1974/10/28 - 1974/11/05
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ノスタルジアさん
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今から41年前の昭和49年7月23日から3月7日までの225日間かけて
ナホトカ航路、シベリア鉄道を往復してヨーロッパ、モロッコを
船、列車、バス、ヒッチハイクで旅しました。
高所恐怖症なので飛行機には現在まで一度も乗った事がありません。
乗り物による移動距離は60,806.8キロ、地球1.52周でした。
観光白書によると昭和49年の日本人の海外旅行者数が200万人、
平成24年度は1849万人、40年ほどで10倍近くなりました。
そんな当時の旅行の資料と写真を少しづつアップして行きます。
今回は、アントワープからパリ、ドーバー海峡を渡り、
ロンドンからネス湖、そしてロンドンまでの9日間、2,752キロの
ハードな旅でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 ヒッチハイク 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旅行記の周辺地図
昭和49年10月28日
アントワープ〜パリ〜
10月29日
〜ダンケルク〜ドーバー〜ロンドン
10月30日
ロンドン〜
10月31日
〜エジンバラ
11月1日
エジンバラ〜インバネス
11月2日
インバネス〜グラスゴー
11月3日
グラスゴー〜エジンバラ
11月4日
エジンバラ〜
11月5日
〜ロンドン -
昭和49年10月28日
パリ 100ドル28,501円両替 1フランスフラン61.29円
アントワープ午前9時半初の列車はパリに14時過ぎに到着した。
今回、パリはイギリスに渡る為の経由地でパリ見物は11月中旬の
予定にした。 -
昭和49年10月28日
パリ 地下鉄切符裏面 10枚綴り切符 8フランで490円 -
昭和49年10月28日
ユーレイルパスは今日まで。
イギリスはユーレイルパスは適用外 -
昭和49年10月28日
パリ〜ロンドン ナイトフェリー切符カバー 60フランで3,678円
パリ北駅22時00分発
超満員だった。
カレー駅までは28日中だったのでユーレイルパスで1等車に乗った。
フランス ダンケルク駅 29日午前1時40分着
2時25分発 ドーバー海峡フェリー
イギリス ドーバー駅 6時05分着
7時20分発
ロンドン ビクトリア駅 9時10分着
超満員の上、寒い中での深夜、早朝の2度の乗り換え、2時間のフェリー、
列車待ち、入国審査、もう2度とナイトフェリーは乗るまいと思った。
-
昭和49年10月28日
あれっ!パスポートのフランス出国がダンケルクではなくパリ北駅になっている。
今、気付きました? -
昭和49年10月29日
イギリス ドーバー 入国スタンプ
当時、日本人のイギリス入国の審査は厳しい事で有名だった。
・日本までの帰りの航空券の切符を持っていない者
・語学留学なのに入学許可証を持っていない者
・所持金が少ない者
・英語が喋れない者
・ドーバー海峡から入国する者
がマークされた。
ひたすら観光目的で通し、間違っても英語の勉強、アルバイトなどと
言ってはいけない。
ほとんどがユースホステルにいた日本人たちの情報だったが、
入国拒否されて着払いでヒースロー空港から帰国させられた類いの
話しはよく聞かされた。
また9月13日にオランダのハーグで日本赤軍によるフランス大使館占拠事件、
いわゆるハーグ事件もあって各国の日本人の審査は厳しくなっていた。
フェリーから降りて入国審査事務所に誘導されていくと、
幾つものブースが並んでいて、ここでどのブースが一番スムーズに短時間で
審査が終わるか観察してから優しそうな係官のブースを選んで臨んだ。
質問は予想通りであった。帰りの切符の代わりに使っていない
ユーレイルパスを見せた。
心配していた英会話力もゆっくりとした質問だったので助かった。
時間が掛かったのはパスポートの氏名と顔写真を見ながらチェックしていて、
上越しに覗くとローマ字と漢字で書かれた日本赤軍の名簿だった。
顔写真付きもあった。
パスポートの写真は髪の毛は短く、
今の顔は長髪で別人みたいだったので髪の毛を手で束ねて
チェックさせられた。
日本名の照合は見にくいらしく、覗いていたら「お前の名前はあるか?」
と訊いてきたので、勿論有る筈ないのだが、丹念にチェックしたふりして
「無い」と言ったらそれで審査は終わった。
5分以内の短い審査だったが、隣りのブースは15分ぐらいは掛かっていた。 -
昭和49年10月29日
ロンドンビクトリア駅と駅前広場
パリからのナイトフェリーは9時10分にロンドンビクトリア駅に着いた。 -
昭和49年10月29日
長距離バス周遊券 コーチマスターチケット(10月30日〜11月6日までの8日間)
8ポンドで5147円
大失敗した。
イギリスで利用できる鉄道パス ブリットレイルパスはイギリスでは
買えないのである。
スイスホリディパス、ユーレイルパスと同じように
日本で買っておくべきだったのである。 -
昭和49年10月29日
長距離バス周遊券 コーチマスターチケット(10月30日〜11月6日までの8日間)
8ポンドで5147円
仕方なくコーチマスターチケットを買ったが、
これが大変使い勝手が悪く、乗車前に必ず予約しなければならず、
その上、オフシーズンの為、スコットランドでは便数が極めて少なくなって
いる事を買ってから気付いた。
このままではネス湖まで行けるかどうか心配になった。 -
昭和49年10月29日
長距離バス周遊券 コーチマスターチケット8日券 8ポンドで5147円
領収書 -
昭和49年10月29日、11月5日〜10日
7泊したロンドンのユースホステルの宿泊スタンプ -
昭和49年10月29日、11月5日〜10日
7泊したロンドンのユースホステルの宿泊スタンプ
10月29日、30日とユースホステルからアルバイトしてくれと言われ、
ベッドメイク、掃除をした。
1日2時間程だったが、給料については観光目的で入国したので、お金ではなく
スコットランドからロンドンに戻って泊まる
ここのユースホステル2泊分に充てる事になった。 -
昭和49年10月29日、11月5日〜10日
7泊したロンドンのユースホステルの宿泊スタンプ -
昭和49年10月30日
ロンドン 食料品店の買い物レシート
0.25 1/2£で164円 -
ロンドンからインバネス(ネス湖)までのユースホステルの地図
昭和49年10月30日
ビクトリア駅23時発夜行バスでエジンバラに向かった。
途中、ケンダル、カーライルでの2度の乗り換え、接続も悪く
待合室も閉まっていて、寒い中での2時間待ちなどエジンバラ
までの640キロは大変だったが、朝陽を浴びて美しく輝く牧場の緑が
心を癒してくれた。 -
昭和49年10月31日
エジンバラ 市内バス切符 8ペンス51円
バスターミナルからユースホステルへ -
昭和49年10月31日、11月3日
2泊したエジンバラのユースホステル -
昭和49年10月31日、11月3日
2泊したエジンバラのユースホステル -
昭和49年10月31日、11月3日
2泊したエジンバラのユースホステルの宿泊スタンプ -
昭和49年11月1日
エジンバラ 市内バス切符 8ペンス51円
ユースホステルからバスターミナルへ -
昭和49年11月1日
エジンバラからパース コーチマスターチケット予約券
バスターミナルでバスはオフシーズンはパースまでと知り
そこから先インバネスまで200キロはヒッチハイクする事にした。
午前中にパースに着き午後からヒッチハイクを始めた。
3台目まで順調に行ったが、インバネスまであと20マイル32キロで
日が暮れてしまって車が停まらなくなった。
暗くなるとヒッチハイクは途端に難しくなり、心細くなりながら
インバネス方面に歩きながら、たまに通る車に手を挙げていたが、
気付かないのか通り過ぎて行った。
寝袋は持っていたが野宿出来る気温ではなかった。
さて、どうしようか、と思い始めた6時頃、ようやく車が停まってくれた。
お礼を言いながら暖かい車内に乗ると、インバネスまで行くとの事で
「これで助かった」と思った。
一時はどうなる事か、と思っていただけに嬉しい限りであった。
50歳代で仕事の帰りとか、日本人と話したのは初めてとか、
ネッシーを見たことがあるか?と訊いたら、地元民、誰も見たことが
無い、と言い、「君が第一発見者になる事を期待している。」と
笑いながら大声で言った。
40分程乗っていると眼下に灯りのともったインバネスの町が見えて来た。
車はユースホステルの玄関に横付けされた。
エジンバラからインバネスまで300キロで大変だったが、ヒッチハイクで
乗せてくれた4人の親切なスコットランド人のお蔭で疲れも吹っ飛んだ。 -
昭和49年11月1日
インバネスのユースホステル -
昭和49年11月1日
インバネスのユースホステルの宿泊スタンプ -
昭和49年11月2日
インバネスからネス湖アーカート城 コーチマスターチケット予約券 -
昭和49年11月2日
インバネス アーカート城とネス湖
インバネスの南西21キロにある アーカート城は、 中世初期の要塞の上に、
13世紀から16世紀にかけて建造されたが、現在は廃墟となっている。
13世紀に創設され、14世紀にはスコットランド独立戦争の舞台となった。
その後は王城となったが、マクドナルド一族のアール・ロスには何度も襲撃された。
1509年、城はクラン・グラントに下付されたが、
マクドナルドとの争いは続いた。
その後も城は幾度か急襲を受けて増強されたが、
17世紀の中ごろには打ち捨てられた。
アーカート城は1692年、ジャコバイト軍の手に落ちるのを阻止するため、
部分的に爆破され、荒廃した。
20世紀に州の管理下に置かれ、市民に公開されるようになった。 現在は、スコットランドでも最も観光客の多い城となっている。
ウィキペディアからの引用 -
昭和49年11月2日
インバネス アーカート城とネス湖
ネッシーは、スコットランドのネス湖で目撃されたとされる、
ネス湖の怪獣の通称で未確認動物の代表例として世界的に知られ、
20世紀最大級のミステリーとして語られてきた。
1933年以降、ネス湖で多くの目撃例が報告され、
写真や映像が公表されてきた。
「ネッシー」の通称は世界的に使われるが、日本においては特にこの名が
浸透している。
その正体については諸説が提唱されてきた。
目撃談や写真に捉えられた形状から、恐竜時代に栄えた大型水棲爬虫類である
首長竜プレシオサウルスの生き残り、あるいは世代を経て進化した
姿という説が、古くから最も知られている。
太古に絶滅したとされる大型獣が生存していたとすれば
大きなニュースであり、ロマンをかき立てられる話題でもあることから、
期待を込めて支持を集めてきた面もある。
他には竜脚類の生き残り説や魚類説など、多数ある。
しかし、目撃証言や写真・映像の多くが、既知動物や船舶、流木、航跡、
または波動など自然現象の誤認であるか、あるいは捏造と判定され、
大型獣が生存している可能性を否定する動物学者は多い 。
1980年代以降、メディアへの登場は徐々に減っていった。
ウィキペディアからの引用 -
昭和49年11月2日
インバネス ネス湖
ネス湖は、スコットランド北部ハイランド地方
インバネス(ネス川の河口を意味する)の南西約10kmにある、
スコットランド最大の淡水湖。
長さが約35km、幅約2kmの、非常に細長い湖。水深は最大で約230m。
ウィキペディアからの引用 -
昭和49年11月2日
インバネス ネス湖アーカート城で
アーカート城に着くと陽が差したり、急に暗雲が垂れ込めたり、
小雨交じりの強い風が吹いたりと目まぐるしく変わる天候、
それと黒みがかった湖面と廃墟の城が不気味に似合っていて、
いかにもネッシーが棲んでいそうな感じだった。 -
昭和49年11月2日
インバネス ネス湖アーカート城で
写真は、オフシーズンのせいか他に入場者は誰もいないので、
チケット売り場の管理人さんに頼んで撮ってもらった。 -
昭和49年11月2日
インバネス ネス湖アーカート城で -
昭和49年11月2日
???城からフォート・ウィリアム コーチマスターチケット予約券
ネス湖アーカート城から20キロ程ヒッチハイクしたが、
その後、車が通らないので???城からフォート・ウィリアムまでバスに乗った。
フォート・ウィリアムでバスを乗り換えグラスゴーまでの風景は素晴らしく
大自然そのものだった。
アメリカの西部劇に出て来るような不毛の険しい赤茶けた高い岩山が迫り、
河、滝、湖が次々と現れ、晴れ、雨、吹雪、晴れと目まぐるしく
変化する天気にマッチする風景に感動した。 -
昭和49年11月2日
グラスゴーのユースホステル -
昭和49年11月2日
グラスゴーのユースホステル -
昭和49年11月2日
グラスゴーのユースホステルの宿泊スタンプ -
昭和49年11月3日
グラスゴーからエジンバラ コーチマスターチケット予約券
グラスゴーは朝から雨だったのでエジンバラに来たがここも雨。 -
昭和49年11月3日
エジンバラ 市内バス切符 8ペンス51円
バスターミナルからユースホステルへ -
昭和49年11月4日
エジンバラ 市内バス切符 8ペンス51円
ユースホステルからバスターミナルへ -
昭和49年11月4日
雨にむせぶエジンバラ城 雨の為撮った写真は1枚のみ。
スコットランドの首都であるエジンバラは、
近代のアテネと言われるほど、古い歴史を誇る街である。
7世紀にエドウィンがノルマン風の城を築いた事から、
エドウィンのバラ(城)、つまりエジンバラと名付けられた。 -
昭和49年11月4日
エジンバラからケンダル コーチマスターチケット予約券
ロンドンまでの直通バスがないのでケンダルに泊ることにした。 -
昭和49年11月4日
ケンダルの市内バス切符 10ペンス64円 -
昭和49年11月4日
ケンダルのユースホステル
泊り客5,6人と少なく大変静かで旅の疲れを取るには最適だった。 -
昭和49年11月4日
ケンダルのユースホステルの宿泊スタンプ -
昭和49年11月5日
ケンダル ケント川に架かる石造りの橋
朝、ユースホステルの近くを散歩すると、
町にはケント川が流れ、石畳の道、石造りの家が連なり、昔ながら
の趣のある落ち着いた町並みが残っていた。
夕方にはロンドンに戻って来た。
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