2015/02/22 - 2015/02/22
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Wind99さん
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川崎市高津区で開催された第12回大山街道フェスタに行ってきた。
江戸時代の関東では、神奈川県丹沢山地の大山の阿夫利神社への参詣道が多く、それを大山街道と言ったが、矢倉沢往還と言われた現在のR246号線では16の宿場があったそうだ。
その2つ目の二子・溝の口宿は、1669年(寛文9年)に宿駅が設置された。その面影を偲んで、地元のフェスタ開催に合わせて歩いてみた。
駅で言うと、東急田園都市線の5区間となる。
二子新地→高津→溝の口→梶ヶ谷→宮崎台(約4km)
参考ホームページ(川国)
http://www.ktr.mlit.go.jp/kawakoku/ooyama_hi/p_0203a.htm
- 旅行の満足度
- 4.0
-
東急田園都市線の二子新地駅から、多摩川に沿って上流へ向かうと、写真の看板(二子の渡し場入り口)があった。
路地を入ると下りになっていて、今は多摩川のコンクリートで行き止まりであった。
今の多摩川は夏でも歩いて渡れそうな位浅くて、渡し船は無理だが・・・当時はなぜ川の水量が多いのか、疑問だ。 -
大山街道フェスタは分かるけど。
「高津の隣人まつり」の意味がわからないw。 -
二子神社と岡本かの子の碑
多摩川沿いにある神社。神社の境内に碑があった。
岡本かの子はこの地で生まれ、自身は小説家であったが、芸術家岡本太郎を生んだ。境内わきにある「かの子の碑」は、岡本太郎が製作した彫刻。
母を想い「誇り」を題としている。 -
二子神社本殿。
祭神は天照大神。 -
境内でフェスタ開催中。
山菜おこわ、じゃがバター、みそ田楽、麦茶の販売。
甘酒を美味しく頂いた。 -
二子神社から、大山道へ戻り、大山方面へ向かう。
大貫家の人々
大貫家は岡本かの子の生家。若くして逝った兄・雪之助は藤村門下で、谷崎潤一郎とも親交が深かった。かの子は、後に漫画家岡本一平と結婚。岡本太郎はその長男である。 -
光明寺と二子学舎
江戸初期に二子塚から移された。農民たちも一緒に移住し、二子村を形づくっていく。明治7〜9年、本堂には「二子学舎」が置かれ、近代教育の場になった。 -
ここには古い文化財もある。
1672製作の聖徳太子像は見てみたい。 -
この石仏?の集まり山は何だろう。説明書きは無かった。
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奥の墓地には、大貫雪之助の墓と、それを覆うように大きな楠があった。
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光明寺の鐘楼
この鐘は、天保5年(1834年)より時の鐘として使われた。 -
昔なつかしい 駄菓子の木村屋。
直球の看板で、いいなー。
子供たちが座るイスも用意されていた。(ケースを裏返したイス) -
民家前のプランターにも道しるべが。かわゆし。
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フェスタに合わせて、コンビにでも店頭で販売をしていた。
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飯島商店前の出店
フェスタ会場2
麦茶の無料配布、焼そばとうどんの販売。 -
飯島商店前の大釜
口上
この釜こそはあのNHKテレビ大河ドラマ「黄金の日々」に出演し根津甚八ふんする石川五右衛門を釜茹でにした代物である。 -
高津図書館前(溝口緑地)の、メタセコイアの並木。
メタセコイアは大好きだ。もっと大きいと尚良い。 -
国木田独歩碑 (溝口緑地内)
明治30年(1897)、国木田独歩が溝口を訪れた時、当時旅館であった亀屋に一泊しました。それは作品「忘れ得ぬ人々」のモデルとなり、明治文壇に不動の地位を築いた。それを記念し碑を立てた。
題字は島崎藤村。 -
今では珍しいと思えるミシンの販売と修理店。
ガラス窓から中を覗くと店主が居て、立派に営業されていた。 -
府中街道と大山街道の交差点「高津」角にあった大山街道の案内板。
参拝の際の納太刀の習慣の図。
大山詣では、自分の背丈よりも長い木太刀を担いでいる納太刀(おさめだち)で往来したそうだ。 -
高津の交差点を渡ると老舗の田中屋がある。
はかりと茶の販売。 -
口上
田中屋は宝暦年間(1760)によろず屋を開業。その後幕府から秤の販売免許を受けたという老舗。
明治中期より自家茶園にて緑茶の製造販売を行い、販売のみ継続している。 -
田中屋の隣は、明和年間(1764〜)創業の老舗で、同じく老舗の薬局灰吹屋。
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その隣に灰吹屋の土蔵があった。
土蔵は昭和35年までお店として使われていたそうだ。 -
大山小径 大山詣での擬似体験が出来る!!
赤坂御門から粕屋(大山不動へ二里)までの15枚の絵タイルを踏み歩くと、18枚の絵タイルを組み込んだ大山寺雨降神社真景に行き着く。 -
正面は大山全景、左下に江ノ島、右上に雲の富士山があり、僅か数分で大山詣りを疑似体験できます。
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大山道の道標
この道標は文政12年(1829)、大山道と府中道が交差する角に建てられた。 -
大山街道 ふるさと館
大山道の道標はこの敷地内に移設されていた。 -
岩崎酒店。屋号を「麹屋」といい、明治中期より酒造りを続けてきた老舗。
お薦めは、「蔵粋(クラシック)」という地酒。もろみの段階で、モーツァルトのコンチェルトを十分聴かせることによって、フルーティな仕上がりになるらしい。
「糀ホール」は岩崎酒店が経営する音楽ホール。 -
小さな流れの二ヶ領用水(にかりょうようすい)の橋に出た。
大石橋だ。 -
二ヶ領用水は、多摩川などを水源とし、川崎市を流れる、全長約32kmで神奈川県下で最も古い人工用水路である。
戦国時代末期に14年の歳月を掛けて完成したという。 -
昔ながらの金物店(稲毛屋金物店)
昔なつかしい品物も、たくさん有ります。(井戸ポンプ、お釜、火消し壺・・・)
天保年間に、もと醤油醸造業を当地で長年営んでいた本家稲毛屋より分家した金物店。 -
溝口神社に来た。御祭神は天照皇大神。
神社入り口に「勝海舟の大のぼり」の看板があった。
勝海舟自筆の幅1.75m、長さ13.44mの一対があるそうだ。 -
奉祝 第62回神宮式年遷宮、溝口神社改名140年とあり、その記念事業として昨年境内の整備を行ったようだ。
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大山街道フェスタでは、5箇所の会場を廻るスタンプラリーをやっていた。
スタンプを集めると景品が貰える。景品はなんだろー。 -
お願いしゃもじがいっぱーい。
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溝口神社本殿。
安産、子育て、縁結び、家内安全。 -
ここも江戸後期創業の老舗、岡田屋足袋店。
祭禮関連の半天や股引、腹掛けなど必需品から小物まで〜。 -
のちに栃木県益子に住み、益子焼の名を高めた浜田庄司は、わが国最初の人間国宝昭和30年(1955年)である・・・。今日まで知らなかった名前。
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宗隆寺(そうりゅうじ)
10月の御会式には多くの万灯が集まるとな。
ここにある芭蕉の句碑は・・・、あーこれを見るの忘れた! -
宗隆寺内にあった益子焼で人間国宝となった濱田庄司のお墓。
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さかえ橋の親柱石
栄橋交差点角にあった。
この橋は平瀬川と二ケ領用水が交差したこの場所にあった。
溝の口駅北口再開発事業で発掘された。 -
JR南武線の踏切に差し掛かる。
踏み切りの名前に注目!! -
その踏切から、武蔵溝の口駅方面を見ると、立ち飲み屋が多い、溝の口駅西口商店街のアーケードと、その向こうに丸井のノクティープラザのビルが見えた。
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唐申塔と大山道標
通称片町の十字路に山角柱形の道標をかねた庚申塔があった。
庚申待ちは、庚申の夜に眠ると人の体にいる三戸が抜け出して、罪を天帝に告げるといわれ、世間ばなしや村の決めごとなどをして徹夜する俗習。
ここで、二子・溝口宿は終わるが、大山街道をいま少し進んでみる。 -
ここから登坂に差し掛かる。
昔は、相模川でとれた鮎や野菜を江戸の市場へ運ぶ近道で、帰りには下肥を積んで帰る難所であったようです。別名「はらへり坂」 -
坂を登りきると、笹の原の子育て地蔵がある。
念願叶って子供を授かった夫婦がそのお礼と子の健やかな成長を願って建てたと言われる地蔵尊。
この先を左折すると、梶ヶ谷の駅だが、まっすぐ行くとR246の梶ヶ谷交差点に出る。ここからR246のバイパスになるが、さらに直進すると狭い、旧246だ。 -
宮崎大塚
ラストは看板も無く、分かり辛かった。R246(厚木街道)を渡り、ようやくたどり着いた。宮崎中学の北側で、道1つ離れた民家の間にあった。
高さ5.5m、径25mの方墳と推定されているが、発掘調査はされていない。塚の頂上には馬絹大塚供用塔の石碑があった。
この高さなら旧246(大山道)から、旅人も用意にこの塚を見ていたであろうし、当時の大山詣でのMAPには、目印に記載されていただろう。
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