に香りは殆どありません。 -
途中の電柱に「外秩父七峰縦走ハイキングコース」 の表示板がありました。
毎年、東武鉄道が4月に主催するこのハイキングは、小川町駅から官ノ倉山・笠山・堂平山・剣ヶ峰・大霧山・皇鈴山・登谷山の七山を縦走し、寄居駅でゴールインというコースです。
全行程は42.195kmで、マラソンと同じ距離!・・・来年、チャレンジしてみようかな? -
登山道のコースに入り、しばらく歩くと「三光神社」があります。
この神社は鎌倉時代の豪族・竹沢氏により建立されたと伝えられるもので、三光とは日・月・星のこと。
昭和26年に本堂と拝殿が改築されました。
社殿に覆いかぶさるような杉の大木が印象的です。 -
道端にあるピンクのネコヤナギに、春の息吹を感じます。
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こんな屋根瓦の塀は、味があって良いですね。
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三光神社の角を曲がると、小さな灌漑用の「天王池」があります。
この池にはカワセミが姿を見せることもあるようです。 -
池の中では、大きな鯉がノンビリと・・・
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これは、まるでパンダ鯉!
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杉に囲まれた登山道を登って行くと、至る所にイノシシが土を掘り返したような跡がありました。
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これは、天狗の下駄?
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頂上の手前に、少し急な岩場があり・・・
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この急坂を登り切ると、パーッと視界が開けました・・・10時過ぎに、官ノ倉山頂(344.7m)に到着です!
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山頂は、小川町と東秩父村の境になっています。
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中央は笠山、左側は堂平山。
今日は曇天ですが、天気が良い日には赤城山や奥日光の山や上越の山々も見えるようです。 -
山頂から寄居方面を見ると、平成25年から操業開始のホンダ寄居工場があります。
この新工場では、フィット・フリードなどの量販車を年間25万台製造しています。 -
今日は他の登山者が全くいないので、セルフタイマーで集合写真を撮って、次に向かいます。
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ちょっと歩きづらい坂を下り、ちょっときつい坂を登ると、10分ほどで石尊山(344.2m)の頂上へ辿り着きました・・・官ノ倉山よりも山頂が広くて、見晴らしも良さそうです。
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石尊山の山頂には、石尊(せきそん)信仰に由来する祠が点在しています。
石尊信仰は、神奈川県・大山阿夫利神社を中心とする山岳信仰のことで、山頂の岩に神々(農耕の神、雨乞いの神)が降りると信じられていたことから、石尊の名がつきました。
関東には「石尊山」という山が12ほどあり、いずれも高くありませんが、一番低いのが官ノ倉山・石尊山です。 -
石尊山から下山して県道11号線に向かう途中に、細川紙を作っている家がありました。
根岸光一(みつかず)さんは伝統細川紙の技術保持者であり、叙勲も受けています。
和紙の里・東秩父村では、紙業を生業としている家も減少しているため、60年間手すき和紙の製作を続けてきた根岸さんは、後継者育成・技術伝承に心を砕いています。 -
県道に出る手前に、真言宗智山派の「上品寺(じょうほんじ)」があります。
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東武竹沢駅から約3kmの場所です。
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鐘楼も、なかなか立派でした。
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上品寺を後にして、県道を歩くこと25分・・・やっと 「 和紙の里 」 の標識が見えてきました。
ここで漉いている細川紙は、昨年11月にユネスコ無形文化遺産に登録され、観光客も増えるでしょうから、もっと手前から標識・看板を出すべきですね。 -
和紙の里の入り口には、広い駐車場があり、路線バスも停まります。
東秩父村の手漉き和紙は1300年の歴史がありますが、細川紙は和歌山県高野山麓の細川村で漉かれていた細川奉書を、江戸に近いこの地で農閑期の副業として漉くようになりました。
堂平山に水源がある槻川(つきがわ)の清流を利用し、明治以降も発展した細川紙でしたが、戦後は洋紙などに押されて衰退し、後継者も減少の一途を辿り、細川紙の存続も危ぶまれました。 -
東秩父村では、伝統の細川紙を後世に伝えるとともに、伝統産業の活性化を図るために、昭和60年から「和紙の里」の整備に着手しました。
これは、メイン施設の「和紙製造所」。
和紙の里では和紙の製造工程が見学でき、和紙の製造体験もできます。
入口で、東秩父村のマスコットキャラクター「わしのちゃん」が迎えてくれます。 -
和紙の原料には、楮(こうぞ)・三椏(みつまた)・雁皮(がんぴ)などがありますが、楮は他の原料と比べて光沢があり繊維が長いので、より美しい和紙が漉けます。
ユネスコ無形文化遺産に登録された「石州半紙」「本美濃紙」「細川紙」は、楮だけを原料とし、漉きやすくするために「トロロアオイ」を混ぜます。
トロロアオイは、オクラに似た花を咲かせる植物ですが、根から抽出される粘液の「ネリ(糊)」が楮の繊維を均一に分散させるそうです。 -
<手漉き和紙が出来るまで>
①楮蒸し
②楮むき
③楮ひき(表面の黒皮の削り落とし)
④楮煮(灰汁ぬきのために釜で煮込む)
⑤楮晒(灰汁を洗い流す作業)
⑥楮打ち(棒で綿状になるまで叩いてほぐす)
⑦紙漉き(トロロアオイのネリを水に混ぜて、こし盆で紙液をすくい紙漉きを行う)
⑧かんだしぼり(漉き上がった紙を重ねた状態で重しを載せ脱水)
⑨紙干し
⑩仕上げ(切断・包装) -
1枚1枚が手作りのため、1枚ごとに独特の味や風合いがあります。
紙漉きの前に、手や棒で楮とトロロアオイをかき混ぜます。 -
乾燥は一枚一枚、手作業で鉄板に貼り付けます。
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楮晒(こうぞさらし)・・・あく抜きした白皮に付いているごみや傷などを丁寧に取り除きます。
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晒した後の楮を見ると、秩父の代表的な漬け物「しゃくしな」を想像します。
12月から5月が良質な和紙ができる最適期ですが、寒さの中で辛い作業が続きます。
このため、最近では、手漉き和紙=3:機械すき和紙=4 と機械すき和紙が多くなっています。 -
和紙製造所の隣にある「ふるさと文化伝習館」・・・蔵の形をした重厚な建物で、文化財などを展示しています。
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トレッキングシューズを脱ぐのが面倒なので、見学はパス。
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美味しい手打ちそば・うどんを味わうことができる食事処「すきふね」は、和紙製造所の奥にあります。
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17世紀末の紙漉農家を移築復元した「細川紙紙漉家屋」・・・茅葺の中規模農家で、当時の一般的な紙漉き家屋です。
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土間に入って見学ができます。
私達が子供の頃には、土間や縁側があるこのような家屋がまだ沢山残っていました。 -
当初、土間にはウマヤがありましたが、これを撤去して紙漉き場にしたそうです。
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囲炉裏があり、古き良き時代が偲ばれます。
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ヂロとかデエなどの秩父弁が面白いですね。
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家屋の周りは手入れが行き届いた庭園になっていますので、花の時期にくると綺麗でしょうね。
右側には「蔡倫の滝」が流れ、中央の池に注いでいます。 -
梅の花や・・・
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ミツマタの花も咲き始めています。
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右手の丘は「彫刻の森」・・・折角なので、登ってみました。
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●かぶと(作:田中毅)・・・何ともかわいい作品です。
昭和26年に宮崎で生まれ、東京芸大を卒業した田中さんの作品は、全国各地に飾られています。 -
●風の鳥(作:伊藤孝)
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●七重雲・七ツ夢(作:高岡典男)
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●でいじゃぼう・・・これも田中毅さんの作品・・・昨年の大霧山で見かけたダイダラボッチ伝説の看板を思い出します。
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●翔びます・・・これも田中毅さんの作品・・・彫刻はいくつかあったけど、これが一番親しみやすかったかな・・・モモンガ? ムササビ?
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展望台から見た和紙の里と東秩父村の風景。
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売店でお土産を買った後、次のバスまで時間があったので、近くにある浄蓮寺に行ってみました。
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日蓮宗の浄蓮寺は1288年の開山で、池上本門寺(大本山)と縁がある古刹です。
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本堂。
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本堂の扁額。
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石積みの上に建つお堂は、日蓮聖人の坐像を安置する祖師堂。
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観世音菩薩像。
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境内の奥には「瘡守明王」の堂額の掛かった妙栄稲荷堂(瘡守稲荷)があります。
左の小さな社は八坂神社。 -
境内や墓地には杉の巨木が何本もあります。
これは2本の杉が融合した巨木。 -
浄蓮寺文化財の案内板。
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境内裏手の墓地。
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浄蓮寺は松山城主・上田氏の菩提寺で、墓地の一角に「上田朝直の墓」(県指定史跡)があります。
現在の比企郡吉見町にあった松山城は、1399年に上田友直によって築城され、その後、1590年に豊臣秀吉の小田原征伐の際に落城し、徳川家康が関東に入国した後の1601年に城主・松平忠頼が浜松藩に移封されて空城になり、廃城となりました。 -
中央が上田朝直(1582年没)の墓、左は父の上田政広、右は子の上田長則の宝塔。
肌寒い曇天の一日でしたが、この地の歴史・文化にも触れ、充実した山行でした。
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