2015/02/06 - 2015/02/06
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horseriderさん
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東急目黒線・洗足駅で下車、改札口を出て、前を過る道を左へ、直ぐ三叉路にぶつかり、バス通りを右手へ、駅から4〜5分、ゴルフ練習場の隣が宮野古民家自然園だ。
入園料200円を門を入った左手の受付で支払い、係員により主屋の説明と案内を受ける。
栞によると、寛文・元禄時代の目黒地域は、荏原群に属し、六カ村から成り立ち、江戸府内に近いと言う場所がらもあって、六カ村のだいぶぶんが直轄地でした。
それに対して、この宮野家のあった碑文谷村は、寺領や旗本領で、純農村地帯であったようだ。
宮野家の母屋が建てられたのは、現当主から7代前の寛政期≪1789年)依然と思われる。
紆余曲折もあったが、家運を隆盛させたのは4代目当主鎌吉≪1838〜1915≫で、母屋の改築や茶室を新築などをし、前党首は茅葺屋根に、銅葺き重ねた。
建築当時の骨組みや食い違い型田字形(間取り)は、保存状態が良く往時のままに保たれて居ます。
目黒地域の近世農村史料になると評価され、目黒区の有形文化財に指定されたと言うことです。
主屋を引きたてる屋敷林は、母屋建築と前後して植えられ、さして広くはないが、歴史を感じさせる大木・古木が見られる。
宮野家の由来は、鎌倉時代源頼朝の武将、畠山重忠が戦死し、その家臣宮野友右衛門左近は碑文谷に来て、碑文谷八幡の社司を務め、後に帰能農s、その末裔が宮野家と思われると言うことです。
屋敷林は、武蔵の面影を未だに残しています。
主屋の茅葺屋根を支える大黒柱や切り出した儘曲がった梁など、釘を一切使わず組み込まれて居ます。
継ぎ目のない居た時期の縁側、主屋座敷の板襖も、継ぎ目のない一枚板で作られ、4枚共に木目が揃っています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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