2015/02/03 - 2015/02/03
122位(同エリア1204件中)
熱帯魚さん
大鵬所城は明洪武27年(1394年)に建設が始まり、
600年以上の歴史を持つ明、清代の海防軍事要塞。
深センの自宅からバスで2時間半もかかる、
市内ながら超~遠い龍崗区大鵬鎮にあります。
先月訪れた時、楽しくて沢山写真を撮ったのですが
なななーんと画像データを消去してしまいました。
それならば、また城内散歩を楽しみに、
大鵬所城を再訪してみよう~と思い立ち、
またまたバスに2時間半揺られ、行ってきました。
★★ 大鵬リベンジ旅 2/3 ★★
1★深センっ子お勧めの大鵬湾へ
http://4travel.jp/travelogue/10978976
2★大鵬所城さんぽ~前編~
http://4travel.jp/travelogue/10979238
3★大鵬所城さんぽ~中編~
http://4travel.jp/travelogue/10980435
4★大鵬所城さんぽ~後編~
http://4travel.jp/travelogue/10980578
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
-
バスに揺られ2時間半。大鵬湾で海を見た後、歩いて大鵬所城へ向かいました。
写真は途中の村?です。 -
大鵬所城の南門が見えてきました。
でもお腹が痛かったので、まずはお手洗いへ…(^^;) -
イチオシ
そして、大鵬所城散歩のスタート。
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まずは南門をくぐり、
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南門街を歩きました。
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歴史のある建物が…土産物屋に占領されていて…(^^;)残念な感じがします。
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臘肉が干してありました。
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○ 劉起龍将軍第
劉起龍(1772〜1830)、字は振昇、号は雲斎。福建水師提督までのぼりつめ、振威将軍、従一品の位を与えられました。軍に一生を捧げ、国民を愛し、清廉な性格で、鵬城の人々から支持されていました。劉起龍将軍第は清の道光初年(1821年)建設が始まったものです。 -
前回来た時は開いていたので見学した百家祠は、この日は閉まっていました。
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右にうつっている銅像は、本物の人です…(^^;)
それに気づかず、前回近づいて写真撮ったら、ワッって嚇かされて心臓が飛び出そうになりました。 -
北門の上から…
獲物を待ち構える銅像…笑 -
北門からの風景。
城外はのどかな風景。 -
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大鵬所城の猫ちゃん
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名前からして、穀物なんかを入れておく倉庫だったのでしょうか。今は窯として使われているようです?
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東門を見に行きます。
途中、多分中国の北部から来たオッサンに、「こんなの見て面白いか?写真撮るもの有るのか?」と話しかけられたので、「あなたには面白くないかもしれないけど、私には面白い場所だから」と言い返してやりました。そしたらオッサンばつの悪そうな顔していなくなりました。 -
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門の雰囲気では東門が一番のお気に入り。
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東門からの眺め
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東門からの眺め
このまっすぐのびる通りが、東門街。 -
願いがかなう神木らしい。
○ 許願神樹
伝えられるところによると、この神木は頼恩爵将軍の祖父母が植えたもので、数100年の歴史があるそうです。九龍海戦に出兵する日の前夜、頼恩爵将軍が城内の文武100官を集め、東門楼の上から拝み、神木に願い事を書いた碑を数えきれないほど括り付け、海戦への勝利を願ったそうです。翌日、将軍は無事海戦で勝利をおさめました。将軍は海戦から城内に戻ってくると、小さな廟をつくり、大鵬所城の繁栄を願ったそうです。 -
レストランのメニュー
将軍宴のコース料理。 -
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おじさんは大きな荷物持ってどこに行くのかな。
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不用品を回収して歩いているようでした?
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寂しげに1本、木がたってました。
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名前は長巷ですけど、実のところ、そんなに長くありません…
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イチオシ
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民宿が並んでいました。
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イチオシ
こんなところに双喜を見つけました。
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○ 頼世超将軍第
頼世超将軍は大鵬所城の頼氏「三代五将」の一人。広東瓊州総兵となり、武功将軍、正二品の位を与えられました。頼世超将軍第は清の道光初年(1821年)に建設が始まったそうです。 -
イチオシ
○ 左党署遺跡
左党署は県丞署とも呼ばれ、大鵬所城侯王廟の隣にありました。県丞とは文官名で、正八品の位でした。新安県丞が大鵬所城に駐在し、大鵬半島沿海の100近い村を管轄していたそうです。新安県正堂(県令)に隷属し、大鵬の軍用食糧の管理もしていました。 -
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地図で見ると、都府署と守番署の建物だと思いますが、建物自体には表示が無かったので、実際はどうかわかりません。
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イチオシ
○ 頼恩爵振威将軍廟
頼恩爵(1795〜1849年)は字を簡廷といい、大鵬所城の頼氏「三代五将」の一人。清代に英国軍と戦った名将で、広東水師提督となり、振威将軍、従一品の位を与えられました。将軍第は清の道光24年(1844年)に建設が始まりました。 -
こちらは見学可能です。南門の脇に案内所があり、そこでパスポートを提示すると、チケットと地図がもらえます。
内部は遺跡から掘り出された石器や、大鵬所城の歴史、人物紹介の展示があります。 -
入口入ってすぐのところにおいてある3つの石が、中英海域界碑です。
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イチオシ
○ 中英海域界碑
大鵬半島の東南端の大鹿湾で、2007年6月に発見された石碑。英国統治下の香港政府が大鵬湾を咀嚼するため、1902年に一方的に製作して建てたもの。中国大陸で発見された唯一の海域界碑。 -
何でも占ってくれるみたいです?
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陶芸もできるみたい。
ここまでが所城の東半分です。
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