2015/03/08 - 2015/03/08
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Wind99さん
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「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」で始まる奥の細道は、古文で学んだ頃から大好きであった。
そして芭蕉への旅のはじめは、芭蕉の故郷の伊賀上野から始まった。東京での芭蕉の痕跡をあらためて追ってみた。
松尾芭蕉は、意外に関が原の戦い(1600年)からそう遠くない、江戸時代初期の1644年生まれである。
29歳で生まれ育った伊賀上野から東京に出た。
1)江戸日本橋の桃青
2)2年後、神田川の工事で、現在の文京区に住む。(関口芭蕉庵)
3)3年後深川へ転居。(深川芭蕉庵)
深川より旅に出て、野ざらし紀行、笈の小文、更科紀行、奥の細道と紀行文を出す。旅の途中、大阪で没した。
- 旅行の満足度
- 3.5
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老舗の佃煮屋「日本橋 鮒佐」の店先に松尾芭蕉の句碑があった。
場所は諸説あるが、現在の日本橋室町に住み、俳壇での地位を固め、俳諧宗匠として独立したという。 -
句碑にある「発句也松尾桃青宿の春」
芭蕉は当時「桃青」と称していた。 -
その後、現在の文京区へ移る。
現在、関口芭蕉庵として、池や庭園などが整備され、無料で公開されている。
正門。この門は常時閉まっていて、数年目に来た時はそれを知らず、入れないと諦めていた。 -
正門前の神田川。
水戸藩邸の防火用水に神田川を分水する工事に携わった事から、神田川近くに移ったのだ。 -
関口芭蕉庵の横に小さな門があり、ここから入る。
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池の手前の芭蕉句碑
古池や蛙飛びこむ水の音
これは、すでに江戸時代から俳句の代名詞として広く知られていた句であるそうだ。 -
あまり手入れされていないような池の様子。
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芭蕉庵。
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関口芭蕉庵の横には急な登坂があり、それを上っていくとすぐ左手に永青文庫があった。
芭蕉との関連はないが、寄り道する。 -
ここは、細川家に伝来する歴史資料や美術品の文化財を一般に公開している。
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現在、信長からの手紙が公開されている。先月(2015/02)NHKや、フジテレビでその特集を行った放送を見て、是非見に来たかった。
1通1通がすべて重要文化財で、信長関係の書面では最も所有している。
本能寺の変の光秀謀反の本当の理由が検証されているという。(テレビでその説を見たが、十分頷ける新説?であった) -
別館サロンも開館中で、その放送された番組を見ることが出来る。
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寄り道ついでに、駅名にもなっている護国寺を見てみた。
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富士塚もあった。
(境内案内図には書いてないため、敷地は別かも知れない) -
芭蕉が最も長く住んだ深川に来た。
江東区芭蕉記念館。 -
芭蕉記念館入り口前の石碑。
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芭蕉記念館入り口前の句碑。
「草の戸も住み替る代ぞ雛の家」
奥の細道の第一句が彫られていた。 -
記念館には、小さな日本庭園があり、築山には芭蕉庵を模した茅葺き屋根の祠と「古池や」と「川上と」芭蕉句碑があった。
祠の中には小さな芭蕉像が見えた。この祠は以前来たときには見逃していた。 -
庭園の白梅。
築山から、隅田川の堤防に出ることが出来た。 -
隅田川を少し下ると、芭蕉稲荷神社がある。
大正6年(1917)の大津波の後、「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)が出土し、同10年に東京府は、この地を「芭蕉翁古池の跡」と指定したという。 -
その蛙?が数匹、石碑の足元にいた!。
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江東区芭蕉庵史跡展望庭園。
隅田川の堤防に上っていく。 -
展望庭園には、芭蕉坐像があった。
この像は、「松尾芭蕉の弟子の一人杉山杉風が描き・・・」と説明書きがあり、正確なものだと思われた。 -
忘れていたが、前にTV番組を見て、この像は回転することを思い出した。
17時に90度回転する。(門は16:30に閉まるため、回転を見る事はできない)
日中はこの方向を向いており、上野方面と思えた。90度回ると清洲橋方面となる。 -
眼下では隅田川と小名木川と対岸の清洲橋が見えた。
釣り人が絵になった。 -
近くの萬年橋を渡り、清洲公園を抜け、仙台堀川沿いの芭蕉俳句の散歩道を通る。
芭蕉俳句がいっぱい掲げられていた。
「行春や鳥啼魚の目は泪」
これも好きな句だ。 -
仙台堀川の海辺橋横に、採茶庵跡がある。
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元禄2年(1689)芭蕉はここから舟で隅田川を上り、千住に向かい「奥の細道」に旅立った。
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隅田川の千住大橋に来ると、橋の袂に足立市場があった。
市場入り口には、自由にお入りくださいとあったため、一旦そこに入り、芭蕉の史跡の場所を調べようと思った。
足立市場は、都内で唯一の水産物専門の中央卸売市場だそうで、別のタイミングで、場内の食堂に来てみたいと思う。 -
運良く、丁度足立市場のすぐ横に目指す「奥の細道 矢立初の芭蕉像」があった。
芭蕉はここで、門人たちの見送りを受け、奥の細道に旅立った。 -
千住宿奥の細道プチテラスという、日光街道の千住宿の道標。
ここから日光街道だなと実感した。 -
この像は、松尾芭蕉生誕360年記念事業で、平成16年に建てられた。
そのため、ここへの訪問は初めてとなった。
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